第2話 引きこもり生活の終わり


Q 僕は小さい頃から内気で、高校生になってからもこの性格のせいで友達ができません。クラスでも浮いていますが、そんな自分を変えたいと思っています。どうすれば変われますか?


暗い部屋の中でパソコンから発せられる光は、眩しいくらいに俺の目を刺激する。

俺はにやりと笑い、このクエッションに対するアンサーを叩きつけた。


A 『ドラマツルギー』という社会学用語をご存じですか? 人は与えられた環境によって役割を決め、内面もその役割に合わせて演技をしているという考え方です。あなたは今、内気で弱弱しい自分がそのコミュニティにふさわしいと勘違いしています。だからまずは、その思い込みを変えることを意識しましょう。具体的には、はきはきした声と明るい笑顔を作ることです。喋るのが難しくても、これなら意識していればできるはずです。ポイントは、他人ではなく自分を騙すこと。それが変わるためのコツです。僕のような人気者になれなくても、数人の友達さえ作れば人生そこそこ楽しいものです。お互い、将来楽しかったと思えるような高校生活を送りましょう。


「送信っと」


俺はエンターを押して、SNSに投稿した。

一分もしないうちに、数々の返信が送られてくる。


『さすがマナブー。相変わらず博識ですね』

『やっぱマナブーは天才だわ』

『説得力がある。相変わらず話長いけど』


数々の称賛のコメントを見て、俺は優越感に浸りながら息をついた。

この圧倒的な達成感は、頭にこびりついた嫌な記憶を綺麗に消去してくれる。俺が見つけ出した最強のルーティンだ。

フォロワーからの質問に答えていると、こここそが俺の住むべき世界なのだと再認識することができる。


俺はしばらく愉悦に浸ると、マウスを操作し、SNSでフォローしている一人の人間のアカウントを覗いた。

『このアカウントは消去されています』

大きく書かれた文字は、以前見た時から何も変わっていない。



『地球は既に侵略されている』



そう一言、俺にメッセージを送り、このアカウントの主である師匠は姿を消した。顔も性別も年齢すら誰も知らない師匠を探して、世界中の有力者が今なお駆けずり回っている。

俺が引きこもり生活を止めて学校に行ったのは、この発言に興味を持ったからだ。


人類が滅亡するパターンは現在でもいくつか割り出されているが、その内のどれが起こったとしても、おそらくそれを誰よりも早く察知できるのは師匠だろう。

それだけ師匠は知識も豊富で、人脈も厚く、IT技術も高かった。そして何より、危機察知能力がずば抜けていた。

俺と同じ引きこもりでありながら、誰よりも世界を知っているのが師匠だった。

その師匠が、こんなメッセージを送りつけてきたのだ。興味を持たないわけがない。


人類はAIによって支配されるべきという極端な持論を持つ師匠だ。

侵略されることが重要なのではなく、人類を滅亡させてしまう可能性のある者が存在することを危惧しているに違いない。

そして、それは事実だった。

銀髪をなびかせる、人間に擬態する宇宙人が、この世には存在するのだ。


俺は払しょくされたはずの記憶を思い出し、慌てて首を振った。

もういい。忘れよう。

そうだ。下らない外の世界に囚われるなんて、そもそも俺らしくなかったのだ。

地球が侵略されようが、宇宙人がいようが、俺の知ったことじゃない。

俺は俺の人生さえ邪魔されなければそれで──


「こらぁ学(まなぶ)! あなたまた学校休んだでしょ‼」

「どわあっ!」


窓とカーテンが開け放たれ、数週間ぶりに日の光がオレの部屋を侵食した。


「エ、エリ⁉ 二階の窓からナチュラルに顔出すな! 強盗かと思ったぞ‼」


オレの幼馴染のエリは、人の家を屋根伝いに登って住居不法侵入をしてくる悪い癖があった。


「それが嫌なら学校来なさい! 珍しく外に出たと思ったら、一日で引きこもり生活に逆戻りなんて」


そう言って、彼女はやれやれと首を振りながら、自分の髪をかき上げた。

うなじほどまで伸びた茶髪は、活発な彼女によく似合っている。


「……なんかあった?」


エリは窓枠に両肘を乗せ、優しくそう言った。

俺は少し思案してから、ぷいとそっぽを向いた。

それを見て、エリは小さくため息をつく。


「まあさ。せっかく学校に行く気になったんだし、保健室登校でもいいから明日は──」

「やだ」

「はあ?」


俺は近くにあった布団に潜り込んだ。


「やだやだ! 絶対行かない‼ 宇宙人のいる学校なんて死んでも行くか‼」

「あなたなに言ってるの? いいから来なさいって。生徒会長にも、色々と世話になってたんでしょ?」


俺は思い出した。

久しぶりの学校で、クラスメートが遠巻きに俺のことを噂している中、生徒会長だけは何かと俺に付きまとっていたことを。一人昼食を食べる俺を、わざわざ一緒に食べようと誘いに来た、あの宇宙人のことを。

