Chapter 05:帰省、あるいはお色気シーン



「下町にバンガードねぇ……」


「どうしたの、急に感慨深い感じで?」



 ぼんやり助手席から外を眺める高橋に、運転席の西村巧にしむら たくみが声をかける。眼鏡をかけたぼんやりとした顔にほんのりと心配の色が浮かんでいた。



「いや、なんつーかこう。生まれ育った街にバンガードがある光景ってのがな」



 後ろに目を向ければ、座席後ろの窓からバンガードの後頭部がチラリと目に映る。一応ホロで隠していても堤防沿いの国道には馴染まない。江戸川沿いの道路はあまりにも平和過ぎて、月との戦争がどこか遠い事に思えてしまう。



「まぁ、この辺りは月面帝国の爆撃もなかったみたいだし」


「月だって、貴重な物資を使って漁港位しかない街は狙わんよなぁ」



 向こう岸に目を見やれば、夏休みの小学生達がこちらを見て手を振っている。高橋がやる気のない敬礼を彼らに返せば、キャッキャと笑いながら土手の向こうに消えていった。



「それで、この先どっちに行けばいい?」


「この辺だと継立高校位しか置ける場所が無いから。道沿いに進んで右に頼む」



 分かったとタクミが小さく返し、輸送車が再び加速した。余りにも平和な光景は、この街に月面帝国の残党が活動している事実すら忘れさせてしまいそうで。高橋は緩む気持ちをどうにか引き締めようと姿勢を正す。


 最も数分後、再び緩んでしまうのだが。この陽気を思えば仕方がない事であった。





 祭りの準備が終わったのは午後16時過ぎで、ゲンさん達は予定より早く終わったからと、缶ビールとおつまみで酒盛りを始め。巻き込まれると面倒になると見切った鞠華は、嵐馬を生贄に捧げてその場を離脱した。


 自分が主賓で無いのなら、この手の催し物からは逃げるに限る。何度か飲み会に巻き込まれた鞠華が得た生活の知恵である。



「えっと、その…… 高橋さーん?」


「あらぁ、鞠華ちゃんもうお祭りの準備終わったの? 早いわねぇ、去年なんて途中から酒盛りになって結局朝まで神社で皆飲んじゃってその後大変だったんだから」


「あははは、一応終終わりましたけど、酒盛りは今年も朝まで続くかもしれません」



 継立山の周囲に広がる下町。高橋商店はその一角にデンと店を構える雑貨屋で、周囲と比べても一回り大きい。それこそここが交通の便が悪い継立であっても、それなりの財産になるのだろう。



「仕方ないわねぇ、ほんと青年会の連中は酒盛りが好きなんだから……」


「あはは、そういえば百音さんは?」



 人の出入りが激しい店らしく、裏口から居間に続く廊下で数名とすれ違うがその中に鞠華の知る顔はない。



「あー、ちょっと面倒なお仕事を頼んじゃったから。帰って来るのは夜遅くになっちゃうかも知れないわぁ。ごめんねぇ、鞠華ちゃんちょっと寂しかったりする?」


「あはは、そんな事は無いですよ」



 どうにか鞠華は強がりを顔に張りつけた。初めての土地で、見知らぬ人に囲まれれても能天気でいられるタイプの強さはないけれど。それを隠す方法なら幾らでも知っている。



「そう? まぁ、ここは実家だと思ってゆっくりしていいからねぇ。ああちょっと客間の方を片付けてくるから、ちゃちゃっとお風呂に入って来ちゃって」


「お風呂、良いんですか!?」



 今の今まで気にもしていなかったが、入れるとなると急に汗の匂いが鼻を突く。 境内の空気は涼しかったが、それでも真夏に長袖で動きまわれば、それなりに汗で湿って重くなるのは仕方がない。



「そうそう、パンツはブリーフで大丈夫? 一応問屋の真似事みたいな事もしてるから新品用意出来るし。パジャマ代わりに浴衣もあるからねぇ」


「えっと、そこまでしてもらって良いんですか?」


「いいの、いいの。働いてくれる子にはこれ位はねぇ。ああちゃんとお給料から天引きなんて真似はしないから大丈夫よぉ?」



 振り返りニコリと笑う彼女を見れば、人に世話を焼くのが好きなのだと伝わって来る。良い意味でおせっかいなのかと理解して、鞠華はほんの少しだけ笑みを浮べるのであった。





(なんというか、すごいなぁ)



