第5話 勉強会!

事件満載の実習が終わって、ようやくL2に戻ってきた俺たちだったが、その後は調査委員会やセキュリティの聴取、メディアの取材などに追われ、落ち着く暇もなく、ようやく日常を取り戻したのは、帰ってから一週間ほど過ぎた頃だった。


その日の放課後、俺たちは久しぶりに、いつもの店に集まった。

「なんだか、久しぶりに落ち着いた感じがするな」

「そうですね。皆さん、本当にお疲れ様でした」

「いやいや、マリナだって大変だったよね。生徒会のほうでも、色々あったみたいだし」

「そうですね。まぁ、あれはいつもの事ですから、もう慣れました」

「今度は何を言われたのよ?」

「生徒会から、今回の対応について感謝状の授与式をやりたいと。もちろん、丁重にお断りしましたけど」

「ほんと、何でもイベントにしたがる連中ね。でも、よく納得させたわね」

「ええ、まだ犯人が捕まっていない状況で、そんなイベントをやったら犯人を刺激しかねないから止めましょうと言ったら、あっさり中止になりました」

「マリナもだんだん心得てきたね。あの連中、何かあって責任取らされるのを一番嫌がるから」

そう言えば、この前のミッションの際も、その前に訓練中のレスキューをやった時も、同じ事があった。俺たちにすれば、表彰とか面倒くさいことからは、出来るだけ逃げたいのだけれど、生徒会メンバーであるマリナは、いつも板挟みになってしまうから申し訳ない。

「ところで、犯人捜しのほうは、どうなったのかな。僕はそっちが気になるんだけど、生徒会には何か情報は入っていないのかな」

「今のところ、具体的な話はありませんね。通信の発信元は、まだセキュリティが追ってるみたいですし」

「L2からってのは間違いないのよね。そこまで分かっていたら、発信元くらい突き止められそうなものだけど」

「それが、セキュリティに聞いても、まだ調査中の一点張りらしく、なにやら手こずっているみたいです」

「でも、この前の話だと、セキュリティはL2の中なら、たいがいの追跡は出来るんだよね、サム」

「それは間違いない。ネットワークのあちこちにあるセンサーを使えば、短時間で追跡できる。ただ、犯人が、その前提で行動していて、相応のスキルを持っていた場合は、追跡に時間がかかる可能性もある」

