第12話 反撃
それから俺たちの仮想空間は思った以上に静かだった。ジョージの仕掛けが功を奏したのか、敵の動きはすっかり止まったように見えた。
「静かね。不気味なくらいに」
美月がつぶやく。
「ああ、そうだな。まったくジョージ様々だ。こう何もすることが無いと退屈するな」
「気は抜かないで。なんだか嫌な予感がするわ。いくらなんでも、敵の動きが少なすぎる」
「それだけジョージの仕掛けが効いているって事だろう。まぁ、警戒は・・・・」
そう言いながら振り向いた俺の目の前で、マリナ、ケイ、サムの三人がいきなり倒れた。
「おい、どうしたんだ。ケイ、サム・・・。美月、三人が・・・」
「なによ。大きな声を出さないで」
美月はそう言うと振り向いて、すぐに事態を理解したようだ。
「どうしたの、いったい」
「そっちを頼む」
俺は、ケイに駆け寄る。揺さぶって見るが反応がない。
「バイタルは安定してるわね。でも、意識がない。何か強いショックを受けたみたいね」
「それって、まさか」
「DI経由の攻撃かもしれないわ。ユイ、返事して。これはどういうこと?」
一瞬間があって、ユイが答える。
「おっしゃる通り、DIユニット対してなんらかの攻撃があったようです。三人に加えて、ジョージさんも同じ状態です。四人のDIユニットを強制的にセーフモードにしました。当面の攻撃は回避できます」
「強化防壁は機能しなかったの?」
「現在解析中です。防壁への攻撃の履歴はありません。攻撃者は、なんらかの手段で防壁を迂回したようです」
「迂回・・・って、そんなことが可能なの?」
「解析結果が出るまでにはもう少しかかります。事態はアカデミーのメディカルセンターに通報済みです。こちらの三人はオフラインにして、メディカルチームに委ねましょう。ジョージさんのほうも、現在メディカルチームによって処置が行われています」
「そうしてくれ。たのむぞ」
俺がそういった直後、三人の姿が視界から消えた。
「大丈夫なのか?」
「スキャンした限りでは、脳神経が損傷した兆候はなかったわ。一時的な意識障害の可能性が高いわね」
「でも、どうして俺たちは攻撃されないんだ?」
「わからないわ。じわじわ締め上げるつもりかしら。とにかく、こっちは二人だけになってしまったみたいね」
「ああ、それに、ここにいたんじゃ、身動きが取れないな。ジョージが動けないとすると、ユイの強化は無理か」
「こうしている間にも、敵はサーバを復旧しようとしているはずよ。復旧されてしまえば、それこそお手上げだわ」
美月がそう言った直後だった。俺たちの視界、と言っても、これはDIを経由して投影されているシミュレーションの仮想現実なのだが、その映像が大きく乱れた。目が回る。
「どうしたんだ。システムとのリンクがおかしいぞ」
「DIユニットね。ちょっと待って」
美月はそう言うと手首のブレスレットに手を伸ばす。
「通信負荷が異常だわ。大量の通信が流れ込んでいるみたい」
「サービス妨害か?」
サービス妨害、それは古典的というか、最もエレガンスに欠けるサイバー攻撃である。とにかく力づくで相手をねじ伏せる高負荷攻撃だ。回線を飽和させるほどの通信を相手にぶつけ、機能不全に陥らせる手口である。
「仕方ないわ。一旦、接続を切るわよ」
「そうだな。DIユニットはしばらく使い物にならなさそうだ」
そんな会話の後、一瞬の間を置いて、俺たちは現実に戻っていた。
「アウトバンドは生きてるわよね」
「ああ、大丈夫みたいだな。ユイ、聞こえるか。何が起きたんだ?」
アカデミー施設の廊下や各部屋には、アウトバンドターミナルが設置されている。ここならば、DIが使えなくても、会話や簡単なデータ表示程度の通信は可能だ。ユイの応答には少し間があった。
「すみません。あちこちの回線が輻輳していて、迂回に時間がかかりました。ご推察のとおり、これはサービス妨害です。発信元はアカデミーのセンターコンピュータと、それに連動している複数のコンピュータです。おそらく、犯人はお二人のDIユニットへの攻撃ができなかったために、妨害手段にでたと思われます」
