第7話 特訓と試験

なにやらおかしな夢を見たように思うのだが、思い出せない。昨夜、なかなか寝付けずに悶々としていたせいだろうか。なにやら、いまひとつすっきりしない気分だ。しかし、そんな事を言っている場合じゃない。時計はもうすぐ9時になろうとしているのに、俺はまだパジャマのまま。頭は寝癖でボサボサである。とりあえず、着替えないと・・・・そう思って、パジャマを脱いだその時、ドアのチャイムが鳴った。

「ケンジ、来たわよ。ここを開けなさい」

美月の声だ。9時まではまだ3分あるが、そんな言い訳が通用する奴じゃない。だが、まさかパンツ一丁で出て行くわけにもいかん。俺は急いでズボンをはこうとしたのだが、次の瞬間、部屋のドアが開いて美月が入ってきた。

「み、美月、なんで開いたんだ」

「鍵を掛けてないからよ。どうせまた・・・」

そこまで言って美月は絶句する。そりゃそうだ。俺はパンツ一丁のままである。

「な、何やってるのよ、このバカ、変態っ!」

そう言って、美月は手に持っていた袋を俺に投げつける。

「お前が、勝手に入ってくるからだろうが。入るなら先にそう言え」

「うるさいうるさい、この変態!スケベ!!露出魔っ!!!」

美月は真っ赤になって叫びまくる。

「わかった、わかったからちょっと後を向け。今服を着るから」

美月も我に帰って後を向く。俺は慌ててズボンをはき、とりあえずシャツを羽織る。

「まったく、いきなり入ってくる奴がいるか」

「ケンジこそ、そもそも、なんで今頃そんな格好してるのよ。9時から始めるって言ってあったわよね」

「寝坊したんだから仕方ないだろ。昨日はちょっと眠れなかったんだよ」

「どうせゲームとかしてたんじゃないの?」

「そんなわけないだろ」

「まったく。朝からロクでもないもの見ちゃったじゃない。どうせ、朝食も食べてないのよね」

「そんな暇あるか。着替えする暇もないのに」

美月は俺の方へ歩いてくると、脇に落ちている袋を拾って俺の方へ突き出す。

「そんなことだろうと思って持ってきたのよ。さっさと顔洗ってきて、これでも食べなさい」

美月が差し出した袋には、サンドイッチが入っていた。もちろん、いい感じで潰れている。

「お前、いいのか?」

「ふん、下僕に餌をやるのも、ご主人様の仕事よ。ほら、さっさと支度して。時間がもったいないじゃない」

それから、俺は顔を洗って、潰れたサンドイッチをほおばる。これが意外とうまかった。

「それじゃ、さっさと始めるわよ。ほら、昨日の問題。もう一度、最初から解いてみて」

そんな感じで、また美月のスパルタな講義が始まったのである。例によって毒気に満ちた物言いではあるが、どの科目も説明は分かりやすい。もしかしたら、こいつは教師の才能があるのかもしれない。


結局、午前中は、あっという間に過ぎて、お昼にはまた全員が食堂に集合した。

「ふわぁぁ、よく寝たぁ。みんな、おはよー」

寝癖がついたままの髪で、ケイがやってきた。

「あんた、試験前だってのに、ずいぶん余裕ね」

「あはは、今更焦っても仕方ないじゃん。試験は普段の勉強がモノを言うんだよ」

「よく言うわ。後で泣き言言っても聞かないわよ」

「ケンジ君と美月さんはお勉強ですか?」

「ああ、朝からみっちりとしごかれてるよ」

「まったく、あんな中学校レベルの数学に手こずるなんてね。信じられないわ」

「いやいや、一応あれも高校の範囲なんだが」

「何言ってるのよ。附属高に入ってくる子たちだったら、あんなのは中学校のうちに終わらせてるわよ」

「そう言われてもな・・・」


まぁ、美月が言うとおり、世間的には超エリート校である附属高を受験しようなんて奴は、普通なら2、3年飛び級してもおかしくない連中ばかりではある。でも、俺だって一応附属高の生徒だ。まぁ、ちょっとインチキしての合格ではあるのだが。