 鞠華の目の前に広がっていたのは確かに風呂場であった。ただし古い、途轍もなく古い風呂場だ。一般的なユニットバスではなく、壁と床はタイル張り。昭和から続くアニメーションに出て来る感じと言えば分かりやすいかもしれない。

 

 ガス給湯器のパネルは用意されておらず、熱湯と水の蛇口を調整してお湯を出すタイプ。いくら鞠華から見て過去とはいえ西暦2020年とは思えないクラシックな雰囲気が漂っている。

 


(ただ古いってだけで、掃除は綺麗にされてるし)



 おずおずと、アコーディオンカーテンで洗面所と区切られた脱衣所からそっと浴室に足を踏み入れる。指先にひんやりとした感覚、夏でもこれなのだから冬となるとビックリするほど冷たいのではないだろうか?

 


(実家うちと似たような物だと思えば、まぁ大丈夫かな?)



 おばさんが用意してくれた来客用の入浴セットを小脇に抱えて、鞠華は浴槽にすっと指を差し入れる。熱いけれど火傷しない程度、温度調節が出来ない一番風呂ならこれ位でないといけないのかもしれない。

 

 そのまま洗面器で湯を汲んで、バスチェアを洗い流して座り。そして頭の上からザパァと湯をかぶる。汗ばんだ肌に熱めのお湯が心地いい。

 


「ふぅ、やっと人心地ついたかも」



 何だかんだでいきなり過去に飛ばされて、なし崩し的に夏祭りの手伝いに参加させられた鞠華は結構緊張していたらしい。

 

 彼にはウィーチューバーとして数万、下手したら数十万の人間相手に生で喋った経験はあっても。こんな風に知らない人の中で働いた経験は無なかったのだから。

 

 さて、体を洗おうと入浴セットの中からスポンジと石鹸を取りだした所で。その奥に入っている物に気が付いた。

  

 

(……あ、カミソリ)



 T字の安全カミソリではなく、安価とはいえ直刃の剃刀だ。使った事は無くもないが、結構洒落にならない量の血を出してからは手に取っていない。

 


(ああ、どうしようかなぁ。ちょっと臑とか…… 気になってるし)



 鞠華自身、そこまで体毛が濃いということはない。一般的な女性と比べても毛の色素が薄く、細い事もあり足の毛を処理しなくとも、きめ細やかな肌はその価値を落すことはない。

 

 けれど完璧な偶像を目指すならば、こういったところで妥協したくはない。どこからが本物で、どこからが偽物なのかという区別に意味はなくとも。可能な限り綺麗になろうとする心には意味があるのだから。

 

 

「えっと、シェービングクリームは…… ないなら、ないでと」



 鞠華の指先が石鹸を泡立てていく。普段は女性用のシェービングクリームを使っているが、用意出来ないのなら代用でもないよりはずっと良い。高橋家は良い石鹸を使っているようで思いのほか綺麗に泡立った。



「さて、太腿までやっちゃうと時間かかっちゃうし。脹脛までかなぁ……」



 鞠華の白い足が石鹸の泡に包まれ、そこに剃刀の刃が当てられる。どうやったら肌が切れるのかは痛い程に理解している。それでも少し怖さはあったが特に血を出す事もなく、あっという間に両足の無駄毛をそり落とした。

 

 

「よし、これで足が出る服を着ても大丈夫と」



 傍から見ればあまり大差はないが、けれどこういったお洒落の半分は自己満足だ。けれどそこまでやるからこそウィーチューバー『MARiKA』と呼ばれる偶像は、多くの人に愛されているのかもしれない。





