第3話 カフェ・メリディアニ

俺たちを乗せた車は、空を覆った火星の赤い光の下を、中央街区に向かって走って行く。

「メリディアニかぁ、なんとなくロマンチックな響きじゃない?」

「そうですね。たしか、火星で最初に開発された地域がメリディアニ平原だったと記憶してますが」

「そう。メリディアニ地方は、火星で最初に大規模開発が行われた。中心都市のエアリーシティーは私の出身地。直径40Kmのエアリークレーターの内側にある」

「そっか。残念だね。数日滞在できれば里帰りもできたのに。日帰りだもんな」

「里帰りしたいという気持ちは特にない。私にとっては過去の場所・・」

サムはちょっとうつむき加減に答える。

「あ、何かまずいこと言ったかな。ごめん」

「問題ない。気にしなくてもいい」

もしかしたら、何か忘れたい思い出でもあるのだろうか。サムがこんな顔をするのは珍しい。

「ねぇ、火星の都市って強化シールドの中にあるんでしょ。大規模な開発って結構お金がかかりそうじゃない?」

「たしかにコストは大きいけれど、月面都市に比べれば資材の調達コストが低い分、多少はマシ」

「もう数億人の人が住んでるんだし、いっそテラフォーミングとかしちゃった方がいいんじゃないかな」

「テラフォーミングは300年前に一度試みられたが失敗に終わっている」

「たしか、原因は再生した大気を固定できなかったから、でしたよね」

「そうだね。火星には地球のような磁場がないから、太陽風をもろに受けてしまう。大気の上層が、どんどん宇宙に飛ばされてしまうんだ。それに逆らって大気を維持するにはとんでもないコストがかかるからね」

「火星に磁場がないのは、たしかコアが冷えて固体になってるからだよな」

「そうね。地球の場合はコアが融けた金属だから、その対流で電流が流れて磁場が出来るけど、火星には それがないということね」

「でもさぁ、今の技術だったらコアを溶かして磁場を再生とかできそうな気がするけど」

「それが、そう簡単じゃない。コアを溶かすことが出来ても、それが、火星全体にどんな影響を与えるかわからないんだ」

「そう。既に数億人が暮らしている星でやるにはリスクが大きすぎる」

「そう言えば、夏休みに帰った時に親父も同じようなことを言ってたな。火星でのテラフォーミングはタイミングを逸してしまったって」

「へぇ、そうなんだ。焦って開発するのも考え物だね」


そんな話をしている間に、車は中央街区に入っている。さすがに、このあたりは人も多い。

「到着ね」

美月が言う。なんだかんだで、こいつも腹が減っていたんだろう。俺たちは、カフェ・メリディアニと書かれたイルミネーションの前で車を降りた。

「へぇ、なんかいい感じのお店じゃない」

ケイが言う。店の前はオープンテラスになっていて、空を見ながら食事ができる。サムがウエイトレスに名前を告げると、すぐにテーブルへ案内された。

「なんか、ランチというよりはディナーの雰囲気ですね」

「しかたないわよ。時間が時間だし。それにこの時間じゃなければ、この空は見られないんだから」


丸いテーブルには小さなキャンドルが置かれていて、なかなかいい雰囲気だ。このあと、すぐに帰らなければいけないのが、ちょっと寂しい。

「さて、問題は何を食べるかだが・・・」

「がつんと行きたいところだけど、食べ過ぎると帰りが辛そうだね」

「あはは、エンジニアリングが居眠りしてたら洒落にならないよねぇ」

「あんた、人のこと言えるの?あ、そうか。システムさえ動いていればナビの仕事はないのよね」

「美月、やめろって。誰が寝てても運行に支障が出るのは変わらないだろう。皆、食べるのはほどほどにしとこうぜ」

「そうね。私はケンジが働いてくれれば楽できるけど」


なんだか、今日の美月はよく絡む。たまにこういう日があるのだが、原因はよくわからない。まぁ、だいたいそのうちに機嫌が治るので、必要以上に刺激しないようにしておくだけだ。