「どうして俺たち二人だけが攻撃を受けなかったんだ?」
「それは、お二人のDIユニットが特殊だからです。解析で判明したのですが、市販の標準品ユニットには、まだ公表されていない脆弱性が存在するようです。犯人はそれを攻撃して、ファイアウォールを回避したと考えられます」
「つまり、俺と美月が使っている、うちの親父が作ったユニットには、その方法が通用しなかったということか」
「そのとおりです。ですから、犯人は、お二人の動きを封じるためにDIユニットに対してサービス妨害をかけたのでしょう」
「でも、敵はセンターコンピュータと周辺の通信回線を乗っ取ってるのよね。それじゃ、このアウトバンドの回線だって攻撃対象になるんじゃないの?」
「この回線を含むキャンパス内の回線の一部は、現在分離された予備回線を使って運用されています。通常の方法での攻撃はできません。ただ、回線の容量は大きくないので、一般のトラフィックは大幅に制限されています」
「それじゃ、シミュレータの通信をこっちに迂回させるというのも無理ね」
「はい。アウトバンドで接続可能な一部のコンソールを除いて難しいです」
「とりあえず、仮想空間内での動きを一部でもモニターできるといいんだけどな」
「センサーコンソールなら、こちらに回せます」
「それでいいわ。少なくとも敵の動きはわかるから」
「サイバー攻撃への対応はどうする?」
「そちらのほうは私がモニターしていますが、今のところ動きはありません」
「敵はまだサーバを復旧出来ていないみたいね」
「だけど、それもいつまで持つか・・・」
「だったら先手を打つしかないわ」
「先手って、今の状態だと、こっちからもアクセスはできないんだぞ」
「物理的にやるのよ。サーバそのものを押さえてしまえばいいわ」
「でも、ゲーセンは敵に乗っ取られてるんだろ。そもそも入れるのか?」
「やってみないとわからないわ。でも、少なくともアカデミー施設に比べたら、セキュリティは甘いはずよ。時間が無いわ。行くわよ」
美月はそう言うと戸口に向かって走り出す。まったく、思い立ったらすぐ行動しないと気が済まない奴だ。だが・・・
「待て、美月。行くならDIユニットを外して行こう。これがあると敵に動きを知られる可能性があるぞ」
「そうね。ケンジにしては、いい判断だわ」
美月はそういいながら、手首のブレスレットを外す。
「こいつは動作させたまま、ここに置いていこう。敵は俺たちがここにいると思うはずだ」
俺は美月からブレスレットを受け取ると、自分のブレスレットと一緒にテーブルの上に置く。何の因果か、こいつとお揃いのユニットなのだが、おかげで俺たちは攻撃を受けずにすんだわけだ。
「急ぐわよ。時間が無い」
「わかった。ユイ、こっちの監視は頼む」
「了解しました。何か動きがあればお知らせします」
俺たちは、部屋を飛び出すとゲストハウスの玄関前にいる車に飛び乗った。
「三番街区のゲームセンターまで」
美月がそう言うと、車は機械的な返事を返して走り出した。
「今何時?」
「午後3時前だな」
「そろそろヘラクレス3がワープアウトする頃ね。ジョージはどうなったかしら」
「そうだな、ちょっとフランク先生に連絡してみるか」
「そうね。でも、気をつけて。こっちの居場所を特定される可能性があるわ。コミュニケーターをステルスモードにしておいて」
「わかってる」
俺はコミュニケーターを取り出すと、モードを切り替えてフランク先生を呼び出す。ステルスモードは、コミュニケーターのIDを暗号化した上で、位置情報を削除する。これによって、通信経路上で発信者を識別できなくするのである。登録されている特定の受信者には、あらかじめIDを復号するための暗号鍵が配布されているため、発信者情報の受渡ができる。
「中井か。そっちはどうなってる?」
