Chapter 02:知らない街、あるいは昔の東京



「……疲れた、本当に疲れた」


「テメェはエアコンが効いたネカフェで情報収集したんだろうが。何でそんなに付かれてるんだ。こちとら扇風機しか入ってない図書館で延々と資料とにらめっこたったんだぞ?」



 駅前の喫茶店で美男子ランマ女装少年マリカは二人でぐったりとアイスコーヒーを飲んでいた。時刻は午前14時過ぎ、昼の喧騒がようやく過ぎ去って落ち着いた空気が流れる店内で。二人だけが精気なく死にかけた目をしていた。



「けどだって、酷かったんですって。値段も高いしPCがブラウン管だったんですよ? そして回線速度もビックリするくらい遅くて…… 動画以前に画像がパッと表示されないってちょっと意味が分からないというか」


「ブラウン管…… ってなんだよそれ?」


「ふた昔くらい前に主流だったモニターです」



 そんな事も知らないのかと、鞠華はジト目で嵐馬を睨む。しかしこの場合は嵐馬の無知よりも鞠華の知識が褒められるべきだろう。


 少なくとも彼らの生きる2030年どころか、その10年前である2020年の時点でブラウン管という存在は一般ではお目にかかれない、レトロな存在になってしまっているのだから。



「チャオー、二人ともどうしたのー? なんか辛気臭い顔しちゃって?」


「百音さん、遅かったですねぇ」



 カランカランとカウベルを鳴らし、柔らかな笑みを浮べた百音が二人の座った席にやって来る。その途中で声をかけられたウェイターが顔を赤くするが、もしも彼の正体を知ったらどう反応するのだろう。そんな下らない事を鞠華は考える。



「そうねぇ、ちょっと危ない場所まで顔を出したから。まぁその甲斐もなく、あんまり情報は集まらなかったんだけどねぇ。すいません、注文おねがいしまーす♪」

 


 百音はウェイターに二人と同じアイスコーヒーを注文しつつ、二人の集めた資料を拾い上げてざっと目を通していく。普段のおちゃらけたおねーさんの雰囲気とは違った雰囲気がチラリと顔を出す。



「成程ねぇ…… 東京都江戸川区【継立つきだて】かぁ。嵐馬君はこんな地名があるって知ってた?」


「知らねぇよ、つが地名以前に俺が覚えている限りでも結構地形が違う。本当にどうなってるんだ?」



 ぺラリと図書館でコピーした地図を嵐馬は拾い上げる。赤いボールペンで書き込まれた修正点は多岐にわたり、記憶違いだけで片付けることは難しい。



「もしかして、これって単純なタイムスリップじゃなくて、並行世界に移動しちゃったとかそういう話かもしれませんよ?」


「どういうことだよ、クソアマ。俺にも分かるように説明しやがれ」


「もぅ、あんまりマリカっちを威圧しちゃダメよ? それで、具体的にどういうことなのか説明出来る?」



 カラカラとストローでアイスコーヒーに入った氷をかき混ぜながら、百音が先を促す。鞠華は一瞬考えて、コピーした資料の中から重要度の低い物を裏返す。



「えっと、簡単に言ってしまえば違った可能性の世界です。例えば百音さんは今アイスコーヒーを飲んでますけど、紅茶を頼む事も出来た訳ですよね?」



 鞠華は鉛筆でサラサラとY字を書いて、二股に分かれた部分にコーヒーと紅茶の文字を書き込んでいく。

 


「コーヒーを頼んだ世界と、紅茶を頼んだ世界に分かれるって事か? バカバカしい、もしそうだとしても飲んじまえば一緒じゃねぇか」


「コーヒーと紅茶ならそれでいいけど、もっと大きな所が違ってるんですよねぇ」


「1999年から始まった月と地球の戦争、というよりもそもそも月に超古代の遺跡があるって時点で違ってるって感じよねぇ。その上で人類は火星に到達出来てないし」



 東京湾に広がるメガフロート、そこに突き立つ白亜の尖塔、軍で正式採用されている人型機動兵器イナーシャルアームド。そして戦争の結果、彼らの世界よりも遅れている民間技術の発展。


 それらの根底にあるのは月と地球との戦争と、その原因になった月面遺跡である。



「……って事はあれか、この世界は俺達の世界と同じ歴史は歩んでないって事で良いんだよな?」


「そうだと思うけど、急にどうしたのさ?」


「今日は2020年07月20日だぞ? 俺達の世界と同じ流れになるなら――」



 嵐馬の言葉で鞠華も気が付いた。2020年07月21日、彼らの世界では大きな事件が起こっている。東京ディザスター、東京を文字通り壊滅に近い状況まで追いやった原因不明の大災害だ。