「それでしたら、ピザとかを何種類か頼んでシェアするのはどうでしょう」

「うん、それがいいかもしれないな」

「人数いるから、色々食べられるしね。私もマリナに賛成!」

「いいね。ピザなら腹持ちも良さそうだし」

「私も問題ない」

「私もそれでいいわ。それほどお腹も減ってないから、一切れも食べれば十分・・」

そう言った直後、お腹が、ぐぅぅと音を立てて、美月は赤面する。

「おやおや、胃袋は正直ですなぁ」

「ち、違うわよ、これはお腹の調子が・・・」

美月はちょっとうろたえている。

「サム、他に何かおすすめはありますか?」

「ピザにするなら、最後にデザート系のピザがおすすめ。生クリームやチョコレートを載せたものもある」

「それいいな。頼もうよ」

そう言ったのは甘い物に目がないジョージである。

「それじゃ、適当に頼んじゃいますね。普通のピザ三種類にデザート一種類くらいでしょうか。あと、サラダもあったほうがいいですね」

「そうだな。それでいいんじゃないか」

「飲み物は個別に注文すればいいよね」

そんな感じで、マリナがピザを選んでいる間に、俺たちは思い思いに飲み物を注文する。もちろん、注文はアウトバンドの注文用パネルを使う。

「あれ?」

「どうした、ジョージ」

「うーん、なんかちょっと変な感じがしたんだけど、気のせいかな。とりあえず、飲み物は注文完了」

「ピザも4種類注文しました。足りなければ追加してもいいですしね」


料理を待つ間、俺たちは、あれこれ雑談を楽しんだ。例によって美月とケイのさや当てもあって、楽しんだというのは微妙なところではあるのだが。やがて、注文した飲み物やピザが順番に運ばれてくる。ピザの5等分という難しい課題については、議論の結果、6等分して残った一切れは一番胃袋が大きそうなジョージに献上することとなった。

「そう言えば、例の犯人が捕まったって話なんだけどさぁ、本当にそいつがやったのかなぁ」

ピザを口の中に残したまま、ケイが言う。

「あんたねぇ。喋るんだったら食べてからにしなさいよ。子供じゃないんだから」

そう言う美月も、口の中にはピザが入っているからお互い様である。

「その件ですけど、さっき届いた生徒会からのメールだと、風紀委員会はセキュリティ部局の捜査を当面静観することになったみたいです」

「たしかに、専門課程のC&Iにしてはお粗末な話よね。そもそも、そんな事をするのにアカデミーの情報端末からやったってのも、なんとなく胡散臭いわ」

「だとすると、やっぱりハメられたのか?」

「だけど、それならどうしてC&Iなんだろうね。一般の人とか、他の専攻の学生の方が、疑われにくいんじゃないかな」

「その学生に狙いをつけたというよりも、たまたまそうなったという可能性もある。アカデミーの学生だったら誰でもよかったのかもしれない」

「逆に、どうしてもその学生をハメたかったとか言う話もありそうじゃない?個人的な恨みとか」

「だとすれば、犯人は別の学生って可能性もあるな。捕まった学生に近い人物ということになると、そいつもC&Iなんだろうか」

「実習チームの誰かって可能性もない?」

「それはないんじゃないでしょうか。範囲が狭すぎて、もし普段から仲が悪ければ、真っ先に疑われそうですし。そもそも実習クルー同士がそんな関係にあるというのもあまり考えたくない話ですよね」

「痴情のもつれ、とか?」

「あんたが言うと洒落にならないわね」

「いやいや、そこはお互い様じゃないかなぁ」

「いずれにせよ、まだ色々なケースが考えられそうだね。そう言う意味では、もう少し事実が出そろわないと判断が難しそうな気がするよ」

「そうだな。風紀委員会が捜査を静観することにしたのは正しいかもしれないな」

「実は、この一件がもっと大きな陰謀に繋がって・・・とか?」

「勝手に妄想してなさいよね」

「事実は小説より奇なりって昔から言いますけどね。でも、当面は私たちも静観するしかなさそうです」

「捕まったのが犯人でないとすれば、そのうち何か動きがあるはず。おそらく、当局もそれを待っているはず」

「それが大きな事件にならないといいのですけどね」

「まぁ、今の時点であまり考えすぎても仕方が無いんじゃないか?そのうち、当局が解明してくれるよ」

「そうだね。それに期待しよう」

「それはそうと、あの後、ユイはどうなったのかな?あれっきり音沙汰ないんだけど」

ユイというのは、アカデミーに設置されている最新型コンピュータを器にしたAIである。彼女・・・と呼ぶのが適切かどうかは別として、夏休みの最中に起きたブラックホール騒ぎに対応するミッションで、俺たちのサポート役をしてくれたのだが、その後、連絡が途絶えてしまっていた。

