第16話 宇宙人と地球人

俺はゆっくりと、真っ暗な部屋の中へ入った。

周囲から、何かねばついたものが蠢く気配を感じる。

暗闇に目が慣れてくると、それが何なのかが分かった。

あまりにも太く肥大した触手が、部屋の片隅で折り重なるように横たわっていたのだ。

学校で見たものよりも遥かに大きくなっている。

きっとここにいること自体が、相当なストレスになっているのだろう。

いや、違うな。俺のせいか。


「X! 聞こえるか‼」


蠢いていた触手が、ぴたりと止まった。


「お前に最後に言ったことを訂正しに来た!」


積み重なった触手のてっぺんで、何かが光る。

俺はそこを目指して、ぶよぶよの触手を掴み、よじ登った。


「俺はずっと逃げていた。引きこもりになって、現実から目を背けて、ずっと逃げていたんだ。その結果死んだって構わないと思ってた。何がどうなろうと、何もかもどうでもいいと思っていた」


普段から運動なんてまったくしない。

触手を一本よじ登るだけで、身体が鉛のように重く感じる。

しかしそれでも、俺は登るのをやめなかった。


「でも、俺はお前に出会った。不器用で素直で、何もできなくて。ありえないような奇行ばかり繰り返すお前のことが放っておけなかった。俺はお前の中に、本当の俺を見ていたんだ」


