第9話 宇宙人からの逃走


俺はYの手を引きながら、全速力で家を飛び出した。

振り向くと、Zが壊れた壁からゆっくりと外に出てくるところだった。

師匠からもらった武器はまだあるが、次からは相手も警戒してくるだろう。


エリの家の側には、生徒会長とは別個体のXがいるはずだ。

たとえどんな異変があってもエリから目を離すなと言ってあるから、もしかしたらZの襲撃に気付いていないかもしれない。俺は自宅にいないと言ってあるし、騒動を敢えて確認しようとしない可能性は充分にある。

助けを求めたいのは山々だが、エリが宇宙人となり替わる隙は、一瞬たりとも作りたくないというのが本音だ。

Xを探している間に、エリが人質として価値のある存在だとZに判断されることが、俺にとっては何よりも最悪な事態だった。

それにこの状況では、Xがどう動くかも定かではない。

迷ったが、俺はXの助けを借りずにこの場を切り抜けることにした。



◇◇◇


俺達は人通りの多い繁華街にやって来た。

ここなら公に触手を使うこともできないはずだ。

ここで少し戦略を──


「お兄ちゃん!」


俺はぞくりとした。

慌てて飛びのくと、直前まで俺がいた場所に金属バッドが振り下ろされた。


「失敗かぁ」


抑揚なく呟く派手な格好の男。

間違いない。コイツはZだ。

堂々と敢行される犯罪行為に、周囲では警察を呼んでいる人間も何人かいる。

捕まるのも辞さない構えか。正直、ここまでしてくるとは思わなかった。

俺は球体を持って構えた。


「いいぜ。それ、投げて来いよ。人間に正体はばれるが仕方ねえ」


にぃと、男は笑った。


「もちろん、そっちにもリスクはあるがな」


くそ。

悔しいが、こいつは状況をよく理解している。

宇宙人が存在することがばれるのは、宇宙人を匿っている俺にとっても避けたい事態だ。


ハッと気付くと、背後もZと思しき男達によって取り囲まれていた。

俺達は側にあった路地裏に入らざるを得ず、そしてその路地裏は当然のように壁が立ちふさがり、行き止まりになっていた。

路地裏に蓋をするように、男達が群がって来る。

その中から、キャンディを舐めながらZが前へ出て来た。

醜く溶けていた顔は、既に修復されている。


「さて。アタシの顔をドロドロにした報いを受けさせてやりましょうかね」


奥では、何事かとこちらを窺う人間が何人かいる。

未だZにとって触手を使うのはリスクだろう。しかしもはや、そんなものを使う必要もない。


「……俺をここで殺していいのか? 死人は情報を喋っちゃくれないぜ?」

「その球のことっスか? それとももう一人の愛する同士のことっスかね。確かに気にはなりますが、あなたを生かしておく方がよっぽど問題っスね。その子と一緒になって得られる最低限の情報で我慢します」


さすがに冷静だな。

X、Yと比べても、かなり頭が回る奴だ。

しかし、だからこそ……


「知ってるか? 人間のことわざにはな。『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』ってことわざがあるんだぜ」


俺が耳打ちすると、Yは背中から一本の触手をそそり立たせた。

Zは驚愕し、すぐさま野次馬達に対して壁を作る。


「おら見てんじゃねえぞ!」

「ひいぃ‼」


彼らを脅し、その場から退散させている間に、Yは後ろの壁を破壊した。

ぽっかりと空いた穴をすぐさま潜り、球体を穴の手前で破裂させる。

白い煙に阻まれて、奴らは俺達を追って来れない。


さっき使われた手を使い返すという巧妙な作戦だ。

さらばZよ。しょせん人間様に知恵で勝とうなどと──


「甘いっスよ」


Zは排水管に手をかけたかと思うと、ほんの小さなくぼみを使って、パルクールのように壁を登り始めた。

触手は使っていないが、ハリウッド映画に出てくる超人並みの運動能力だ。


「おいおい! んなことしてもしもばれたら……‼」

「確証さえ得られなければいいんスよ‼」


Zの身体は、ほんの数秒で、球体から出る煙を優に超える高さに到達した。

Zは煙を飛び越えようと、排水管を持つ手を振り子のようにして勢いをつける。

まずい!

