第33話 白とエピローグ
色が変わる。
竜虫の体液の瓶を持つレッグの腕の光が変わるのを見た。レッグの腕の色は黒色だったはずだが、徐々にその色を失っていった。まばゆい白色の光がその両腕に灯ったとき、実はアリアの腕も同様に光っていたのを気づいた人間は少なかっただろう。
「お前がいないなんて考えられない。世界も少しだけ大事なんだけどな」
「馬鹿レッグ!」
「俺の心の中の折れない芯はお前なんだ、アリア」
レッグは前に進んだ。その顔には先ほどまで浮かんでいた怒りや不安といったものは感じられない。瓶を前に突き出す。
「ネミング! 受け取れるなら受け取ってみろ、だがもうお前にはできない」
ネミングの顔色が変わった。その身体に塗られた体液から、何かを感じ取ったネミングは空中を見上げた。顔には恐怖が浮かび、その全身が緑色に光り出す。
レッグだけは気づいていたのである。すでにそれは確信へと変わっていた。
「浮島!?」
誰かが叫んだ。おそらくそれはザハラの声だったのかもしれない。
だが、その場にいたほとんどの者は浮島だけではなく、そこから大量に向かってくる竜虫を認めていた。その数は数十にも及ぶ。この数の竜虫を同時に見たことのある人間はいない。
「あんなに沢山の竜虫が……」
せめてもとアークとリナを逃がそうとしていたエミリーが言った頃には、竜虫たちはすでにアラバニア軍の陣営の上空にまで来ていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ネミングが発狂する。竜虫の感情がわかるネミングにはこの後自分に訪れる運命が分かっていたのかもしれない。
「アリアッ!」
「レッグッ!」
そして二人もそれがどんなことなのかが分かっていた。ネミングの気が竜虫たちへとそれると同時に二人は駆けだしていた。
レッグがアリアを抱きしめる。その拍子に瓶が地面に転がった。
しかしネミングはそれどころではなかった。
竜虫たちの想いは、その目的を妨げるものたちへと向けられる。
一体の竜虫が陣営の上空から急降下した。竜虫が狙ったのはネミングである。
アリアに突き付けていた剣を竜虫にむけるネミングであったが、そのような事はものともせずに竜虫はその顎でネミングに食らいついた。
「こ、こんなことが……」
胴体をかみ砕かれても、ネミングは絶命しなかった。すでにあらゆる感覚が麻痺しかかっていたのかもしれない。
そして、そのネミングを上空で振り回し落とすと、竜虫はもう一度ネミングに食らいついた。
ネミングは、領主館の入り口でオーガスタがそうされたのと同じように絶命した。竜虫たちは赤く光っていた。
アラバニア軍の陣営は大混乱に陥った。竜虫へ向けて弓矢をはなつものまで出たのである。
「やめろ!」
レッグが叫ぶ。レッグの声が届く範囲にいた兵士たちは、不思議とその声に従った。徐々に落ち着きを取り戻していくアラバニア軍の兵士たちは、最終的に竜虫がこちらを攻撃してこないと分かると、それぞれの指揮系統を確立することができた。
***
「私たちを連れて行きたいの?」
いつのまにか、アリアの横には小型の竜虫が浮かんでいた。アリアたちを王都からシトラリアへ運んでくれたあの竜虫である。
「レッグ、この子が私たちについて来て欲しいって」
上空には竜虫たちが旋回している。一体だけがアリアの横に浮かび、ネミングをかみ殺した竜虫は上空の仲間たちのところへと戻っていた。
「なんでだろうな、俺も呼ばれている気がする」
二人の腕は白く光っている。アリアは竜虫の顔をなでた。
「アリア、首は大丈夫か?」
血が落ちるアリアの首にハンカチを当てて、レッグは言った。今はただアリアが心配なだけであるが、ほっとした気分もある。
竜虫たちが、ネミング以外の人間に害するとは思えなかった。それは感覚で分かったのである。竜虫たちの目的は白く光る二人を浮島へと連れて行くことだった。
「乗ってってさ」