「詳しいことは後でお話ししますが、今、星野と二人で例のゲーセンに向かってます。他のメンバーの様子はわかりますか?」
「全員、今はアカデミーのメディカルセンターで治療中だ。ショックで意識を失ってはいるが、脳神経への障害はないそうだ。ところで、ゲーセンへ行って何をするつもりだ?」
「そうですか。よかった。犯人からのサービス妨害でシステムへのアクセスができなくなってしまったので、ゲーセンへ行ってサーバを物理的に押さえてしまうつもりです」
「向こうは今、出入り口がすべてロックされた状態だぞ。何か策はあるのか?」
「それは行ってから考えます。それより、お願いがあります。デイブさんと連絡を取って、ジョージがやろうとしていたことを進めてもらえませんか。新型の演算ユニットをユイに接続する作業なんですが」
「例のバックドア攻略のためか?」
「そうです」
「わかった。私に出来るかどうかはわからんが、研究センターのスタッフにも手伝ってもらおう。そっちは任せておけ。お前たちは、あまり無理をするなよ。危険を感じたら、まず自分の身を守れ。いいな」
「わかりました。では、お願いします」
そんな会話をしている間に車は専用道路を降りて街区に入っている。
「どちらかでも間に合うといいんだけどな」
「人ごとみたいに言わないで。間に合わせるのよ」
「ああ、そうだな。問題は、どうやって中に入るかだけど、何か考えでもあるのか?」
「あったら苦労しないわ。どうせ警備システムも乗っ取られているんだろうから、簡単にはいかないわね」
「小説なら空調ダクトとか下水管とかなんだろうけどな」
「ダクトならともかく、下水管は遠慮したいわね。その時はケンジに任せるわ」
「おい!」
「ほら、到着よ」
車はゲームセンターが入った建物の前の車寄せに滑り込む。ゲームセンターの入り口前には、既にセキュリティの規制線が張られている。そもそも、これからして厄介だ。簡単には入れてもらえまい。
「正面からは無理だな。どうする?」
「この上って、ショッピングセンターよね。まずは建物の中に入るわよ」
美月はそう言うと、ゲームセンターの脇にあるエントランスに向かって走り出す。
「何か考えがあるのか?」
「こういうビルって、どんなテナントが入ってもいいように設計されてるのよ。だから、どこかに抜け道があるはずよ」
「そうかもしれないが、どうやってそれを捜すんだ」
「それを考えるのが、あんたの仕事じゃない」
「あのな・・・」
まったく、美月というのはこういう奴である。まぁ、いまさら文句を言っても仕方が無いから、とりあえず何か方法を考えるしかないのだが。
「ショッピングモールが営業してるってことは、ビル全体の管理システムは動いているってことだよな。それにアクセスできれば情報が得られるんじゃないか?問題は、どこからアクセスするかだが」
「それなら、ちょっと考えがあるわ。とりあえず、上にあがるわよ」
美月はそう言うと、昇降シャフトに飛び乗る。
「で、どうするんだ。DIユニットなしじゃ、ハッキングも難しいぞ」
「見ていればわかるわ。任せなさい」
美月は3階のファッションモールでシャフトを降り、脇にあるレディースコーナーに入っていく。俺にとっては、ちょっと目のやり場に困る店だ。
「おい、美月。こんなところで何をするつもりだ」
「いいから、私の買い物に付き合ってるフリをなさい」
美月はそう言うと、店の奥に入っていく。通路の両脇は下着コーナーである。いくらなんでも、こんな買い物に男を付き合わせる女がいるか。
「何見てんのよ。変態」
「見てねーよ。てか、男連れて入るところじゃないだろ」
「うるさいわね。誰が下着買うって言ったのよ。売り場はこの奥よ。おかしな妄想しないでよね」
「してねーよ」