そう思った時だった。

突然排水管がボキリと折れた。

Zがあらぬ方向を睨みながら、地面へと落下する。

なんだ? 誰を見ている?

そんな俺の疑問は、グシャッ、という耳障りな音がかき消した。

壁が邪魔で見えなかったことが何よりの救いだ。

とにかく、今は考えている余裕はない。

俺達は全速力でこの場を離れた。



◇◇◇


息を切らしながら、俺は辺りを見回した。

人影はない。だが追いかけてきている気配がする。

Zは一体何人で追ってきているんだ? どっちにせよ、これでは捕まるのも時間の問題だ。


「また人込みに紛れるか。けど誰がZか把握してない状態では……。かといって人通りの少ない場所だと触手でめった打ちに……」


まずいな。思考が定まらない。

普段なら、こういう時は何もかも忘れてさっさと寝るに限るのだが、今そんなことをすれば永眠するハメになるのは目に見えている。

俺がぶつぶつと呟いていると、今までずっと離さなかった手を、Yが離した。


「どうした。何か案を思いついたか?」


Yは首を振った。


「もういいよ」


それが何を意味しているのかが分からないほど、俺は馬鹿ではなかった。


「これ以上アタシといると、お兄ちゃん死んじゃうし」


Yは努めて明るく笑った。


「だいじょうぶ。別に死ぬわけじゃないから。ただ、今のアタシがいなくなるだけで」


それは死ぬってことじゃないのか?

少なくとも、もうお前は、そうなることを死として認識しているんじゃないのか?

そんな言葉が、俺の脳裏で渦巻いた。


「たぶんさ。罰が当たったんだよ。人の人生を奪っておいて、なに勝手なことしてんだって」


宇宙人が罪の意識に苛まれるってか?

お笑いだね。

俺は知り合いが宇宙人になり替わっても、平気な顔して付き合えるってのに。


今まで仲良くしていた人間が宇宙人に入れ替わっても、誰も気づかないような世の中だ。

社会の仕組みから外れず、従順にリアルに奉仕していれば誰にも文句を言われない世の中だ。

大なり小なり、人は誰かを殺してる。他人の尊厳を殺し、自分を殺し、形ばかりの常識に従って生きている。そんな俺達とお前達に、一体どんな違いがある?

こんなクソみたいなリアルに対して、罪の意識を感じる必要なんてどこにある?


「アタシはね。失敗作なの。どの個体よりも人間に適応して、どの個体よりも人間を理解するための装置だったのに、人間になり過ぎた。本体よりも、この個体の意思を尊重して行動できるようになっちゃった。そんなの、普通に考えたらもういらないよね」


いらないってなんだ。

自分たちと違うからか? 価値観が違って、マジョリティとの差異が邪魔になるからか?

……ふざけるな。


俺は偽善者が嫌いだ。だがリアルに合わせるのに必死で、偽善すらできない奴はもっと嫌いだ。

一人で生きるためにはコツがある。それは唯一の同居人である、自分自身を好きでいることだ。

だから……。

俺はYの腕を取り、再び走った。


「ちょっ。アンタ、話聞いてた⁉ アタシと一緒にいたら死ぬんだよ⁉」

「泣きたいくらい嫌なら、最初からそう言え」


俺は、自分が泣いていることすら気付かない馬鹿な宇宙人に、そう言った。

Yは俯き、しばらく黙ったまま、俺に手を引かれていた。


「……覚えてる? アタシが初めてあの家に来た時のこと。いきなり知らない人を家族だって紹介されて、混乱して。でもそう言えなくて。アタシが居たたまれなくて、部屋に戻ろうとした時。お兄ちゃん、同じこと言ってくれた」


