第3話 宇宙人はアイスがお好き
「……そん、そんなわけ、ないだろぉ~? ただちょっと体調が悪かったからさぁ。ほら、人にものを教えるんだから、不備があっちゃ困るだろ? ちゃんと頭が回る時にしないとさ」
唾を何度も飲み込みながら、時々うわずる声をなんとか紡ぎ出す。
彼女はじっと俺を見つめていた。
その無表情の中に、どんな感情が込められているのか、皆目見当がつかない。
当たり前だ。宇宙人の感情を読み取るような特殊技能があるのなら、わざわざアフィリエイトなんかで金を稼いだりしていない。
「そうか。一理ある」
どうやら納得してくれたようだ。
俺は胸を撫で下ろした。
「しかしオマエのせいでワタシは不利な立場に立たされた」
「は?」
「詳しく話す」
そう言って、彼女は我が物顔で家に入って来た。
「ちょちょ、ちょっと待て!」
彼女はぴたりと止まった。
「なんだ?」
得体の知れない宇宙人を家に招きたくない、などと言えば、今度はあの触手で俺の脳天を貫かれるかもしれない。
「いや、……外で話さね? ちょ、ちょっとは太陽の光を浴びないとさぁ。明日までに体調が戻らないと厄介だし」
「分かった」
非常に素直な奴だ。
自分に常識がないと自覚しているからだろう。
「よし。そうと決まればさっさと行こう」
実は外で話す理由はもう一つある。
もしも俺が自宅にいたなら、このドアを破壊した理由を同居人に説明しなければならなくなる。それは色々と面倒くさいし、下手をすればすべての責任を俺に擦り付けられるかもしれない。
面倒なことに、そういうことを言ってきそうな奴が一人いるのだ。
「……ちょっと、何よこれ」
それがコイツ。高校一年の俺の妹だ。
俺は思わず頭を抱えた。
あともう少し帰りが遅ければ、知らぬ存ぜぬを貫き通せるところだったのに、最悪のタイミングだ。
そんな俺の苦悶など無視して、妹はいつもの如くキッと俺を睨んだ。
「アンタさぁ。どうすんのこれ⁉ 修理するのにいくら掛かるか分かってんの⁉」
「……別に俺がやったなんて言ってねえだろ。それと、まるでお前が金を出すような言い草はやめろ」
俺は視線を逸らし、ぼそぼそと呟くように言った。
「はあ⁉ 修理費はアタシの家のお金じゃない! 居候の癖に‼」
「そのセリフは大好きなパパから禁止されてるんじゃなかったか?」
妹は、まるで歯が立たない大型犬に挑む子犬のように、歯をむき出しにしている。
しかし口論で俺に勝てるわけがないと悟ったのか、自分を落ち着かせるようにため息をついた。
「ようやく学校に行ったかと思えばこれとか。アンタって人に迷惑しかかけないのね」
俺が引きこもりをしていたことで、お前にどんな迷惑をかけたと言うんだ。実質的被害がないにも関わらず人を貶す理由は二つある。一つは相手を否定することで自分の価値観を肯定するため。そしてもう一つは自分が望んでいるものを相手が持っていることに対する嫉妬心だ。どちらにせよ健全な行動でないことは言うまでもない。
……と、いうようなことを述べて論破してしまうと、彼女が精神崩壊を起こしてしまうので、俺は心の中に留めておいた。
決して気後れしているからではない。
「……行くぞ、生徒会長」
俺は妹を無視して家を出た。
「死ね」
すれ違いざまに、そんな言葉が妹の口から発せられる。
ボキャブラリーの少なさが低脳さを表しているな。自分が何に腹が立っていて相手のどこに非があるのかを論理的に分析していればそのような短絡的な言葉は出てこない。つまりその一言が俺との口論に敗北したという証明だ。
もちろん、これも妹の精神崩壊を防ぐため、心の中にとどめておく。
決して萎縮しているからではない。
◇◇◇
しばらくの間、俺と宇宙人は辺りを散歩していた。
というのも、俺は率先して相手に話を振るタイプではないし、用事があるはずの宇宙人はまったく話をする素振りがないからだ。
「それで用件は?」
とうとう根負けして、俺は宇宙人にそう聞いた。
