第15話 引きこもりの本音


日本のエリア51。

そう呼んでもいい地下基地の中を、俺は歩いていた。

SF映画に出てくる宇宙船のような無機質な壁が、永遠と続いている。

詳細な見取り図がなければ、絶対に迷っていただろう。

時折、遠くから爆発音が聞こえてくる。かなり派手に暴れているが、一応、人は殺していないはずだ。


しばらく歩くと、奥にひと際大きな扉があった。

その扉の前にはエリがいて、まるで全て分かっていたかのように俺を待ち構えていた。


「そこまでよ」


エリは静かに言った。


「この騒ぎ、一体何をしたの?」

「さあ。どうしたと思う?」


エリは黙って銃を向ける。

俺は肩をすくめた。


「別に大したことはしてない。俺が持っているカードを、俺なりに切っただけだ」

「だから、それがどういうものなのかってことを聞いてるの」

「俺が持っているカードは二つ。一つはとあるツテで、この基地のセキュリティに俺の生体認証が登録されていること。そしてもう一つは、宇宙人と交流があることだ」


俺が指折る様子を、エリは注意深く警戒している。


「俺は決意を固めてここに来た。たとえ何が起こっても納得できるように。どんなことになっても、目的を達成できるようにな」


俺は一度だけ天井を見上げ、そしてエリを見つめた。



「だから、俺は人間をやめることにした」



「え?」


俺の背中から触手が飛び出す。

エリはそれに対応できず、銃を弾かれて触手が身体に巻き付いた。

かなり強い力で締め上げているはずなのに、エリは痛みに顔を歪ませるどころか、鬼のような形相を見せた。


「お前ぇ‼」


ぷっと、エリが口から何かをはいた。

その小さな丸い球は、床に接触したと同時に煙を吐き出す。


KYYYYYY!!


触手は即座に膨れ上がり、床に倒れた。


「よくも学を殺したな! お前は絶対に許さない‼」


エリは触手を掴み、ナイフを取り出した。

思い切りそれを振りかぶり、ぴたりと止まる。

自分の肩を思わず見る。

そこには、ワイヤーに繋がれた針が刺さっていた。

バチン‼

激しい電流が流れ、エリはその場で倒れた。


「一丁あがりっと」


俺はサーモカメラ搭載のゴーグルを外し、拳銃型のスタンガンを捨てた。


「……どういう、こと?」

「マジかよお前。普通の人間なら一瞬で気絶する電流だぞ」


彼女の身体能力に感歎の意を表明しながら、俺は彼女の両腕と両足を縛った。

睨む彼女に、俺は少しだけいたたまれなくなって目を逸らし、頬を掻いた。


「ま、あれだ。普通に嘘だった。スマン」


膨らんだままの触手が、ずるずると床を這いながら俺の足に絡みつく。


「悪いな、Y。貧乏くじ引かせた」


触手は怒っているのか、少しキツく俺の足に巻き付いた。


「……脱いだのね。元は妹さんかしら」

「その通り。全部お前の冷静さを欠かせるための作戦だ。ついでに宇宙人が相手ならあの球を使ってくれるってのも計算済み。視界を自分から狭めてくれるから、俺は遠くから止まった的に、ゆっくりと照準を合わせるだけで済んだってわけだ」


