俺と美月のサイバー日記

風見鶏

第1話 附属校的日常

「ケンジ、操舵系に異常よ。針路に偏差が生じてるわ」

コックピット内に、けたたましいアラーム音が響く。フライトコンピュータの処理が異常になったため、様々なサブシステムが一斉に警報を上げたのである。

ここはスペースアカデミーの宇宙艇操船訓練用シミュレータの中だ。ここで訓練を受けているのは、アカデミーの基礎過程、通称「附属高」の二年生。俺、つまり中井ケンジと仲間のチームメイトたちである。

「確認した。オートパイロットの異常を認知。マニュアル操縦に切り替える。ジョージ、原因を調べてくれ」

「了解。フライトコンピュータをオフラインに。自己診断モードに切り替え」

答えたのはジョージ・エイブラムス。このチームではメカニックとシステムエンジニアを兼ねた役割のエンジニアリング担当である。

「通信システム、オフライン。非常用システムに切り替えます」

そう叫んだのは、通信を担当するサムことサマンサ・エドワーズだ。コミュニケーション&インテリジェンス、通称C&Iと呼ばれる彼女の役割は通信に加えて様々な情報収集と分析、戦術の立案などである。

「環境モニター、メディカルモニターもオフラインです。バイタルを直接モニターモードに切り替えます」

これは、メディカル担当のマリナ・クレア。乗組員の健康やメンタル面をサポートする役割の彼女は、ある程度の医療行為も可能な資格と知識を有している。

「ナビゲーションシステムも停止。中距離、長距離センサーによる障害検知モードに移行」

これはナビゲーターである沢村ケイの声だ。

アカデミーの基礎過程では小型の宇宙艇の操船訓練を行う。このため、二年次からはそれぞれの役割を志望する学生がチームを組んで実習を行うのである。俺たちのチームは、パイロットが俺と隣にいる星野美月の二人。美月については、あまり多くを語りたくないのだが、俺とは入学前からの腐れ縁だ。そしてエンジニアリングがジョージ、ナビゲーターがケイ、C&I(コミュニケーション&インテリジェンス)がサム、そしてメディカルがマリナという6人体制だ。そして、今やっているのは、宇宙艇での非常事態への対処訓練である。このシナリオは宇宙艇の自動システムの中核であるフライトコンピュータに異常が生じたという設定で、その状況下で安全な航行と原因の究明、復旧を行うものだ。

「インターフェイスシステムに異常。DIが使用不能。サラウンドモード解除。各自、アウトバンドでの操作に切り替え」

ジョージが叫ぶ。


三百年ほど前から始まった人類全体への遺伝子操作によって、現在、すべての人はシステムと電子的に接続ができる能力を持っている。インターフェイスコンポーネントと呼ばれる遺伝子群によって、人間の脳は電子信号を受け取って解釈し、それを本来の感覚器官の機能拡張に利用することができる。いわゆる拡張現実(AR)や仮想現実(VR)の機能が体に組み込まれているのである。一方、情報機器の側では、情報を人間に渡せる形で信号化し、人間の神経系に伝達するためのインターフェイスシステムが組み込まれている。このインターフェイスには大きく二種類がある。ひとつはダイレクト・インターフェイス(DI)と呼ばれるもので、これは、人が体に装着したインターフェイスユニット(DIユニット)を介して、直接神経系に情報を伝達する方法だ。DIは仮想現実や精細な画像など、大容量のデータ伝送が必要な際に使用される。宇宙艇で最も多用されるのが、サラウンドモードと呼ばれる仮想現実を利用した船外モニターである。サラウンドモードでは、船外のカメラ画像やセンサー情報が、すべて意識に投影される。あたかも、自分が宇宙に浮かんでいるような感覚で操縦ができるシステムだ。不思議な話だが、通常の視覚では見えない背後の風景も、サラウンドモードでは認識することができる。実は人の脳内には全周マップと呼ばれる仕組みが存在する。視覚、聴覚、皮膚の感覚などはすべて、この全周マップに統合され、周囲の認知が行われる。背後の音や気配を感じることができるのはこのしくみのおかげなのである。実際の視覚では、視野の範囲しかマップされないのだが、サラウンドモードでは、すべての方向に画像がマップされ認識が可能になるのだ。このモードの時は、実際の視覚からの情報は優先度が下げられ、緊急時以外は認知されなくなる。

一方、情報量が少ないデータは視覚や聴覚の帯域外の信号として受け渡される。このため人の視覚と聴覚は、実際に必要な波長や周波数の範囲を超えて拡張されており、この拡張された部分、つまり視覚ならば赤外域や紫外域、音声ならばいわゆる超音波の領域で受け取った信号は、データとしてデコードされ、必要な神経系に送られるようになっているのである。これがアウトバンド伝送だ。アウトバンド伝送では、サラウンドモードのような大容量のデータの受信はできないが、たとえば計器パネルのようなものを視覚に重ねて拡張現実として映し出すようなことは可能だ。ジョージがサラウンドモードの解除を告げた直後、それまで星の海に浮かんでいた俺たちは船のコックピットに戻ってきた。

「ジョージ、アウトバンドもおかしくないか。計器表示が乱れてるぞ」

俺の目の前に浮かんでいる拡張現実の計器パネルは歪んだりノイズが入ったりして、読める状態ではない。

「そうだね。こっちもダメみたいだ。各自、視覚で直接、計器を確認するようにしてくれるかな。アウトバンドも一旦切るよ」

「了解」

つまり、これで俺たちは300年前に逆戻りしたわけだ。頼れるのは自分の視覚や聴覚などの人間本来の感覚だけになってしまった。

「なんだかレトロよね。昔の船の操縦ゲームをやってるみたいだわ」

「美月、訓練中に無駄口をたたくな。ジョージ、原因はわかるか?」

「今確認してる。フライトコンピュータの負荷が異常に高くなってるね。このユニットでこれだけ負荷が高くなるのはちょっと信じられないけれど・・・」

ジョージはそう言いながら、エンジニアリング席のコンソールをのぞき込んでいる。シミュレータとはいえ、最新型のフライトコンピュータの実機を使っているこのシステムの処理能力を食いつぶす処理というのは尋常ではない。単なる故障という雰囲気ではなさそうだ。

「いた。こいつだな犯人は」

ジョージが言う。

「どうした?」

「マルウエア、つまりコンピュータウイルスみたいな不正プログラムだよ。これがコンピュータの負荷を上げて処理を妨害していたんだ。早めにコンピュータをオフラインにして正解だったね。放置していたらシステム全体に感染が広がっていたかもしれない。そうなったら船を放棄するしかなくなってしまうからね」

「駆除は出来るのか?」

「うん、これなら出来ると思うけれど、その前に、こいつがどんな動きをするのか分析しないといけない。感染経路も分からないから、復旧してもまたやられてしまう可能性が高いんだ」