「ああ、分かった」
二人は竜虫へと乗り込んだ。
「ザハラさん、ちょっと行ってくる」
「ああ、ここの後始末は任せておけ」
レッグがザハラに声をかけると竜虫は飛び上がった。
すでに日が登ってからかなりの時間が経っている。竜虫たちが浮島へと帰っていくのに合わせて、アリアとレッグを乗せた竜虫も浮島へと向かって飛んだ。
「ねえレッグ、この後どうしようか」
「む、そうだな」
とりあえず、全部終わったら帰ってご飯を食べよう。レッグがそう言うとアリアはおもいっきり頷いた。
「レッグの新作食べさせてよ」
「ああ、いいぜ。絶対に気に入るさ」
その後、沢山の竜虫に導かれ、二人は浮島へと足を踏み入れた。
***
「まさか、こんな形になるとはね。僕もまだまだだな」
「アーク」
リナを抱きかかえ、アークはぼやいた。自分はもっとできると思いあがっていたらしい。結局はほとんどいい所をレッグに持っていかれた。だが、そんなに悪い気分でもなかった。
「まあいいさ、僕の作った偽物の資料がこれから役にたつだろう」
全て、ネミングが仕組んだことになった偽の資料にはネミングとオーガスタとのやり取りが偽造されている。死んだ者には悪いが、これ以上犠牲が増えないようにするためにも、ヘンリー=ウェスタには英雄になってもらう必要があり、アラバニア王国とも良好な関係へもどってもらう必要があった。
ネミングが私腹を肥やそうとしてシトラリアに反乱を起こしたというこの事件で貴族に家がそのまま全部取り潰されるということはないだろう。当主が変更し、領地が削られる程度というのがアークの予想だった。
「ところで、ネミング卿は妻がいなかったよな」
「ええ、そうね。誰も信じられなかったみたい」
リナが答える。だが、その意味に気づいているのだろうか。アークはリナ=タバレロ卿には当分それを説明する必要はないようだと思った。なるようになるだろう。
「ねえ、ああやって私の前でいちゃいちゃするってのは当てつけなのかしら」
「いや、エミリーさん。それどころじゃなくて、今回の事に関してはエミリーさんが悪いんですよ。おおよその経緯はアークから聞きましたから。だいたい自分の身分がバレた上に俺の事もばらすってどういう事ですか」
ザハラたち王国内部極秘捜査官たちはその上司にあたるエミリーに対して不満を持っていた。今回の件でザハラを始めとして数人は捜査官として名乗りを上げてしまっている。これ以上捜査官を続けることもできない。
「いいじゃないの、どうせあんたたちはこのままここの指揮官するんでしょ」
士官としてはかなり上の方である。ザハラに直接命令を下せるのが将軍だけだったことからも、彼らは捜査官でなければアラバニア軍の中ではかなりの権限を与えられるほどの位置にいた。
そして今回の騒動も捜査官たちにしっかりと記録されているために、これ以上シトラリア領民たちにたいする罰は起こらないだろう。全て、死んだネミングに被ってもらうのである。
「エミリーさん、失態じゃないですか?」
「いいのよ、私は」
エミリーは言い放った。ザハラは、またかよとぼやく。彼女が王国の中でもかなりの重要人物だという事を知っている人間は少ない。
***
アラバニア軍を掌握したザハラたちはそのままシトラリア代表となったヘンリー=ウェスタと会談を行うこととした。そこで決定したのはシトラリアへは新しい領主が迎え入れられるまでは駐留軍が統治をするという方針となった。
アラバニア王国から一時的に派遣されたエミリア=アラバニアが領主代行としてシトラリアを復興する間、ヘンリー=ウェスタはシトラリアの領民たちとの間に入って様々な案件を話し合うという重要な仕事を任せられた。
正式にエミリア=アラバニアが領主となった際にヘンリー=ウェスタはそのまま領民たちの代表としてシトラリアのために尽力したという。
「あのね、恥ずかしいから一度しか言わないけどね」