たしかに、下着売り場の先には、女性用の衣服売り場があって、この季節向きのコーディネーションがディスプレイされている。今の時代、店頭に並んでいるのは、ホログラムのディスプレイだ。それぞれの商品は単に立体表示されるだけでなく、客がサイズや組み合わせを選択して見られるように、脇にアウトバンドのパネルが置かれている。もちろん、実物の試着もできるが、DIユニット経由で、仮想現実を使った試着も可能だ。それで、ある程度絞り込んでから、実物の着心地を試すというのが一般的なやりかたなのである。だが、今日は二人ともDIユニットを持っていない。まぁ、実際に買うわけではないだろうが、美月は何をするつもりなのだろうか。
「すみません。ちょっとフィッティングルームをお借りできますか?DIユニットが修理中で使えないので、ホログラムで見られる部屋がいいんですが」
美月が店員に声をかける。
「承知しました。では、こちらへどうぞ」
店員は、俺たちを店の奥の小部屋に案内する。
「では、ごゆっくり。気に入られたものがございましたら、実際の試着もできますのでお声がけくださいね」
「ありがとう」
店員は一礼すると部屋を出て行った。部屋の中には何もない。壁際に操作パネルがひとつあるだけだ。このパネルで試着したい品物を選ぶと、それと自分とが合成されたホログラム映像が部屋の中に投影され、色々な角度から見て確認することができるのである。
「これならいけそうね」
美月が操作パネルに触れながら言う。
「いけるって、何がだ」
「見てなさい」
美月はそう言うとパネルを操作する。
「これなんか、どうかしらね」
部屋の真ん中に、白いワンピースを着た美月が現れる。
「おい、そんなことをしてる場合じゃ・・・」
「まったく、冗談が通じないわね。一言くらい感想を述べなさいよ。ほら、これを見なさい」
美月はそう言うとパネルを指さす。
「ほら、ここをこうすると・・・」
美月がパネルの端の何も表示されていない部分を何カ所か触れると、画面が切り替わった。
「メンテナンスモードか」
「そうよ。これが隠しコマンド。そして、ここからネットワークにあるサーバにアクセスができるわ」
「でも、ビル管理システムとは繋がっていないんじゃないのか」
「この部屋は、ホログラムだけでなく、実際の試着にも使うのよ。だから試着する衣類に合わせて、照明や背景、それに気温も変えることができる。そのために、このシステムはビルの環境システムともインターフェイスしているわ。問題は、このシステムと管理サーバの間にあるファイアウォールを越えられるかどうかだけど・・」
ビルの管理システムのように、重要なシステムと他のシステムを接続する場合は、不正な操作が出来ないように通信を制限するのが一般的だ。ファイアウォールは不正な操作をブロックするための防壁である。
「普通は無理だな。何か穴でもあれば別だけど」
「そうね、コンソールに接続しようとしても拒否されるわ。ちょっと強行手段が必要ね。ケンジ、外へ出て店員が入ってこないように見張ってなさい。私はこれをなんとかするから」
「おい、何をするつもりだ」
「いいから外に出て」
美月はそう言いながら俺の背中を押す。いったい何を考えているのやら。しかし、こんな時の美月は、俺では考えつかないような事を、あっさりと思いついてしまう。ここは任せるしかなさそうだ。見張っていろと言うことは、何か物理的な方法かもしれない。だが、あまり長時間かかると怪しまれそうだ。
「お客様、どうかされましたか?」
ほら、早速店員がやってきた。
「あ、大丈夫です。俺がいるとなんか恥ずかしいらしくて」
「そうでしたか。カップルのお客様だと、よくあるんですよ。やっぱり、男性には自分が気に入った姿を見てもらいたいですからね。ごゆっくりどうぞ」
店員は、そう言うと離れていった。どうやら勘違いしてくれたようで助かった。これがデートか何かなら、美月のあんな姿やこんな姿を想像しながら楽しむ所だが、今はそれどころではない。一刻も早くゲームセンターに行かないとまずいのだ。
「おい、美月。まだか?」
耳をすますと、何やらゴソゴソ音がする。
「急がせないでよ。手元が狂うとまずいわ」
いったい何をやっているんだ。下手なことをすると気付かれる可能性がある。そうなれば元も子もない。