「時間かかりそうか?」

「検体を採取できれば、それほど時間はかからないと思うよ」

「OK、出来るだけ急いでくれ。このモードでの操縦はあまり長く続けると危険だから」

「了解。頑張ってみるよ。サム、念のため周辺の自律系システムをスキャンしてみてくれないか。そっちに感染しているとまずいから」

「了解。既に45%がスキャン済み。今のところ感染の兆候なし」

さすが、サムは既にスキャンを始めていたらしい。ちなみにジョージは一年生の時、難攻不落と言われていたアカデミーのセンターコンピュータにハッキングを仕掛け、侵入に成功した猛者である。もちろん結果としてアカデミーから謹慎処分を食らったのだが、今や彼の名前は、在校生はおろか卒業生や教職員の間でも知れ渡っている。そんなジョージに勝るとも劣らないハッカーぶりを時々見せるのがサムである。先日も、とある船のシステムをなにげに攻略して見せ、船のエンジニアに舌を巻かせた実力者だ。

「よし、採取できた。これをサンドボックスで分析すれば・・」

「サンドボックスって、砂場で何をするの?」

そう聞いたのはケイである。

「あんたバカじゃないの?サンドボックスってのはウイルスみたいな不正プログラムを調べるための隔離環境のことよ。サイバー防御の授業、居眠りでもしてたんじゃないの?」

すかさず美月が突っ込みを入れる。この二人は、いつもこうして一触即発になる。

「そうそう。サンドボックスのシステムは、すべての船に搭載されていて、コンピュータにマルウエア、つまり不正なプログラムを検知した場合に、それを採取して投入すれば、自動的に分析してくれるんだ。ほら、もう結果が出たよ」

ジョージはそう言うと、分析結果をプリントアウトする。普段なら、アウトバンドの情報パネルを全員で共有して見ればいいのだけれど、コンピュータが停止している状態では、いかにもアナログなプリントアウトを見るのが一番手っ取り早い。非常時用として船には一応、プリンターも装備されている。

「これは単純なワームだね。ネットワークを経由して感染、増殖する以外に、特に機能はなさそうだ」

「で、侵入経路はわかったの?ワームってことはネットワーク経由よね」

と、美月。

「そうそう。ワームは単独でコンピュータに侵入して活動するタイプのマルウエアなんだ。これの侵入経路はVUみたいだね」


VU、それは地球や太陽系内の宇宙都市を接続する高速通信ネットワークである。超光速通信で、太陽系内ならば、ほとんど遅延なく通信ができ、仮想現実の転送など様々な用途に利用されている。他の恒星系とも通信は可能だが、こちらは超光速通信とはいえ遅延が大きく、リアルタイムの通信には限界がある。大昔のインターネットのようなものだが、宇宙に広がっていることから、ヴァーチャルユニバース、略してVUと呼ばれている。

「VU経由って、ファイアウォールは機能しなかったの?」

ファイアウォールつまり「防火壁」とは、VUのような安全が保たれないネットワークと船内の重要なネットワークを隔てる、電子的な防壁のことだ。

「それが問題だね。VUと船内システムとの間には二重にファイアウォールが入っている。この二段階の防壁を抜けないと侵入はできないはずなんだけど、どうやらそのファイアウォールに欠陥があったみたいだ」

「欠陥?」

「脆弱性さ。セキュリティホールとも言うけど、マルウエアの検知機構に欠陥があって、それを悪用することで、検知されずに抜けてしまうことができるようなんだ。この脆弱性は既に修正されているものなんだけど、ファイアウォールのソフトウエアのバージョンが古いみたいで、残っていたんだね」

「バージョンが古い・・・って、整備はいったい何してたのよ。怠慢だわ」

「一応、自動更新の設定はされているみたいなんだけど、うまく更新できていなかったみたいだね。たぶん、自動更新だからということで、バージョン確認を怠ったんだろう」

「まったく、酷い話よね。いくらシミュレーションのシナリオでも、ちょっと酷すぎると思わない?」

「まぁ、二年生の訓練なんてそんなものさ。ほら、無駄口叩いてると、また先生に小言・・・おっと、注意されるから、対処に移るぞ」

美月がぼやく気持ちは分からないでもない。そもそも脆弱性を放置するなんてことは、数百年前のインターネットならばともかく、現代のシステムでは考えられない。もちろん、ソフトウエアの欠陥である脆弱性は、まれに生じるが、それらは発見され次第、修正され、各システムに自動的に配信される。各システムのソフトウエアのバージョンは、始動時チェック項目に含まれていて、通常はこうした問題が見落とされることはない。ただ、未発見の脆弱性をハッカーが先に発見して攻撃に利用する、いわゆる「ゼロデイ」攻撃は現代でも深刻なリスクのひとつだ。それに、悪意を持った内部者がいれば、システムに不正なプログラムを仕込める可能性だってある。なので、こうした対処訓練が必須となるのである。

「それじゃ、まずファイアウォールのソフトウエアを更新するよ。そうしないとコンピュータを復旧してもまた感染してしまうからね」

「了解。やってくれ」

「よし、更新開始。サム、フライトコンピュータのデータバックアップとクリーンインストールをたのめるかな」

「了解。データ及び設定のバックアップは既に完了。メモリを消去してOSから順次インストールを開始。復旧までの所要時間は3分40秒」

サムはまたしても先回りしていたようだ。だが、復旧時間が短縮できるのは嬉しい。それも採点項目のひとつだから。

「よし。ファイアウォールの更新は完了。動作チェックOK」

「フライトコンピュータのソフトウエアインストール完了。バッアップデータをリストアします」

「よし、リストアできたら、システムを再起動するよ」

「了解。各ステーションの動作チェック準備をしておいてくれ」

「リストア完了」

「よし、フライトコンピュータを再起動」

「各ステーション、順次動作チェックを」

そんな感じで、とりあえずシステムは復旧。

「復旧を確認。それじゃ、最寄りの基地に帰投する」

「了解、針路を234,050へ」

俺たちは、船の針路を基地に向けて帰投し演習は終了となった。


「よーし、全員出てこい」

聞こえてきたのは、担当教師の声である。この声も通常の音声ではない。アウトバンドを経由して伝送されてきた仮想現実である。この伝送方法だと声は意識に直接伝わるため、どれだけ騒音があっても聞き取ることができる。俺たちは最終チェックを終えると、シミュレータを出た。そこには、コワモテな感じの教師が一人。どこの学校にもいる、生活指導の体育教師みたいな奴である。俺たちの実習担当教師だが、どうも俺たちは最初から目をつけられているようで、よく「お説教」を頂戴する。なんとなく言いがかりをつけられているような気もするのだが、それは気にしてもしかたがないだろう。