「相応のスキルって、もしかして、またC&I説が浮上してるとか?」

「C&I専攻の学生が第一候補になりうることは間違いない。ただ、それは犯人が学生だった場合の話」

「そうですよ。まだ学生だと決めつけるのは早いです」

たしかに、生徒会メンバーのマリナ的には、学生がそんな事件を起こすというのは考えたくないだろう。もちろん、それは俺たちも同じだ。

「そう言えばさ、このまえセキュリティに捕まった学生は、どうなったの?」

「そっちの方も情報が得られないようです。風紀委員会からセキュリティに問い合わせても、返事がないとかで」

「なんだか怪しい雰囲気だね」

「そうだな。セキュリティは何かを隠しているんじゃないか?それとも、立て続けに事件が起きて、てんやわんやになってるとか。火星の件もあるしな」

「そうそう、あれも謎だよね。あれだけ大騒ぎした割にニュースにもなってないし。僕も不思議に思っていたんだけど」

「なにやら陰謀の香りが・・・・」

「勝手に妄想してなさい。とはいえ、釈然としないのは確かよね」

「まさか、一連の事件が繋がっているなんてことは無いですよね」

「お、マリナも陰謀説?」

「いえ、陰謀と言うよりも、そういう疑いが浮上して、セキュリティも慎重になっているんじゃないかと思ったんです」

「それはありうる。もし、関連が疑われる場合、最初の事件から見直しが必要になる」

「それじゃ、捕まった学生も、冤罪である可能性が出てきたってことか?」

「そう断定するには、ちょっと情報が足りない。ただ、判断を見直さざるを得なくなっている可能性は高いと思う」

「いずれにせよ、しばらく静観せざるを得なさそうですね」

「そうね。いずれセキュリティが事件の全貌を解明してくれるだろうし、捜査が進んでいるのなら、犯人も迂闊には動けないはずよ」

「しばらくは膠着状態が続きそうだね」

「まぁ、今の時点で俺たちが、あれこれ考えても仕方が無いな。それよりも問題は来週の試験だ」

「あ、嫌なこと思い出させないでよ、ケンジ。せっかく、やっと落ち着いて一息ついてるのに」

「あんた、もうちょっと必死になった方がいいんじゃないの?前期の試験、結構悲惨だったわよね」

「あちゃぁ、追い討ちかぁ。ま、否定できないのが悲しいんだけど」

「それじゃ、週末に勉強会でもやりますか?」

「それ、賛成。実は、マリナに教えて欲しいところがあったのよね」

「全部、なんてオチじゃないわよね」

「えへ、バレた?」

「あんたねぇ。ちょっとは自分で努力しようって気持ちはないの」

「でも、いいんじゃないか、勉強会。俺も参加したい」

「そうね、ケンジも結構厳しい成績だし。私がみっちり教えてあげるから感謝しなさい」

いやいや、俺もマリナに教えて欲しいんですけど・・・。

「なに、私じゃ不満なのかしらね?」

「いや、美月に面倒かけちゃ悪いかなと」

「遠慮は無用よ。下僕の面倒を見るのは飼い主の勤めだから」

「だから下僕言うなよ」

「事実を言って何が悪いのよ」


まぁ、こういう会話が無駄だというのは、俺も分かっている。「下僕」というのが美月の照れ隠しであることも。でも、それを認めてしまうのは、なんとなく癪に障るのである。

「それじゃ、土曜日の10時に図書館の自習室に集まるというのは、いかがですか?」

「そうだな。それでいいんじゃないか」

「私もいいわ」

「オッケーでーす」

「ジョージ君とサムはどうします?」

「僕も参加するよ」

「私も行く」

「わかりました。それじゃ全員参加ということでいいですね。土曜のお昼は、またここで一緒に食べましょうか」

「いいね」

そんな感じで、土曜の勉強会開催が決まったのだった。


そして、数日が過ぎ、土曜日の朝。

「ケンジ、いつまで寝てるのよ。早くしないと遅れるわよ」

そんな美月の声にたたき起こされた俺は、急いで支度をする。時間は9時40分を過ぎている。これは確かにヤバい。

「まったく、何回私に起こされたら気が済むのかしらね」

「悪い。助かったよ」

「どうせ、またゲームで夜更かししてたんでしょ」

「まぁ、そんなところだ」

「バカ!」

そんな、いつも通りの会話をしながら、俺たちは急いで車に乗り、アカデミーの図書館へ向かう。

「で、今日はどの辺りを教えて欲しいのかしら?」

やはり、こいつの標的は俺か。マリナとの甘い時間は、諦めざるを得ないようだ。

「うーん、量子論あたりかな。シュレディガー方程式の導き出し方が、いまいちわからなくて」

「まったく、スーパーストリングとかブレーン理論辺りでつまずくんだったらまだしも、量子論なんて超古典で引っかかってどうするのよ。しかもシュレディンガー方程式って、そもそも中学生レベルよね。それで、よく附属高に入れたものだわ。だいたい、よく進級できたものよね」

「それを言うなよ。試験の時の馬鹿力っていうか、なぜか、とりあえず及第点は取れてしまうんだから。まぁ、一年の期末は追試だったけどな」

「ほんと、都合良く出来てるわね。ケンジのくせに」

「だからさぁ、そんなラッキーに頼らないようにしたいんだよな」

「まぁ、その気持ちだけは褒めてあげるわ。今日は、みっちり鍛えてあげるから覚悟しなさい」


そんな感じで、今日は美月の個人授業が確定したわけだ。俺にかまわず、自分の勉強をしろよ、とか言い得たいところなのだが、こいつも成績上位者の一人である。マリナには及ばないが、普通の高校なら飛び級だってできるレベルだ。そんな奴に、俺が勉強しろなんて言えるはずがない。