「いいわ。こうなったら、自分の実力で、普通にやれるようになるまで私が鍛えてあげるわ」

「俺の生活はどうなるんだ」

「当分は、毎日、みっちり勉強ね」

おいおい、それは、お前もずっと俺に付きっきりということか。勘弁してくれ。

「あれ、ジョージは?」

「ジョージはまだ寝ていると思う。朝方まで作業をしていたから」

サムが言う。

「それって、ジョージが昨日言ってたやつ?」

「そう。今朝早くに完成した。それを全員に配ってくれと頼まれた」

「二人はいったい何を作ってたんですか?」

「DIユニット用の強化防壁。DIユニットの基本ソフトウエアにアドオンするように作ってある。例の犯人からの攻撃対策」

「そんなものを作っていたのか。それで、どんな機能があるんだ?」

「基本的には、想定できるすべての攻撃パターンの検知と防御。でも、それだけではない。受けた攻撃のパターンを全員のDIで共有できるから、一斉に防御を固められる。それに攻撃を検知した場合、発信元を追跡する機能もある。この仕組みは、ジョージが今参加しているセンターコンピュータ強化プロジェクトのリソースを使って実装されているから、極めて強力。L2の中なら、ほぼ100%追跡できるはず」

「まったく大したものね。一晩でそこまでやるなんて」

「そうですね。二人とも、すごいですよ」

「では、ソフトウエアのリポジトリを共有するので、インストールしてほしい」

「一応確認するけど、バグってないよね」

「少なくとも、全コードを3回チェックしたから、バグの残存率は10のマイナス12乗以下。但し厳密な意味でゼロではない」

「いや、俺たちには、ほとんどゼロに思える値だが」

俺たちは、とりあえずジョージの作った強化防壁をDIユニットにインストールし、それから昼食をとった。食後のコーヒーを飲んでいると、フランク先生がやってきた。

「ここの暮らしはどうだ」

「はい。快適・・・というか、まぁ、そんな感じです」

たしかに、環境は快適だが、それを満喫できないというのが唯一の問題だ。

「そうか。それはなによりだ。試験勉強も進みそうだな」

「はぁ、そっちのほうも問題ないかと」

まぁ、問題ないと言ってしまえば大嘘なのだが、強引な専属教師のおかげで試験勉強はそれなりに進んでいる。

「ところで、エイブラムスの姿が見えないが、どうしたんだ」

「ジョージはまだ寝ています。朝まで、ちょっと作業をしていたので」

「作業?」

「俺たちのDIユニットの強化防壁を作ってくれてたんです」

「強化防壁?・・と言うことは、君たちもあのニュースは知ってるんだな」

「例の学生の話ですよね」

「そうだ。なにやら厄介な話だが、セキュリティもDIユニットへの攻撃の線で調べているようだ。その話を君たちにしようと、ここに来たんだが、既に準備万端整っていたという事だな。まったく君らには驚かされるよ」

「いえ、ジョージとサムのおかげですね」

「いや、私から見れば、二人が力を発揮できるのは、このチームあっての話だと思うがね。それは君たち、他のメンバーも同じだ」

たしかに、俺たちのそれぞれが、得意分野でお互いをカバーし合っていることが、チームとしてうまく行っている理由だ。だが、それはメンバーのスキルが、もともと高いからでもある。約一名を除いて。悲しい話だが、裏技を封じられてしまえば、俺はただのダメ学生でしかない。

「それと中井、お前もだんだんリーダーらしくなってきたじゃないか。チームのまとまりは、今のお前によるところが大きいんじゃないか?」

俺の心の中を見透かしたような先生の言葉である。

「は、はぁ。俺なんか、まだまだ力不足ですけど」

「そうよね。まったく力不足だわ。でも、安心しなさい。私がしっかりと支えてあげるから」

「ま、お前が言うとおり、まだ少々頼りないが、星野がいれば安心だな」

ちょっと先生、あんまりこいつを調子づかせないでくれませんか。ただでさえ持てあましているのに。

「任せてください。私がケンジを一人前にしてみせますから」

はぁ、この調子だと午後がまた思いやられる。調子に乗って、どんな課題をふっかけてくるやら、とっても不安だ。

「それで、先生。昨日の事件のことは何か分かったのでしょうか」

マリナがちょっと真剣な顔をして言う。

「今朝もセキュリティと話をして来たんだが、交通局内部でマルウエア感染が見つかったらしい。複数のマルウエアが入り込んで、連携して攻撃を仕掛けていたようだが、発見できたのは、ひとつだけで、あとは、おそらく自己消滅してしまったんじゃないかという話だ」