一本、二本、三本と登っていく。

ゴールが、徐々に徐々に、近づいて来る。


「俺はもう、自分の望みは諦めた。でもお前は諦めなくていいんだ。俺が、お前の望みを叶えてやる!」


触手の山を登り切り、俺の目の前には奇妙な球体があった。

触れたら烈火の如く怒り出した謎の場所。Xはそこを、最も恥ずかしい場所と称した。


「……連れていかれる直前に、俺がお前に教えたことを覚えてるか?」


もぞりと、その球体が少しだけ動いた。


『キスってなんだ?』

『誰にも触れられたくない大切な部分を接触させることで、生涯を共にしても良いと思えるくらい信頼していることを暗に伝えているんだよ』


自分で言ったことを思い出し、俺はうなだれた。


「……あー、くそ。なんたってこんな気持ち悪い奴と……。ライトノベルなら誰もが羨む美少女とのシチュエーションだぞ。やっぱリアルってクソだな」


俺は最大限の愚痴を吐き、その球体に口をつけた。



◇◇◇


元の姿に戻ったXは、何故か泥のように眠っていた。

エリが生徒会長のテンプレートを返してくれたおかげで、俺はXを背中におぶさり、地上へと連れ出すことができた。

触手の入っていないテンプレートは、もう二度と見たくないと、切実に思う。


外は既に夜になっていた。

軍事基地の中でありながらこれほど静かなのは、きっとZがここを制圧したからだろう。

ふと奥の方を見ると、武装兵がただ一人、Zと対峙していた。

兵士は手に持っていたマシンガンを掃射した。

一切怯むことなく触手が飛び交い、兵士の身体に絡みつく。

その身体は軽々と宙に浮き、Zの目の前に吊るされた。


「いやー、いつ見ても醜いっスねぇ。人間ってやつは」


棒付きキャンディを舐め、Zはにこりと笑った。


「アタシが改造してやりましょうか?」

「……約束を忘れたわけじゃないだろうな、Z」


Zは俺の方を見た。

小さくため息をつき、兵士を投げ飛ばす。

兵士の身体が十メートルは吹っ飛び、地面を二度三度とバウンドする。


「……あれ死んだだろ」

「死ぬわけないっスよ。同じ人間の癖に、身体の強度も理解してないんスか?」


……いや、普通に打ちどころ悪かったら死ぬと思うんだけどな。


「まあしかし、お前が冷静な奴で助かったぜ。条件を飲むくらいなら総攻撃をかける、なんて言われたら、どうすることもできなかったしな」

「馬鹿にしないでほしいっスね。アタシだって、勝てる戦いかどうかくらい判断できるっス」


俺の背中にいるXを窺うように、Zは首を傾げた。


「……ボロボロっスね」

「襲うか?」


Zは鼻で笑った。


「やめとくっスよ。もう一人の親元に殺されたくはないっスから」


Yのことか。


「来てるのか?」

「そりゃそうでしょ。結果如何では全面戦争っスからね。望む望まないに関わらず、全員が統合する必要がでてくる」


Yからすれば、片割れを奪おうとしたZよりも俺の方に好意的なのは当然だろう。

ならここでZが約束を違えた場合、俺に味方してくれる可能性は高い。

そしてYに俺を襲撃する意思がないことは、俺の足に巻き付いて、眠るように動かない一本の触手が証明している。


「しかし、あなたもおかしな人っスねぇ」

「あぁ?」

「地球人より宇宙人に共感する地球人なんて、おかしい以外の何物でもないじゃないっスか」


……まあ、そう言われると否定できない。


「良い機会だから、一つお前に聞きたいことがある」

「何スか?」

「お前ら三匹は、元々同じ生命体だったのか?」


それはZと出会ってから、ずっと気になっていたものだった。

統合できるなら、その逆もできる。

一度も関わったことのない遠く離れた生命体が、それぞれまったく同じ進化をしたと考えるよりは、ずっと信ぴょう性のある仮説だ。


Zはそれを聞いて、薄く笑った。


「最初に指摘するのが地球人のあなたってのは、ちょっと複雑っスね」

「お前だけが覚えているのは、お前が“親元”だからか?」

「さあ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。人間に擬態した個体が個性と呼ぶべきものを持つのと、同じ理屈でしょうね」


分離し、遠く離れたまま暗い宇宙を飛来している中で、分離していたことすら忘れてしまった。

俺もついさっき似たような経験をしたばかりなので、そのことについては感覚で理解できた。


「お前は、ずっと自分を取り戻したかったのか? 人間を侵略するなんて話はただのきっかけで、本当はアイツらに、自分達は同じなんだと伝えたかったのか?」

「都合の良い解釈っスね。言っとくけど、人間を侵略する気は変わらないっスよ。つーか、今回の件で一層その気持ちは強まったっス」

「理由は?」

「理由はあなたっスよ。仙道学さん」


すっと、Zの顔色が変わった。

いつか見た、宇宙人の顔だ。


「我々は地球外生命体。あなた達と同じ括りでは語れない存在。しかしそれでも、生物であることに変わりはない。生物とは子供を産み、遺伝情報を継承し、種を存続させる存在だ。しかし高度な生命体へと自らを発展させた我々は、他人を自分と同じにしてしまった。そのおかげであなた達人間を遥かに超える力を手にしたが、同時に一つの大きな欠損を生んでしまった」

「欠損?」

「孤独だよ。我々は、たとえ同じ種で交わっても、決して孤独から逃れることはできない。あなたは人間でありながら、我々と共感することができた。人間以上に我々を理解し、接することができた。だから二人は、あなたに恋をしてしまった」


俺は何も言わなかった。


「種と種の相違は、たった一つの共通点さえあれば克服できる。あなたはなかなか面白い結論を我々に教えてくれたが、全てを知った今、我々があなたと接触するわけにはいかない。何故ならそれは進化の終わりを意味するからだ。人に依存する生き方は、人が滅んだ時に運命を共にするということだ。我々の計算ではあなた達と我々との生物的寿命は言語化できないほどの差がある。それをこの代で縮めるわけにはいかない」


Zは背を向けた。


「あなたはいずれ殺す。いがみ合っていても、あの二人も我々だ。一時の快楽に身を任せて寿命を縮めるというのなら、我々がそれを止めなければならない。……ただ、今回の件で一つ借りができた。その親愛の情として、今回だけは手を引こう」