「よし。とりあえずは合格といったところだが、何か反省点はあったか?どうだ、中井。まずはリーダーのお前から聞こうか」

ほらきた。このコワモテが俺を名指しする時は、だいたい何かある。ここは慎重にいかないと、話がこじれてしまう。

「はい。概ね問題はなかったと思いますが、強いて言うなら集中力に欠けるところが少し見られたように思います」

「ん?集中力に欠ける、というのは、どういうことか詳しく聞きたいものだな」

くそ、そう来たか。具体的には美月の雑談なのだが、ここで名指しするとカドがたつ。それをわかっての上での質問だろう。さて、どう答えたものか。

「私が演習中に余計なことを言いました」

俺が口ごもっているところで、いきなり美月がそう言ったのはちょっと意外だった。俺に気を遣ったのか、それとも飛んでくる火の粉に先手を打ったつもりだろうか。ちょっと正直すぎだが、まぁ悪くない。

「俺は中井に質問しているんだがな。まぁいい。演習のシナリオについては色々あるが、これは重要な基礎訓練だと言うことを忘れるな」

「はい」

「さて、他にはないか、中井」

おいおい、まだ俺かよ。

「はぁ、他にはこれと言って・・・」

「そうか、それでは聞くが、お前はリーダーだ。クルーの動きを統率するのが役割だが、それについて問題はなかったか?」

「はぁ。実際、皆、私の期待以上によくやってくれたと思います」

「期待以上に・・・な」

コワモテはにやりと笑った後に大声で言った。

「馬鹿者。指示通り、期待どおりに動いたかと聞いているんだ。言い方を変えよう。お前は、クルーの作業を事前にすべて把握できていたのか?どうだ、中井」

「・・・」

「よし、それでは聞く。エドワーズの作業をお前は掌握できていたのか?」

「そ、それは・・」

「エドワーズは、いくつかの作業を先回りして始めていた。その判断は間違いではないし、おかげで作業はお前の期待以上にスムーズに進んだわけだが、それは結果論に過ぎない。もし、お前や他のクルーが知らないところで間違った作業が行われていたらどうする。それはお前の監督不行届きということになるんだぞ」

「それは分かりますが、サムの能力は信頼に足ると・・」

「馬鹿者。信頼と盲信は違うんだ。エドワーズが作業を先回りしていたことが分かったとき、お前は事前に報告するように求めるべきだった。そうすれば、二回目の先回りは、あらかじめ報告されたはずだ。これはエドワーズの問題ではなく、お前のリーダーとしての問題だ。わかるか」

くそ、なんとなく言いがかりをつけられた気もするが、反論できないのが悔しい。

「わかりました。以後注意します」

「お前らは皆優秀だ。だが、船の運航は個人プレーじゃない。面倒でも必要な手順は踏め。ルールはすべて理由があって決められている。それも多くが過去の苦い経験からだ。例外がないとは言わん。だが、まずは基本だ。基本が出来ない奴は何をやっても危なっかしいということを忘れるな。中井、お前がリーダーであるのは、そこをきちんと押さえるためだということを肝に銘じておけ」

ここは何を言っても火に油を注ぐだけだ。おとなしく聞いておくに限る。

「ん、何か言いたいことでもあるのか、中井」

「いえ、ありません」

「よし。それはさておき、今回の課題への対処については、よく出来たと思う。異常を検知した際、早期にコンピュータをオフラインにして自己診断を実行したことがよかった。各持ち場のマニュアル操作も大きな問題は無かった。但し、お前らも承知の通り、これは一番基本的なシナリオだ。実際にこうした事態が生じた時はこんな簡単にはいかんから、それは頭においておけ。いいな」

「はい」

「よし、今日はこれで終了だ。あとはチームで反省会でもやっておけ」

コワモテはそう言うと部屋から出て行った。まったく、いつもながら食えない教師だ。

「ごめんなさい」

サムが俺の脇に来て言う。

「いや、サムはよくやってくれたよ。これからは、各自、何かする際は周囲に声をかけてからやろうぜ。それぞれが何をしているのかチーム全員が共有出来ていることが重要だから」

「さすがケンジ、格好いい」

横から茶々を入れたのはケイだ。

「あんたね、ケンジなんかおだてても何も出ないわよ。だいたい、リーダーなんだから、メンバーがやりそうなことくらい予想して動きなさいよね」

ケイに突っ込みがてら、俺の方にお鉢を回すのは美月の得意技だ。

「出来ればそうしたいところだが、予想できない奴もいるからな」

おっと、この一言は余計だったかもしれないが、後の祭りである。

「それ、どういう意味よ」

「そういう意味だが・・・」

いかん、これじゃ売り言葉に買い言葉だ。だが、ちょっと俺も引っ込みが付かなくなりつつある。

「誰でも、人の動きを読み切るのは難しいと思いますよ。ケンジ君はそれでも、よく頑張っていると思います。私たちも出来るだけ協力してあげないといけませんよね」

助け船を出してくれたのはマリナだ。彼女は話がややこしくなりはじめると必ず、うまくまとめてくれる。

「まぁ、リーダーの足りない部分を補うのも仕事だし、協力してあげるわよ。感謝なさい」

ちょっと腹の立つ言い方だが、せっかくのマリナの助け船だ。ここは乗っておこう。

「はいはい。お願いしますよ」

美月はちょっと不満げな顔をしつつも、とりあえず沈黙。またしてもマリナに助けられた形だ。

「さて、今日の授業はこれで終わりだけど、みんな、これからどうするのかな」

ジョージが言う。

「うーん、これと言って予定もないのよね。そうだ、ケンジ、デートしよっか」

ケイはまたしても火を煽りたいらしい。

「あんたね。人の下僕にちょっかい出すんじゃないわよ」

と、美月が反応するわけだ。


なぜ美月が俺のことを下僕と呼ぶのかについてはちょっと説明が必要だろう。それは、俺たちがアカデミー附属高に入学する直前のことである。地球から入学式が開かれる宇宙都市、静止軌道第6ステーションに向かうシャトルにたまたま乗り合わせた俺と美月は、突然の太陽嵐によるシャトルの事故に遭遇した。磁気嵐の影響でシャトルのインターフェイス回線がオーバーロードした結果、パイロット2名を含む多くの乗客が意識を失ってしまった。非常事態に美月は俺を巻き込んで、地球に落下しつつあるシャトルを操縦し、なんとか軌道に戻すことに成功した。しかし、安心したのもつかの間、またしても襲った磁気嵐の影響で船のシステムがダウン。俺たちは漂流することになる。酸素やパワーも尽きかける中、俺も美月も死を覚悟する。そんな状況下で俺は、美月に言ってしまったのである。すっと一緒にいるよ、と。その直後、タイミングを計ったように現れた救援の恒星間貨物船ヘラクレス3に俺たちは助けられた。それで一件落着。黒歴史は忘れられるはずだった。しかし、美月は忘れなかった。忘れないどころか、あの言葉を一生下僕宣言だと思い込んでしまったようなのである。それ以来、何かあれば俺は美月の下僕扱いされている。

