その〈怒り〉は、何に対するものですか?

日々険悪になっているように報道される日韓関係ーー
韓国の女子大学生・金熾子(キムチジャ)は、日本留学を控えていた。向こうには、インターネットを通じて知り合った女子高校生・司(つかさ)がいる。熾子は会えるのを楽しみにしていた。出国直前、熾子は、韓国でも「嫌われもの」の極右サイト・イルぺで、コスプレをしているアニオタ男性の写真を目にする。それは彼女の恋人・朴念仁(パクヨミン)だった。激怒した熾子は、念仁のアパートに怒鳴り込む。喧嘩別れをした彼女は、念仁から「キムチ女!」と罵声を浴びせられる。
その日から、熾子は赤毛、赤眼となり、身体からはキムチの匂いがするようになった。
リアルで司と会った熾子だが、司には、玉子という「韓国嫌い」な友人がいた。

自分の好きなアニメ『まほつゆ』の聖地・秋葉原へやって来た念仁は、「朝鮮人は日本から出て行け」という右川誠と出会う。反発し合う二人だが、同じアニメの大ファンだと分かり、意気投合する。「日韓国交断絶」を掲げる二人は、やがて『嫌韓デモ』へと参加する。

かつて革命を目指した過激組織「日本労農紅軍」だが、六十年が経過して組織は高齢化していた。崇高な理想社会の実現はおろか、社会から全く顧みられなくなっていることに、幹部・澤猟人は口惜しい思いを抱えていた。「退却戦」を考える猟人は、ネット上で『嫌韓デモ』の計画を知る。

産まれも育った文化も年齢性別も違う人々が、一つの舞台で衝突するとき、どんな事件が起こるのかーー。

◇◆◇

当初は、登場人物たちの名前や奇抜なファッション、やや過激な言動を、笑いながら拝読していました。読み進めるうちに私の顔からは笑みが消え、真剣に考え込むようになっていました。
「この人達は、いったい何に腹を立てているのだろう?」と思ったからです。

本作品には、他人をカテゴライズする用語が多数登場します。日本人、韓国人、極右、極左、ネトウヨ、キムチ女、寿司女、在日、共産主義、レイシスト、嫌韓……。良い意味も悪い意味もあります。相手をカテゴライズして警戒したり罵ったりする場面を読むうちに、それらの語が正確に何をあらわしているのか、私には分からなくなりました。使う人物によって微妙に意味が異なり、各個人に都合よく解釈されている概念だからです。
また、ある人物の極右思想が、元を正せば人格に問題のある教師に迫害された恨みであったり(要するに八つ当たり)、熾子が嫌われた理由も彼女個人にはなく、単なる嫉妬だったりします。
『怒りは麻薬』という言葉が登場しますが、登場人物の多くが、まさに〈怒り〉に酩酊している印象をうけました。この状況は改善するのか、皆が怒りから醒めることはあるのか……ハラハラしながら拝読しましたので、結末には心から安堵させていただきました。

社会心理学的には、差別や妬みの感情は「自分により近いもの」に対して生じ、かけ離れた存在には生じません。ナチスがユダヤ人に『星』をつけさせたのは、そうしないと見分けがつかなかったからであり、日本人ー韓国人が互いを差別するのは、それだけ私たちが「近い」という証でもあります。
けれども、私たち個人は(同国人、同じ文化的基盤をもっていても)一人として同じではなく、その差異を認め尊重することなしに、良好な関係を築くことは難しいのです。

コメディであっても、現代社会の難しい問題に取り組まれた作者さまに、敬意を表します。
何より、この作品が日韓交流サイトに集う人々によって創作されたことに、希望を感じました。

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