「でも、不思議よね。ケンジの言う火事場の馬鹿力って。どんな感じなの?」

「何というか、自分がほしい知識や答えが、頭の中に浮かんでくるというか、変な話、頭の中にカンニングペーパーがあるような感じかな」

「なんか笑っちゃうわよね。そんなマンガみたいな話があるなんて。あんた、実は超天才なんじゃないの?」

「ないない」

「そうね。ケンジに限って、あるわけないか」

そうあっさりと納得されると、ちょっと腹が立つ。俺はちょっとムッとした顔をする。

「でも、それって、もしかして例の抽象思考インターフェイスと関係あるんじゃないの?」

「ああ、それは俺も考えてた。でも、あれは美月やユイみたいな抽象思考をやりとりできる相手が必要だろう」

「あんた、まさか私の頭の中から知識を持って行ってたりしないわよね」

「そ、それは・・・できれば無いと信じたいが」


いや、実を言うと俺には心当たりがある。これまで、火事場の馬鹿力を最大限に発揮できた時に限って、直接、間接に美月との情報共有下にあったのだ。俺の馬鹿力に美月が何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できない。だが、俺としては、この考えは封印しておきたい。

「もしそうなら、使用料は高いわよ」

「だから、無いって」

そんな会話をしている間に、車は図書館の車寄せに到着する。

「ほら、待ち合わせギリギリだから走るわよ」

「お、おう」

俺は美月の後を追って図書館に入った。広々とした明るいエントランスは綺麗に磨き上げられていて、休日にもかかわらず、学生の姿も多い。

「結構、人がいるわね。自習室が混雑していなければいいけど」

「試験前だからな。みんな追い込みだろう」

「まったく、試験前になって焦る奴らの気が知れないわ」


通路のあちこちには、アウトバンド送信機が置かれていて、そこから送られてくる情報が拡張現実の案内パネルとして表示される。初めての人は、行き先を指定すると、そこまで案内もされる。もちろん何度も来ている俺たちには必要ない機能だ。図書館と言っても、蔵書の多くは電子化されていて、これもインターフェイス経由で参照出来る。中世以前の古い蔵書は、実物も保管されているが、貴重な歴史資料であるため、借り出せるのは、その電子的なレプリカである。

「やっぱり、結構混んでいるわね」

「皆。どこにいるんだろう」

自習室は、オープンなテーブルとグループ用のブースに分かれている。ブースは予約が必要だが、マリナのことだ、そのあたりは抜かりあるまい。

「あった、ブース32Aが予約されているわ」

「そうだな。よし急ごう」


予約リストもアウトバンドから参照出来る。予約リストは誰でも参照できるが、予約者名やIDは、あらかじめ予約者が登録したメンバー以外からはアクセスできないようになっている。これは、プライバシー保護のためだ。

