episode4【新たな炎が宿る瞳】
朔乃が居た場所はもう、何も残っていなかった。本当に、ここから居なくなったのか。そうだとすれば、彼女はどこへ行ったのか。
僕と夜宵の頭の中は大混乱だった。心に余裕が無いので、声を出す事も、体を動かして朔乃を探す事も出来ない。ただただ、僕達はそこに立っていた。
突然、夜宵の家のインターフォンが鳴った。僕達の今の感情を無視して、インターフォンは軽快なメロディを奏でた。一瞬だけ脳裏に朔乃かという考えが浮かんだが、ここは夜宵と朔乃の家だ。朔乃はわざわざ、自分の家のインターフォンを鳴らして、入ってくるだろうか。鳴らして入ってきたら、それは不可解だ。
体をびくりと震わせた夜宵は、重い足取りで玄関へ向かって行った。こんな時に誰だろう、と彼女も思っているだろう。僕も玄関の先に目を凝らしながら、そこに立つ人物を確認する。
「……はい」
喉の奥から絞り出した夜宵の声は、感情を露わにしていた。まるで、心の中身が空っぽになってしまったかのような、そんな声。
夜宵がか細い声と共に開けた玄関の先には、誰かも分からない男性が立っていた。僕は見た事が無い。しかし、夜宵はそのまま体を硬直させた。
彼女は眼前に立つ男性と、会った事があるのだろうか。僕の中に、少しずつ不安が募っていく。その間も時刻はどんどん過ぎてゆく。もう午後七時を回っていた。
「よう、夜宵。元気にしてたか?」
僕達の心情も考えず、男性は明るい声と言葉を発した。しかし、彼の言葉で発覚した事がある。夜宵は一度でも眼前の男性に会った事がある。そんな雰囲気で男性は話している。
この場を遮りたいところだが、僕が入っても訳が分からなくなるだけだろう。仕方なく我慢をしていると、男性の視線がこちらを向いた。
インターフォンを聞いた時より、びくりと体を震わせて、僕は顔を伏せた。なぜだか、視線を合わせてしまったら、僕が敗北者になるような気がした。僕の目は自分勝手に動き、何もかもを捉える事が不可能になっていた。自分で制御が利かない。脳内からは、朔乃の行方の心配も、男性から向けられる視線も無くなっていた。ただ、自分の視線を抑える事に一生懸命になっていた。
ふいに低く重い響きを持った声が、僕の事であろう名を呼んだ。
「なぁ、君……。夜宵の、彼氏だったりするの?」
その声には驚くほか、無かった。俯いたまま、僕は目を大きく見開いた。
玄関に立つ男性は、着物を着ている為とても威厳があるように感じられる。それ故に、きっと僕は視線を合わせる事が出来ないのだろう。淡い緑色で、夜宵の父親のようにも見える。しかし、夜宵が名前を呼ばない為、どのような立場なのか分からない。
もう僕の頭の中は、焦りと緊張でいっぱいになっており、男性の質問に答える事が出来ない。これでは、もっと誤解を招いてしまう。せめて、夜宵が断ってくれれば……。
「兄様、彼はただの友達です。付き合っているなど言語道断です。誤解はなさらないでください」
急に夜宵の口調が変わった事に驚き、僕は咄嗟に顔を上げてしまった。まだ男性の視線は、僕を見ている。再び、恐怖心が僕の全てを占める。異世界に行ったときよりも、恐怖感が大きいのは気のせいだろうか。恐怖のあまり、脚が震えている。
夜宵が〝兄様〟と呼んだ男性は、手を腰に当てて首を少しだけ傾げた。それと同時に、僕の恐怖感は倍増した。
完全に疑っている。妹――なのかはまだ分からないが――の言葉を信じないのは、相当の誇りが心にあるからだろう。それでも、男性の視線は怖かった。夜宵の言葉を信じてくれるのはありがたいが、そのままになっている視線が僕の心を震わせている。ついでに、脚まで震えてしまっている。
数分間、男性からの視線を受けていると、ふと夜宵がこちらを振り返った。その表情は、申し訳なさそうで、僕も心臓を貫かれる気持ちになった。無意識に下がってしまう頭をどうにか制御していると、夜宵の後ろで微笑んでいる男性が見えた。僕を睨むような視線は、一切無くなっていた。
兄弟である夜宵には厳しい顔をするが、他人には優しい顔をするのだろうか。僕は男性を不思議な人だなぁ、と感じ取って見ていた。