「ただいまー、かーちゃん居る?」


「ああ、坊ちゃんおかえりなさい。かおるさんは奥で服探してますよ」



 割烹着を纏ったパートタイムのお姉さんに迎えられ、タクミは高橋の実家に辿り着いた。ここに来るのは初めてではないが、毎度別の人に出迎えられている。



「……毎度思うんだけどさ、意外と高橋って良い処の坊ちゃんだよね?」


「馬鹿を言え、ちょっとデカイ雑貨屋だ。親子二代で代議士先生をやっていらっしゃる西村さんちと比べればその辺に転がってる感じだぜ?」


「まぁ、どうかな? 重にぃが選挙に出たら三代目確定だけど。家にお手伝いさん2人位しか居なかったし。たぶん普通の範疇だと思う」


「普通はお手伝いさんは居ねぇよ!」



 ミンミンとセミの声が響く中、二人は靴を脱ぎ居間に向かう。夏服の軽装とはいえ、軍服の二人が廊下を歩む光景は。日常と非日常が入り混じっていて、そのどちらでもない。



「それで、実際どうするの? 一応、調査とかする?」


「まぁ、いざ大事になった時の荒事に対応出来る人間がいるって話だ。出番がない事を祈りつつ、精々ゆっくり――」



 二人の耳に、ドライヤーの音が届いた。



「ん、かーちゃん風呂に入ってたのか?」 


「ああ、今日暑かったし」



 何気なく高橋は風呂場の方に進み、タクミは少し後から距離を取ってついていく。場合によっては友人の母親のセミヌードと遭遇しかねないこの場面、いろんな意味でたまらない。


 人として嫌いではなくとも、あられもない姿のオバサンと遭遇するのは罰ゲーム以外の何物でもない。ある程度距離を取っていれば、早々直視する羽目にはならないだろうと高を括る。



「かーちゃん、ただいまー」


「へっ?」



 高橋の肩越しに見えたのは綺麗な茶色に染められた長い髪であった。そしてほっそりとした手足。そして魅惑的な腰のライン、高橋家のクラシカルな洗面所で上半身裸の美少女が髪を乾かしている。そんな光景がチラリと見えた。


 高橋と謎の美少女(推定)は暫く見つめ合う、奇妙な緊張状態が高まっていくのが分かった。どちらかが何かを口にした瞬間、全てがひっくり返る。そんな雰囲気が古臭い洗面所を支配して数秒後――

 


「あ、あの……」


「す、すまない。その悪気があった訳じゃないんだっ!」



 高橋が全力で頭を下げる、辛うじてタクミの目から見えなかった推定美少女の姿が露わになった。成程高橋が動揺するのも理解出来る。それこそシンプルな可愛らしさという尺度ならその辺の女子が裸足で逃げだすレベルであった。


 それこそ芸能人とかそういった人間に近い、華があるタイプであると見てとれる。



「い、いえ。ボクもちょっと人の家で油断してましたし。本当にすいません」


「駄目だ、どちらにせよ女の子の肌を見てしまった以上。何らかの責任を――」


「高橋、高橋」



 ついついとタクミは目の前の背中をつつく。シリアスな表情の高橋と目が合った。



「なんだ西村、今真面目な話を――」


「その子、ブリーフだから。男の子じゃない?」



 ドライヤーの音が三人の間に響く、あっと長髪の少年がスイッチを切って――



「まてまてまてまて! 髪が長いぞ!」



 高橋が爆発した。まぁ確かにモテる割に童貞力が高く、そうなるのも分からなくはない。テンパった結果、責任を取って結婚しようと考えた可能性すらある。



「うちの稲葉中尉も結構長いよ?」



 冷静に振る舞えているのは、先に高橋が爆発したからか、それとも経験の差か。最もタクミの実戦経験は文字通り数える程で、そこまで誇れるものではないのだが。



「洗濯物カゴの中の服! ピンクでスカートだぞ!?」


「まぁ、そういう趣味なんじゃない?」



 軍内部では割と倒錯的な趣味は珍しくなく。割合タクミはその手の話に理解があるタイプであった。なんやかんやで在学中に女装したこともある程には。



「こんなに可愛いのに!?」


「そもそも骨格的に男の子だし、そうですよね?」


「まぁ、はい。その通りですけど……」



 ただし胸を腕で隠している姿は妙に艶やかで、女を知るタクミですらドキリとしてしまうだけの色香がそこにはあった。



「重ね重ね申し訳ないんですけど、まじまじ見つめられると恥ずかしなぁって」


「あ、ごめんね?」



 理解を超えた状況に頭を抱えてしまった相棒を引っ張って、洗面所を後にする。


 性別はどうであれ、不躾な視線を向けてしまったのは事実であって。後で何かお詫びの一つも必要かなとそんな事を考えながら。


 開け放しになった廊下で、ちりんと風鈴が音を鳴らす。事態はまだ、動かない。

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