「サイバー攻撃の常套手段。追跡を避けるために速やかに痕跡を消すのが基本。発見されたマルウエアも捜査攪乱を意図した偽装の可能性がある」

「エドワーズの言うとおりだ。マルウエアが発見されたことで、内部に侵入されていたことは明らかになったが、それ以上のことは、まだわからない」

「どこからマルウエアが送り込まれたかもわからないんですか?」

「それも今調査中だ。マルウエアが発見されたのは、Sレベルのセキュリティ区画だ。他のネットワークとは一切接続されていないから、直接侵入したとは考えにくい。おそらく、もっとセキュリティレベルの低いネットワークへ最初に侵入して、そこからなんらかの手段で深層に感染したと考えるべきだろうな。だから、もしかしたら他のところに痕跡が残っているかもしれない」

「それって、すごい高度な技術ですよねぇ。やっぱり、犯人は超Sクラスのハッカーなんですか」

「テクニックだけ見ると、そう言えるな。でも、ここまで高度な攻撃を一人のハッカーが全部やったと考えるのには、ちょっと無理があるんじゃないか?何か組織的なバックグラウンドがあるようにも思えるが」

「やっぱり、テロリストとかでしょうか」

「それはまだ何とも言えない。社会的な不安を煽っているという意味ではテロリストの可能性が疑われるものの、まだ動機や目的がまったく分かっていないからな。君たちに対する報復めいた攻撃だって、なんとなく感情的で子供っぽい感じがするし、もう少し状況がわかってこないと判断はできないだろう」

「それじゃ、俺たちは当分、ここから出られない、と言うことですね」

「申し訳ないが、そうなるな」

「それも悪くないわ。特にケンジは、お勉強に集中できるしね」

「俺は早くここから逃げ出したい」

「私も、もうしばらくここがいいな。ご飯も美味しいし、ケンジもいるし」

「あんたねぇ、何度も言うけど、人の下僕に手だしたら承知しないんだからね」

「それは、ケンジ次第かなぁ」

「私もケンジ君・・・や皆さんと一緒にいられるのは楽しいです」

マリナが少し顔を赤らめて、うつむき加減で言う。

「中井、ハーレムっぽくていいじゃないか。ルートを間違えて修羅場にならんようにしろよ」

「先生、助けてください」


まったく、これは最初から修羅場なのであって、決してハーレムなんかにはなり得ない話なのだ。少なくとも俺は、ハーレムも修羅場も望んではいないわけで・・・。


「それじゃ、私は行くが、明日から試験だから遅刻するなよ」

フランク先生はそういいながら食堂から出て行った。

「さぁて、ケンジ。お勉強の時間よ」

美月が俺を見てにやりと笑う。楽しい時間は終わりらしい。そろそろ覚悟を決めるとするか。

「ケンジ君、頑張ってくださいね」

「ファイトぉ、ケンジ!美月に負けるなー」

「ほら、行くわよ」

「わかったわかった。それじゃ行こうぜ」

俺は、しぶしぶ美月の後について部屋に向かう。

「ねぇねぇ、マリナ、ちょっと教えて欲しいところがあるんだけど」

「いいですよ。よかったら私の部屋に来ますか?」

「いいの?行く行く」

そんな会話を背に、俺は美月にドナドナされていくのであった。


それからの時間、美月はさらにヒートアップして、どんどん難しい課題を俺にぶつけて来た。

「それじゃ、次の問題。通常空間に恒星クラスのブラックホールがある場合に、周囲の亜空間の曲率への影響を算出するための公式はどれ?」

「えっと、重力場の並行ブレーンへの影響を計算するんだから、この11次元の曲率テンソルが入った公式かな」

「ふーん、発想は悪くないわね。でも、そんな式で計算が出来るの?確かに、理論は11次元だけど、不要な次元を縮退させれば式はもっと簡単になるわ」

「うう・・・」

とまぁ、そんな感じで、俺の頭もオーバーヒート寸前である。だが、不思議と、だんだん感じが掴めてきた。あいかわらず美月に突っ込まれない答えはほとんど無いのだが、あと一息の間違いが増えているように思えるのは気のせいだろうか。それに、問題のレベルも、心なしか上がっているような気がする。