ちなみに、美月の両親は遺伝子工学者である。父親は教科書にも名前が出てくる有名な研究者、アンリ・ガブリエル。母親である星野美空も一線の研究者で、この二人の子である美月のフルネームは、星野美月・ガブリエルという。本人いわく、両親の実験材料にされたとかで、彼女は他人が持たない特殊なインターフェイスコンポーネントを多数持っている。この雑多なコンポーネントのおかげで、彼女は常に処理能力を超える情報の洪水にさらされているのだ。これは、インターフェイス経由の情報共有が人間同士のコミュニケーションにおいても多用される現代にあっては、深刻な欠陥となりうる。美月は情報共有モード下において、共有している全員とシステムに対して情報氾濫をもたらしてしまうのだ。このため彼女は幼少期から友人も少なく、孤独な生活を強いられてきた。それが原因で、彼女の性格はかなり破綻してしまっている。そんな彼女が、このチームにいるのは、なぜか俺が彼女の産み出す雑多な情報を、うまく整理できるからだ。そのことは例の事故の際にわかった。彼女との情報共有下で俺は人並み外れた能力を発揮できるのである。彼女もまた情報氾濫から解放されて、本来の能力を発揮できる。互いに望んだ事ではないが、それによってこのチームは何度もピンチを切り抜けてきたのだ。それが、俺が美月を腐れ縁と呼ぶ理由でもある。


「私も今日は生徒会がお休みなので、予定がないんです。よかったら皆さんで、いつものお店に行きませんか」

そう言ったのはマリナだ。マリナは俺たちの学年で主席入学。そしてそれ以来、常に成績トップの秀才である。しかし、その性格は優しくてちょっと天然。俺にとっては理想的な女性だ。例の事故の後の入学式で、ちょっとやらかしてしまった俺たちは、罰として居残り作業を命じられた。その時、生徒会の手伝いをしていた彼女に出会ったのである。これは運命だろう。

「いいんじゃないか。久しぶりだし、行って見ようよ」

ジョージが言う。

「私も予定がないので参加する」

そう言ったのはサムだ。

「私もいいわ。特にすることもないし。付き合ってあげるわよ」

「うーん、デートできないのは残念だけど、ケンジが行くのなら私も行くよ」

また美月がちょっと表情を変える。

「それじゃ行こう。そうしよう」

とりあえず、また波風が立つ前に、さっさと動いてしまった方が得策だ。

いつもの店とは、以前、たまたま入った小洒落たカフェである。雰囲気もなかなか良くて、それ以来、俺たちも頻繁に通っている。ちなみに、2年になった時、このチーム編成が密かに決まったのもこの店である。俺たちの担任教師フランク・リービスに、うまく丸め込まれた俺たちは、美月を加えてチームを作ることになったわけだ。


巨大宇宙都市L2ステーションは、直径7Km、長さが20Kmある円筒型の透明強化シールドの内側に三角柱が接したような形状をしている。三角柱の表面は宇宙都市の街区となっていて、円筒が24時間で一回転するのに合わせて、それぞれ8時間差の独立したタイムゾーンを構成している。地球標準時と同じゾーン1、8時間遅れのゾーン2、そして16時間遅れのゾーン3である。三角柱の中心には直径1.5Kmの空洞トンネルがあり、ここには宇宙港の施設がおかれている。初期の宇宙都市は遠心力によって重力効果を生み出していたため、街区は円筒の内側に配置されていた。しかし、人工重力制御装置が普及している現在では、ステーションの回転は昼夜を作るためだけに使われている。回転軸は太陽系の惑星軌道面に対して垂直であり、回転は地球の自転と同じ向きになっている。つまり回転軸方向を南北とすれば、太陽は東から昇り西に沈むことになる。強化シールドは太陽からの有害な放射線や紫外線をブロックすると同時に、空の青色や朝焼け、夕焼けの赤い色を人工的に作り出すことができる。そういう意味では、宇宙都市での生活は地球での生活とほとんど変わらない。違うのは天気が変化しないことと、夜空の星がまたたかないことくらいだ。近くに明るい惑星や衛星がないL2の夜空は見事なまでに美しい。あまりに星が多いので、星座もわからないくらいである。

俺たちのクラスはゾーン1にある。アカデミー自体はゾーン1から3のすべてに施設を持っていて、学生はクラス分けによって、それぞれのゾーンに割り振られている。生活時間が異なるので、ゾーン間の交流はあまり多くない。ちなみに、美月とサムは1年の時、ゾーン2にいた。途中でゾーンを移ることは希なのだが、二人とも特殊事情があって、ゾーン1に移ってきたのである。美月の場合の事情は先に述べたような話だ。

「ラッキー、結構空いてるね。あ、窓際がいいよね」

ケイは店に入るなり、さっさとテーブルを選んで一番窓際に座る。

「あんたね。勝手に仕切るんじゃないわよ」

例によって美月が文句をつけるのだが、ケイは知らん顔である。

「いいんじゃないですか。私も窓際がいいですし」

マリナは常にこの二人のクッション役だ。二人ともマリナには遠慮があるのか、彼女が間に入ると、たいていの対立は丸く収まるのである。


「さて、今日は何にしようかな」

ジョージがアウトバンドのメニューを見ながら言う。今ではレストランのメニューもアウトバンドで意識に直接投影される拡張現実だ。自分専用のメニューで、それぞれ好きな注文ができるのである。注文は、メニューにタッチすればいい。実態のないメニューにタッチするというのは不思議な話だが、実はちゃんと触った感触がある。これは店内のカメラが指の動きをモニターしていて、アウトバンドを通して動きにあった仮想的な感触をフィードバックしてくれるからだ。

「ジョージ、またあれ注文するの?」

ケイが言う。

「いや、今日はやめておくよ。最近、ここのシステムが改修されたみたいで、監視が厳しくなってる可能性が高いから」

「へぇ。誰かさんが、このまえ悪さしたからかな?」

「いや、噂だと、結構悪質なことをした奴がいたらしいんだ。他の客の注文を勝手に変更したりして、大騒ぎになったみたいだよ」

「あらら、お行儀の悪い奴がいたもんだ」

チーム結成直後にこの店に来た時、ジョージは店のシステムに直接アクセスして、メニューにない品物を調理ドロイドに作らせるという離れ業をやってのけた。もちろん、それに見合った支払いはしたし、自分の注文に関しての操作だから、誰にも迷惑はかかっていないのだが、彼が言うには、この店のシステムは穴だらけで、そうしたことが簡単にできてしまうらしい。そのジョージの注文を脇から盗み見ていたのがサムである。彼女は通信経路をねじ曲げて調理ドロイドへの指示をインターセプトし、ジョージのレシピを入手したのである。たしか、ガール・イン・ザ・ミドルとか言っていたが。まぁ、これも仲間内の話だから本人が納得していれば問題ないだろう。しかし、店や他の客に迷惑をかけたとすれば、単なるイタズラではすまない。

