第4話 トラップ
「待たせたな。すまない」
ほどなくして、フランク先生がコックピットにやってきた。
「とりあえず、システムチェックは終わってます。先生、いったい何があったんですか?」
「中央街区のあちこちで通信障害が起きたという以上のことは、私にもわからない。だが、明らかに異常事態だ。太陽系全体をみても、こんな障害は、もう何十年も発生していないからな」
「原因不明ってことですか」
「それも、まだよくわからん。通信管理局が原因を調べているだろうから、いずれわかると思うが」
「私たちが、ここに来たタイミングで、というのが嫌ね」
「そうですね。よりによって、タイミングが悪すぎます」
「今回の実習チームの中に疫病神がいるのかもね」
ケイの一言で一瞬、美月の顔色が変わったのに俺は気づいた。その言葉はまずい。美月にとっては、心の傷を逆なでする言葉なのだ。このチームに来るまで、美月が同級生たちから疫病神と呼ばれていたことを知らないわけじゃないだろう。彼女の特殊なインターフェイスが生み出す雑多な情報の氾濫のせいだ。ここでの美月は、ようやくその言葉から解放されているが、いまだに自分がチームメイトに迷惑をかけているのではないかと、不安に感じているのだ。
「そんなことはないと思いますよ。たまたまタイミングが悪かっただけじゃないでしょうか」
マリナがすかさずフォローしてくれる。
「そうだぞ。物事はネガティブに考えると、どんどん悪い方に行くからな」
俺もフォローしておくことにするが、これはもしかしたら藪蛇だったかもしれない。
「あ、うちのチームがって意味じゃないからね。どこかよそのチームが・・・って、えへへ、ごめん」
どうやらケイも気がついたようだ。だが、その分、ちょっと気まずい雰囲気が漂うのである。完全に藪蛇になってしまった。
「別に、気にしなくていいわよ。いまさら、そんなこと関係ないから」
結局、この話は美月の一言で打ち止めとなる。
「よし、出航準備にかかるぞ。スケジュールがだいぶ押してるからな」
いいタイミングで先生が声を掛けてくれたので、俺たちは、あれこれ忘れて出航準備に取りかかった。
「よし、それじゃ、帰りは星野が指揮を執れ」
いつもはリーダーである俺が船の指揮を執るのだが、先生は今回、美月に任せることにしたようだ。リーダーと言っても訓練艇では便宜上の役割に過ぎない。誰が指揮を執ってもいいように訓練しておく必要があるから、時々、こうして役割を交代することになる。
「出航前のブリーフィングを始めるわ」
美月が立ち上がって言う。いかにも偉そうだ。もしかしたら、こいつには、こんな仕事が一番似合っているのかもしれない。
「フライトプランを説明してくれる?」
「アイアイサー。それではフライトプランを説明いたしまーす」
ケイがおどけた感じで言う。
「沢村、真面目にやれ」
流石に、そこはフランク先生の突っ込みが入る。
「すみません。それでは、フライトプランを説明します」
ケイがそう言うと、チャートが表示される。もちろん、これもアウトバンド経由で意識に投影された拡張現実だが、全員が共有しているため、実際、空中にチャートが表示されているように見える。往路と同様に、火星軌道ステーション離陸後のルートをひととおりケイが説明し、ブリーフィングは終了。あとは、お決まりの離陸手順に従うだけだ。
「管制にコンタクトを」
「了解、発着デッキコントロールにコンタクトします。接続完了。フライトプランのリクエスト受信」
「フライトプラン送信、承認のリクエストを」
「フライトプラン送信。承認を受領」
美月とサムのやりとりも手際がいい。
「よし、それじゃ音声回線を繋いでくれ」
フランク先生が言う。
「音声回線オープンします」
「デッキコントロール、こちらT205、指導教官のフランク・リービスだ。これよりL2までの訓練航行に入る。タクシー許可を要請する」