そして、やはり、夜宵がもう一度男性の方に向き直ると、再び厳しい顔になった。何となく僕は笑えてしまって、声を出さないように努めた。が、口を押さえても漏れてしまった声は夜宵に届いて、その表情を見られてしまった。夜宵は困惑した表情をしていたが、その顔に釣られて僕は口から手を離した。すると、男性が大声を上げて笑った。
「いやぁ、君は面白いなぁ! 俺のノリに乗ってくれるなんて、優しい人だ、うんうん」
一人で感嘆の声を上げている男性に目を移すと、そこにはもう厳しい顔は無くなっていた。彼の表情を見た夜宵は、目を丸くして口を開けっぱなしにしている。今までに、こんな経験をした事が無いのだろうか。
そして、その雰囲気は夜宵を騙したかのような空気になった。それ故に、夜宵は機嫌を損ねてしまった。
「……酷いです、兄様。私を騙すなんて」
普段より低くなった声も綺麗だ、と心底で思っていると、キッと夜宵の視線が僕の姿を捉えた。その途端、僕の心に男性に睨まれていた時のような、そんな恐怖感が湧いた。咄嗟に心の中で防御体制をとる。しかし、そんな物で夜宵の怒りを遮る事は出来ず、
「燈嘉もだよ! 妹を失った人に対して、それは無いんじゃないの!?」
泣きそうになっている表情を見ると、急に罪悪感が現れる。こんな美しい人物を泣かせるなど、人間として恥じるべき行動である。尤も、女性を泣かせる事は男として恥ずかしい事だが。
夜宵が言葉を発した途端、男性の表情が一変した。妹を失った、という事実は男性にも繋がるのだ。何せ、男性は夜宵の兄であり、朔乃の兄であるのだから。
「朔乃を失った、って……、どういう意味だ。まさか、行方不明なんじゃ……。どうなんだよ、答えろ夜宵!」
「お兄さん、落ち着いてください!」
僕が宥めようとしても、彼は止まらない。きっと夜宵が宥めても、止まらないだろう。そこまでの予測が付いた時点で、僕は男性と夜宵の間に入り、本格的に宥め始める。先程のような視線を感じながら、僕はじっと彼を見詰めた。すると、諦めたのか声を上げるのを止めた。これなら大丈夫と判断したので、僕は一歩離れる。
「はぁ……。ごめんな、つい頭に血が昇って、ね。――そうだ、まだ名前を言ってなかったね。俺は夜宵の兄で、
「あ、はい。僕は樫宮燈嘉、です。夜宵さんには、いつもお世話になっています」
無理矢理の敬語で、疲れてしまった僕は、肩に入っていた力を緩めた。
涼馬、という男性は夜宵の兄弟という事もあって、地位が確立されているように見える。外見だけの判断だが、流石という雰囲気を持っている。それは夜宵や朔乃も同じだが。
こんな事をしている間にも、時間が過ぎ、朔乃の行方は分からなくなっていく。
「朔乃の居場所は俺が探すから、燈嘉君はもう戻りな。夜宵の面倒も、俺が見るからさ」
その言葉はまるで、自分の親に言われているかのようだった。そして、それに従うほか無かった。断る理由が無かったのだ。
黙り続けていた夜宵も、今はもう顔を上げて表情を改めていた。真剣で、朔乃を一心に思っている物。そこには、不安があるものの、決意が満ち溢れていた。しかし、その決意を口にする事は無かった。僕はそんな彼女を見詰めながらも、苦渋の決断をした。
「分かりました。じゃあ、僕はこれで――」
僕が語尾を濁して言葉を切ろうとすると、先に誰かの言葉が遮った。一瞬だけ、声の主が僕の頭の中に入り込んだのでは、と錯覚する程、突然だった。
「燈嘉、……ありがと」
小さいながらも確かな声で、夜宵は言った。何に感謝をされているのか、自分では分からなかった。しかし、とりあえず微笑んで頷いておいた。そうしなければ、今どこかで見ているであろう朔乃に、叱られるような気がした。
夜宵の緊張と不安が少しでも和らぐように、と心の中で願いながら、僕はその家を後にした。
★☆★☆★
自室へと戻ると、真っ暗で大きな口が僕を迎えた。それは、僕が独りぼっちだという事を証明するかのように、寂しかった。
悲壮を感じながら、部屋の電気を点けると、より一層心が締め付けられるような気持ちになった。なぜだろう、と思いながら胸を摩る。外傷がある訳でも無いのに、痛む。感情が痛みを生んでいるのだろうか、とも考えたが痛みを生むような感情は、今の僕の中には無い。あったら、何が原因になっていただろう。
様々な事を考えながら、僕はいつも通りの生活をする。