「やったのは学生という話ですけど、明らかにアカデミーの倫理規程に違反してますから、見つかったら処分は免れませんね。生徒会でも先日、会議の議題に上がってました」

「アカデミーの学生がそんなことするなんで、いい度胸よね。そいつ、まだ捕まってないの」

「まだ捕まってはいない。他にも類似の事件を起こしているみたいで、L2のセキュリティ部局と風紀委員会が追跡している。手口から見てC&I専攻の学生の可能性が高い」

「まさか、サム、やってないよね」

「私はそんなことはしない。それに、やるなら簡単に見つかるようなことはしない」

「おいおい、洒落にならんからやめとけ。ケイも失礼なこと言うなよ」

「ごめん、冗談だってば」

「愉快犯でしょうか。だとすれば、今後も同様のことを繰り返す可能性が高いですね」

「少なくとも何か目的があってやっているようには見えないわね。レストランの注文を混乱させて、人が困るのを見て喜んでるバカじゃないの?そのうち間違いなく尻尾を出すわよ」

「そうだね。早く捕まって欲しいものだよ。でないと、どうでもいいところまで、どんどんセキュリティが厳しくなるから」

「そうね。こういう事件があると、みんな過剰反応するし、チェックや手順が増えて、面倒くさいわ」

「まぁ、その話はおいといて、注文しようぜ」

さて、とりあえず何を頼んだものか。晩飯にはちょっと間があるし、飲み物だけにしておこうか。

「私、レディスセットにしようかな」

ケイが言う。

「あんた、こんな時間に食べたら太るわよ」

早速美月が突っ込む。

「あはは、残念ながらケイさんってば食べても太らない体質なのだ」

「勝手にしなさい。私はハーブティーにするわ」

「うーん、ケーキセットも魅力的だなぁ。今日はちょっと頭を使ったし、甘いものがほしい」

「ジョージ、お前もちょっと体型を気にした方がいいぞ」

「まぁ、そうなんだけどね。その分頑張って頭使って消費するから、よしとしよう」

ジョージは健康診断では体重オーバーを指摘されている。甘い物が大好物なので、ちょっと先行きが心配なのだが。

「私はシナモンティーにします」

マリナは、さすがにメディカルだけあって、セルフコントロールはしっかりしている。

「私もシナモンティーがいい」

サムも無難なところを選んで、とりあえず全員の注文が決まったところで、各自、アウトバンドのメニューから注文を出す。この注文は調理ドロイドによって処理され、ウエイトレスのアンドロイドがテーブルまで持ってくる。基本的に、この店のシステムは人が介在しない。支払いも、注文時に提示したIDによって自動的に処理されるのである。


「それにしても・・・」

注文が終わったところで美月が口を開く。

「あれは言いがかりよね」

「あ、それは私も思ったよ。そもそも間違ったことをしたわけじゃないし、結果もちゃんとしてるわけでしょ。文句言われるようなことじゃないよね」

珍しくケイも美月に相づちを打つ。

「だいたい、実際にあんな事が起きたら、確認なんてしてる余裕は無いっての。とにかく何とかしないと致命的なことになりかねないんだから」

なにやら美月はちょっとエキサイトしはじめた。まぁ、気持ちは分からんではないが、ここはちょっとリーダーとして一言言っておかねばなるまい。

「まぁ、そうは言っても、俺たちは基礎訓練の途中なんだし、基本に忠実にやるのは必要なんじゃないかな」

「ケンジ、だいたいあんたがそんなだから、あんな言われ方するんじゃないの。言いがかりは言いがかりとはっきり言うべきよ。あいつはいつもあの調子なんだから」

おいおい、俺のせいかよ。まぁ、話をこじらしたくないから穏当な対応をしていることは認めるが、それは何度も反論を試みて火に油を注いでしまった苦い経験からなのであって、美月もそれは知っているはずだ。

「皆さんの気持ちは私も分かりますよ。私も今日の評価にはちょっと不満が残ります。でも、訓練がうまく行っていると思うのなら、何を言われても胸を張っていればいいと思うんです。先生は教科書に書かれていることを確認しているにすぎません。それが分かっているのであれば、敢えて波風立てても時間の無駄なんじゃないでしょうか」

「まぁ、マリナの言うとおりなんだけどね。でも、やっぱり、ああいう言い方されるとムカつくよね」

「そうよ。あいつ、実習の最初から、て言うか、そもそも入学式の日から、あんな感じよね。言っても仕方がないとは思うけど、やっぱハラたつわ」

「気持ちは分かりますが、そこはちょっと抑えませんか」

マリナが間に入ってくれたので、どうにか落ち着きそうだ。美月はまだ不満そうにはしているが、この話は一件落着しそうである。

「ところでさぁ、船のシステムにマルウエアが入り込むなんてこと、実際にありうるのかな」

「うーん、まったく無いとは言えないけれど、可能性はかなり低いと思うよ。今じゃ、チェック体制もかなりしっかりしてるからね。今回のシナリオみたいな更新漏れなんて数百年前の話だし」

「それじゃ、どうしてあんな訓練をやるのかな。全然意味ないじゃん」

たしかに、ケイの言うとおり、あり得ないシナリオでの訓練なんて無駄な気もする。ジョージが言うとおり、マルウエアが入り込む余地はほとんどなさそうだ。

「何事も完璧はない。歴史は繰り返すから、過去の教訓を引き継いでいくことは重要。それに、宇宙船のような機微なシステムは高いスキルを持った攻撃者の標的となることもある。そうした悪意も前提に考えないといけない」

「なるほど。サムの言うとおりだね。それなりの権限を持った悪意ある人物がいれば、意図的にマルウエアをシステムに送り込むこともできるかもしれない。もちろん、様々な防御機構を無効化するだけのスキルが必要だけど、そもそも船のシステムを狙おうなんて連中は、そのくらいのスキルは持っていると考えるのが妥当かもしれないね」

「なんか、それって疑心暗鬼にならない?たとえば、うちの船だと、ジョージやサムがその気になれば出来るってことだよね。ちょっと殺伐とするなぁ」

「まぁ、突き詰めて考えると、そうなるよね。そこは信頼してもらうしかないと思うけど」

「信頼と盲信は違う。万一の事態に備えているからこそ、成り立つ信頼もある」

なにやら話がおかしな方向に行っているような気もするが、100%の安全、安心なんてありえないのだから、人命にかかわるシステムでは備えが必要だろう。ジョージやサムみたいにそうしたスキルがあるメンバーを僕らは仲間として信頼すべきだが、サムが言うとおり、それは備えあっての信頼であるべきだ。

「そう言う意味では、今の役割分担は相互にチェックが可能な形よね。コンピュータシステムに関してはエンジニアリングとC&Iは同等の権限を持っているし、船の運航に関してはナビとパイロットは相互にチェックが可能だわ」