「いいわ。ちょっと休憩よ」

「はぁ、もうくたくただよ」

「何よ、まだお昼を食べてから2時間も経っていないわ。根性なさすぎよね」

「勘弁してくれよ。これまでの人生、これだけ頭を使ったのは始めてだ」

「情けないわね。この程度の内容でもう音を上げるの?専門課程に行ったらこんなものじゃすまないわよ」

「容赦ないな」

「当然よ。自分のパートナーが、そんな情けない状態だなんて我慢できないわ」

「パ、パートナー?」

「あ、ち、ちがう。下僕よ、下僕。あんたは一生私の下僕なんだからね」

美月は真っ赤になってしまう。こいつの口からそんな言葉が出たのは初めてだが、まさかな。こいつが言うとおり、ちょっと口が滑っただけなんだろう。

「分かってるよ。どうせ俺は下僕だよ」

「み、認めるのね。殊勝だわ」

「否定したって無駄なんだろ」

「そのとおりよ。これは確定事項なのよ」

「はいはい。さて、ちょっと喉が渇いたから、飲み物を取ってくる。お前も何か飲むか?」

「ハ、ハーブティーがいいわ」

「わかった。ちょっと待ってろ」

「に、逃げるんじゃないわよ」

「逃げねーよ」


食堂に行くと、そこにはジョージがいた。遅い昼食のようだ。

「お疲れさん。例の防壁はサムから受け取ったよ」

「そうか。みんなに渡ったんだね。まぁ、これで安心するのは早いけど、何か怪しい動きがあったらすぐにトレースできるから」

「ああ、有り難うな。サイバー防御に関しては、ジョージとサムがいれば鬼に金棒だよ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。出来るだけのことはする」

「よろしくな。そう言えば、先生から聞いたんだけど、交通局のS区画でマルウエアが見つかったそうだよ」

「うん、それはサムから聞いた。侵入経路が分かれば、糸口になるかもしれないね」

「さて、あまり待たせると美月がうるさいから、そろそろ戻るよ」

「いい先生みたいじゃないか」

「まぁな。ちょっと口が悪いのが玉に瑕だが」

「あ、そうそう。ひとつ言っておかなきゃいけない事があるんだ」

「何だ?」

「あの強化防壁だけど、攻撃のトレースバックは、実はこっそりユイに頼んだんだ。ユイなら、アカデミーの色んなリソースにアクセスできるからね。それで、何かあったときの連絡先をケンジと美月にしておいた。二人なら、ユイと抽象思考ベースのコミュニケーションができるだろ」

「なるほど。そういうことか。分かった、美月にも伝えておくよ」

「よろしく」

ユイは、前にも言ったが、最近アカデミーに設置された新型のAIシステムだ。もともとは、フランク先生の級友で貨物船ヘラクレス3の副長、デイブさんが、自分の船のために開発したAIのクローンである。その量子ニューラルネットワークは最近、ジョージも加わっているプロジェクトで開発された新型の量子演算ユニットを使って段階的に強化されている。ユイは俺たちも気づいていなかった抽象思考インターフェイスを見つけて、それへのアクセス方法を学習し、俺たちに接触してきたのである。ユイのおかげで、俺たちも抽象思考によるコミュニケーションを少しずつ使えるようになった。たぶん、それを知っているジョージは、俺たちをユイのコンタクト先に選んだのだろう。


「ケンジ、遅いわよ」

「ごめん。食堂にジョージが居たんで、ちょっと話をしてたんだ」

「まったく、逃げたかと思ったわよ」

「なんか、信用無いな、俺」

「あたりまえじゃない。それで、ジョージと何を話してたのよ」

「例の防壁の件さ。ジョージが言うには、あの防壁のトレースバック機能は、実はユイに頼んだらしいんだ」

「そう、確かにユイなら適任だわ。でも、よく許可が出たわね」

「いや、それは内緒らしい」

「まったく、ジョージったらまた謹慎食らうわよ」

「とりあえず、そんなわけで、なにかあった場合、俺と美月がユイのコンタクト先になっているらしいんだ」

「あいつ、勝手に何をしてるのよ。相談くらいしなさいよね。この前も私のインターフェイスからのデータ勝手に使ってたし」

「まぁ、俺と美月なら、ユイとのコミュニケーションも早いから。悪くないんじゃないか?」

「実を言うと、私、あれはちょっと苦手なのよね。なんだか心の中を見透かされてるみたいで」

「たしかに抽象思考でのコミュニケーションは俺もまだ慣れないけど、これもまたいい機会じゃないか。ユイとコミュニケーションをとることで、俺たちもインターフェイスの扱い方が上手くなれるんだし」