「T205、こちらデッキコントロール。タクシーを許可。離陸はカタパルト2H、係留解除して制御を移行せよ」
「T205了解。係留解除、制御を移行する。よし、星野、後は続けろ」
「了解。係留をすべて解除、制御を管制に移行します」
これで、カタパルトまでは自動で誘導される。その間に離陸前チェックを終わらせればいい。
「制御移行を確認。タクシー開始。各ステーション、離陸前チェックを」
いつものようにチェックはあっという間に自動で終わる。あとは離陸の順番が来て、打ち出しを待つだけだ。
「ジョージ、サラウンドに切り替えて」
「了解。サラウンドに切り替えるよ」
ジョージがそう言うと、俺たちは誘導路上に浮遊した状態になる。もちろん、これは仮想現実だ。
「T205、カタパルト2H離陸はナンバーワン。カタパルト進入を許可する」
「T205、ナンバーワン了解。カタパルト2Hに進入する」
今回、アクシデントの影響だろうか、順番待ちをすることなく離陸できそうだ。帰りはこのまま順調であって欲しいところだ。
「T205、離陸を許可。マーズワン・デパーチャーにコンタクト」
「T205,了解。デパーチャーにコンタクト」
出発管制にコンタクトするやいなや、俺たちは火星の空に打ち出される。あっという間に火星がどんどん小さくなり、一つの明るい点になる。
「間もなく火星宙域を離脱。フライトコンピュータによる自律航行に入ります」
「T205、こちらマーズワン・デパーチャー。宙域離脱を確認、インタープラネットにコンタクトせよ」
「T205、了解。インタープラネットにコンタクトする。グッバイ」
ここまでは、とりあえず順調である。自動航行に入ってしまえば、L2の宙域までは勝手に飛んでくれるのだが、実習はそれほど甘くない。さて、帰りはどんな訓練が待っているのか。もしかしたら、サプライズがあるかもしれないから、気は抜けないのである。
「よし、それじゃ少し休憩を入れよう。航路監視を自動にしてリラックスしろ」
「了解。航路監視を自動に設定」
「それじゃお茶を入れますね」
「待ってマリナ。私がやるわ」
お茶を入れに行こうとするマリナを遮ったのは、なんと美月だ。これは一体どういう風の吹き回しだろうか。
「え、でも・・・」
「いいのよ。いつもマリナに頼んでちゃ、悪いから」
「そうですか?それじゃ、お願いしますね」
なんとなく不気味だ。他のメンバーも、あっけにとられた雰囲気である。
「なによ。私がお茶入れるのが、そんなに珍しいの?」
いや、美月さん。かなり珍しいんですけど・・・。まぁ、そんな事は口が裂けても言えない。これが何かの前触れでないことを祈ろう。
「珍しい、珍しい。お願いだから変な物入れないでねぇ」
ケイは相変わらず容赦ないが、美月は無視して船室の方へ入っていく。
「何か悪い物でも食べたかなぁ。でも、ずっと一緒だったしなぁ」
ケイは、よほど気になるのか、ブツブツとつぶやいている。いや、ケイで無くても、あれは気になる。だが、それはケイだけじゃない。俺だって、他のメンバーだって、美月が自分でお茶を入れに行くなんてことは、予想のはるか斜め上だろう。
「皆さん、そんな言い方しちゃ、悪いですよ」
そう言いながら、マリナも少し戸惑っているようだ。
「そうだな。まぁ、あいつも何か考えるところがあるのかもな」
「その何かが、めっちゃ気になるんだけどなぁ。でもまぁ、そんな日もあるか」
もしかしたら、それは、自分の居場所を与えてくれている仲間への、美月なりの感謝の気持ちだったのかもしれない。
「まぁ、雨が降らないことを祈ろうぜ」
「流星雨はゴメンだけどね」
意外にも、美月が入れたお茶は、いい香りがして美味しかった。
「アルカディアハーブティー」