リナ=タバレロは王都にも領地にもほとんどいないという領主だったという。その夫となるアーク=タバレロが両親の経営している書籍店を継いでシトラリアに住んでいたというのが原因だろう。
「え? なんで恥ずかしいとかいう話になるの?」
「だって……あの白色の光はね……発情色だったのよ。愛ってやつね」
「……あー」
竜虫の研究に関してはアラバニア王国へと報告を行ったのちに封印された。正式に竜虫を乗りこなすということが危険であると認知され、王国は今後、許可なく竜虫の研究を行った者を処罰する方針としたのである。
いつかはまたネミングのように悪魔の騎士となる人物が現れるかもしれない。だが、その存在をなかったものとするよりも、手を出してはいけない教訓として歴史に記すべきではないかというリナ=タバレロ卿の意見が国に認められたのだった。
「浮島は竜虫の巣だったのよ。体液を土に混ぜることによって浮力を持たせて、竜虫以外は誰も到達できない安全な巣を作っていたのね」
「竜虫の巣は蟲毒を行う地中のやつじゃなかったの?」
「それも巣の一つなんだけど、それだけじゃ二体の竜虫から生まれた竜虫は一体しか生きのびられないじゃない。数十年に一度、大きな浮島で大繁殖が起こるのよ。で、その後それらの竜虫は各地の地中に潜って冬眠するってわけね」
「なるほどね、そのために浮島を作っていたというのか」
それであの時二人が白色に輝いていたってのは、と言おうとしてアークはやめた。言うまでもないし、言っても自分が恥ずかしいだけだったからだ。
「竜虫たちは繁殖の際に白色に光る彼らを見て、安全な浮島に移動させたかったのね」
「あいつら浮島で何か変なことしてないだろうな……」
「そんなの知らないわよ」
あの日の夜に二人は浮島から竜虫に乗ってシトラリアへ帰ってきた。
浮島はその後、北へと移動して行方は分からなくなった。竜虫の体液がなくなったために、その後竜虫に乗った人物はいないとされている。
シトラリアの復旧には時間がかかった。だが、そんな中でも人々は希望を失うことはなかった。日々、目の前にある仕事に真面目に取り組む人々は、むしろ充実して見えた。
***
「いらっしゃいませ」
アラバニア王国の東方、シトラリアと呼ばれる都市の一画に一般大衆にむけた食堂があった。シトラリアの反乱の際に腰をうって働きにくくなった主人の代わりに、その息子が料理を作っている。安くて多くて美味いと評判の店だった。連日、多くの客でにぎわっている。
「レアミ鳥のから揚げ定食、二つ」
「はいよ」
じつは、その主人の息子というのがシトラリアの領民ならば誰でも持っているという本の著者ではないかという噂がある。だが、それを否定する人たちもいる。
「あ? んなわけないじゃないか。 「心の中の折れない芯」を書いた「彼」はシトラリアの住民のために反乱の時に命を落としたと言われているんだぞ? だいたい、レッグの野郎は世界よりも嫁さんが大事って言ったらしいからな! はっはっは!」
そして、その主人の息子は反乱のすぐあとに嫁をもらったらしい。結婚式の際にはシトラリア中の多くの人たちが祝い、どれだけ主人の息子が慕われていたのかが分かるほどだった。ついでに食堂には大量の小石が投げ込まれ、意外と嫁の人気も高かったというのも今では笑い話である。
「レッグ! なんか浮島来てるってよ!」
「待て、アリア! 今日も忙しいんだぞ! 見に行く暇なんかあるか!?」
「大丈夫よ! お義父さんに任せて行きましょう! たまには働いてもらわなきゃ!」
学生時代と同様に、仕事の間の休憩時間と家に帰るまでの間、二人は沢山の事を話し合うのが日課となっている。
「ねえ、レッグ。また何かふってこないかな」
「さすがにもうねえよ」
その時、突風が吹いた。
「あ……」
空に浮く島と、心の中の折れない芯 本田紬 @tsumugi-honda
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