第13話 宇宙人との決別

俺は一人校庭のベンチに座り、その手紙を読み終えた。

手紙は雨にでも濡れたのか、しなびていて、ボロボロで、ところどころに薄い血の跡がついていた。

それがどういう意味を持つかは、わざわざ言うまでもないだろう。


「こんにちは、学君」


顔を上げると、そこには副会長がいた。


「珍しいね。私に用事なんて」


彼女は俺の隣に腰掛けた。


「この手紙のことで、ちょっと聞きたいことがあったんだ」


俺は血のついた箇所を手で隠しながら言った。


「あー……。けっきょく渡したんだね、それ」

「てことは、副会長も知ってるのか?」

「うん。内容を一緒に考えてくれって言われたから。自分だけだったら、また傷つけちゃうかもしれないって」


そう言って、副会長は小さく笑った。


「でも意外だったな。ほら、最近の会長、学君と仲良くしてるじゃない? だから、手紙ちゃんと渡せたんだねって言ったんだけど、なんだかはぐらかされたから。渡せてないんだって思ってた」


そりゃそうだろう。

Xは手紙のことなんて知るはずもない。


「……ごめんなさい。クラスの手紙ね。あれ、私も発案者だったの。でも、ちゃんと中身を確認してなかった。会長が破れた手紙を持ってきて、初めて自分の傲慢さに気付けた」

「……別に、そんな風になんて思ってない。実際、手紙なんてそんなに気にしてなかったしな。あれくらいの誹謗中傷、ネットなら日常茶飯事だ。……ただ。俺に関心を寄せてくれたと思った人間が、そうじゃなかったことに。ほんの少しだけ、がっかりしただけだ」


俺は好きで引きこもりをやってる。

けど、誰かが学校に来て欲しいと言うのなら、やぶさかではない。教師としての義務だとか、親としての責任だとか、そんな常識に凝り固まった思考停止の行動ではないのなら。

生徒会長はそうじゃないと思った。でもそうだった。

そのことに、俺が少しがっかりして、ちょっとキツく当たってしまった。ただそれだけのことだ。


「あのね。わざわざ私が弁明することじゃないかもしれないけど、聞いて欲しいの。会長は、誰よりも期待されて、誰よりも努力してきたんだ。そのせいで周りが見えなくて、時々、間違った方向に暴走しちゃう時があった。両親はとても厳しい人で、泣き言は許されなかったから。本当に、本当に厳しい人だったから」


それは、この手紙を読んだら馬鹿でも分かる。

いかに彼女が追い詰められていたか。いかに周りが見えなくなっていたか。

そしてそんな自分を反省し、心を改めようとしていたことも。一人のクラスメートとして、俺を迎えるつもりだったということも。


「だからね。私は今、良かったなって思うの。会長のご両親は心を痛めているし、先生方も心配しているけど。会長があなたといるときや、皆が引いちゃうようなことをするのを見ていると、なんだかとっても幸せなの。今、会長はきっと、素直に生きてるんだなって思えて」


副会長は良い人だ。

ちょっと抜けているだけで、本気で生徒会長のことを想っていた。だからこそ、Xがなり替わっている今に気付けないのかもしれない。

人の目を見て無理をしていた生徒会長よりも、人の目を気にしない今の生徒会長の方が、きっと幸せなはずだから。


そういう気持ちは分からないでもない。どれだけおかしくなってもその人を疑わず、一緒にいようと思える関係も素晴らしいものだ。

だから、近しい人間に宇宙人と入れ替わられたことに気付かれない生徒会長も、きっと意味のある、幸せな人生だったんだろうと思う。



◇◇◇


俺は副会長と別れ、部室へ向かった。


俺はきっと、今回の出来事を他人事だと思っていたんだろう。

宇宙人だと気づかない人間を見下し、知らない人間が殺されることに無関心を貫き、人を殺して人間になり替わるアイツらを肯定していた。

だって、人間なんてそんなものだろ?

