第5話 仙道家のお家事情


応急処置で取り付けられたハリボテのドアを開け、俺は帰宅した。

玄関を見ると、普段は置いていない男ものの革靴がある。

あの人が帰ってるのか。

疲れている時に限って心労のかかる用事が増えるのは、リアルの七不思議の一つとして数えられるべきだろう。



◇◇◇


「でね! 裕子が、それなら一緒にやろうって言ってくれたの。超助かっちゃったぁ~」


妹があの人と久しぶりの親子の会話を楽しんでいる中、俺は黙々と夕食に箸をつけていた。


「そうかそうか。ずいぶんと学校が楽しそうでよかったよ。今回は長い間家を空けてしまったから、髪でも染めてたらどうしようかと思った」

「もう! そんなことするわけないじゃない!」


そう言って、妹は笑いながらあの人の肩を叩く。

そうやって無駄にテンションを上げているのは、自分のテリトリーを守ろうとする防衛本能なのだろうか。

どっちにせよ下らないが。


「学君も、元気そうでよかった」


先程までの談笑が嘘のように、急に静かになった。

息子相手に君付けですか。

鼻で笑いそうになったが、それをごまかすように味噌汁を啜った。


「ドアのことは気にしなくていいよ。そんなに高い買い物でもないし、建てつけが悪くて買い替えようと思ってたところだったしね」

「嘘つき」


ぼそりと、妹が呟いた。


「こら! なんてこと言うんだ! 学君が色々と辛い思いをしてることは、お前だって分かってるだろ」


辛くてかわいそうな俺で悪かったな。

妹はふてくされたような顔でそっぽを向いている。


「……修理代くらい俺が出しますよ」

「何言ってるんだ! 子供にお金を出させるなんてとんでもない!」


もしもそう言って、家賃や食費を払おうとするのを跳ね除けられなかったら。少しはこの家も居心地が良くなるのだろうか。

……なんて、そんな妄想をしても詮無いことだ。

良識あるこの成人男性が、かわいそうな子供である俺にそんなことをさせるはずもないし、部外者として住んでいる以上、居心地がよくなるなんてこともありえない。


「でもよかったよ。学君が学校に行ってくれて。本当によかった」


学校に行くことがそんなに良いのか? なら今までは悪かったのか?

ずっと休んでいて良いと言っていたのは嘘だったのか?

そんなことを問い詰めるようなことは、もちろんしない。俺はそんなに子供じゃない。


「母さんが出て行ってから、学君も色々大変だったろ。僕らのことは気にしなくていい。二人とも、君のことも家族だと思ってるから」


何度も何度も、そうやって念を押される度に、本当は逆のことを考えているんじゃないかと思ってしまう。

そしてそれは、たぶん本当だ。オレがここにいるメリットなんて何もないんだから。


(……やっぱリアルってクソだな)