やっぱりそうか。

俺が知っている妹は、最初からずっとYだった。

それが分かっただけで俺は満足だ。

身近な人間が宇宙人になり替わっても気づかない。そんな愚かな人間になるくらいなら、死んだ方がマシだ。


「たぶんアタシは、あの時から人間になったんだよ。本気で泣いたり怒ったりできる人間に。だから──」


突然、俺の首に何かが巻き付いた。

もがく暇もなく、俺の身体は宙に浮き、ブロック塀に叩きつけられた。

痛いなんてもんじゃない。一瞬、意識が飛びかけたほどだ。


「捕まえた♪」


Zの恍惚とした表情を、俺は睨みつけた。

Zの背後では、他の個体によってYが捕まっている。


「お願い! お兄ちゃんを殺さないで‼ 言う通りにするから‼」

「分かってないっスねぇ。この人が生きてることが、アタシ達にとってどれだけリスキーだと思ってるんスか」

「さっきは助けてくれるって言ってなかったか?」

「そんなこと言いました? 忘れちゃいましたねぇ」


首に巻き付いた触手の力が強くなる。

俺は歯を食いしばって、その痛みに耐えた。


「こういう時、人間ならなんて言うんスか? お得意のことわざ。もっとアタシに教えてくださいよ」

「……八方ふさがりとかどうだ?」

「いいっスね。じゃあそのことわざ通り、触手で包み込んで圧殺してやりますよ」

「そうだな。そうしてもらうといいさ」


Zは眉をひそめた。



ギチ、ギチギチ



奇妙な音をたてる目の前の家を、Zは見上げた。


黒く滲んだ壁は人を拒絶するように佇み、曇り気味の窓は、見つめていると誰かがこちらを覗いているような気がしてくる。

ホラー映画のロケ地かと思えるような、古ぼけた木造住宅。


そんな家が、内部から圧迫されるように膨らんでいた。

引き戸は弧を描き、窓ガラスからはヒビの入る音がする。

まるで、中にいる何かが、急激に膨張しているような……


「無論、お前がな」


引き戸が破裂した。

その瞬間、窓や玄関から無数の触手が飛び出し、Zの配下を一瞬にして飲み込んだ。


「……規格外にも程があるっスね。一体何本入れてるんスか」


触手の波はZにも襲い掛かる。

Zはすぐさま触手を伸ばし、地面を叩く。その反動で大きく跳躍し、近くにあった建物の壁に張り付いた。


「聞いてないっスよ。こんなヤバい奴がいるなんて」

「俺に言われても困る。こう見えて、弱点だらけなんだ。とにかく常識がなってないしな」

「馬鹿でしょ。あんなに入ってたら、そりゃ常識なんて吹き飛びますよ」


Zは地面を見下ろした。

既に無事な個体は自分だけ。拘束していたYすらも、Xに確保されている。

Zはため息をついた。

それが諦めのため息であることを、俺はすぐに察した。


「あなた、確か名前は仙道学さんっスよね」

「急になんだ? 俺に対する畏敬の念をようやく感じ始めたか?」


Zは真面目な顔をしている。

俺の冗談に乗って来る気配はなかった。


「悔しい話っスけど、たぶん一番話を聞いてくれるのはあなただと思うから、あなたに話しておくっス」


今までとは違う、無表情な顔に変わった。

その感情も生気もない顔は、人間の見せるものとは明らかに違う。これが宇宙人の顔なのかと、その時初めて思った。


「我々は人間とは交われない。どれだけ焦がれようとそれは事実だ。我々が繋がれるのは、同じものを共有する我々だけだ」


宇宙人だった表情が人間になり、Zは初めて笑顔をみせた。


「そう二人に伝えておいてもらえますか?」


俺の返事を聞く間もなく、Zは素早くその場から退散した。

Xが生み出した触手の波が引くまでの間、俺は、Zの言葉を頭の中で反すうしていた。


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