「おはよう。どうにか間に合ったな」

「まったく、ケンジが寝坊するから大変だったわ」

「ケンジ君、美月さん、おはようございます」

やはりマリナはいつも爽やかだ。隣の誰かとは大違いである。サムもいる。

「あれ、ケイとジョージは?」

「まだみたいですね」

「まったく、あの二人は、いつもこれよね。どうしてうちのチームは、朝の弱いメンバーが多いのかしらねぇ」

そう言いながら、美月は俺の方を見る。

「さぁな」

とりあえず俺は目を逸らす。時間は10時を少し回っている。連絡がないのなら、そろそろ来そうなものだが。

「おっはよー、みんな早いねぇ」

ケイだ。その後から息を切らせて走ってきたのはジョージである。

「3分遅刻よ。遅いわ」

「ごめんごめん。まぁ、土曜日だし、誤差の範囲内ということで・・・。いやぁ、出がけに、もしかして、と思ってジョージの部屋に行ったら、やっぱり寝ててさぁ」

「ゴメン。申し訳ない」

ジョージは、疲れ切った表情で息も荒い。

「まったく、誰かさんと同じよね」

美月がまた俺の方を見て言う。

「それじゃ、全員揃ったところで、ちょっと座って落ち着きましょうか」


たしかに、ジョージはちょっとクールダウンが必要そうだ。それに、勉強を始める前に、ノートやら参考情報を整理しておきたい。もちろん、これらはすべて電子情報だ。データはアカデミーが学生向けに用意しているデータストレージや、個人が契約しているストレージに置かれていて、どこからでもアクセスが可能になっている。アクセス回線は、アカデミーの専用回線やVUなどだが、それらへの接続は、各自が持っているDIユニット経由で行われるのである。いずれのストレージも個人のデータ領域は強固なセキュリティによって保護されていて、利用者本人の生体識別情報がなければアクセスできない。この生体識別情報は、あらかじめ遺伝子に組み込まれているユニークなコードで、偽造は困難だ。DIユニットは、インターフェイス経由でこのコードを読み出して、アクセス認証に利用する。通信についても、この識別情報から生成した鍵を利用して暗号化が行われるので、システムに脆弱性がないかぎり、盗聴は困難とされている。


「さて、ケンジ。お勉強の用意は出来た?」

美月が隣に来て言う。

「ちょっと待ってくれ。今、ノートとかを整理してるから」

「ふーん、一応ノートはあるのね。ちょっと見せなさい」

こうした情報は、他人と共有することもできる。個別にアクセス許可を与えることも可能だが、手っ取り早いのは、情報共有モードを使う方法だ。情報共有モードでは、複数の相手と、自分がアクセスしている情報を共有できる。たとえば、教科書やノートを表示している拡張現実のパネルなどを、そのまま他人が見たり操作したりできるのである。このモードは、子供の遊びから、学校の勉強、様々な仕事などで必須となるものである。もちろん、宇宙船の運用にも不可欠だ。今の場合は、俺と美月が情報共有モードになることで、同じ教科書や資料、ノートを見ることができるのである。

「ふーん、意外と真面目にノート取ってるじゃない」

「意外とって何だよ。お前と違って俺は真面目にやらないとついて行けなくなるからな」

「失礼ね、私だってノートくらいは取ってるわよ」

「ふーん、それじゃ見せてみろよ」

「ダメよ。いきなり見せたらケンジの勉強にならないじゃない。で、まずは何から始めるの?」

「はいはい。それじゃ、量子論から始めるか。ほらお前も共有モードに入れよ」

「分かったわよ。でも変なもの見ないでよね」


情報共有モードでも、互いに共有するものを細かく制御することが可能だ。だが、それには結構集中力が必要になる。たとえば、教科書を共有しつつ、ノートは見せないなんてことも可能だが、気をつけないと、うっかり見せてしまうことになる。情報量が多いと、処理能力を越えて、情報があふれ出してしまうこともある。そんなふうに相手からあふれてきた情報は、自分のほうでフィルタして見ないようにするのが情報共有のマナーだ。互いに信頼関係があれば、本当に隠しておきたい情報だけに集中すればいいのである。だが、相手が美月となると状況は違う。美月が持つ、様々なインターフェイスコンポーネントが発生する情報の量は膨大だ。それは、美月自身の処理能力をはるかに超えていて、情報共有下では、どんどん溢れ出して来る。共有している側も、それだけの量の情報はフィルタできないから、結果として、共有している全員が情報過多に陥ってしまうのである。これまで美月が疫病神なんて不名誉なニックネームをつけられてきた原因がそれだ。不思議なことに、俺はその情報をうまくさばくことができる。理由はよくわからないのだが、どれだけ情報が多くても、不要な情報を排除して必要な情報だけ取り出すことが出来るのである。それが、美月がこのチームにいる理由でもある。今ではジョージがコンピュータのソフトウエアを改良して、うまく情報を選別してくれているが、以前は俺が選別した情報を共有して情報氾濫をしのいでいたのである。