ちょっと驚いたように、つぶやいたのはサムだった。
「サム、わかるのか?」
「火星のアルカディア地方にある農園で作られているハーブを使ったもの。この独特な甘い香りは、火星では誰もが知っている」
「さすが、サムには分かるのね。このお茶は地球でも人気があるのよ。さっきのカフェで売ってたから、買っておいたわ」
「美月さん、抜け目ないですね。実は私も狙ってたんですけど、買うタイミングがなくて」
「たくさん買ったから、分けてあげるわよ」
「いいんですか?嬉しいです」
やっぱり、この美月は何か変だ。もちろん悪い意味ではない。だが、なんとなく違和感があるのは、普段のこいつと、あまりに雰囲気が違うからなのか。
「うーん、何かおお茶請けがあるといいなぁ」
「あんたね、あれだけ食べて、まだ足りないの?」
「あ、僕もそう思った。ケーキかなにかあればいいんだけどね」
「ジョージ君、また健康診断でドクターに小言言われますよ」
「あはは、冗談だよ。たしかに、ちょっと食欲を抑えないとまずいし」
ジョージは腹のあたりを撫でながら、そう言った。その時、軽いアラーム音が響いた。
「メッセージ受信。アカデミー実習本部からの至急連絡」
サムが言う。
「なんだろうな。共有してくれるか、エドワーズ」
教官席で、なにやら仕事をしていたフランク先生が言う。
「アウトバンドで共有します」
サムがそう言うと、目の前にパネルが開いて、メッセージが表示された。
「火星航路で実習中の訓練艇への一斉連絡か、どれどれ・・」
フランク先生は、自分のパネルを覗き込む。もちろん、パネルは拡張現実なので、先生のパネルは俺たちからは見えない。
「L2ステーションの管制機能に障害のため、周辺航路の混雑が予想される。各艇は訓練計画を変更し、ルナステーション1から3へ向かわれたし。各艇の行き先に関しては、添付のデータを参照のこと、か」
「L2の管制機能に障害って。火星での障害といい、何だか嫌な感じですね」
「そうだな。まぁ、偶然だろうが、ちょっと警戒しておいたほうが良さそうだ。しかし・・・」
先生はちょっと考え込む。
「先生、何か気になることでも?」
「いや、これまで、こんな感じで予定変更の連絡を受けたことはなかったからな。ちょっと違和感があるんだが」
「管制機能の混乱なんて緊急事態だからじゃないですか?」
「そうだな。考えすぎか。よし、エドワーズ、データを確認してくれ」
「了解、データをデコードします・・・」
今度はサムが、ちょっと考え込む仕草だ。
「どうした、サム」
「データが壊れているように見える。内容も意味不明。これは・・・」
サムはそう言うと、なにやらパネルを操作していたが、やがて俺たちの方を向いて言った。
「これはマルウエア。船のフライトコンピュータに対して、攻撃を仕掛けて制御を奪おうとする。攻撃方法は識別不能だけれど、サンドボックス内のシミュレーションでは攻撃が成功している」
「それじゃ、この船にも感染を?」
「それは大丈夫。理由は不明だけれど、この船への攻撃は失敗しているように見える」
「ジョージ、確認出来るか?」
「ちょっと待って。今確認する。うん、感染はしていないね。なるほど、これは失敗するな」
「エイブラムス、それはどういう意味だ?」
「先生、この船のソフトウエアは僕が手を入れた物ですよね。理由はそれです。マルウエアの攻撃はST1B訓練艇のフライトコンピュータを想定したゼロデイ攻撃のようですが、この船のソフトウエアには、その種の脆弱性がありませんから」
「でも、そうだとすると、他の船は?」
「危ないな。沢村、航路チャートを出して、他の船の位置を重ねてくれ」
「チャート出します」
ケイがそう言うと、航路チャートが表示され、そこに、周辺の船の位置と情報が表示された。正常な航路にある船はグリーンで表示されるのだが、既にいくつかの訓練艇と思われる点が赤色になっている。