洗濯機を回しながら夕食を作り、風呂に入る。そして、ただ単に寝る。それだけの事を毎日繰り返して来た。しかし、今日限りは、それが出来なくなっていた。
「あれっ……。何だよ、これ」
風呂から上がりテレビでも見ようと思ったその時、自分でもよく分からない現象が起きた。視界がぼんやりとして、先の景色が見えない。輪郭が歪み、立つ事すら精一杯になっている。
視界が開けたように、明るくなるとズボンの一部が、濃く滲んでいる事に気が付いた。これは何だろう。じっと見詰めていると、再び視界が歪んで、また開けた。
目から落ちる水。あぁ、これは涙なのか。そう気付いた時にはもう、ぼたぼたと落ち始めた時だった。理由など考えずに、ただ涙を流してみた。そうすれば、いつかは涸れる。そんな確信が僕の中に、密かにあったから。
しかし、僕の確信を裏切って、涙は何分経っても止まらなかった。
「なんでだよ……。なんで、止まらないんだよ……」
近くにあったティッシュを使って、何度も何度も拭う。それとは裏腹に、涙は溢れる一方。矛盾した行動が続き、僕はついにベッドへと顔を押し込んだ。
感情は、めちゃくちゃになっていた。色々な事が起きすぎて、何をどう整理すればいいのか分からないのだ。声を上げそうになるのを、必死に堪えた。溢れる涙を落とすまいと、拭い続けた。それでも、涙が出る原因は分からないままだった。
そこでふと、夜宵の顔が脳裏に蘇った。不安でも、言葉にはしない彼女。強がりでも、優しいところがある彼女。全てを僕は受け止め、愛しているつもりだ。脳内にある夜宵の笑顔を抱き寄せるように、現実で体を丸めた。そして、決定的な思考へと辿り着く。
「夜宵? この涙は、夜宵へ宛てた物?」
鼻を啜りながら自問をしてみるが、しんと静まった部屋が返答を拒む。ぼそりと発せられた言葉は、独りという事実を強調するだけだった。それでも、僕は考えるのを諦めなかった。
ゆっくりと、脳内を整頓しながら考える。
夜宵が泣けないから、今の僕が泣いたのか。それとも、彼女の感情を察して泣いたのか。はたまた、朔乃の行方が心配になって泣いたのか。疑問を積み上げる程、全てが正解のように思えてしまう。
しかし、本当の正解とは何なのか、分からなかった。というより、今の僕では出す事が出来なかった。自分の涙が何を表しているのかさえ分からないなど、人間失格だと思った。そして、今度は悲しみではない、怒りと悔しさが入り混じった涙を流す。伴って、声が上がる。
「うっ……」
嗚咽のようにも聞こえるその声は、ただ単に自分を苦しめるだけとなった。泣けば泣く程、怒りと悔しさは書類のように積み重なり、ついにそれが崩れた。
「うわわわぁぁっん!」
僕は子供のように泣きじゃくった。親を亡くし、友を失くした子供のように。僕という人間には何も残っていないんだと、言い聞かせるような大声で。
きっと僕が叫んで出した声は、夜宵と涼馬にも聞こえているだろう。もしかしたら、ここへ来てしまうかもしれない。そう思ったが、泣く事を止められなかった。可能性をも捨てて、僕は泣き続けた。理由も分からず、ただ――。
気が付いた頃にはもう、僕は眠っていた。泣いたせいで、疲れてしまったのだろう。
電気を点けたままの部屋で目を覚ますと、顔にはまだ乾き切っていない涙が残っていた。しかし、そんな事はお構い無しに、僕は布団から体を出した。ほんの少しだけ冷えるように感じられたが、涙同様、構わなかった。
時刻は、僕が自室へと戻って来た時から、二時間が経過していた。あまりの速さに、腰を抜かしそうになりながらも部屋の中を見回した。あれから何も変わっていない。しかし、一つだけ、違う物があった。それは携帯電話だ。何やらチカチカとランプを光らせている。あれはメールだ。急ぎだと困るので、僕は慌てて携帯電話の画面をタッチした。
画面に現れたのは、『メールが届いています』という文字と、その項目。そして、迷わずタッチ。すると、一番上に『夜宵』と書かれた項目があった。それも迷わずタッチ。
一度に同じような動作をしたので、僕は何をしているのだろう、と思ってしまった。しかし、思い直してメールへと意識を集中させる。
『叫び声みたいのが聞こえたけど、大丈夫? もし寂しかったら、こっちに来ていいからね』