「で、よく分からないのは、ここだ。この式の変形の意味がよくわからない」

「ああ、これね。離散系の時間発展方程式を考えて、格子間隔を無限小にすればいいのよ。ハミルトニアンを展開して、差分を偏微分に置き換えて・・・」

「おお、なるほど。なんだか感覚的だけど、理解できるぞ」

「それじゃ、こっちのを解いてみて。ポテンシャル項が入ってるからちょっと難しいわよ」

「えっと、これをこうして・・・、出来た」

「なによ、出来てるじゃない。教わる必要なんかないんじゃないの?」

「いや、昨日までは、まったく分からなかったんだが、なぜか今は分かるんだ」

「あんた、まさかインチキしてないでしょうね」

「インチキ?」

「ちょっと待ちなさい」

美月は、手首につけたブレスレットに触れて、なにやら操作している。実は、これが彼女のDIユニットなのである。ちなみに、俺のものと全く同じだ。このユニットは今のところ世界に3個しかない。なぜなら、このユニットは市販品ではないからだ。自称電子工学者である俺の親父のお手製なのである。持っているのは俺と、俺の妹の沙依、そして美月の3人だけだ。どうして親父の手作りを美月が持っているのかについては、話が長くなるので、そのうち話すことにする。この特殊なDIユニットが、俺と美月とのあいだでの抽象思考のやりとり、つまり以心伝心を可能にしているのである。

「これでいいわ。それじゃ、もう一度、こっちの問題を解いてみて」

「え、それはさっき・・・あれ、分からない・・・、さっきはどうやって解いたっけ」

「ふーん、やっぱりね。そういうことか」

「美月、何をした?」

「DIユニットの抽象思考中継機能をオフにしたのよ。これで、あんたの馬鹿力は封じたわ。さぁ、真面目に最初から勉強よ」

「オフにって、こいつにそんな機能が?」

「なかったわ。でもケンジのパパにお願いして入れてもらったのよね。私だって、プライバシーを守りたい時はあるんだから」

「親父の奴、いつの間に」

「さぁ、覚悟なさい。厳しく行くからね」


うすうす気づいてはいたのだが、それが美月にバレてしまったということは非常にまずい。俺に対する生殺与奪の権限を与えてしまったに等しいのだ。このまま一生、下僕生活から抜け出せなくなるかもしれない。まぁ、この「馬鹿力」もインチキには違いないから、最初から無かったものと考えればいいのかもしれない。だが、問題は来週の試験だ。今から真面目にやって、間に合うのか・・・。

「で、どこから分からないの?」

「最初からだ・・」

「あんたねぇ。まさかとは思うけど、前期にやったこの問題は解けるの?」

「う・・・、解けない」

「ったく。それじゃ、最初からやり直しじゃない。仕方がないわね。こっちに前期の試験問題があるわ。ちょっと時間をあげるから、自分で解いてみて。教科書見ても、ノート見てもかまわないから、自分でやってみなさい」

なんと言うことだ。これは、もしかしたら俺の人生で最悪の事態ではないのか。しかし、ここは頑張るしかなさそうだ。落第だけは絶対に避けたい。

「分かったよ。やってみる」

そうは言ったものの、そんなに簡単に行けば、そもそもこんな事にはならないわけで、俺は悪戦苦闘することになった。


「皆さん、そろそろお昼にしませんか」

マリナの声に気がつけば、もう時間は12時を回っている。美月にこづかれながらも、どうにか前期の試験問題を、あらかた片付けた俺だったが、たった2時間で、数日分疲れた気がする。

「なんだ、やれば結構出来るじゃない」

美月はそう言うのだが、要所要所で美月の手厳しい指摘がなければ、正解を出すのが難しかったのも事実だ。

「あー、肩が凝ったよ。でも、マリナのおかげで、分からなかったところが、だいぶ分かってきたし、これなら試験もなんとかなりそうかな」

ケイが背伸びをしながら言う。俺もできればマリナに教えてもらいたかったが、美月に裏技を封じられた状態では、ちょっと格好がつかない。残念ながら、それはまたの機会を狙うしかなさそうだ。