「オマエが再び引きこもったことで、その原因がワタシにあるのではないかという疑いをかけられている」
「事実じゃねえか」
「そうなのか?」
彼女は小首をかしげた。
俺は少しぼーっとしていたが、すぐに彼女の意図を察した。
「違う違う。そうだった。俺はただの風邪だった」
彼女は納得したようにうなずいた。
危ない危ない。
どうやらコイツが小首をかしげる時は、俺を殺すべきか考えている時らしい。
「ワタシがしつこく付きまとっていることが、いじめと受け取られたのではないかと皆が言っている」
事実じゃねえか。
もちろん声には出さないが。
「元々社会に順応していた人間に擬態している以上、ワタシはこの人間に相応しい存在であらなければならない。生徒会長の座を辞するようなことになるのは避けたい」
「お前、宇宙人なんだろ? そこまでして人間に扮する理由はなんなんだ?」
「特に理由はない。地球で暮らすにはこれが最適だと判断したまでだ。人間の根絶について考えているのなら心配するな。必要以上に擬態している個体を増やすつもりはない」
逆を言えば、必要な数の人間は殺すってわけか。
まあ、そこはあまり深く考えないでおこう。
「じゃああれ。人間の死体から作られたなんとかってやつ。あれってどういう仕組みなんだ?」
「これを被ることで人間と同じ生活形態を維持できる。個体が持っていた生前の記憶は共有できないが、肉体構造をある程度同一化することで、人間独自の感覚を身につけることができる。あとはより正確に擬態するため、ある種のパーソナリティも備えられている」
「パーソナリティ?」
ふいに、目の前からころころとリンゴが転がって来た。
見ると、遠くから主婦がこちらへ走って来る最中だった。
「すみませーん! ちょっとそれ、拾っていただけますか⁉」
宇宙人はゆっくりと駆けだした。
かと思うと、突然何もないところで躓いた。
周囲がスローモーションに見える瞬間を、俺は初めて体験した。
タキサイキア現象。危険を感じた時、視覚の処理能力が通常よりも高まる現象だ。
宇宙人の腕が弧を描きながら、ゆっくりと地面へ落下する。
その腕が地面に接触しようという時、ちょうどその間にリンゴが転がって来た。
宇宙人の腕は拳を作り、真上からそのリンゴに正拳突きをした。
リンゴは一瞬の内に粉砕し、その拳はコンクリートに陥没する。
クモの巣のようなヒビが周囲へ広がり、それは俺の足元にまで達した。
「ひいいいぃ‼」
主婦は逃げて行った。
俺もできればそうしたいが、ゆっくりと立ち上がる宇宙人が、既に俺の方を向いていた。
「こういうものだ」
「どういうもの⁉」
「この世界ではドジっ子と言うんだろう?」
……ヤバイな。
色々と、突っ込みどころがあり過ぎる。
「……オーケイ、整理しよう。つまり箸を食い千切ったのも、ごみ箱から食べかけのハンバーガーを拾ってきたのも、全部お前流のドジっ子属性のつもりだったってわけか?」
「違うのか?」
違うとも言えないが、少なくとも属性として付与しようと思えるような可愛げのあるものではないことは確かだ。
「要するにお前は、人間世界に溶け込むために、お前なりに考えた人間のテンプレートを被ってるってことだな」
「そう認識していれば、齟齬が生じる可能性は低いだろう」
人間の死体を元に作り出した人間の皮。テンプレート。
そのテンプレートを被っていると、この生徒会長はドジっ子属性になる。
……なるほどなるほど。まさしくライトノベル的展開だ。
しかしいくら待っても蕁麻疹が起きないほどに、グロテスクな設定だった。
「んじゃ、お前の本体はその触手か?」
「そうだ。正確には触手の接合部分にある集合意識だが」
「集合意識? つまり触手一本一本が意思を持っているのか?」
「ワレワレは人間のような個性に頼った社会構築を非効率的だと考えている。故に意思決定が揺らぐことのないよう、一つの意思に統一した。触手一つ一つは独立しているが、それも全て同じくワタシだ」
アメーバみたいなものなのか?