「上手くなってどうするの。まさか、悪用する気じゃないわよね。ユイ以外には私しかいないのに」

「しないって。でも、それはお互い様だろ」

「私はあんたの頭の中なんか覗きたくないわ。私まで汚染されそうだし」

「おい、俺は何かの廃棄物かよ」

「廃棄物ならまだマシね。捨てればいいだけだし」

「捨てないのか?」

「う、うるさい。どうでもいいじゃない、そんなこと。それより勉強再開するわよ。そこに座りなさい」

「はいはい」

「返事は一度!」

そんな感じで、それからまた美月の特訓は続いたのだった。


夕食の後も美月は俺の部屋に居座り、気がつけば、既に午後10時をまわっていた。

「今日はこれくらいね。あとは、自分で頑張りなさい」

「ああ、でも助かったよ。これまで中途半端に理解していたあたりが、全部クリアになったから。さすがだな美月」

「ふん、褒めてもなにも出ないわよ。だいたい、ケンジは細部にこだわりすぎなのよ。細かいテクニックを全部覚えようとしても無理。具体的な方法論は重要なものだけにしておいて、残りの部分は、エッセンスというか、具体的な方法を導くための考え方だけを押さえておくのよ。そうすれば、全体像を把握できるし、具体論がない課題についても、自分でブレークダウンできるようになるわ」

「簡単に言うけど、凡人にはそれが難しいんだよ。でも、なんとなく理解できたような気はする。公式を暗記するよりも、その導き方を理解しろという話だよな」

「基本的にはそうね。もちろん暗記が速いものも少なくないし、中学までに勉強することのほとんどは丸暗記すべきものよ。でも、それが高校、大学と進むに従って、暗記できるレベルではなくなる。そもそも、過去何百年、何千年にわたって、様々な人が考え出してきたすべてを暗記するなんて無理。だから、忘れても、それをもう一度導き出せるようにしておくのよ」

「たとえば、何を見たらそれが分かるのかというインデックスだけを頭の中に作っておくような感じだよな」

「そうよ。それを自分が記憶しているに越したことはないけれど、忘れた時に思い出せることが重要なの」

「それって、お前自身にとってもすごく重要だよな。だって、お前は、欲しい情報を瞬時に得られる力を持っているわけだし、それを使いこなすためには必須の能力だよな」

「確かにそうかもしれないわね。でも、それは情報検索の速度が速いか遅いかだけの話で、本質では無いわ。今の世界は、その気になれば、誰もが必要な情報を短時間で得ることが出来るわ。そういう意味では、例外なく。すべての人に必要とされるスキルなのよ」

「確かにそうだな。何千年にもわたって蓄積されてきた知識を全部自分のものにするなんてことは無理だ。そもそも、昨日やった量子論だって、もう800年も前に考え出されたものだ。それを敢えて学ぶのは、それ自体を覚えるためではなく、それが作られた過程を学ぶためなんだよな」

「その通りよ。だから、シュレディンガー方程式を暗記するのではなく、それを導き出す過程を経験することが重要になるのよ」

「なんだか、ちょっと目から鱗な感じだな」

「ケンジもだんだん分かってきたじゃない。それなら馬鹿力がなくてもやっていけそうね」

「おい、まさか・・・」

「当然、明日の試験は実力でやってもらうわよ」

「えーそんな」

「少しは意地を見せてよね。期待・・・はしないけど、楽しみにしてるわ。じゃぁね」


そう言うと美月は俺の部屋から出て行った。これは、もしかして最悪のパターンではないだろうか。試験の間、ずっと抽象思考の伝達をブロックされてしまうとすれば、結果はかなり厳しいことになる。大きな考え方は理解しても、それを使って試験問題を解けるようになるには時間がかかる。あいつはそこをまったく理解していない。とは言え、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。あとは明日の朝考えよう。


一週間の試験は、あっという間だった。やはり予想通りに試験中、俺の馬鹿力が発揮されることはなかったのだが、試験の出来具合そのものは悪くなかった。偶然だろうとは思うのだが、美月が俺に投げつけた問題の多くが、実際に試験に出たのである。おかげで俺は及第点どころか、平均を上回る点数を取ることができた。美月のおかげ、と言うのは、ちょっと癪に障るが、ここは感謝しておくべきだろう。