「もう半分くらいがおかしくなってるわ。他の船もダメそうね」
美月がそう言っている間にも、緑の点が、どんどん赤に変わっていく。
「緊急通信が多数入っています。フライトコンピュータの動作不良により制御不能、救援を請う・・・」
「エドワーズ、緊急回線を開いてくれ。音声でだ」
「緊急音声回線を開きます」
「アカデミー各艇及び周辺を航行中の各船へ。こちらは訓練艇T205、指導教官のフランク・リービスだ。先ほど受信したメッセージにマルウエアを確認した。フライトコンピュータの不調はマルウエア感染によるものと思われる。各艇は、非常時手順に従い対処願う。周辺を航行中の船には回避行動を要請する。マルウエア感染した訓練艇は想定外の動きをすることがあるので警戒されたし」
「T205,こちらはインタープラネットコントロール。事態は了解した。航路マイクエコーアルファは閉鎖。周辺の各船はこちらで誘導する」
「インタープラネット、了解した。協力感謝する」
そんなやりとりをしている間にも、チャート上の赤い点は増えていて、いくつかの点は航路を大きく逸脱しはじめている。
「先生、各艇の通信をモニターしていますが、だいぶ混乱が見られます。コンピュータをオフラインにできない、サンドボックスが使えないといった会話が飛び交っています」
「わかった。エドワーズ、引き続きモニターを続けてくれ。しかし、こいつは曲者だな。標準的な対処手順を妨害してくるのか。どうしたら駆除できるんだ」
「先生、ちょっと僕に考えがあります。このマルウエアはコードが暗号化されているので、詳細な分析ができません。ただ、攻撃方法と感染の仕方は分かりました。それに、マルウエアが攻撃に使ったと考えられる脆弱性は感染後もブロックされていません」
「つまり?」
「駆除ソフトウエアを作って、同じ穴から送り込めるということです」
「出来るのか、そんなことが」
「出来ます。ただ、少し時間が必要です」
「どれくらいだ?」
「作成に5分程度、テストに3分、いや余裕を見て5分」
「それじゃ、10分あればいいんだな」
「そうです」
「わかった、やって見ろ」
正体不明のマルウエアに対して駆除ソフトをいきなり作るなんてことは、俺には考えられないが、ここはジョージがうまくやってくれることを祈るしかない。だが、10分はちょっと長い。訓練艇の巡航速度だと、10分あれば600万Km近くを飛んでしまう。地球とL2の距離の、およそ4倍である。つまり、それだけの距離をコントロールを失った状態で飛ばなければならないということだ。その間、クルーたちは、何が起きるかわからない不安と格闘しなければならない。
「先生、これ見てください。まずくないですか?」
ケイが叫ぶ。見ると、チャート上の2つの赤い点が接近し始めている。明らかに衝突コースだ。
「こりゃ、まずいな。ぶつけるつもりか」
「今ならまだインターセプトできます」
「しかし・・・」
「行くわよ、ケンジ」
「お、おう」
最初に動いたのは美月だ。彼女は船を二隻の間に割り込ませるコースにいれ、加速する。
「美月、どうするつもりだ」
「どうするもこうするも、どうにかするしかないじゃない。手伝いなさい」
「どうにかすると言っても、下手をすれば、こっちが危ないぞ」
「そうね。攻撃者がこっちに気づかないことを祈るしかないわ」
その通りだ。敵に気づかれてしまえば、こっちが総攻撃を食らう可能性が高い。そうなる前に、なんとかしないといけないのだが、それは大きな賭けだ。
「後から行くわ。エンジンの重力場を干渉させれば、コースを変えられるかもしれない」
「美月、エンジンのオーバーロードに気をつけろ。不安定化したら厄介だ」
「エンジンの出力調整は任せるわ。なんとか出力を維持してちょうだい」