「メディカルも、そういう意味ではコンピュータに依存しているので、すべてのアクションに対してチェックが入りますね。逆にコンピュータがおかしな動きをすれば、別系統のモニタリングシステムで異常を検知できますから」

「結局のところ基本に忠実に・・ってことなのよね。なんだか、どこかで誰かに言われたこと、そのままみたいな気がするのが癪に障るわ」

なんだかんだ言いながらも、コワモテの説教が正論なのは、皆よくわかっている。先ほどからの会話が愚痴でしかないこともだ。


「お待たせしました」

気がつくとウエイトレスが注文の品を持って脇に立っている。見た目は俺たちと歳もかわらない普通の女子に見えるが、「彼女」はアンドロイドである。AIは、かれこれ200年前には人間と遜色ないレベルに達していて、特にアンドロイドは見かけも、よほど良く見ないと生身の人間と見間違えるほどだ。もし「彼女」が自分は人間であると言い張れば、外からそれを否定することは難しいだろう。今から700年以上前に、アラン・チューリングという中世の科学者が提唱した古典的な「思考する機械」の判別法、いわゆるチューリングテストなど、「彼女」はやすやすとクリアしてしまうのである。しかし、「彼女」が俺たちと同じ意味での自我を持っているかどうかは知るすべがない。機械ならば調べようがありそうだが、現在、AIの主流となっている量子ニューラルネットワークは、観察によって状態が変化してしまうため、外部から解析することができないのである。これも700年以上前に当時の理論物理学者ハイゼンベルグが提唱した不確定性原理の影響である。つまりは究極のブラックボックスなのだ。しかし、それは人間自身についても言える。そもそも、我々人間の自我のしくみすら、まだ十分に解明されていないからだ。美月の親父さんの著書の表現を借りるなら、自我の問題は、いまだ解明されない「神の領域」なのである。遺伝子工学者は、とうの昔に人間の遺伝子をすべて解明しているはずなのだが、それによって産み出された神経回路の高次の働きとなると、まだまだ謎が多いのだそうだ。自我や人格にかかわるであろう遺伝子も特定されてはいるが、そこに手を加えた瞬間に、なぜかそれは機能しなくなるため、確認のための実験すらままならないという。もし「神」なる創造主が実在したのなら、彼らは人間が自分たちの最後の砦に手を出すことが出来ないような仕掛けを作り込んでいたのかもしれない。これも美月の親父さん、アンリ・ガブリエルの有名な著書「第二創世記の始まり」に書かれている。


「さて、頂くとしますか。美味しそう・・」

ケイはそう言うと、早速、セットのサンドイッチに手を伸ばす。もう一人、ケーキセットを注文したジョージも、まずはケーキからいくようだ。

「ん?何これ・・・」

サンドイッチにかぶりついたケイは、そう言うと、口から何かをつまみ出した。

「なんか入ってたよ。少なくとも食べ物じゃ無いよね、これ」

「おいおい、自動化されたこの店で、異物混入なんてあり得ないだろ」

「でも、実際入ってたんだよ、これが」

ケイが取り出したものを見ると、確かに樹脂片のように見える。少なくとも食べられそうなものではない。

「調理ドロイドが故障したんじゃないの?」

「ありえないよ、そんなこと。普通、調理ドロイドには独立した自己診断系があって、何か異常があると動作を停止するはずだし」

ジョージはそういながら、フォークでケーキを切って口に運ぶが、食べた瞬間にそれを吐きだしてしまった。

「うえぇ、辛い・・・。なんだこれ」

ジョージはそう言うと、コップの水を一気に飲み干す。

「ジョージ君、大丈夫ですか?」

マリナが心配そうに聞く。

「口の中が焼けるみたいだ。チリペッパーをかじった時みたいだよ」

「ジョージもか。こりゃ、みんな手をつけるのはやめといたほうがよさそうだな。入っていたのが毒とかじゃなければいいんだけど」

「ジョージ君、ちょっといいですか」

マリナはジョージの手を握る。これは、なかなか羨ましい状況だ。

「えっと、毒性の反応はなさそうですね。なんらかの辛み成分の影響じゃないでしょうか、毛細血管の拡張と発汗の促進がみられますから」

現在、すべての人には仮想メディカルインターフェイス(VMI)という遺伝子コンポーネントが組み込まれていて、医療関係者はそれにアクセスすることで、患者の様々なバイタルサインを確認出来るのだ。メディカル担当のマリナも当然ながら、そのスキルを持っている。設備がない場所でも対応出来るように、VMIへのアクセスは、通常、接触によって行われるのである。これは生体ダイレクトインターフェイス(BDI)と呼ばれている。


「とりあえず、全部、分析してみた方が良さそうですね」

マリナはそう言うと、バッグから小さな機械を取り出して、順番にテーブルの上の食べ物や飲み物にかざしていく。

「お、マイクロアナライザーか。メディカルの常備品だね」

「そうです。これで調べた限りでは、毒物は検知されていませんね。ただ、本来、こうしたものには入っていない成分が色々と検出されています。調味料などがランダムに入れられているみたいです」

「なんか変ね。ちょっと店に確認した方がいいんじゃない?」

「そうだな。ウエイトレスを呼ぼう」

俺がアウトバンドパネルの呼び出しボタンを押すと、ウエイトレスのアンドロイドがやってきた。

「ねぇ。これちょっとおかしいわ。店長を呼んでくれるかしら」

「承知しました。しばらくお待ちください」

そう言ってウエイトレスは奥に入っていったのだが、店長はいつまでたっても出てこない。全自動化された店だが、管理者である店長は人間だ。お客のクレームに対応するのも店長である。

「遅いな、何やってるんだ?」

「ちょっと変ね。店にアンドロイドがいなくなってる」

問題があるのはうちのテーブルだけではないようだ。周囲のテーブルでも客がざわつき始めている。

「店のネットワークに異常なトラフィックが発生している。データの流れもおかしい」

サムが言う。

「そうだね。データのルーティングが変だ。すべてのデータがひとつのコンピュータに集中してる。これじゃ、コンピュータが負荷に耐えられないよ」

ジョージも店のシステムにアクセスしたようだ。

「それって、もしかしてハッキング?」

ケイが言う。

「マン・インザ・ミドル」

と、サム。

「それって、前にサムがやったのと同じってこと?」

「方法は同じ。データはすべて暗号化されているけれど、方式が古いので解読は可能。何者かが、データ経路に割り込んで、中身を見たり改ざんしたりしている可能性が高い」

そういえば、最初にこの店に来た時に、サムが言っていた。ネットワークの経路を無理矢理ねじまげて、自分のコンピュータを通信経路に割り込ませ、通信を盗聴したり、改ざんしたりする行為をマン・インザ・ミドルつまり中間者による攻撃と呼ぶらしい。