そんな当たり前の感想を、俺は味噌汁と一緒に飲み込んだ。



◇◇◇


飯を食い終わり、一人ネットを満喫したあと、俺は喉を潤すために一階のリビングに降りて来た。

リビングのテーブルには、妹が一人で座っていた。


「あの人は?」


父さんと呼ぶと妹が烈火のごとく怒るので、俺はいつもそう呼んでいる。


「仕事。急に呼び出し食らったんだって」


夕食も終えたような時間に呼び出しとは。

これだからサラリーマンはやってられない。


妹は、カップアイスをスプーンですくい、チビチビと食べている。

そういえば、あの宇宙人はなんであれほどアイスが好きなんだろうか。

今度聞いてみるとしよう。

俺は冷蔵庫を開け、妹が食べているものと同じアイスを取り出した。


「このアイス、食っていいか?」

「食べたら殺す」


俺は無視してカップを開けた。

あからさまな舌打ちの声が聞こえてくる。

会話をしやすいようにという兄の小粋な心遣いが、憎たらしいこの妹には分からないらしい。

俺がテーブルの椅子に座ってアイスを食べていると、妹がぼそりと呟くように言った。


「……アンタさ。今日生徒会長といたでしょ」

「だったらなんだ?」

「学校に行けない理由でも話してたの?」

「お前に教える義理はない」

「……なによそれ。せっかく私が聞いてあげたのに」


聞いて“あげた”ときたか。

どの辺りが俺にとって得になっているのか詰問したいところだ。


「……実はさ。聞いちゃったんだよね」

「何をだよ」

「生徒会長と話してるところ」


妹が、じっと俺を見つめる。

オレはアイスを口に入れた。


「具体的にどういう会話を聞いたんだ?」

「話、してたでしょ?」


何を聞いたのかまで話す気はないってことか。

おそらく、そこからボロが出るのを期待しているんだろう。

少なくとも言えるのは、妹はこの話題を、かなり深刻なものとして捉えているということだ。


「特に何も」

「……あっそ」


俺は、じっと自分のバニラアイスを見下ろしていた。

氷の粒でキラキラと光る様が、あの宇宙人の銀髪を彷彿とさせる。


俺は生前の生徒会長に会ったことがある。

その時の生徒会長は、厳粛な黒の髪をなびかせていた。

おそらくテンプレートの影響で、ああいう銀色の髪に変わってしまったのだろう。


「……話す気がないならもういい。どうするかは決めてるし」


妹はそう言って立ち上がった。


「おい」


背を向けようとする妹を、俺は声をかけて制止した。


「お前、何年俺と一緒に住んでるんだ?」


彼女は眉をひそめた。


「はあ?」

「俺は学校に行けないんじゃない。行かないんだ。俺が自由意思で以て学校に行かないという選択をしている。たとえ学校に宇宙人がいようとな」

「……え?」

「だから、俺がただの逃避で学校を休むなんてこと、するわけねえんだよ」


コトンと俺は黒のヘアカラーリング剤を置いた。


「うちのゴミ袋を漁ってたら大量に見つけた。ちなみに聞くが、その黒髪は地毛だよな?」


妹の顔色が一気に変わった。

突然肩を突き出すようにしたかと思うと、その背中から細長い一本の触手が猛スピードで突進してくる。

人間が反応できる速さを超えている。目を瞑ることもできずに、触手が俺の目の前に迫る。

が、それは俺の顔を貫く直前で止まった。


妹が驚愕する。

彼女の触手は、別の触手に巻き付かれて止まっていた。

妹が気付いた時、既に彼女の周りには何本もの触手が浮遊していた。

一瞬の内に身体に巻き付き、触手は妹を拘束した。


「おい! 家は壊すなって言っただろ!」


家に侵入している何本もの触手は、窓や壁を貫き顔を出していた。


「可及的速やかに動く必要があった。やむを得ない」


そう言って、ハリボテのドアを叩き壊し、Xが家に入って来た。

どう考えても、可及的速やかに動く必要のなかった破壊行為だ。


「……なるほどね。最初から分かってたわけだ」


妹は悔しさを滲ませた笑みを浮かべた。


「まあな。お前の不幸は、この俺と同居していたこと。そして俺が宇宙人の存在を知ってしまったことだ」


人間の姿をした宇宙人がいる。それを知って初めにすべきことは、身近な人間の身辺調査だ。

幸い、宇宙人を見つけるためのヒントはいくつか分かっていたので、あとはそれを目安に周囲の人間を調べればいい。


「……学校にも行けないような奴が、知った風なことを」

「何度も言うが、俺は学校に行けないんじゃない。行かないんだ。宇宙人のくせに、人間が恣意的に作り出した常識にとらわれているから、こういうことになる」


妹は舌打ちした。

宇宙人と分かっても、愛想の悪さだけは変わらないな。

Xは宙に浮かせた妹を見上げながら、いつもの無表情で口を開いた。


「しかし、まさかワタシと同じ存在がいるとは思わなかった」

「俺だってびっくりだ。てっきりコイツもXだと思っていたからな」


Xが家に殴り込みに来た日。あの時、確認をしておいて本当によかった。

それがあったから、こうしてXに張り込みをさせておいたのだ。


「ふん。良い気なものね。その様子じゃ、アイツに殺されるのも時間の問題だわ」

「ほぉ。アイツに殺される、か。興味深い話だ。もう少し詳しく教えてもらおうか」


妹は口を閉ざし、ぷいとそっぽを向いた。


「おいおい。自分がどういう立場か分かってないようだな。俺を殺そうとした罪、そして今まで反抗的な態度を取っていた罪を、今ここで償ってもらっても構わないんだぜ?」

「……何をする気よ」


俺はどっかと椅子に座り、颯爽と靴下を脱いで足を組んだ。


「足を舐めろ。そうしたら許してやらんでもない。ハハハハハ‼」


なんということだ。

悪党丸出しの行為とセリフが、こんなにも楽しいものだったなんて。

もしもこの世に正義のヒロインなるものが存在するなら、俺は喜んで悪の組織を結成しよう。


「……クソ野郎」


妹が、顔を赤くしながら心底軽蔑するような眼差しで睨んでくる。

やばいな。新たな属性に目覚めてしまいそうだ。


「それだけで許すのか?」


Xがぼそりと言った。

俺と妹は、あきれ顔でXを見つめた。


しかし、この下らないやり取りで一つ分かったことがある。

妹……面倒だからYと呼ぶか。Yは、明らかに人間の価値観に染まっている。

潜伏期間が長いから、という理由もあるかもしれないが、共感的理解ではなく生理的嫌悪まで人間と同じだとすれば、それだけでは説明がつかない。

テンプレートは人間をベースにしたただの機械だと思っていたが、もしかしたら人の意識のようなものまで残っているんじゃないだろうか。そしてその残滓が色濃く反映されるかどうかは個体によって違う。……もしかして、触手の数か?


Xは無造作にYに近づき、珍動物を観察するように、じっとYを見上げている。


「X.あまり気を抜くなよ。コイツもお前と同じ力を持ってるんだろ?」

「心配ない。この個体は一本だから」

「一本?」

「テンプレートの中にいる触手の数だ。多ければ多いほど強い」


そして多いほど人間の価値観から離れてしまう、か。

それならば、Xの常識の無さは理解できる。

最初に教室で見た触手の数は、今この場にいる触手の比ではなかった。


ふと見ると、Yが恥ずかしそうに顔を赤らめ、歯噛みしていた。

まるで、自分の尊厳を踏みにじられた時のような顔。

そのあまりにも人間臭い表情に、俺は気を取られてしまった。


「近いぞ」

「え?」


Xの指摘は間に合わなかった。

Yの触手がいきなり動いた。拘束されているとはいえある程度は動かすことはできる。その僅かな動きで、俺を吹き飛ばしたのだ。


宙に飛んだ俺は、もはや為す術もない。

そのまま壁に叩きつけられるという瞬間、Xの触手が俺を温かく包み込み、衝撃をやわらげてくれた。

しかしその騒動で拘束が緩んだのか、Yは触手からするりと逃れ、脱兎の如く走り去って行った。


「……悪い」

「あまり気を抜くなよ」


先程俺が言った言葉を返され、思わず顔が熱くなった。

まったく。慣れないことは言うものじゃないな。


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