「いいわよ、ケンジ。入ってきて」
美月がそう言うので、中に入ると、美月は操作パネルの前に立っていた。物理的に何かをした形跡は見当たらない。
「で、うまく行ったのか?」
「当然よ。ほら、これを見て」
美月はコミュニケーターを取り出すと画面を開く。
「これは・・・」
「このビルの構造図よ。ビル管理システムから抜いたわ」
「抜いたって、いったいどうやって・・」
「話は後よ。先を急ぐわ。それから・・・」
美月はパネルを操作する。さっきの白いワンピース姿の美月がまた現れる。
「これ買っといて。よろしく」
「おい、なんで俺が・・・」
「だって、これだけ時間かけておいて、買わないなんて怪しまれるじゃない」
「だからなんで俺が」
「普通、カップルで買い物に来たら男が買うものじゃない。分かってないわね。そんなだから・・・。いいから買ってきなさい。品物は私の寮に送ってもらって」
理不尽だ。しかし、ここで議論している時間もない。俺はしぶしぶレジに行くと支払いを済ませる。結構な金額だ。美月にはたいしたことないだろうが、貧乏な俺には大きな出費である。
「ケンジ、急ぐわよ。この先にフロアを縦に貫くダクトがあるわ。それを使って下に降りるわよ」
「ダクトって、入り口はロックされてるだろう」
「心配はいらないわ。そんなことは想定済みよ。見てなさい」
美月はダクトの入り口にある小さな扉の前に来ると、脇にある操作パネルに何かのコードを打ち込んだ。次の瞬間、ダクトの扉が開く。
「お前、何をやったんだ」
「構造図と一緒にロックコードも入手したのよ」
美月はそう言いながら、ダクトに首を突っ込む。中は梯子になっていて、屋上から地下まで吹き抜けである。
「ほら、ケンジも来なさい。降りるわよ。入ったらドアを閉めておいて」
美月は、そう言うと梯子をどんどん下りていく。下を見ると真っ暗で、ちょっと背中が寒くなる。ここから先は魔界。そんな雰囲気である。
そして俺たちは、その魔界に下っていく。所々に小さな灯りがあって、それが帰って不気味な雰囲気をかもしだす。
「美月、2階でいいんじゃないのか?」
「馬鹿ね。直接フロアに入ったら、即バレるじゃない。この下にメンテナンス用の空間があるわ。そこから入るのよ」
悔しいが、そのあたりは抜け目がない。
「そもそも、どうやって管理システムにアクセスしたんだ」
「あの部屋の床下にはビルの配線溝が通ってるのよ。あの部屋みたいにネットワークへのアクセスを必要とする場合、そういう場所に作ると手間が省けるの。それに、こういう雑居ビルはどんなテナントが入るかわからないから、配線溝にはすべてのネットワークのケーブルが走っている上に、簡単に接続できるように、データコンセントも設置されているわ。当然、ビルの管理ネットワークもね。で、ネットワークをつなぎ替えれば・・」
「でも、普通、そんな物は一般のネットワークと一緒に通さないだろう」
「私たちの常識から言えばそうだけど、こういう施設を作る時はコスト優先なのよ。だから、表に見えていない部分のセキュリティは甘いことが多いわ」
まったく恐ろしい奴だ。ある意味、こいつが身内で助かったかもしれない。敵にはまわしたくない。
「ここよ。暗いから気をつけて」
美月はそう言うと、壁のドアを開ける。そこには、人の背丈ギリギリくらいの空間があって、様々な配線やパイプが、所狭しと通っている。
「足元と頭に気をつけなさい。ボーッとしてると怪我するわよ」
大きなお世話、と言いたいところだが、あちこちに出っ張りやら、溝があって、本当に気をつけないと頭をぶつけるか、足を取られて転ぶかしそうだ。
「で、次はどこへ?」
「データケーブルをたどって、それが集まっている場所へ行くのよ。そこがサーバルームよ」
データ伝送用の光ケーブルは、すぐに見分けがつく。それを追いかけていけば、目的の場所へ行けると言うことだ。
「あそこみたいね。データケーブルが集まってるわ」