簡単に言いやがる。そんな微妙な調整なんか、やったことがない。そもそも、ほとんど最大出力のエンジン同士を干渉させるのだから、調整の余裕は限られてしまう。
「中井、それは私がやろう。お前は星野をサポートしろ」
「お願いします。先生」
「サム、このオペレーションをシミュレートできるか。最適なコースを出してほしい」
「了解。シミュレーションは完了している。ただ、フライトコンピュータに想定されていないオペレーションだから、自動実行はできない」
「それでいいわ。もとよりマニュアルが前提よ。必要なパラメータと誤差を表示してくれればいい」
美月は、衝突コースにある一隻の背後に船を回り込ませる。サラウンド映像の上に、いくつかのパラメータが赤色で表示される。
「美月、まだコースの誤差が大きい。XY軸をプラス2度修正しろ」
「やってるわ」
表示が一瞬、黄色からグリーンに変わるが、またすぐに赤に戻る。
「舵の反応が悪いわ。これじゃ、合わせきれない」
「衝突まであと30秒」
ケイが叫ぶ。
「美月、無理はするな。ダメならすぐに離脱しろ」
「今更止められないわ。もちろん自殺する気もないけど」
そうは言うが、コースの誤差は、なかなか小さくならない。
「あと20秒」
時間は刻々と迫ってくる。そろそろ決断しないとまずいな。いや、待てよ。まだ試せることはある。
「美月、舵を少し大きめに左右に振って見ろ」
「何言ってるの、そんなことしたら・・」
一瞬だけ間があった。
「わかった。そういうことね」
美月はそう言うと、舵を小刻みに動かす。
「いいわ。反応が良くなった。これならいけそう」
美月はそう言うと、今度は正確にコースを合わせた。表示のパラメータが全部グリーンに変わる。
「10秒前」
「行くわよ。エンジンの出力を最大にして」
「了解、出力最大」
次の瞬間、大きな衝撃があって、船ははじかれたように針路を変えた。前方の一隻も一緒に針路を変え、あと数秒のところで衝突は回避された。
「よし、うまくいった」
「冷や汗ものね」
「お前が言うか」
とりあえず、最悪の事態は回避できた。あのタイミングで美月が俺の言うことを理解してくれたからだ。実は、ジョージがこの船のソフトウエアに手を入れた時、最新型のST2Aシリーズが持っている制御システムの自己学習機能を組み込んでいたのである。舵を少し動かすことで、美月の操舵と機体の反応をシステムが学習し、制御を最適化してくれたのだ。だが、それを言葉で説明していたら、おそらく間に合わなかっただろう。以心伝心、そんなことが俺と美月の間に起きるようになったのも、この前の緊急ミッションの時からだ。詳しいことは、よく分からないのだが、俺と美月の間では、言葉を介さない抽象思考レベルでのやりとりが出来るらしい。俺たちの遺伝子には、どうやら、そんなことが出来るインターフェイスが組み込まれているらしいのだ。情報共有モードの時、その機能は有効になる。しかし、なぜそんな機能が組み込まれているのだろう。美月の場合は、両親が遺伝子工学者であり、二人がそういう研究をしていたらしいから、あり得ない話ではない。だが、俺の場合は、まったくの謎なのである。
「まずいよ。気づかれたみたい」
ケイが叫んだ。見るとチャート上で複数の船が向きを変え、こちらの船を追ってくる。
「まずいな。こりゃ総攻撃か」
「とりあえず逃げるしかないわね」
「ケイ、最適な経路を出せるか?」
「やってみるけど、この船のナビゲーションシステムには荷が重いかも。戦術シミュレータがないと、相手の動きを読めないから、全部後手に回っちゃうよ」
「しかたがない。とりあえず頼む」
「了解、出すよ」
サラウンド画面に重ねて飛行経路と、それに対する偏差が表示される。偏差表示がグリーンならばコース上にいることになる。だが、コースは刻々と変化するため、時々、表示が黄色や赤に変わる。