常識という暴力を振りかざして、平気で人を傷つける。プライドだとか、快楽だとか、そんなことのために誰かを追い詰める。

それらが問題にならないのは、被害者が自殺するかしないかという、ただそれだけの理由しかない。被害者が歯を食いしばって生きることを決意しても、それによって褒められることもなければ、自分を傷つけた者が断罪されることもない。

なら生存するという目的を持って誰かを傷つけるアイツらの方が、よっぽど健全じゃないか。


ガラリと俺はドアを開けた。

そこにはいつものように、Xがいた。

椅子に座り、足を組み、髪をなびかせて恋愛小説を読んでいる。

その様子は、宇宙人にしてはなかなかサマになっていた。

Xは俺の方へ顔を向けた。


「キスってなんだ?」


相変わらず、Xは唐突だった。


「藪から棒に、何を言ってるんだ?」

「さっきからコイツ、しつこいのよ。お兄ちゃんが教えてやって」


壁にもたれかかり、Yが辟易した様子で言う。


「恋愛小説を読むと、いつも出てくる。どうやら口と口を接触させているようだが、それをするメリットがよく分からない」


メリットか……。

俺は顎に手をやって考えた。


「まあ、あれだよ。犬が腹を見せて服従のポーズをとるようなものだ」

「……なにそれ」


Yが軽蔑のまなざしで俺を見つめる。

おいおい。まさか俺が本気でそう考えてると思ってないだろうな。

宇宙人にも分かりやすいようかみ砕いて説明しているだけだぞ。


「ほう。服従……」

「誰にも触れられたくない大切な部分を接触させることで、生涯を共にしても良いと思えるくらい信頼していることを暗に伝えているんだよ」

「なるほど。理解した」


ほらな。

愛がどうとか言っていたら、絶対分からなかったはずだ。

Xにものを教えることに掛けては、ずいぶんと上達したように思う。


「やっぱりオマエの説明は分かりやすい」


まるでねぎらいの言葉のように、Xは言った。

まるで、じゃなく本当にねぎらいなのかもしれない。

最近のXは、そういう人間らしい言葉を発することが時々ある。


「正直、もう来ないかと思った」


どうやら休憩時間に視線を感じたのは気のせいではなかったらしい。

Xからすれば、さぞや俺が楽しそうに見えたのだろう。


「来なかったら殺されるんじゃなかったか?」

「……その約束はもういい。オマエが何をしようと、たぶん殺さない」


その言葉はXにとって、最大級の親愛の証だったのだろう。

だからこそ俺は、それに応えた。


「別にいいぞ。殺しても」


Xは、今まで見たことのないような顔で俺を見つめた。


「俺はもう、お前とは関わらない」


耳にかかっていたXの銀髪が、さらりと落ちる。


「お前との関係も、もう終わりだ」


俺はそれだけ言って、Xに背を向けた。

殺される可能性は充分にあっただろう。しかし現実にそんなことはなく、俺は無傷のまま部室をあとにした。



「お兄ちゃん! なんであんなこと言ったの⁉」


慌ててついてきたYが、開口一番そう言った。


「別になんでもいいだろ。それに、アイツはもう俺がいなくても大丈夫だよ」

「そんなわけないじゃん‼」


悲鳴のような叫びに、俺は一瞬あっけにとられた。


「おいおい。お前はXと仲が悪かったんじゃないのか?」

「それとこれとは関係ない!」


関係ない……のか?

宇宙人の考えることはよく分からない。


「お兄ちゃん、何も分かってない。アイツもアタシも、もう一人じゃないんだよ。ずっと一人だったけど、一人じゃなくなったんだよ」

「……それが一人に戻っただけだろ。何も変わらねえよ」

「変わるよ! アイツもアタシも、もう一人には戻れないんだよ! 変わらないのはお兄ちゃんだけでしょ⁉」


ぴたりと、俺は止まった。


「お兄ちゃん。お兄ちゃんはずっと──」



KYYYYYYYYY!!