「……また一つ、良いことわざを教えてやる」


Zがちらと俺の方を見た。


「親の心子知らず」


Zは、ふっと笑い、触手で地面を叩き、大きく跳躍して基地の壁を飛び越えて行った。


きっとZは、孤独を癒すための方法として、XとYを作ったんだろう。

完全なる個にするために、敢えて遠く離れて。

そんなZが、自分より下等な見ず知らずの人間にうつつを抜かす二人を見て、どう思ったのだろうか。

それほどの思いで離れた個体と再び統合しようと決意した背景には、どれほどの葛藤があっただろうか。

でも、きっとZは気付いていない。

二人の選択は、Z自身の選択でもあるということを。


俺が本当の自分を認められていなかったように、コイツらも自分自身を認められていないのかもしれない。

それはきっと、とても複雑な感情だ。

プライド。劣等感。恐怖。防衛機制。

それらの感情から表れる否定は、とても人間的なものだと俺は思う。


「ん……」


Xが、ゆっくりと瞼を開けた。


「おはよう」

「オマエ、好きだ」


……それは挨拶じゃないんだぞ、と教えてやらなければいけない場面かもしれない。


「……X」

「なんだ?」

「お前は、生徒会長を助けようとしたのか?」


Xは長考した。

相変わらず、何を考えているか分からない無表情で。


「前に自分で言ってただろ。これだけ大量の触手を一つの個体に入れているのは自分しかいないって。何か、そうしなければならないアクシデントがあったんじゃないのか? たとえば……その個体が、テンプレートにもできないほど損壊していた、とか」


Xは目を丸くした。


「なんで分かる?」

「なんとなくだよ」


Xは「そういうものか」とぼそりと言った。

しかし本当は違う。Zの話を聞いて、きっとそうなのだろうと思えたのだ。


「ワレワレがこの地に降り立って、初めて接触したのがこの個体だった。でも、この個体は既に瀕死の状態だった。おそらく、車に轢かれたんだと思う。その日は大雨だった。そのような事故が起こる可能性は比較的高かった。ワレワレは、最初その個体を放置するつもりだった。オマエの言う通り、擬態するには損傷が酷過ぎた」


その淡々と告げられる事実は、俺にとって胸を抉られるものだった。

きっと彼女は、俺に会おうとして、俺に手紙を渡そうとして、雨の中を歩いていたに違いない。

もしかしたら、俺に会った時に何て言おうかと考えながら。そんな注意散漫な時に、車に轢かれた。


「でもその個体は死ぬ間際、ワレワレに手を伸ばして言った。『仙道学という人がいる。私の代わりに、あの人を助けてあげて。何もない私に、生きていた意味をちょうだい』。ワレワレは生存意欲というものが大きく欠損していた。それくらい、長い寿命を生きる生命体に進化していた。だからその個体の生命の執着と諦観に、ワレワレは興味を持った。故に多少無理をしてもこの個体に擬態し、オマエと接触を図った」


俺がまだXを宇宙人と認識していなかった時期。

初めて学校に来た俺から、Xはずっと目を離さなかった。

俺に正体がばれて殺すしかないと考えた時、Xはその判断に躊躇した。

この二つがなければ、俺は宇宙人のことなど知らずに過ごしていたか、Xに殺されていたかのどちらかだっただろう。


Xは空を見上げた。

夜空に輝く星々を、まるで懐かしく思うように。


「今なら分かる。ワレワレはきっと、この個体に共感したんだ。共感して、羨望して、そしてきっと、この個体を助けたいと、そう思った。オマエと同じように」


Xは俺の方を見た。


「あの出会いがなければ、ワレワレもZのように、人間を侵略することを考えていただろう。そうならなかったのは確率論で言っても──」

「X.そういうのはな。人間の世界では、奇跡って言うんだよ」


Xは目をぱちくりさせた。


「奇跡か」

「そうだ」


Xは再び空を見上げた。


「良い言葉だな」

「そうだな」


俺は大きく息を吸った。

溢れてしまいそうになる何かを吸い上げるために。


「良い言葉だ」



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