「さっき話していたハッカーでしょうか」

「可能性はあるわね。どうする?」

「まず、セキュリティに通報して指示を仰ぎましょう」

「そうだね。ここで下手に干渉すると気づかれて逃げられる可能性が高いから」

「今、アカデミー回線経由でセキュリティに連絡した。状況の保全に努めてほしいとの指示があった」

「どうする?」

「コンピュータが侵入を受けているとしたら、状況保全のためには、ネットワークの接続を一旦切るのが一番だろうけど、それをネットワーク経由でやったら、間違いなく気づかれるな。物理的にやるしかないか」

ジョージはそう言うと、立ち上がって店の奥に向かって歩き出す。

「どうするつもりだ」

「コンピュータの所へ行って、直接、ネットワークの線を抜くのさ。古典的だけどね」

「気づかれないか?」

「ああ、でもちょっと考えがあるんだ」

ジョージが店の厨房に入ると、一人の男性がなにやら慌てた表情でコンピュータのパネルに向かっていた。

「もしかして店長さんですか?」

「そうです。ちょっと店のシステムがおかしくなって復旧できないんですよ」

「僕たちは附属高の学生なんですが、この店のシステムがハッキングされているようなので、様子を見に来たんです」

「ハッキング?まさか・・」

「間違いないと思います。セキュリティには連絡してあるので、すぐに誰か来ると思いますが、それまでの間状況を保全する必要があります」

「どうすれば?」

「ちょっといいですか?」

ジョージはコンピュータのコンソールの裏側に入ってパネルを開く。中には点滅するランプや通信用の光ファイバーケーブルなどが見て取れる。

「とりあえず、これをこうして・・・」

ジョージはケーブルの一本を掴むとそれを折り曲げた。

「ジョージ、何をしてるんだ?」

「この光ファイバーはね、強く曲げると信号が不安定になるんだ。完全に切れないけれど、間欠的に通信が失敗するから、コンピュータの反応が悪くなる。完全に切ってしまえばハッカーは気がつくだろうけど、こうやっておけば、自分が全通信をここに集めたことで負荷が上がっていると考えるだろうから、これでしばらくは時間稼ぎができる」

「なるほど。考えたものだな。でも、そうやって泳がせて大丈夫なのか?」

「とりあえず、何かおかしなことがあれば、すぐにケーブルを抜けるから大丈夫だよ。それに、ここのドロイドやシステムには物理的な安全機構が入っているから、少なくとも人に危険が及ぶような事態にはならないと思う」

「そうか、それならひと安心だな。ここはジョージに任せて、俺は皆の所に行ってくる」

「了解。もしできるならサムにちょっと情報を集めてもらってくれるかな」

「わかった」

俺はジョージを残してテーブルに戻った。

「ケンジ、どうだった?」

「ああ、ジョージが今対処している。とりあえず気づかれないようにハッカーの操作を妨害して時間稼ぎをするそうだ」

「さすが、ジョージ。ハッカーの上前をはねようってわけね」

「で、サムに、できたら少し情報を集めておいてほしいとジョージが言ってたが」

「先ほどからコンピュータへのアクセス経路は追跡している。発生している通信の様子から見て、コンピュータにはマルウエアが感染している可能性が高い。犯人はそれを外部から操作していると考えられる」

さすが、サムである。今回も先回りして行動を起こしていたようだ。

「遠隔操作型のマルウエアかぁ。典型的なハッキング手法だよね。サイバー防衛の講義で最初に出てくる奴だし」

「ふーん、あんた授業中居眠りしてたのかと思ったら、結構覚えてるじゃない」

また美月がケイに突っ込みを入れる。

「いやいや、たとえ寝てても、これくらいのことは分かりますって」

「美月、やめとけ。今はそんな突っ込み入れてる場合じゃ無いだろ」

美月はちょっと不満そうな顔をして俺の方を見るが、それ以上は何も言わなかった。

「でも、このお店のネットワークと外部の間にもファイアウォールがありますよね。それを越えてアクセスが出来るんでしょうか」

マリナが言う。

「一旦、マルウエアを送り込んでしまえば、マルウエア側が指令を受け取るために外部へ通信するようになる。ファイアウォールは外部からの通信は通さないけれど、内部を起点にする通信は通すように設定されている」

「でもさぁ、そうなると犯人はどうやってマルウエアをコンピュータに送り込んだのかな」

「それも授業で言ってたじゃない。たとえば、店への連絡メッセージにマルウエアを入れて送りつけるとか、店の中からアクセスして送り込むとか、色々なやり方があるわ。この店のシステムは穴だらけみたいだから、案外店の中からやったのかもしれないわね」

「その可能性は十分あると思う。感染しているコンピュータのソフトウエアもバージョンがだいぶ古い。利用できる脆弱性は複数存在する」

「要するに、この店のシステムはとことん穴だらけだったってことだな。やられるべくしてやられたわけだ」

「そうは言っても不正行為は不正行為ですよね。どれだけ穴だらけでも、それを悪用してしまえば犯罪ですし」

「不正アクセス罪だけじゃなくて業務妨害罪も入るわね。変な料理が人に危害を与える可能性を考えれば傷害未遂罪も成り立つかもしれないわ。ただ、この店の管理体制も問題にされそうだけど」

「で、追跡できそうか、サム」

「犯人は複数の踏み台を経由している。今のところ二つまで追跡できたけれど、その先は経路が複数に分かれていて追跡が難しくなっている」

「そうか。なかなか一筋縄ではいかない相手みたいだな」

踏み台、つまりは、あらかじめ侵入して制御を奪っておいた第三者のコンピュータを経由することで、アクセス元を隠蔽しようとするのは、ハッカーの常套手段である。これも教科書通りの手法だ。おまけに、途中で経路を分岐させているようだから、相手はかなり慎重そうだ。


そんな話をしている間に、セキュリティの制服を着た人たちが数人やってきた。宇宙都市のセキュリティ部局は、都市の保安、警備や犯罪捜査など多くの役割を担っているが、こうしたサイバー事案への対処もその仕事なのである。俺たちは、ここまでの状況を彼らに話すと後を引き継いで店を出た。