「ユイなら、今、センターコンピュータとの連携試験で忙しいと思うよ。新型の量子演算ユニットの量産体制が整ったんで、センターコンピュータのユニット交換が始まったんだけど、同時にユイとのインターフェイスを強化して、より多面的な問題解決ができるようにするんだ」

「それじゃ、ジョージ君も忙しくなりますね」

「まぁ、僕はまだゲスト扱いだし、あんまり出る幕もないんだけどね」

「でも、ソフトウエア開発には、かなり首を突っ込んでるんだろ?」

「うん、そこはね。このまえのミッションで、いきなり実地試験したようなものだけど、思った以上にうまくいったから、あのアーキテクチャが採用になったんだ」

「たいしたものね。どこかの誰かさんも見習ったらいいわ」

「誰の話だ?」

「言うまでもないわね」

まったく、一言余計な奴だ。まぁ、いちいち気にしていたらきりがない。

「おっと、もうこんな時間だ。そろそろ切り上げて帰らないとまずいな」

「そうですね。それじゃ、精算しますね」

気がつけば、もう集合時刻まで30分を切っている。まぁ、15分もあれば格納庫までは行けるので、まだ余裕はある。俺たちは店を出ると通り沿いの車寄せに向かう。

「待っている車はいないみたいだな」

「問題ないだろ。呼べばすぐ来るから」

自動運転の車は車寄せにあるアウトバンドのパネルで呼び出すことができる。配車システムは最適な空車を回送してくれるので、多くの場合、一分以内に車がやってくる。俺は車寄せの脇に表示されている仮想パネルで車の呼び出しボタンを押す。

「あれ?」

呼び出しが受け付けられると、配車までの時間が表示されるはずなのだが、今回はそれがなかなか表示されない。

「どうしたんだろう。反応が悪いな」

「配車システムの反応が悪いなんて珍しいね」

ジョージがそういいながらパネルをのぞき込む。

「こんなにレスポンスが悪くなるなんて、おかしいね。システムの負荷が上がってるんだろうか。今日、何かイベントでもあるのかな」

そんな話をしていると、パネルに待ち時間が表示された。

「待ち時間15分って・・・」

「えー、それじゃギリギリじゃない?」

「下手すると遅刻ね」

「何かトラブルでもあったのかな。この待ち時間はちょっと異常だね」

「どうする?歩ける距離じゃないぞ」

「いずれにせよ、待つしかありませんね。最悪、遅れそうなら先生に連絡を入れて事情をお話しした方がいいかもしれません」

「そうね。単に遅刻したなんて思われたくないわ」

時間に余裕を持って行動せよ、というのは上陸時の鉄則なのだが、15分の待ち時間はかなり微妙だ。少なくとも、これまでこんな長い待ち時間は経験したことがない。遅刻しても不可抗力ということになるかもしれない。もしかしたら、他のチームも同じ状況かもしれないから、まず連絡を入れてみた方がいいだろう。

「それじゃ、先生に連絡してみよう」

俺はコミュニケーターを取り出して、フランク先生をコールする。コミュニケーターは、音声やデータを統合した通信装置である。VUやアカデミーの専用回線にアクセスでき、音声通話の他、データをアウトバンド通信に変換したり、DIユニットに送ったりすることができる、現代の必需品だ。