「お昼はいつもの店だよね。今日は朝抜きだったし、お腹が減ったよ」

ジョージは相変わらずだ。朝抜きと言えば俺もだが、そんな事は今まで忘れていた。けれど、ジョージがそう言うのを聞いた瞬間に、俺の腹が大きな音で鳴った。

「美月にしごかれて、だいぶエネルギー使ったみたいだね、ケンジ」

「いや、俺もジョージと同じで朝抜きだったからな」

「二人とも、寝坊するからよ」

「朝食抜きは体に良くないですから、少し時間に余裕を持って、きちんと食べるようにしてくださいね」

マリナがまるで小学校の先生みたいな言い方をするので、俺はちょっと恥ずかしくなった。今日は、なにやら調子が狂っている感じだ。

「それじゃ、時間ももったいないですし、急いで行きましょう」


いつもの店は、それほど遠くない場所にあるから、俺たちは歩いて行くことにした。店に着いてみると、結構混み合っていたが、そこはマリナである。抜かりなく予約を入れてくれていたので、俺たちは待たずにテーブルに座ることができた。いつものように、思い思いに注文をして、食べながらの雑談をする。

「でも、流石にサムは情報理論に詳しいね。勉強になったよ」

「そうでもない。C&Iならあのレベルは基本中の基本だから。ジョージも、量子工学のレベルは流石だと思う」

「いや、あれもエンジニアリング的には基本だしね。お互い様かな」

「ほら、ジョージ、口に食べ物を入れたまま喋るのは止めなさいって。お行儀悪いよ」

「そう言うあんたもね」

「ケンジ君はどうです?進みましたか?」

「ああ、おかげさまで、だいぶ進んだよ。まぁ、まだ前期の復習だけど」

「それは良かったです」

「ふん、誰のおかげさまなのかしらね」

「はいはい、もちろん美月様のおかげですよ」

「その言い方がムカつくのよね。もうちょっと素直に感謝したらどう?」

お前がそれを言うか、と思いながらも飲み込んだ俺である。ただ、裏技は封じられたものの、美月が共有してくれている様々なインターフェイスの機能をフルに使って調べ物をできたのは、実際に助かった。でも、それを言うと、また何かを奢らされそうだから、とりあえずは黙っていることにする。

「ところで、例の件は何か進展があったのかな」

「今のところ、まだ生徒会にも具体的な話は入っていませんね。あ、そう言えば風紀委員の話だと、このまえ逮捕された学生が釈放されたみたいです」

「ってことはさぁ、やっぱり誤認だったわけ?」

「釈放の理由は明らかにされていないみたいで、本当のところはよく分かりません」

「でも、釈放したってことは、拘束しておく理由がなくなったって事だよな」

「だとすると、やっぱり他の件も関連してるってこと?」

「そう考えるのが、一番つじつまが合うね。少なくとも、訓練艇へのマルウエア攻撃はL2が起点だったわけだから」

「でも、火星の件は?あれはまだ情報がないよね」

「そうだな。その後、ニュースは注意して見ているけど、それに関する報道はゼロだ」

「直後に訓練艇への攻撃騒ぎが起きたんで、メディアは、そっちに飛びついたってことかな」

「悪質度から言えば、訓練艇への攻撃が最も悪質だけれど、火星の件も間接的に大きな被害を出す可能性はあった。そう言う意味では、だんだん事態が悪化しているのが気になる」

「でも、それは三つの事件が関連しているという前提ですよね。まだ、そうと決まったわけじゃないと思うのですが」

「そうね。そう判断するには、まだ情報が足りないわ」

「結局、もうしばらく様子を見るしかないってことだな。気になる話だが」

「そうね。でも、ケンジは、そんなことより来週の試験の方を気にした方がいいんじゃないかしら?」

「それを言うなって」

確かに、今は事件の推理なんかしている場合じゃないのだが、面と向かって言われると、ちょっと腹が立つ。反論のしようがないから余計にだ。

「まだ、試験範囲にも到達してないんだから、忘れないでよね」

「はいはい」

「返事は一度!」

「おお、鬼教官。ケンジ、ファイト!」

「もう、好きにしてくれ」


そんな感じで、現実逃避の時間は終わり、俺たちはまた図書館に戻って試験勉強をする。美月の容赦ない突っ込みに耐えつつも、勉強会がお開きとなる頃には、ちょっと光明が見えてきた俺だった。