優しい言葉とは裏腹に、危ない単語が入っていた。『寂しい』、『来ていい』。これは、年頃の男女ではいけない行動ではないのか。そこまで考えて、ふと思い出す。夜宵には、涼馬という兄が付いている。危ない行動は、しようとしても出来ないだろう。まず、僕はそんな事をする気は全く無いのだが。
夜宵からのメールに返信をしようとすると、新しいメールが届いたと着信音が鳴った。びくりとして画面を凝視する。そこには、信じようとしても信じる事が出来ない文字が、並んでいた。
――『朔乃』。
間違いではないのか、とまず自分を疑った。しかし、開けて見ない事にはそれが分からない。心臓の鼓動が速まるのを感じながら、恐る恐る項目へと指を伸ばす。その指は痙攣をし始めていて、目に見えて緊張している事が分かった。
異世界で出会った偽者の夜宵のように、本当ではない偽者の朔乃が送っているのでは、と思った。しかし、そんな思いは一瞬の出来事で消え去る事になった。
『燈嘉さん、姉様の状態はどうですか? やはり、私が居なくなって慌てているのでしょうか。そんな事はどうでもいいとして……。――今から異世界に来ませんか?』
一通り読んで、湧き上がって来た感情を確かめる。しかし、僕には分からなかった。どんな感情を持っているのか、どんな気持ちでメールを読んだのか、どんな顔をしているのか。確かめる術すべがあっても、それを実行する気にはならず、そのまま放置する事にした。
「朔乃……。これは、本物の朔乃だ」
一人で呟いて、僕は風呂場に脱ぎ捨ててあった上着を、手に取った。持ち上げると、ジャラという音が鳴った。ポケットに家の鍵を入れたままにしていたのだ。その音に驚きながら、僕は玄関へ向かい靴を履こうとする。と、そこで単純な事に気が付いた。
部屋の電気だ。
「部屋を出るなら消した方がいいよな」
独り言が目立つようになってきた事にイライラしながら、急いで靴を履いた。そして、玄関を開ける。
玄関の外は、相変わらず真っ暗だった。外灯が目に入って反射的に、目を細めた。そこには誰も居ないと思っていた。しかし、僕の耳に、本当だったら聞こえない筈の声が聞こえた。
「やっぱり出て来た。ほんと、燈嘉って分かりやすいなぁ」
それは僕が愛する声だった。――夜宵。
制服ではないものの、可憐さは今も健在していた。その姿に心臓を跳ねさせながらも、僕は彼女に声を掛けた。夜宵の背後には、涼馬が居た。
「なん、で、二人が? まさか、朔乃から……!」
僕が最後の言葉を発すると、二人が同時にこちらを向いた。しかし、その表情を見ると、僕が何を言っているのか分からないという様子だった。これなら、朔乃からメールが来ていないと分かる。
微かに夜宵が首を傾げてから、口を開く。しかし、それを背後に立っていた涼馬が声で遮る。
「もう時間が遅いから部屋に入った方がいい。夜宵も早く入れ」
流石、年長者と言うべき言動で話の行く先を消した。それでも夜宵の疑問は消えなかったらしく、あれ程逆らわなかった彼女が涼馬に反抗的な態度をとった。その言葉は、涼馬の心に刺さったようだった。
「兄様は、私を止め過ぎです! 私はもう二十歳なんです。子供扱い、しないでください」
そう言って、夜宵は僕の腕にしがみ付いた。その光景を見て、涼馬の口はあんぐりと開いたままになった。きっと、僕が夜宵の彼氏だと確信してしまったのだろう。しかし、それはただの妄想であって、事実ではない。
「そう、か。分かった。俺は夜宵の部屋に泊まるから、お前は燈嘉君と寝るがいい。構わないかな、燈嘉君?」
突然、僕に話が戻って来て、返事が遅れてしまった。戸惑いながら僕は『はい』とだけ答えた。そこで、しまったと自分の言動に気付いた。
夜宵が来るなど予想すらしていなかったので、部屋の中を散らかしたままにしてある。とてもではないが、人に上がってもらえる場所ではない。自分の言動を振り返りながら、僕は慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってて。あ、そうだ! 荷造りして来ていいからさ、ねっ?」
早口で部屋に戻る素振りをすると、夜宵が視界の下から何かを持ち上げた。そして、それを見ると心臓が飛び出しそうになった。
「もう、荷物はここにある」
泊まる気、満々じゃないかっ!
