第32話 決断

 腕についた竜虫の体液から、感情のようなものが伝わってきた。

 それは、巣に帰りたいという想いである。


 対して、レッグは怒りにも似た、だがそれ以上に強い想いを発した。それは巨大な竜虫に確実に伝わったと言うのが分かる。他にも何やら感じるが薄くてよく分からなかった。


「ザハラさん、行くよ!」


 二人は駆けだした。ザハラも腕に竜虫の体液を塗るように言い瓶を渡した。竜虫に近づくにつれて、どうすれば竜虫に乗ることができるのかが分かるような気がした。

 まるで、この竜虫は昔からの友だったかのようである。


 だが、そのままいくわけがなかった。


「誰だ、貴様ら!」


 テントから貴族風の男が出てきたのである。兜は付けていないが、その体には黒い甲冑が着こまれており、音よりも竜虫の動きに反応してテントから出てきたかのようである。周囲の兵士たちはその行動に反応できていない。


「ネミング=タバレロだな!?」


 レッグはネミングを睨みながらも、竜虫へと一直線で駆け寄った。だが、ネミングの方が竜虫には近い。ザハラは剣を抜きはらった。


「竜虫よ! あいつらを食い殺せ!」


 ネミングが叫ぶ。それに反応したかのように、竜虫はレッグたちの方を向き直った。さすがに巨大な竜虫に睨まれるとザハラですら気後れする。間合いとしてはすぐにでも首が伸びてきそうな距離だった。


「レッグ! 待つんだ!」


 ザハラはレッグが竜虫に食い殺されるのだと思った。だが、レッグはそのまま臆さずに走り続けた。


 レッグには確信があった。自分は竜虫に攻撃されるはずがない。

 それは根拠のない空想に過ぎなかったが、現実のものであった。竜虫はネミングの命令を聞こうとはしなかった。


「くそっ!」


 仕方なくネミングは竜虫に乗り込もうとするが、その時に竜虫が羽ばたいた。

 ネミングは羽から発生するその突風に押されて竜虫に乗ることができない。レッグも近づくことができなくなった。


「お前……」


 レッグには竜虫の感情が分かるような気がした。

 竜虫はネミングに操られてここにいるというのを嫌がっているのである。


「いいぞ、もう帰りな」


 レッグが言うと、竜虫はうなずいたように頭を上下させた。


「待て!」


 ネミングがそれを制しようとするが、浮き上がった竜虫に乗る事はできなかった。


「貴様っ!」


 竜虫が飛び立つ。そしてあっという間に東の空へと飛んで行ってしまった。あの方角には浮島があったな、とレッグは思う。レッグの両腕の体液の赤色はさらにも増して強く光っていた。


「ネミング!」

「…………」


 ネミングの身体もほんのりと赤く光っている。そして、その赤は徐々に強くなっていた。


「そうか、貴様はあいつらの仲間なのだな」


 レッグの腕を見てネミングがうめいた。腰に佩いていた剣を抜き払う。ザハラがレッグの前へと出た。


「まだ秘薬があったということだな」

「王国極秘内部捜査官、ザハラだ! ネミング=タバレロ卿! 竜虫を使った反逆の疑いで拘束させてもらう!」


 ザハラが叫ぶ。だが、その言葉を聞いたところでネミングはこれっぽっちも動揺しているようではなかった。


「ふん……」


 剣を抜いたまま、ネミングはあるテントへと向かった。周囲の兵士たちは王国極秘内部捜査官という肩書のために、どちらに与すればよいのかが分からなくなっている。だが、ネミングが向かった先のテントの見張り番は、迷わずに剣を抜いた。


「ネミング=タバレロ卿! 抵抗するならば……」


 しかし、その見張りへと剣を一閃させるネミング。その動きは人間のそれをはるかに上回る速度であった。見張りが捜査官としての訓練を受けていなかったならば、怪我を負っただけではすまなかっただろう。致命傷のみを逃れた捜査官は、その場にうずくまる。斬られた腕から出血がしたたった。剣は飛ばされてしまっていた。


「どれだ! どれから殺してほしい!」


 ネミングの赤色が更に濃くなっていった。テントに入ったネミングはもっとも入り口に近かったアリアの服を掴み上げ、テントの外へと引きずりだす。


「最初はこいつからだな!」

「アリア!」


 血走った目にも、赤色が浸透するようだった。


「まさか、竜虫の体液の作用で……」


 その行動を見て、リナがつぶやいた。

 リナもアリアも、レッグも腕に体液を塗るだけであった。それでも十分に竜虫と感情を共有することができたのである。だが、リナはあえて体液を早く消費させるために全身に塗る必要があるとネミングに説明していた。腕だけでは十分に意志の疎通ができないからと。


 実際に、竜虫の体液は量が多ければ多いほどに竜虫との感覚を共有させるという作用は大きかった。


 だが、そのためにネミングは本来であれば人が耐えることのできないような感覚すら共有してしまっていたのである。例えば、人が聞くことのできない領域の超高音の鳴き声を耐えることのできないような音量で。しかし、それを人の身体は感覚として表現することができないために気付くことはできない。だが、体や心には蓄積されていたのである。さらに、他にも要因はあった。


「私に秘薬をよこせぇ!」


 血走った顔のネミングが叫んだ。まだ体液が足りないと感じたのだろう。


 実際にはレッグに想いの強さで負けていたのである。レッグの強い感情の方が、より強く竜虫には届いただけの話だった。

 徐々に強くなるネミングの赤色。対して、レッグの腕は茶色に変色し始めていた。



「アリア……」

「レッグ!」


 まさか、再会がこのような形になるなんて。

 そこにはレッグが毎日想いつづけていたアリアがいた。しかし、その首にはネミングの剣が突きつけられている。

 薄い皮膚が切れ、少量の血が落ちるのがレッグにははっきりと見えた。


 レッグは、アリアのために生きていたといってよい。でなければ今頃は革命軍へとその身を投じていただろう。だが、アリアを待つために革命軍に加わるわけにはいかない、レッグはそう思って生きてきた。


 レッグの腕が茶色から徐々に黒色へと変わっていく。それは怒りの赤と恐怖の緑と、さらには何かを混ぜた色に見えた。


「ザハラさん、瓶を渡してくれ」


 レッグはザハラに向かって手を伸ばした。


「だめ! この人にそれを渡してしまったら、皆めちゃくちゃにされてしまう!」


 アリアは叫ぶしかなかった。自分の命が失われたところで、ネミングを止めることさえできればシトラリアは、しいてはアラバニア王国も世界も救われるはずなのである。


 だったら、迷うことはない。自分の命をささげるのは怖いが、仕方のないことだとアリアは思った。


「ザハラさん!」

「あ、ああ……」


 ザハラはレッグの気迫に負け、残った竜虫の体液の入った瓶をレッグに渡した。


「レッグ!」

「早くしろ!」

「レッグゥゥ!!」



 アリアは渾身の力をこめて叫んだ。それはダメだと。



「あんた、世界と私とどっちが大事なのよ!」



 そしてレッグは答える。



「お前だ」

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