「おかしいな、呼び出しに応答がないぞ」

「それって、変じゃない?先生のコミュニケーターが応答しないなんてこと、普通はないよね」

「いったい、何が起きてる?」

「この一帯のアクセスポイントに回線の輻輳がみられる。明らかに過大な通信負荷がかかっている」

「それって、ここだけの話?」

「わからない。アクセスポイントから先の回線の状態が不明」

「まずいわね。もし、ここだけの話だったら、遅れるのは私たちだけじゃない。おまけに連絡も取れないとしたら騒ぎになるわ」

「まぁ、最悪、説明すればわかってもらえるんじゃないか?」

「一瞬でも、時間にルーズとか思われるのが我慢できないのよ」

「美月さんの気持は分かりますよ。何か連絡手段があればいいのですが」

美月でなくても、ルーズな奴らだと思われるのは癪に障る。しかし、他の手段といっても、残るのは非常用回線くらいだ。さすがに、遅刻の連絡で非常用回線を使うわけにはいかない。

「非常回線ってわけにはいかないよね」

「さすがに遅れる連絡に非常回線はないよな」

「それこそ笑いものだわ」

さて、完全に手詰まりになってしまった俺たちだが、そうしている間にも時間だけがどんどん過ぎていく。

「あの、いいですか?」

マリナが遠慮がちに言う。

「これって、ある意味非常事態じゃないかと思うんですよ。この一帯の通信がおかしくなってしまっているのなら、非常回線を使って、まずそれを通報すべきじゃないかと思うんです」

「そうか、そのついでにアカデミーへの連絡を頼めるかもしれないな」

「そううまく行くかしらね」

「連絡を取り次いでもらえなくても、この障害が復旧しさえすれば、連絡が取れますよね」

「通信管理局にとって、障害復旧は最優先事項」

「そうか、それじゃ連絡してみよう」


マリナはさすがだ。俺は大急ぎで非常回線を使用して通信不能の緊急通報をする。こうした緊急通報は音声ではなく、データ通信で行われるため、ただちにシステムによって処理されることになる。実際、障害が解消するのには、ほとんど時間がかからなかった。

「車が来たよ」

見れば、ロータリーに一台、また一台と車が入ってくる。

「障害が復旧したみたいね」

「とりあえず、急ごう」

俺たちは急いで、やってきた車に乗る。時間的にはぎりぎりだ。

「まだ、先生の呼び出しはダメみたいだな」

「もしかして、よそでも障害が起きてるんでしょうか」

「とりあえず、急ぐしかないわね。ぎりぎり間に合いそうだし」

「本当にギリギリだけどね」

「順調にいって、格納庫には集合時間の1分25秒前になる」

「それって、ちょっとどこかで待たされたらアウトよね。ここはケンジの悪運に賭けるしかないかぁ」

「そんなものに頼りたくはないわ」

まったく好きなことを言ってくれる。だが、正直言って切羽詰まっているから、頼れるなら何にでも頼りたいのは俺も同じだ。

「よし、到着だ」

「でもさぁ、何か変だよ」

「ロータリーが、やたらと混み合ってるわね。こんなの見たこと無いわ」

アカデミー施設の前のロータリーに車があふれている。完璧に制御された交通システムで、こんなことはまずないはずだ。

「やばいな。あと5分を切ったよ」

「えー、ここまで来てそれはないよ」

もうここで飛び降りて走りたい所なのだが、この車から車寄せ以外で乗り降りは出来ない。前の車から人が降りて車寄せが空くまで待つしかないのである。

「最悪ね。でも、これを見たら、よそでも同じようなことになってたみたいね」

「そうですね。だから、同じ時間に車が集中したんでしょうか」

それなら遅れても言い訳が出来るかも知れない。そう思いながらも、出来れば遅れたくない。車のドアが開くまでが何時間にも感じた。そしてようやく車のドアが開く。

「よし、走るぞ」

俺たちは、車から飛び出すと、施設に駆け込み、昇降シャフトへ向かう。

「あー、行列になってるよ」

見れば、昇降シャフトの前には大勢が並んでいる。しかも、一回では乗り切れなさそうな人数だ。こうなれば、俺たちだけでも先に行くしかない。

「女子は並んでてくれ。俺たちは先に行って事情を説明しておくから。ジョージ、行こう」

「わかった」

俺とジョージは、隣の自由落下シャフトに向かって走り出した。

「待ちなさいよ。私も行くわ」

「ちょっと、置いてかないでよ」

「私も行きます」

「私も行く」

おいおい、正気か。その格好で・・・と思ったが時間が無い。とりあえず俺はシャフトに飛び込んだ。通常の昇降シャフトに比べれば、こっちは圧倒的に速い。だが、さすがに女子がこのシャフトを使うのはまずいだろう。俺は落ちていく感覚を感じながら、恐る恐る上を見る。