生態についてはよく分からない。
しかし少なくとも言えるのは、コイツが俺を殺さないと判断したなら、他の人間に化けた宇宙人にも殺される心配はないということだ。これはかなりの朗報だろう。
「触手の持つ自我は一つで、いくつもの触手の集合体によって生まれた個は、人間にとっての腕や足と変わらないってわけだな? そうして生まれたのが、生徒会長X(エックス)ってわけか」
「Xとはなんだ?」
「数学で未知数を示す記号だよ。宇宙人は俺達人間にとって未確認生命体だからな。そういう風に表す時があるんだよ。『遊星からの物体X』って映画、知ってる?」
「知らない」
「DVD持ってるから今度貸してやるよ」
人間の死体を被る宇宙人が相手だというのに、まるで友達同士の会話だ。
現実味が湧かないからか、他人なんてどうでもいいと思っているからか。
どっちにせよ冷酷無比であることに変わりはない。
ふと、Xがある方向を向いたまま動かなくなった。
視線の先を辿ると、アイスクリームの屋台があった。
写真写りの良さそうな小洒落た装飾は、見るからにSNSを意識したものだ。
ガラス張りの冷蔵庫から覗く色鮮やかなアイスの数々は、まるで映してくださいと言わんばかりにピースサインをするアイドルのそれだ。
店内には、ご丁寧にアイスクリームが一番映える角度をレクチャーした張り紙まである。
「食うか?」
あまりにもずっと見つめているので、俺は思わずそう言った。
彼女は何も言わず、こくりと頷く。
ラノベならこの200円相当の買い物でヒロインのハートを射止められるのだが、如何せんこれは現実で、しかも相手は中身が触手の宇宙人だ。
そんなことあるはずもないし、あっても何も得しない。
俺は二人分の金を払い、Xにコーン付きのアイスを手渡した。
初めてもらったおもちゃを警戒する子犬のように、Xはまじまじとそれを見つめている。
「舌で舐めたりして食べるんだよ」
そう言って、俺が実践してみせると、Xはじっくりと俺の食べ方を観察してから、同じようにアイスを舌でなめとった。
その途端、目を大きく見開き、Xは動きを停止させた。
「どうかしたのか?」
その途端、Xは突然大口を開けた。
頭の輪郭を明らかに超えた口で、Xは自分のアイスをバクンと飲み込む。
俺が呆然としていると、再びXは口を開け、今度は俺のアイスに腕ごとかぶりついた。
「うわああああ‼」
こんなみっともない絶叫をあげるなんて、生まれて初めての経験だった。
しかし叫ばずにはいられないほど、気持ちの悪い感触だった。
明らかに人間の口ではない。ぬめぬめした軟体動物に取り込まれ、掃除機のように腕を吸い込まれているような感覚だ。
慌ててアイスを手放すと、Xはひょっとこのような顔ですぽんと俺の腕を開放した。
「なにしやがる⁉」
甲高い声で俺は叫んだ。
Xはそれを無視し、今度はアイスを貯蔵しているガラス張りの冷蔵庫によじ登るようにして、屋台の中へ入って行った。
呆然としている店員を無視し、スライドさせたドアからアイスの入った容器を取り出すと、Xは容器ごと口の中へ放り込んだ。
「わああああ‼」
店員が逃げて行った。
そんなことなどお構いなしに、Xは種類ごとに置かれている容器を、次々と口の中へ入れていく。
豪快な食べっぷり。そんな言葉じゃ言い表せない。
これはまさしく狂い食いだ。
俺は周囲を見渡した。
幸い、周りに人の気配はない。
金さえ払っておけば、店員一人の証言はおそらく黙殺できるだろう。
「おい、X」
俺が呼ぶと、ようやく彼女は止まった。
いつもと同じ無表情で、ゲプッと下品な音を出す。
その下腹部はまるで妊婦のように降らんでいた。
あの中が全てアイスだと思うとぞっとする。
「……こういう時、人間がなんて言うか知ってるか?」
「知らない」
俺はその言葉を教えてやった。
「……うまい」
Xは一言、何の感慨もなさそうにそう言った。
その言葉が気に入ったのか、Xは「うまい、うまい」と言いながら、再びアイスを食べ始めた。
俺の足元に、アイスが映える写真の撮り方をレクチャーした張り紙が滑り落ちてくる。
とりあえず俺は、その張り紙に倣って、触手を使ってバケツからアイスを絞り出すXの写真を撮ってみた。
それはSNSにアップしたらバズること間違いなしの一枚だったが、そんなことをすれば、きっとあのバケツの代わりに俺が絞り殺されることになるだろう。
ふいに、エリの言っていた言葉を思い出す。
学校で浮いた人間を人気者にするために、その人物を俺がプロデュースする部活。
もしもその最初の第一号が彼女なら、前途多難も甚だしい。
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