「コースの変化が激しすぎるわ。追従できない」
「相手の動きに追従できていないのか」
「だんだん距離が詰まって来たよ」
俺たちの船の周囲に赤い点が集まり始めている。このままじゃ囲まれてしまいそうだ。
「サム、そっちで何かできないか」
「戦術シミュレーションは可能。でも、この船のコンピュータでは限界がある。それと、相手の動きを見る限り、かなり高度な戦術シミュレーションの結果で全体が制御されているように見える。時間稼ぎは多少出来るけど、すぐに追従されてしまう可能性が高い」
「それでもいい、やってくれ」
「了解。戦術シミュレーションをナビゲーションシステムにリンク」
とりあえず、時間稼ぎに過ぎないとしても、やらないよりはマシだ。その間にジョージがなんとかしてくれることを祈るしかない。
「どうだ、美月」
「おかげで少しだけ追従しやすくなったわ。これなら、しばらくは逃げ回れそうね」
見たところ、ナビゲーションシステムがはじき出す経路は、相手をうまく攪乱しているようだ。敵が意地になって俺たちを追い回してくれていれば、僚船に危害を加える可能性も低くなる。しばらく、この遊びに付き合ってくれ。
「ダメみたい。また距離が詰まり始めたよ」
ケイが言うとおり、赤い点の群れは体勢を立て直しつつある。そればかりか、今度はこちらの動きを先読みするようなコースを取り始めた。さすがに、そろそろまずい。
「やはり、すぐに追従されている。敵は、かなり高性能なシミュレータを持っていると推測される」
「ヤバいよ。どんどん迫ってくる。それに、前からも。挟み撃ちにされるよ」
ケイが泣きそうな声で言う。
「美月、この際だ。コースを外してかまわないから、なんとか逃げろ」
「やってみるわ」
美月は、いきなり船のコースを変える。Gを生じない重力エンジンだから出来る荒技だが、あまりやっていると今度はエンジンが悲鳴を上げる。とりあえず、今のところは逃げ切っているが、エンジンはオーバーロード寸前だ。それに、もう敵は美月のパターンを先読みし始めている。
「ケンジ、そろそろまずいわ。逃げ切れない」
美月が悲鳴のような声を上げる。万事休すか。そんな高性能の戦術シミュレータ相手に、これ以上、いったい何ができるだろう。おそらく敵は大型船か、宇宙都市の高性能なコンピュータシステムを使っているのだろう。いかに、最新型とはいえ、こんな小さな船のコンピュータじゃ、太刀打ちのしようが・・・いや、待てよ」
「サム。マルウエアを遠隔操作している通信を特定して妨害できないか」
「通信は特定出来ている。ただ、ECM能力がないこの船では、妨害できる範囲は至近距離に限られる」
「美月、できるだけ引きつけろ。妨害範囲まで引きつけたら、妨害をかけながら離脱するんだ」
「わかった。やってみる」
「サム、離脱のタイミングを指示してくれ」
「了解した。妨害可能範囲は半径5万Km、離脱開始から妨害有効範囲を外れるまでの時間を稼ぐためには、3万Kmまで引きつけたい」
「厳しいこと言うわね。でも、やるしかないか」
3万Kmといえば、この速度だと、ほとんど衝突寸前の距離だ。パイロットは大きなストレスにさらされる。さすがの美月でも、そう長くは持たないだろう。
「美月、厳しくなったら代わるから、いつでも言ってくれ」
「その気持ちだけは有り難くいただいておくわ」
そんな話をしている間にも、赤い点がどんどん距離を詰めてくる。
「離脱まで5秒、4、3、2、1、離脱」
サムがそう言った瞬間、美月が舵を大きく切る。赤い点は、しばらくそのまま離れていくが、やがて、また追いかけてくる。しばらくは、その繰り返しだ。
「これも、そろそろ限界かもね。船が分散し始めたよ」
どうやら敵も、こちらの妨害範囲が狭いことを察知したようだ。船を分散させて、逃げ道を塞いでいく作戦に出てきた。