「そうみたいだな。パワーケーブルも太いのが入ってるから間違いなさそうだ」
少し先の辺りで、ケーブルの束が床下に向かう縦穴に集まっている。サーバルームはこの下のようだ。
「問題は、どうやって下に降りるかだな。この縦穴はどうだ?下に降りれば点検口かなにかがあるんじゃないか?」
「点検口ならあるかもしれないけど、こっち側から開くとは限らないわ。サーバルームから見れば、こっちは外側だから、内側からしか開かないと考えるべきね」
「でも、それを言ったら、そもそも、ここからの侵入は無理なんじゃないのか?」
「そう言う事よ。サーバルームへの直接侵入はできないわ」
「それじゃ、どうして・・」
「理由は二つよ。そもそも、サーバルームの場所が分からなければ何もできないわ。少なくとも、これでこの下がサーバルームだってことはわかったわね。もう一つの理由は、あれよ」
美月が指さした先には、何かの端末らしきものがある。
「あれは?」
「このテナントのセキュリティシステムのコンソールよ。あれにアクセス出来れば、通路やサーバルーム内のセンサーを無効化できるわ。あとは、堂々と入るだけよ」
「でも、アクセスはできるのか。アクセスキーはテナントの管理者しか知らないだろう」
「そこも抜かりは無いわ。万一、ビル全体に何かが起きた場合に、ビルの管理者がセキュリティを解除できないとまずいじゃない。だから、マスターキーはビル管理システム側にあるのよ。それも入手済みよ」
まったく恐ろしい奴である。そこまで考えていたとは驚きだ。
「まぁ、見てなさい」
美月はそう言うと、コンソールの画面を開く。画面には、フロアのセンサーなどの配置図が表示されている。
「これと、それからこれを止めてしまえば、ダクト側から廊下に入っても警報は出ないわ。サーバルームのドアのセンサーも止めてしまうわよ」
「まてよ、美月。センサーをオフラインにしたら、その時点で気付かれるんじゃないのか?当然、犯人はそっちもモニターしてるだろう」
「確かにそうね。何か、うまくごまかす方法があればいいんだけど。ケンジ、あんた考えなさいよ」
おい、丸投げかよ。どうせなら、そこまで考えておいて欲しかったんだが。
「お前なぁ、ここに来て無茶振りかよ。そんな簡単に思いつけば、苦労は・・・」
待てよ。そう言えば何かの小説で、そんな話があったな。
「ちょっとシステムメニューを見せてくれ」
「どうするのよ」
「ほら、これだ。テストモード設定。これでセンサーをテストモードにすると、実際の信号じゃなくて、ダミーの信号を返すようになるはずだ。無条件に異状なしの信号を返すようにできれば、察知されずにセンサーを無効化できるんじゃないか?」
「映像センサーはどうするのよ。テストパターンじゃ、すぐにバレるわよ」
「このキャプチャモードってのを使えば、録画した画像を繰り返して流すことが出来ると思う。幸いにも今、このゲーセンの通路に人はいない。録画画像でも気付かれないんじゃないか?」
「ふん、ケンジのくせに、なかなか考えるじゃない」
「まぁ、ネタを明かせば、昔、ある小説で読んだ方法なんだけどな。ただ、これも気付かれないという保証はない。犯人が設定変更に気付かないことを祈るしかないわけだが」
「そうね。センサーからの情報だけを見ていてくれればいいけど、この画面を見られたらアウトね」
「少なくとも、今頃犯人は必死にサーバのコントロールを取り戻そうとしているはずだから、そこまで手が回らない可能性は高いんじゃないか?」
「希望的観測だけど、そこに賭けるしかなさそうね」
「決まりだな。それじゃ設定するぞ」
俺はセンサーをテストモードに設定する。
「よし、急ぐぞ。気付かれないうちにサーバを押さえよう」
「わかったわ。ダクトから一階の通路に出るわよ」
俺たちは最初に通ったダクトに戻り、梯子を下りて一階の通路に入る。
「その先を右に行ったところがサーバルームの入り口よ」
「よし、急ごう」