……まあ、休憩時間に寝たフリをしている俺の横で、ただじっと立ち尽くすその姿は恐怖しか感じなかったが。


「それにほら。こんなところにずっといてたら、息が詰まるでしょ?」

「ハッ。この理想郷がお前には分からないのか? リアルに毒されてるな」

「理想郷ねぇ……」


エリは俺の部屋を見回した。

ゴミ袋が散乱し、隅は配達用の段ボール箱が山積みにされている。

太陽の光に照射された埃は、久しぶりの日光に歓喜するように空気中で踊っていた。


「どこが?」


その心底不快そうな顔を見て、俺は思わず笑った。


「ここは俺だけの王国だ。何をしようと誰にも邪魔されないし、誰も文句を言わない。それを理想郷と言わずして何と言う? 他人に合わせて自分を曲げたり、理不尽なルールに迎合したり、そうやって無意識に自分を削る生き方をしてるから、ここの良さすら分からなくなってるんだ。いいか? リアルなんてクソだ。引きこもりこそ最高の生き方だ。不完全で不合理な社会システムとは無縁の世界で生きることで──」

「話長い」


俺の素晴らしい演説は、たったの一言で打ち切られた。

くそ。宇宙人と同じことを言いやがって。


「はいはい、分かった。あなたの好きにしたらいいわ。ただ、学校に行けない理由を一日中考えるくらいなら、さっさと行ってさっさと帰って来た方が、あなたの大好きな効率的な生き方とやらができると思うけどね」

「どうやら勘違いしているようだから教えてやる。オレは学校に“行けない”んじゃない。“行かない”んだ。オレの人生において、学校に通うという行為は無駄でしかない」

「ふーん」

「エリよ。お前は自分がどうして学校に行かなきゃいけないと思うのか、考えたこともないだろ。人は何故学校に行くか分かるか? 大学に進学して履歴書に箔をつけ、どこぞの企業に就職するためだ。お前はそういう道を歩むだろう。平凡なりに、優秀な経歴を残すに違いない。しかしだ! 俺は自分の履歴書を華のあるものにするために生きているのではない! カリスマアフィリエイターであり、SNSフォロワー五万人以上のこの俺は、従順なサラリーマンを量産する学校などというものを──」

「あ、じゃあさ。部活とか作ったらどう? ぱっとしない子をあなたがプロデュースして、学校の人気者にしてあげるとか。そういうの得意なんでしょ?」

「話聞けよ」


エリは既成概念に縛られたありきたりな提案を自分勝手に発言していたかと思うと、それにも飽きたのか「じゃあね」の一言で窓を閉め、さっさと帰って行った。


しんと、辺りが静まり返る。

さっきまで人がいたのが嘘のようだ。

こういう時、ほんの少しだけ侘しさのようなものが去来する時がある。

やかましい状況に慣れてしまい、脳が誤作動を起こすのだ。まあ、風邪みたいなものだ。しばらくネットの世界に耽れば、再びこの部屋は理想郷に舞い戻る。


ピンポーン


そんな俺を現実に引き戻すように、家のインターフォンが鳴った。

普段なら即刻無視するところだが、エリが出て行ってすぐのことだ。何か言い忘れていたことがあったのかもしれない。

俺は舌打ちし、重い身体を起こして玄関に向かった。

ガチャリとドアを開ける。


「おいエリ。窓から侵入してこないのは殊勝な心掛けだが、この俺に二度手間を踏ませるのは──」


目の前には宇宙人がいた。

特徴的な銀髪を風で揺らしながら、俺をじっと見つめている。


「約束が違う。オマエはワタシの言うことを──」


バタンとドアを閉じた。


「さて、フォロワーから届いた人生相談にでも答えるか」


俺が玄関から背を向けると、突然轟音が鳴り響いた。

慌てて振り返ると、触手を背中から生やした宇宙人が、自宅のドアを粉砕したところだった。


「オマエ、約束を違えるのか?」


彼女は無表情のまま、小首をかしげてみせた。

それは常識的な観点で言うと可愛らしい仕草なのだろうが、俺にとっては恐怖そのものだ。

俺は思った。

これだから、常識というのは嫌いなんだ。



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