「それを止めさせる為に、あのノイズだらけのドレスと、あの巫女さんが、ボク達をこの世界に送り込んだとか?」


「知らねぇよ、そもそもアーマード・ドレスが呼び出せるかどうかも怪しいんだ。というかそもそもなんでいきなり巫女さんが出て来るんだよ?」


「いや、出て来るんだよって言われても。なんかこうこっちに来る直前、巫女さんに見られたというかなんというか」



 改めて突っ込まれると、確かに意味が分からない。巫女服の少女が全長20mのゼスマリカの目線の高さに浮いていたというのはかなりシュールで。そもそもあの状況に生身の人間が撒き込まれて大丈夫なのかかなり怪しい。



「まぁ、巫女さんについては横に置いといてぇ~ それよりも差し迫った問題があるんだけど…… 二人とも、分かる?」



 百音の言葉に、鞠華と嵐馬は顔を見合わせる。確かに分からない事だらけで、明日にもこの東京が大災害に巻き込まれるかもしれない状況だが。それ以上に差し迫った問題があるようにも思えない。



「実は早々にお金の問題が出て来ちゃいそうで」


「あー、それは確かに……」


「星奈林、全員合わせて幾らあるんだ?」



 改めて三人は財布をひっくり返す。合計一万八千二百九十五円、三人でホテルに泊まればあっという間になくなってしまう金額であった。



「というか百音さんって意外とお金を持ち歩かないんですね」


「そうなのよぉ、キャッシュカードやプリペイドカードで充分だからついねぇ」



 そもそもプリペイドカードはこの世界では使えないし。キャッシュカードも紐づいている銀行口座が存在していなければ無意味。そういう意味でかなり本気で不味い状況だとようやく二人は理解する。



「で、どうするんだよ? オズ・ワールドリテイリングに連絡するか?」


「残念、この世界にはそもそも存在しないみたい。けど大丈夫、当座を凌ぐ宛はどうにかしたわ♪」


「どうにかって、具体的にはどんな感じに?」



 鞠華が質問を投げかけるのと同時に、カウベルが鳴って新しく客が入って来た。パーマ、エプロン、買物バッグを引っ提げた、完全無欠のオバサンが百音を見つけて、ブンブン手を振りながら三人のいる席に迫る。



「やだー、百音ちゃん。その子達が例の二人? もう本当にうちの子もこれ位カッコいいか、可愛いかだと良かったんだけどねぇ」


「おい、星奈林。なんだこのオバサンは」


「駄目よあんまり失礼なこと言っちゃ、ゴメンネかおるちゃん。ちょっとこの子って今反抗期みたいで……」


「あー、分かるわぁ。けどカッコイイから許しちゃうわぁ。うちの息子だったらフライパンで頭小突くけどねぇ? あっはっはぁ!」



 圧倒的なおばちゃんパワーに、鞠華と嵐馬の二人は完全に圧倒されてしまう。むしろこの圧の高さに互角以上に渡り合えている百音が異常なのかもしれない。



「えっと、それで…… 一体どういうことなんですか?」



 恐る恐る、鞠華は百音に声をかける。直接オバサンと話す元気も、そもそも度胸が残っていない。ネットの向こう側にいる10万人は相手出来ても、目の前にいるオバサン一人に気後れしてしまうのが逆佐鞠華という少年の一面なのである。



「ん~ かおるさんとは駅前でうろうろしてる時に、意気投合しちゃったんだけど。そこで明日ここでお祭りがあるんだけど。手が足りないって話を聞いちゃって――」


「そうそう! うちの子が徴兵されて、そのまま帰って来なくてねぇ。それを当てにしていた高橋商店は人手不足で大変だから。ちょっと臨時で雇われて欲しくてねぇ」



 百音の言葉を引き継ぐ形で、オバサンは鞠華に近寄って来る。



「ほんと、あんたみたいなかわいい子が手伝ってくれるなら。うちの野郎共も気合が入るからさぁ。ちゃんとお給金は出すから手伝ってくれないかい?」


「ボク…… 男の子なんですけど?」



 オバサンは一度鞠華のスカートを確認し、顔を見つめ。一瞬頭を捻り、改めて笑顔を浮かべる。



「大丈夫、可愛ければどっちでも良いわ。大丈夫大丈夫! 良いわよねぇ、ビジュアル系? よく知らないけど、可愛いなら男の子がスカート履くのも許されるわ!」



 その言葉と共に勢いよく差し出された手に、鞠華はおずおずと手を伸ばす。おっかなびっくり触れたおばちゃんの手はほんのりと暖かく。遠い昔に触れた母のぬくもりを彼は思い出すのであった。

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