俺たちは廊下を走る。センサーは無効化されているので、発見されることはない。あとは犯人がそれに気付かないことを祈るのみだ。廊下の角を曲がると突き当たりに関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアが現れた。
「ここね。今ロックを解除するわ」
美月はそう言うと、脇のパネルを操作した。ドアが音も無く開く。室内には多数のサーバを格納したラックが並んでいる。
「あれが制御コンソールだな。あそこからログインして犯人のアカウントをロックアウトすればいい」
「慌てないで。アカデミー側とタイミングを合わせた方がいいわ。センターコンピュータを奪還出来ないと、犯人が何をするか分からないから」
「そうだな。ちょっと先生に連絡してみよう。美月はコンソールでスタンバイしていてくれ」
美月はちょっとふくれっ面をするとコンソールの方へ走って行く。俺はコミュニケーターを取り出して、フランク先生を呼び出す。
「先生、中井です。こちらは準備完了です。いつでもサーバを押さえられます。そちらのほうはどうですか?」
「こっちのほうも、ユニットの組み立てはほぼ完了して、今、デイブとエイブラムスがテストをしている。だが、実際にこれを使ってバックドアを開けるまでにはもう少し時間がかかりそうだ」
「そうですか。ジョージも無事なんですね。こちらが動くと犯人に気付かれる可能性があるので、タイミングを合わせた方がいいんじゃないかと思って連絡しました。ただ、ここにあまり長居すると気付かれてしまうかもしれません」
「そうだな。もう少しだけ時間をくれないか。できるだけ急いでみる。10分後にまた連絡するから、それまでは待機だ」
「了解しました」
さて、あとは犯人が例の仕掛けに気付かないでくれることを祈るだけだ。
「先生はなんて言ってるの」
「ああ、むこうは準備にもう少しかかるようだ。10分後に連絡が来ることになってるから、それまで待機だな」
「あんまりのんびりできないわよ」
「分かってる」
そう、分かってはいる。だが、ここで迂闊に動けば、これまでの努力が水の泡だ。こうなると、時間の経過がやたらと遅く感じてしまう。ほんの10分が、恐ろしく長い。こうしている間にも、犯人は俺たちの仕掛けに気付いてしまうかもしれない。サーバにジョージが仕掛けた妨害プログラムを無効化してしまう可能性もある。あとは、先生やジョージたちが上手くやってくれることを・・・
「ケンジ!」
美月がいきなり大声を上げた。
「どうした」
「これを見て。サーバが再起動を始めたわ。どういうことなの?」
「再起動?まずいぞ、もしかしたらジョージの仕掛けが解除されたのかもしれない」
サーバコンソールには、再起動中の文字が点滅している。もし、仕掛けが解除されたのだとすれば、時間の猶予はない。
「起動が完了したわ」
美月がそう言った瞬間、ドアのほうからカチッと音がした。どうやらドアがロックされてしまったようだ。
「閉じ込められたの?」
「そうみたいだな」
もしかして、これは絶体絶命という奴なのか。何か打つ手は・・・
「気付かれたのかしらね」
「いや、必ずしもそうとは限らない。ここのセンサーにはまだ妨害が効いているはずだ。サーバが復旧したから、物理的な守りを固めたのかもしれない」
「だとしても時間の問題ね。今頃システムの状態を全部確認しているはずよ。監視システムへの妨害だって気付かれる可能性が高いわ。そうなったら私たちがここに居ることが知られてしまう」
「そうなれば、プレイヤーたちが危ないな。何か手は無いのか」
「難しいわね。私たちが使うつもりだった、ジョージのアカウントも既に無効化されている可能性が高いわ」
「手詰まりか」
あと少しの所まできていたのに、タッチの差で負けた気分だ。おまけに俺たちも閉じ込められてしまった。どうすればいい・・・
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