「やばいな。逃げ道がない」
「これじゃ、袋小路に追い込まれるわ。こっちの動きが計算されてる」
「やめてよ、まだ死にたくないよ」
「皆さん、まだ諦めちゃダメです。自分を信じてください」
今度こそ、本当に万事休すか・・・そう思った時である。
「追ってこないわ」
必死の形相で操縦していた美月が、つぶやいた。見ると、我々を追っていた赤い点が、追跡をやめ、バラバラな方向に飛び去っていく。
「何が起きたんだ?」
「でも、助かったみたいだよ、私たち」
「まだわからないわ。気を抜かないで」
「大丈夫。通信の出所が分かった。通信監理局に追跡依頼を出して発信元はブロックされた」
サムが機転を利かせてくれたおかげで、俺たちは命拾いしたらしい。
「通信は、どこから出ていたんだ?」
「L2からという以外は、まだ情報が無い」
「L2って、まさか、またアカデミーからなの?」
「わからない。でも、まだ油断は禁物。犯人が予備の通信手段を持っている可能性もある」
「そうだな、エドワーズの言うとおりだ。それに僚船をなんとかしないといけない。まだ事態は終わっていないぞ」
「先生、駆除ソフトウエアが出来ました。テストも完了です」
「よし、それじゃ、まず一番近くの船から試すぞ」
「了解。サム、ターゲットを特定してくれるかい」
「最も近い僚船は、T193」
「よし、回線を接続してくれ。直接送り込もう」
「了解。T193にアカデミー緊急回線で接続。送信準備完了」
「それじゃ、送信するよ」
ジョージはそう言うと、駆除ソフトウエアを送信する。しかし、何も起こらない。
「変化が無いわ。失敗した?」
美月がそう言った時、通信が入った。
「こちらT193、システムが復旧した。航行には問題なさそうだが、念のためシステムを一旦停止させてクリーンアップする」
「やった。うまく行ったみたいだよ」
「そうだね。よかった。一瞬、失敗したかと思ったよ」
「よし、それじゃ、他の船にも送り込もう」
「了解。非常回線から全僚船に対してブロードキャスト開始します」
ぎりぎりセーフ、と言ったところだろう、俺たちは、どうにか窮地を脱したらしい。他の僚船からも、次々と通信が入ってくる。
「皆さん、無事のようですね。よかったです」
「全員、よくやった。君たちのおかげだ」
「いえいえ、当然のことをしたまでですよ、先生」
ケイが、ちょっとドヤ顔で言う。
「なんで、あんたが偉そうなのよ」
美月が不満そうに言うのだが、まぁ、これはチーム全員の頑張りのたまものだろう。
「アカデミーから通信です。訓練艇救援のために大型輸送艦が出航したとのことです。本船には、輸送艦到着確認後、速やかにL2に帰投せよとの指示です」
「よし、確認したと返信してくれ。大型輸送艦なら、来るのにそれほど時間はかからないだろう。他の船も落ち着いているようだから、自動監視に切り替えて一息入れよう」
「それじゃ、今度は私がお茶を入れますね。美月さん、あのお茶、使わせてもらっていいですか?」
「いいわよ。キッチンに置いてあるから使って」
「わかりました。それじゃ、ちょっと行って来ます」
マリナはそう言うと船室に入っていった。
「あれ、美月がお茶当番になったんじゃないんだ」
「何よそれ。たまにはあんたが入れたらどうなの」
「うーん、ケイさんは、うまく入れられるか自信が無いので、お任せします」
まぁ、こんな会話が聞けるのは、平和が戻った証拠かもしれない。
それからマリナが入れてくれたお茶を飲みながら、あれこれ雑談している間に輸送艦が到着し、俺たちはL2に向けて針路を取ったのである。とりあえずの一件落着。皆、そう思っていた。
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