その甲高い音に、俺は思わず耳を塞いだ。

その音に、俺は聞き覚えがあった。

そしてその音が聞こえた方向は、明らかに部室からだった。


「X‼」


俺が駆けだした瞬間、目の前の壁が吹き飛んだ。

壁の奥から出て来たのは、一本の触手だった。俺が知っているものよりも、はるかに太くて大きい。それ一本で廊下を占領してしまうほどだ。


「お兄ちゃん、危ない‼」


触手が身じろぎしただけで、天井が一気に崩れ出す。

瓦礫に飲み込まれる瞬間、Yの触手が身体に巻き付き、ぐんと俺を引っ張った。

廊下を滑るようにして、俺の身体はYの手前で止まった。


「いってぇ……」

「だいじょうぶ⁉ 怪我は⁉」

「あ、ああ。なんとか──」

「おいおい何の音だよ⁉」


突然背後から声がして、俺はハッとした。

Yの背中には、まだ触手が生えたままだ。

慌てて自分の上着をYに掛ける。

野次馬二人と目が合った。


「さっさと消えろ‼」


いきなりの怒声に驚いたのか、二人は慌てて駆けて行った。

奥の巨大な触手に気を取られ、Yの触手には気づいていないはず。


走り去る二人を、俺は観察していた。

一人の男がもう一人の袖を掴み、Yの方を指さす。


ダメだ。気付いてる!


「Y! あいつらを──」


その時だった。

バチンと電気が流れるような音がしたかと思うと、野次馬二人が倒れた。

そこにはエリがいた。

スタンガンをしまい、誰かに手招きする。

廊下の非常口から完全武装した特殊部隊の男達が現れ、俺達を素通りして巨大な触手の確保に移り始めた。


「あの二人はこっちで処理しておく。殺したりはしないから安心して」


こちらに近寄り、そう説明するエリの言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろした。


「それよりどういうこと?」


エリは鋭い口調で言った。

Yがおそるおそる俺を見る。俺はこくりと頷いた。


「直接的な原因は分からないけど、あれだけ触手が膨らむってことは、相当強いストレスがあったんだと思う」

「そういうことを言ってるんじゃない」


エリは俺の胸倉を掴んだ。


「あの二人をどうするつもりだったのって聞いてるのよ、学」


そう言われて、自分でも初めて気づいた。

Y.あいつらを……。

その先の言葉を、俺は何て言おうとした?


「私が見ていただけだからよかった。でももし他の人間に見られていたら、あなたは暗殺対象になるところだったのよ⁉」


エリは興奮していた。

肩で息をし、鬼の形相で俺を睨みつけている。

だが、それはすぐに収まった。

膨らんだ風船が徐々に萎んでいくように、彼女は悲しそうな顔で俯いた。


「……ごめん。そうよね。あなたを利用してる私が、何を偉そうに……」


彼女は俺から手を離した。


「お、お兄ちゃん? どういうことなの? こいつら一体──」


エリの目が鋭いものに代わり、Yの眉間に銃口が向けられる。


「本当なら、今ここでお前を撃ち殺してやりたい。……でも、それはやめとく」


エリは銃をしまい、大きく深呼吸した。


「私達にとって、下手に侵略者と接触するのはかえって危険なの。今回みたいな明らかな有事でないと対応しないことになっている。この子が心配なら、私が責任を持って面倒みてあげる。だからもう引き上げて。Xがこうなった以上、あなたに存在価値はない。かといって、あなたを殺すこともない。あなたが宇宙人と結託さえしなければ、あなたの生活は保障できる」


どうやらエリは、この状況を想定して俺との接触を繰り返していたらしい。

おそらくXの戦闘能力も把握していて、その脅威を取り除く術を模索していたんだろう。


「あなたは宇宙人のことを忘れて、自分の日常に戻ること。そうすれば、あなたの目的は全て達成されるわ。Xと縁を切ったんでしょう? だったらあなたにとって、それが最善よ」

「ちょっと待ってよ! お兄ちゃんは──」

「黙りなさい! 彼のことを少しでも心配だと思うなら‼」


それを聞いて、Yは口をつぐんだ。


「学。もうあなたは日常に戻って。今までのことは忘れて、引きこもりでも、充実した学校生活でも、どちらでも好きな方を選べばいい」


エリは俺に向けて優しく微笑んだ。


「ごめんね。あなたに色々と背負わせ過ぎた。侵略者とはいえ、一緒に過ごした時間があるなら、あなたが同情する気持ちも分かる。……でもそれはダメなの。あなたが人間である以上、絶対にダメなの。だから……お願いだから……私の言う通りにして」


エリは活発で、明るくて、クラスでも人気の女の子だった。

裏の顔は平気で人に銃を向けるし、頭突きを食らわすし、とにかくおっかない奴だった。

今のエリは、そのどちらとも違った。

それは、今まで聞いたことのないくらい、弱弱しい声だった。


そんな彼女にほだされたように、俺は小さく頷いた。


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