「皆さん、今日はお疲れ様でした」

「マリナもお疲れ。おかげで、だいぶ進んだよ。ありがとうね」

「勉強会、企画してくれて助かったよ。おかげで、なんとかなりそうな気がしてきた」

「そうね、こんなケンジにカツを入れる機会を作ってくれたことに感謝するわ」

「それじゃ皆さん、また月曜日に。明日はゆっくり休んでくださいね」


俺たちは図書館の前で別れ、いつものように俺と美月は南学生寮へ、あとの4人は北学生寮へ戻ることになる。

「美月、今日はありがとうな。助かったよ。おかげで、だいぶ理解できた」

「まったく、ケンジに教えるのは大変だったわ。感謝しなさいよね」

「ああ。明日はゆっくり休んでくれ」

「何言ってるの、ケンジは明日も勉強よ。今日は量子論やっただけじゃない。他の科目だってインチキしてたんでしょ。今回は、徹底的に性根をたたき直すから覚悟しなさい」

「えー、マジかよ」

「当たり前じゃない。明日は9時スタートよ。それまでに、朝食済ませて待ってなさい」

「そんなー」


どうやら、今日の勉強会で美月の変なスイッチが入ってしまったらしい。まぁ、今日のことを考えると、こいつに教えてもらうのは悪くない。だが、俺がいつまでこのストレスに耐えられるかが問題な気がする。それに、これが試験までで終わる保証もない。普段からこんな感じになってしまえば、俺のプライベートは完全に破壊されてしまうだろう。それだけは避けたいから、試験までには何か対策を考えないといけない。

「何よ、文句でもあるの?」

「ないない。でも、お手柔らかに頼むよ」

「甘いわ。厳しく行くから覚悟してなさい」


そんな会話をしている間に、俺たちの車は学生寮に到着。部屋に戻った俺は、疲れ切って、ベッドに体を投げ出した。

「疲れたな。流石にちょっと頭を使いすぎだ」

そんなことを呟きながら、俺は目を閉じて、今日の一日を思い出してみる。しかし、美月の奴、意外と教えるのが上手かったな。言い方はいちいち気に障るけど、突っ込まれたポイントは全部俺の弱点だったから。それが分かったら、これまでバラバラだったパズルが頭の中で繋がって、全体が見えてきた。

「たいした奴だな」

一年半前に偶然知り合ったはずなのに、もう長い間一緒にいたような気がする。それに、この前の夏休み、俺の両親と美月の両親が知り合いだったことが分かって、なにやら運命めいたものすら感じ始めている。それに、例の抽象思考インターフェイスだ。親父が抽象思考を伝送するための通信方式を昔研究していたことや、それがきっかけで、美月の親父さんであるアンリ・ガブリエルと交流があったこと、そして、アンリの依頼で美月の13歳の誕生日にこれと同じDIユニットを贈ったこと、なにやら全部が繋がっている気がする。それに、親父は対応する遺伝子コンポーネントがないと役に立たないことを知りながら、自分が作ったDIユニットに抽象思考を中継する機能を組み込んでいた。興味本位の実験、親父はそう言うのだが、偶然と言うには、あまりに出来すぎていないか。それに、最大の謎は、どうして俺が抽象思考インターフェイスの遺伝子コンポーネントを持っているのかだ。親父もお袋も心当たりはないという。あれ以来、俺はすっとその事を考えているのだが、この謎は解明できそうにない。

そんなことを漠然と考えながら、いつしか俺はまどろんでいた。


「ケンジ、いる?ここを開けて、早く!」

美月の声だ。部屋のインターホンは、アウトバンドで直接音声を脳みそに伝えてくるから、熟睡でもしていない限り、聞き逃すことはない。うとうとしている状態では、声が頭の中に響き渡る感じで、どんな目覚ましよりも強力である。

俺は眠い目をこすりながらドアを開けた。

「一体何・・」

「ケンジ、ニュースをつけて、すぐに!」

そこには血相を変えた美月が立っていた。

「早く。大変なのよ!」

俺は、美月に言われるままに、ニュースチャンネルにアクセスする。そして、絶句した。

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