さて、試験が終わった後は、いつもチームで打ち上げをするのだが、今は全員幽閉の身なので、街に繰り出すわけにはいかない。そこで、週末は俺の部屋で、ちょっとしたパーティーをすることになった。

「それじゃ、試験終了を祝して、乾杯!」

「乾杯!」

とりあえず、ジュースで乾杯してから、マリナ、ケイ、サム、美月の4人の手になる料理をほおばる。これはマリナの発案。食堂の厨房を借りて4人で作ったパーティー用のオードブルは、なかなか豪華である。

「ケンジ君、いかがですか?」

「うん、美味しい。さすがマリナだな」

「えー、ケンジ。私も頑張ったんだよ」

「何言ってるのよ。ロクに手伝いもせずに、つまみ食いばっかりしてたくせに」

「味見と言って欲しいなぁ。美月だって、せっかく作った料理が美味しくないって言われたくないよね」

「別に、あんたに美味しいと言って欲しくはないけど」

「まぁまぁ。美月もケイも、それぞれ得意な料理を作ってくれたんですよ。サムも火星で人気のデザートを作ってくれましたし。これは、女子全員の合作ですから。感謝するなら全員にお願いしますね」

「わかったよ。4人とも、美味しい料理をありがとう」

「別に、あんたのために作ったんじゃないわ。おこぼれに預かれたことを感謝なさい」

「あー、いつも思うんだけどさぁ、こういう時の美月ってテンプレよねぇ」

「うるさいわね。テンプレのどこが悪いのよ・・・って、違う、何の話よ!」

よく分からんが、美月の態度から見て、ケイの指摘は図星だったようである。そんな感じで、とりあえず、俺たちは試験明けを祝ったのである。

「試験が終わったら、いよいよ学園祭ですね」

マリナが言う。

「そっか、生徒会はもう準備に入ってるんだよね。もうテーマは決まったの?」

「それが、生徒会長と実行委員長の意見が合わなくて、まだ決まっていないんですよ」

「生徒会長、手強そうだよな。それに、実行委員長って、去年の会長選挙で次点だった人だろ。因縁の対決って構図じゃないのか」

「はい。まぁ、そこは大人なので、お互い正論のぶつけ合いなのですが、どちらも譲る気配がなくて、みんな困っているんです」

「あの会長なら、わかる気がするわ。いいじゃない、好きに戦わせれば。テーマなんて、後付けでもどうにかなるわよ」

「そうですね。とりあえず実行委員会側では、どちらの案に決まってもいいような形で準備はしているようです。生徒会役員たちも、影響がない部分から準備を始めていますし」

「大変だね、生徒会も。僕にはよくわからない世界だけど、意見の対立は技術コミュニティーでもあるし、派閥みたいなものもあるから、雰囲気は分かるよ。僕はなるべく関わらないようにしてるけどね」

「ところでさぁ、今年は、うちのチームでも何かやる?」

「たしかに、学園祭の中心は二年生だから、何かやりたいのは山々なんだけど、この幽閉状態じゃなぁ。身動きが取れないし」

「そうですね。あまり派手に動くのも危険でしょうし、残念ですが、ちょっと難しいかもしれません」

「バーチャルイベントに参加、という手もある。それなら、ここからでも出来るし、準備も全部ここで出来る」

「そうか、その手があるな。バーチャルな空間を作って、そこに来場者を招待すれば、僕たちなりのイベントはできそうだね」

「そうですね。確かに、それはいい考えかもしれません。学園祭には、VU経由での仮想参加者も多いですからね」

「で、何をするの?」

「それを、これから考える。まだ学園祭までには一ヶ月ちょっとあるからな。バーチャルなら準備は短時間でできるし、ちょっと各自考えて案を持ち寄ろう」

「そうだね。決まったら、もろもろの準備は僕に任せてくれ」

「私も手伝う」

「そうだな、ジョージとサムの二人なら、すごいものが出来そうだ。それじゃ、各自で考えて、来週末に持ち寄って決めようか」

「おっけー。さて、何をしようかな」

「変なイベントはゴメンよ」

そんな感じで、俺たちは学園祭にチームとして出し物を考えることになったのである。

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