俺がテンプレートなら、あの球さえ出してしまえば動きを封じられる。

そう思い込ませることで、戦闘のプロに決定的な隙ができた。


「んじゃ、黙ってそこで見てな」


指紋を認証し、あらかじめ師匠から聞いていた数字を打ち込む。

小さな液晶ディスプレイに、『ERROR』と出た。


「あ?」

「さっき私が変更しておいた」


エリは壁を背に座り直しながら言った。

身体がしびれて喋りにくいのか、彼女の口調はどことなくしたったらずだ。


「言ったでしょ。もうあなたを甘く見ないって」


自分が負ける可能性も想定済みだったってわけか。

さすがはエリート諜報員。一筋縄ではいかない。


「で、どうする? 私を拷問する?」

「どうせ訓練済みだろ。わざわざ相手の得意分野で勝負なんかするかよ」


しかしどうするか。

ここまできたら、もはや残された方法は、彼女に自白させる以外にない。


「どういう方法でここまで侵入できたか知らないけど、もうすぐここにも警備員がやって来る。これで終わりよ」

「どうかな。そう簡単にいく相手とも思わないが」

「……どういうこと? あなた、一体誰に協力を求めたの?」

「お前らに愛しの同類を弄られることに耐えられない、ヤンデレの知り合いだ」


エリは眉間に皺を寄せ、舌打ちした。


「相変わらずふざけたことしてくれるわね。戦争になったらどうなるか分かってるの?」

「Xの奪還という目的がなければ、それこそZは侵略戦争を本格的に開始してた。大局が見えてないのはお前らだろ?」

「……あの方の入れ知恵ね?」

「分かってるなら話は早い。師匠が間違った判断をするはずがないことは、俺よりも理解してるだろ? 早く通してくれ」


エリは首を振った。


「もはやそんな簡単な問題じゃないの」

「お前らが勝手に難しくしてるだけだろ。そうやって事なかれ主義でなあなあにやり過ごしてると、本当に痛い目を見るぞ。お前らがじゃない。人類全員がだ」


俺とエリは睨み合った。

しかしやがて、エリはため息をついた。


「……やめましょ」


一言、彼女はそう言った。


「元々、あなただって人類のためとか、そんな理由でここにいるわけじゃないんでしょ? あなたはあなたの、個人的な理由でここにいる。だったらその話をしましょう」


俺は少しだけ考えた。


「……Y。悪いけど、ちょっと向こうで見張っててくれないか?」


既に膨らみも収まりつつある触手が、少しいじけたように先端を床に向け、そそくさと離れて行った。


「……学。あなたは分かってくれないかもしれないけど、私、本当はうれしかったんだよ。どんな理由であれ、あなたが外に出てきてくれたことが。あなたが、誰かと関わろうとしたことが。でも、なんでよりによって……」


エリは歯噛みし、次の言葉を飲み込んだ。

俺は彼女の言葉を、黙って聞いていた。


「……知ってるさ、それくらい。何年一緒にいると思ってるんだ」

「だったらどうして⁉ どうして言うこと聞いてくれないの‼ 私はずっと我慢してた。私なら、あなたを外に連れ出せる。あなたが思う理想を、あんな暗いところじゃない、もっと華やかな場所に作ってあげられる。今ようやくそれができたのに。なのにどうしてそれを捨てようとするの⁉」


きっとエリは、ずっと俺への不干渉を命じられていたんだろう。

彼女が唯一できたのは、引きこもりの俺の部屋へ窓から侵入し、ちょっとした愚痴を聞くことだけだったに違いない。


「確かにお前の言う通りだよ。リアルをクソだとののしって、ネットで十分だとうそぶいて。でも俺は、本当は学校の人気者でいたかった。褒められたかった。ちやほやされたかった。でも実際にそうされて、気付いたんだ。俺の望みは、いつの間にか変わっていたんだ。……母さんが家を出て行ったその日から」


これを誰かに話すのは初めてだった。

いや、きっと自分自身でさえ、ちゃんと理解していなかった。

俺は今初めて、自分の気持ちに向き合おうとしている。


「シングルマザーの母さんが苦労しないように、俺なりに努力していたつもりだ。勉強も頑張ったし、クラス委員に推薦されるくらい、クラスでもうまくやっていた。母さんの自慢の息子であり続けた。でも俺が頑張れば頑張るほど、母さんは俺を見なくなっていった。一人でできるから、放っておけばいいって。たぶん、そう思ったんだろう」


エリは俺の話を黙って聞いている。

黙って、真剣に聞いている。

そうしてくれると思ったからこそ、俺は彼女にだけ話そうと、そう決めたんだ。


「だから母さんは俺と相談なく再婚したし、俺と家を捨てて出て行った。一人でできるから。放っておいてもだいじょうぶだから。だから俺は、学校なんて行ってやるかと思った。放っておけない自分になって、ずっとあの家で、母さんを待っていたんだ」


俺は天井を見上げた。


「フォロワーなんていらない。人気者になんてならなくていい。友達も、好きなことも、何もいらない」


涙が、じんわりと瞳を濡らす。

俺は震える声で言った。


「俺はただ、母さんが戻って来てくれれば。ただそれだけでよかったんだ」


その言葉を発した途端、ぼろぼろと涙がこぼれた。

涙が止まらず、まるでガキのように、俺は泣きじゃくった。


本当は知っていたんだ。

こんなことをしても意味はない。いくら引きこもりになっても、母さんが俺を見てくれることはないんだって。

そう分かっていても。それでも俺は、母さんを諦められなかった。どうしても、諦められなかったんだ。


しばらくして、俺は大きく息を吸い、吐いた。

痙攣するように震えていた横隔膜が、落ち着きを取り戻す。

俺は顔を拭った。


「……でも、もう待つのはやめる。子供のダダは、もう終わりだ。これからは、自分のためじゃなくて、誰かのために生きる。俺と同じ奴のために。まだ諦めてない奴のために」


俺は改めてエリを見た。

彼女は真剣な表情で俺を見つめていた。

自分の頬を伝う涙にも、気付いていないかのように。


「だから、コードを教えてくれ」


エリは目を瞑った。

そのまま下を向き、大きくため息をつく。

エリはぼそりとコードを言った。


「これで私は、幼馴染のために世界を売った極悪人ね」


俺は小さく笑った。


「安心しろ。逆の場合だってある」


コードを入力すると、緑のランプが光り、扉が開いた。


「俺がそうさせる」

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