5 まだ道の途中
その後、多少時間は要したものの、主に燦と熾が音頭を取って落ち着きを取り戻したアドラは、議会を刷新して新しい体制を作り上げた。
燦はここで、エレアを通じてファルケに協力を求め、ファルケはそれを快諾した。
作業部会の一員としてスペクト入りしたエレアの雇い主は、帰国の途にはエレアを同道させなかった。この後彼女とその竜ゼーレは、燦と協力してアドラを中心とする周辺諸国の通信体制の修復整備に尽力したが、クロト家の血を引くエレアが燦の主になることは、ついぞなかった。
ランティスもまた、ナハティガル統治の象徴たる座を降りた。
彼もアドラも、アトロポス家を廃することこそしなかったけれども、フリッガとヴィダとはなんとなく、ランティスはその話が出たら飛びついただろうな、と思っている。
そのことを裏付けるように、少し後になって彼からは長々とした書状が届いた。それをユーレに持参した爛は、フリッガが紙をずらずら巻き取りながら読み、あまりの難解さに途中でうつむいてしまったのを見て「無理をするな」と言ってくれたが、それまでに三人分の茶菓子を平らげていた。
フリッガがアドラの議会棟を走り降りたときから、彼女はプレトに会っていない。
黒い竜は破砕された建物の残骸を全て虚空に巻き上げ、自らも姿を消した。もっとも彼もフリッガも、キャリアとゴーストとしての関係を終わらせたわけではない。だから機会があれば彼は姿を現すかもしれないし——フリッガが命を終えるときには、一緒にその生を閉じるのだろう。
フリッガはユーレに戻ると、すぐにそあらとうーとを呼び戻した。
ふたりはユーレの、ほとんど土着の竜である。フリッガの帰国を察するやすぐに出てきて、何食わぬ顔をしてもとのとおりの関係に戻った。まるで、離れていたのは自分の意思であったというかのように。
そうして国に戻り、ユーレに水と風の加護を取り戻したフリッガはしばらくして、聖地ともされている水源地管理のため最低限必要な竜の虫を残して、ひとまとめの荷物と共に山を降りた。そこにサプレマが常駐しなくても困らないことはテルトの代で証明されていたし、何より彼女に——あるいはふたりに、個人的な理由があったからだ。
その荷物の中には、ウェバの遺灰を納めた小さなガラス瓶がある。
彼女はそれを、グライトへ向かう途中立ち寄った川縁から流した。この国の伝統的な葬送である。それが下流で潤す大地には、十五年前、テルトが眠った。
ヴィダ・コンベルサティオはその後数年軍に残りはしたものの、あることを契機に周囲の慰留を振り切り退役した。軍籍にあったのは七年を少し過ぎたくらいでしかなかったのに、彼は「一生分働いた」と言い切り、何の未練もなく軍装を脱いだ。
けれども彼がどうしても言うことを聞かざるを得ない人物がひとりいて、その後釜にまんまと据えられてしまった彼は、シューレの実技指導者として以後も出仕を継続している。年齢経歴さまざまな後輩の指導にあたるのは、フリッガからは意外にまんざらでもなさそうに見えた。
そしてその「人物」。歳を聞いても信じられない、やたら元気な老人イザーク・チェンバレンは、後釜を無理矢理譲ったヴィダから世話を任された——実際は「買って出た」に近いのだが——小さな手を引きながら、今日も王宮の塔の階段を一段ずつ上っている。膝を痛めるとか腰がどうだとか周囲は言うが、当人も手を引かれた子どもも、まるで気にする様子がない。
キュルビスの起こした騒動で破壊された温室は、その子と契約を交わした地竜が修復してくれた。元に戻っただけかと思いきや以前よりかなり内容も充実しているのだが、何せどの植物も元気がよすぎて管理の手間が大幅に増えてしまったので一部には大変不評である。
もっとも、そんなことを気にする翠嵐ではない。彼はそうして王宮に恩を売ったことで、王宮の蔵書を抱えた書庫への出入りの自由を勝ち取った。今日もその部屋で古書に没頭しているはずだ、イザークに「マスター」を任せて。
老人より一足先に温室にたどり着いた子どもは、上がった花火の音に驚いて、壁際までたどたどしく走って行き、ガラスに両手をついて目を輝かせた。
子どもの瞳は、柔らかな赤紫をしている。隔世遺伝だとか、父母の色がうまく混ざったのだとか言われるが、理由は何であれ本人も両親も気に入っているようで、イザークもまたそれを愛していた。
老人はゆっくりと子どもの後を追い、前庭を見下ろすと目を細めた。
自分の見守る叙任式がこれで何度目かは、実はイザークにもよく分からない。
この国では今年も、そして来年も、それからもきっと、新しいナイトを迎える。
彼らはそうして、この国と民と、その平穏を守る。彼らが信じるとおりに。
〈 了 〉
月色相冠 藤井 環 @1_7_8
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