「ばかっ。見るな」

そんな声が聞こえた瞬間いきなり顔面にドロップキックを食らった感じがして一瞬気が遠くなった。なにやら白い物が見えたのは、きっと気のせいだったのだろう。

「いってぇ・・・」

気がつくと、俺はシャフトの底に倒れていた。そして、顔の上にはなにやら柔らかいものが・・・。いや、その先のことは語るまい。俺の頬についた小さな手形がすべてを物語っているから。


とりあえず、そんな感じで俺たちは集合時間に間に合った。だが、間に合ったのは全チームの半分にも満たない人数。結局、帰路の出発は1時間延期となったのである。通信の混乱は都市全体に波及していたようで、生徒だけではなく、教官も何人か連絡が取れなくなっていた。宇宙港にも混乱が広がっていて、船の発着が一時的に出来なくなっていたらしい。

「結局、出発延期かぁ。慌てて損したねぇ」

ケイがだるそうに言う。

「あんたね。それは結果論でしょ。私たちは間に合った。それでいいじゃない」

美月がすぐに突っ込む。

「色々サービスしちゃったけどねぇ」

「な、何言ってるのよ。非常事態だから仕方が無いでしょ」

美月は赤くなる。こういう時に目が合うと非常に気まずいのだが、だいたいこいつは俺の顔を見るのである。そう言えば、たしか白いものが・・。

「忘れなさい、ケンジ」

美月がすごい形相で俺を睨んで言う。こいつは俺の考えが読めるのか。それとも、迂闊に顔に出してしまったのか。

「は、はい」

あれもこれも事故だ。不可抗力なのだ。決して俺が望んだことではない。まぁ、男子的にはラッキーな出来事には違いないのだが、相手が美月では後が怖い。忘れよう。

「それにしても、いったい何が起きたのでしょうね。こんなことは初めてです」

マリナが言う。

「通信回線の輻輳なんて、ここ百年くらいは起きていないからね。多少の混雑なら余裕でさばけるだけの容量があるし、冗長化もされているから、障害でも問題がないはずだけど」

「まさか、サボタージュか?」

「それこそ荒唐無稽だわ。そんなゲームみたいな話、今の時代にあるはずがない」

「そう言い切ることもできない。実際、そうでも考えないとこの事態は説明が難しい。それに、例のハッキング事件もまだ未解決」

「サム、それって、例の犯人がからんでるって話?」

「わからない。でも、もし真犯人がいるのであれば、無関係と断定もできない」

確かに不可解な事件だ。何か異常なことが起きているような気もする。だが、すべては憶測に過ぎない。そのうち当局が原因を究明するだろう。

「あれこれ憶測しても仕方がないわ。原因の究明は当局に任せるべきね」

「もう、事態は収束したのでしょうか」

「分かる範囲では、既に通信は正常に戻っている」

「そうか。それじゃ混乱もすぐに落ち着くだろう。俺たちも、どうにか無事に帰れそうだな」

「ケンジ、ちょっと楽観的過ぎるわ。こんな事態の後なんだから、警戒は必要よ」

「そうですね。美月さんの言うとおり、ちょっと慎重になったほうがいいかもしれません」

「まぁ、宇宙局あたりのシステムや回線は一般のものよりも数段堅固だし容量もあるから、ちょっとやそっとでは落とせないけど、船のシステムには気をつけた方がいいかもしれないね。帰りの出発前に一度フルスキャンをかけておこう」