「なんか、ゆっくりするどころじゃなかったねぇ。もうこんな時間だし」

「そうですね。今日はこれで解散でしょうか。お茶会はまた改めてやりましょう」

「それじゃ、ここで解散かな。みんな気をつけて。また明日」

「はい、ケンジ君と美月さんもお気をつけて。また明日学校で」

「じゃねぇ。帰りがけにエッチぃことしちゃダメだよ」

「しないわよ。あんたこそ色ぼけて事故に遭わないでよね」


美月とケイの別れ際の挨拶はいつもこんな感じである。ちなみに、俺たち学生は全員寮暮らしだ。附属高の寮はこのゾーン1では、中央街区の南と北の居住区にひとつずつある。俺と美月は南学生寮、他の4人は北学生寮なので、解散後はそれぞれ別方向に帰るのである。中央街区から居住区までは、車を使って10分ほどである。車と言っても、現在の車は完全自動運転の交通システムである。街区の各所にある車寄せで待っている車に乗り込んで、行き先を告げるだけだ。車がいなくても、呼べば1分以内に配車されるのでほとんど待つことは無い。この時代、地球でも、他の宇宙都市でも車を所有するという概念はなくなっている。必要な時に、車を自由に使えるからだ。運転もする必要が無い。ただ、趣味やスポーツで車を運転するニーズはあるため、都市の郊外では、一部にマニュアル運転が許可されている区間もある。もちろん、マニュアルとはいえ、コンピュータの支援があるため、事故を起こすことは皆無である。

「なぁ、美月・ちょっと歩くか」

「いいけど、何か話でもあるわけ?」

車で10分の学生寮も歩けば小一時間かかる。まだ晩飯にはちょっと早いから歩くのも悪くない。それに、ちょっとこいつに聞いてみたいこともある。

「まぁ、そんなとこだ。ちょっと歩きながら話さないか」

「いいけど、変なことしないでよね」

「しねーよ」

美月はこんな感じで口が減らない奴だ。出会った時からこんな感じなのだが、どこか憎めない。もちろん、恋愛感情とかそういう次元の話ではない。嫌いではないが、そこまでの話である。少なくとも、今のところは。

「それで?話って何よ」

「ああ、さっき先生に俺が質問されてた時に、なんで、あんなことを言ったのかなと思ってな」

「な、なんでって、あいつがあんまりネチネチ文句言うから、ちょっとハラが立っただけよ」

美月はちょっと顔を赤らめて俺から目を逸らす。

「誤解しないでよね。別に、あんたを助けるとか、そんなことは、これっぽっちも思ってないんだから」

「わかってるよ。ただ、お前が自分からあんなこと言い出すなんて珍しいなと思っただけで」

美月は、ちょっと不満そうな顔をして俺を睨む。

「珍しい、ってどういう意味よ。何か問題でもあるわけ?」

「ないない。自分の問題を素直に認めることは悪いことじゃないしな」

「問題だなんて、これっぽっちも思ってないわ。ちょっとくらい無駄話したっていいじゃない。それより、あいつがいつも、ああいう言い方をするのに腹が立つのよ。直接本人にいわずに、全部ケンジをダシにして、ねちねちやるから、それが我慢ならないだけよ」

「そっか。まぁ、間接的に俺の心配もしてくれてるわけだ。ありがとな」

「ふん、勝手にそう思って感謝してなさい」

「はいはい。そういえば、歩くのは最初の実習の時以来かな」

「そんな昔の事なんて覚えてないわ」

そう。最初の宇宙艇操船実習の日、例の情報氾濫の影響でなかなか実習がうまくいかず、美月が落ち込んでいた時の事だ。あの時は美月の方から歩こうと言い出した。そんな自分がチームにいていいのか、皆に迷惑をかけるんじゃないかと悩んでの話である。俺が知っている限り唯一、いや二回目の素直な美月を見た瞬間だったのだが、こいつにとっては忘れてしまいたい黒歴史なのかもしれない。もちろん、あの事故の時のことも。


気がつけば、そろそろ西の空が赤みを帯びてきた。もちろん、これは人工的に作り出された夕焼けなのだが、これまた人工的に作られた涼しい風とあいまって、気持ちのいい夕方を演出している。中央街区から居住区を結ぶグリーンベルトは人影もまばらだ。ある意味、ロマンチックなシチュエーションなのだが、相手が美月では、ちょっとそんな雰囲気にはなりそうにない。

「私、うまくやれてるのかな・・・」

美月が小さい声でつぶやいた。

「・・・なんでもないわ。今のは忘れて」

「上出来なんじゃないか。たぶん、お前がいないチームなんて誰も想像できないと思うぞ」

「忘れてって言ってるでしょ、バカケンジ」

そう言うと美月は早足で少し歩いて、それからまたペースを落とす。俺が追いつくのを待っているかのようだが、たぶんそれは考え過ぎだろう。

「まぁ、心配事があったら、遠慮なく言ってくれ。メンバーの悩みを聞くのもリーダーの仕事だしな」

「悩みなんてあるわけ無いでしょ。ケンジのくせに生意気なこと言わないで」

久々に聞いたフレーズだ。いったい俺の名前は、こいつの辞書にはどんな意味で登録されているのだろう。少し前までは、このケンジのくせに、というのがこいつの口癖だったのだが。

「一応、感謝はしてるのよ・・・」

「え、今なんて言った?」

「うるさい、何も言ってないわ」

そう言うと美月は、いきなり走り出した。

「おい、待てよ」

その日は、それが美月にかけた最後の言葉になった。


明けて翌日、学校に行った俺たちは、担任のフランク・リービスに呼び出された。

「昨日は大変だったみたいだな。セキュリティから話は聞いたぞ。彼らも協力に感謝していたよ」

「そうですか。役に立てたのなら、なによりです。でも、あれをやったのがアカデミーの学生かもしれないというのは本当ですか?」

「いや、実はまだ確証はないんだ。だが手口から見て、相当の知識を持っていることは間違いない。アカデミーのC&Iかエンジニアリング専攻というのがプロファイルとしてはマッチするが、まだ外部者の可能性も排除できない。そもそも目的や動機もはっきりしないから、軽々しく判断はできないな」

「単なる愉快犯ということでは無いんでしょうか」

マリナが言う。

「そうも見えるが、何か別の動機がある可能性だってある。たとえば、アカデミーや社会へのなんらかの不満が動機になっている可能性だってある。一連の事件が同一犯の仕業だとすれば、ここまでのところ、人命や社会的な大混乱につながるような深刻な影響は発生していない。むしろ、そうした結果を生じない手段を、慎重に選んでいる感じさえする。そう言う意味では、単に感情的に動いているのではなく、緻密に計画を立てている雰囲気だな」

「本来の目的を慎重に隠して行動しているようにも見えますね。愉快犯に見せながら、本来の目的に向けて布石を打っているとか」

そう言ったのはジョージだ。

「まぁ、現時点でそこまで推論するのは、ちょっと考え過ぎだろうな。まだ判断できる材料が少なすぎる」

「いずれにせよ、これで終わりってわけでも無いだろうし、そのうち尻尾を出すんじゃないですかね」

「そう願いたいところだな。もちろん、深刻な事態に至らないことが前提だが。さて、時間をとらせてすまなかったな。また君たちには協力を頼むかもしれんが、そのときはよろしく頼む」

「わかりました。出来ることがあれば言ってください」

そして、俺たちは、教室に戻り、その日は授業やら実習に明け暮れた。そして、何事も無く数日が過ぎ去った。

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