パンクして開いた穴を塞ぐように、僕は頭を抱えた。今までの緊張感が、一気に無くなった。夜宵が荷物を持って来ているのであれば、寒い外に置いて行かなければならない。僕が見る事が出来ない笑みで、夜宵はそこに立っている。そんな人を、ここに置くなど出来ない。苦渋の決断をして、僕は物事を諦めたように呟く時の声量で夜宵に伝えた。
「とりあえず部屋に入ってもらうけど……。少しだけ僕が呼ぶまで、玄関で待ってて」
早口で言うと、急いで部屋に入ろうとした。夜宵が来る前に、部屋を綺麗に片付けなければ。それが今の僕に与えられたミッションだと思われた。
しかし、そこまで急ぐ事は無いと、僕を落ち着かせるように夜宵が静かな声を発した。
「あ、忘れ物しちゃったかも。一回部屋に戻るね」
軽く手を振りながら夜宵は、部屋に入って行った。
よし、今のうちだっ!
そう思った僕は、再び急いで部屋に向かう。しかし、今度は涼馬に名前を呼ばれて、足止めをされた。
頭の中はもう焦りと怒りでいっぱいだったが、相手をしない訳にはいかなかった。
「燈嘉君。迷惑じゃないか?」
少し改まった声で、涼馬は言った。その言葉に僕は驚きを隠せなかった。そして、頭の中にあった焦りは、吹き飛んでしまった。それ程の力が今の言葉にはあったのだ。
しんと静まり返った中で、涼馬は僕に向き直った。彼の姿は、暗闇に包まれているが、威厳という物を放ち続けている。未だに涼馬の心境は分からないままだが、妹想いなのはよく伝わってくる。
「な、何が迷惑なんですか?」
僕は彼の言葉に驚き、戸惑いながら返答した。固まった笑顔が、僕の顔を占領しているのが、自分でも分かった。無理矢理作っている笑顔だと、涼馬は思い込んでしまうだろうか。返事をした後、それだけが気掛かりだった。
僕の言葉に、涼馬はすぐに答えなかった。ただ、目をうっすらと開けて小さく頷いている。そして、腕を組む。それらが何を表しているのか、僕には分からなかった。
僕の思考は、部屋から出て来る夜宵の姿を見た途端、無くなってしまった。
「あれ、何か話してた? ごめんなさい、兄様」
部屋から出て来た夜宵は、ほんの少しだけ落ち込みながらそう言った。そんな夜宵の頭を撫でながら、涼馬は微笑んだ。その表情は、最期の再会を表しているように見えた。
ふと、心に寂しさを感じた。大きな糧を背負って、涼馬は生きているんだと思ってしまったから。そして、それは夜宵や朔乃も同じではないのか、と推測した。
話の段落が付いたところで、再び僕は部屋に戻る仕草をした。それに伴い、夜宵がこちらを向く。きっとその後は、僕に付いて来るのだろう。何となくそこまで想像して、ドアノブに手を掛けた。
何も考えていなかったせいなのか、小さな静電気が僕の手に走った。咄嗟にドアノブから手を離す。その現象を、夜宵がじっと見ていたので、僕は少し恥ずかしくなった。
軽く微笑み合ってから、改めて玄関を開ける。しかし、僕の目に映ったのは、自室ではなかった。
「異世界へようこそ。燈嘉さん、姉様」
そう言ったのは、行方の知らない筈の朔乃だった。
彼女は、両手を広げ、僕達を異世界へ招き入れた。
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