「わかった。そこはジョージとサムで頼むよ」

「了解。それじゃ、サム、先に船に行ってチェックを始めようか」

「了解した。私は各サブシステムをチェックする。ジョージはメインコンピュータを」

「わかった。それじゃ行こう」

そう言うと、ジョージとサムは船に向かう。

「ところで先生は?」

「まだ戻ってないみたいね。遅れるから先に船のチェックをすませておくようにメッセージが入ってるわ」

「そうか、それじゃ俺たちも船に行って準備をしよう」

「えー、出発延期みたいだし、もう少しゆっくりしてもいいよね」

「あんた、どこまで脳天気なのよ。おかしな事態になってるんだから、少しくらいは緊張感持ったら?」

「そうですね。チェックには慎重を期した方がいいと思いますから、余った時間は有効に使いましょう」

「はーい、マリナがそう言うなら、しかたないか」

ケイの言い方に美月はちょっとカチンと来た様子だったが、珍しく何も言わずに船の方へ歩き出す。流石に、今ここでとっくみあいはまずいと思ったのだろうか。まぁ、俺としてはちょっとホッとしたのだが。


俺たちが船に着いた時には、もうジョージとサムがシステムチェックを始めていた。

「早かったね。今フルスキャンを始めたところだから、あと10分ほどはメインコンピュータを使えないんだ。サブシステムはサムのスキャンが終わったところから使えるから、そっちからチェックしてもらえると助かるよ」

「わかった。それじゃ、サム。使えるようになったシステムがあったら言ってくれ」

「了解。ナビゲーションシステムとセンサー系はすでにスキャン済み。異常は無いので使えると思う」

「えー、うちが最初?もう少し、ゆっくりやってくれてもよかったのに」

ケイがそう言う脇で、また美月が何か言いたそうな顔をしている。俺としてはちょっとヒヤヒヤする状況だが、またしても美月は何も言わない。これはこれでちょっと怖い。

「美月、俺たちも操縦席でスタンバイしていようか」

俺が操縦席につくと、美月も黙って隣に座る。なにやら不気味な雰囲気だ。かといってヘタに声をかけるとやぶ蛇になりかねない。しばらく無言で気まずい時間が過ぎて行く。

「操縦系サブシステム、フライトコンピュータのスキャン完了。使えます」

サムの声が助け船である。

「よし、それじゃ操縦系のチェックをやっておこう。美月、チェックシーケンスを走らせてくれ」

「わかったわ。フライトコンピュータを再起動。操縦系サブシステムチェックシーケンスを開始」

「フライトコンピュータの起動とチェックシーケンス開始を確認。こちらでもモニターしている」

「チェックシーケンス完了。異状なし」

「チェックシーケンス異状なしを確認。それじゃ、操縦システムをオンラインにする」

操縦席のパネルに計器表示が現れ、アウトバンドを経由した仮想パネルに各種の値が表示された。

「機長席システム、正常動作を確認」

「副操縦士席システムも正常動作」

どうやらシステムに問題がなさそうだ。全体を統制するメインコンピュータがまだオフラインの状態なので、可能なチェックはここまでだ。

「よし、後はジョージ待ちだな。他のサブシステムはどうだ?」

「ナビゲーションシステムも問題なし」

「メディカルサブシステムは、まだチェック中ですが、今のところ異状なしです」

「全サブシステムのスキャン完了。異常はない。通信及びセンサー系サブシステムのチェックも問題ない」

「メディカル及び環境サブシステムのチェック終了。異常はありません」

「よし、メインコンピュータのスキャンも終了。問題ないね。それじゃ、メインコンピュータを再起動してオンラインにするよ」

「了解。たのむ」

「メインコンピュータ再起動。全サブシステムとの連携、整合性チェックを開始・・・異状なし。これでシステムチェックは完了だね。いつもと順序が逆になったけど、問題はないと思うよ」

「了解。さて、あとは先生だな。ちょっと一息入れて先生を待とうか」

「それじゃ、何か飲み物でも用意しますね」

マリナはそう言うと船室の方に入っていく。いつもマリナにやってもらうのは気の毒なのだが、他に気が利きそうな奴は俺も含めていないのが現実だ。その分どこかで埋め合わせしないといけない。とはいえ、気が利いたこともできそうにない。そもそも、このチームでそんな気が利いたことが出来るのはマリナだけなのだから。

そんな感じで、俺たちはお茶しながら、フランク先生を待つことになる。色々あったが、終わりよければすべてよし、俺はそう思っていた。

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