#6「voiceⅡ -声-」
どこからか歌が聴こえる。
懐かしい歌声が。
***
ザーザーと砂嵐の音がする。
風に巻き上げられた砂が、地を叩く――砂がぶつかり擦れ合い悲鳴のような音を立てている。ザーザー。ザーザー。
砂は感情を失った
砂漠とは感情を失った物質の最後の姿なのだ。辿り着く終着点。命が落ちる穴の底であり、そこに砂のように堆積した魂の欠片。ならばこのザーザーと鳴る砂音は、失われた感情たちがこの世に遺した最期の声に違いなかった。形無き砂の
徐々に意識が戻ってくる。ぼんやりとした目で周りを見渡す。
いつもの部屋だった。その中で白露は膝を抱え座り込んでいる。
いつの間に待機所へ戻ったんだろう――あれから何日経った?
ツンッと鉄の臭いがする。血の匂い。ごしごしと顔を手で擦る。
パラパラと錆びのように固まった血が零れ落ちた。
血の跡――いつ鼻血が出たのか憶えていない。パチパチと瞬き。
ふと、それに気づいた。
部屋の片隅――雑用品の箱に立てかけたバイオリンケース。
その隣に――見覚えのない旧式のラジオが置かれていた。
こんなものは無かったはず。拾ってきた? どこで? 思考がまとまらない。よく観察しようとして目を凝らす。古びたボディに赤茶色の乾いたオイルがこびり付いている――部屋中に満ちる錆びの臭いはきっとこれだ。さらに確かめようと、手を伸ばす。
ザーザーと砂嵐――やけに近くから聞こえる。いや、違う。
外から聞こえるんじゃない――音の発生源はこのラジオだ。
ザーザー/チュィィィィィン/ザリザリ――チューニング音/独りでにラジオが電波を拾う――まるでチャンネルを探すように――どこかに繋がろうとする気配――見えない意思に動かされるように――出し抜けに声。
《――つ――づいては――次の――》チュゥンと短いハウリング――ふいに音声がクリアになった。
《――ニュースです。アメリカを中心とした有志連合による空爆作戦により、過激派武装勢力に占拠されていたイラク北部の街が解放されたとの発表がありました。現地では、先々週に行われた三日間に渡る戦闘のあとも残存勢力による局所的な抵抗が続いていましたが、本日開かれた会見によりますと市内に潜伏していた六百人余りの敵戦闘員は、全て掃討されたとの見通しで――》
……先々週の戦闘? では、あれからすでに十日以上も時間が経っているのか――その間ずっと待機所で膝を抱えていた?
そんなはずはない/だが、憶えがない――自分自身の記憶――それが全く当てにならない/何も憶えていない恐怖/それを振り払いたくて、すがりつくようにアナウンサーの声に耳を澄ます。
《これには空爆と連携した現地のクルド人特殊部隊の活躍の他、米国防総省は本作戦で実戦投入されたロボット兵器による効果的な陸戦支援の成果であるとの見解を示しており、これにより今後も紛争地域における無人機の積極的な戦線投入が検討されていく見込みで、これは――》
ロボット兵器? 映像のフラッシュバック/鉄の悪魔と鉛の獣/鋼鉄の化け物たちによる狂乱――あれは幻じゃなかった。だが、あれらは互いに殺し合っていたはずだ――そのことをラジオは一言も告げない――では、やはりあれは幻だったのか?
ザーザーと砂嵐――ザリザリと
《――そうだ。作戦は成功だ。君の言うように〈レベル3〉に関しても有用なデータが取れた》再び波長が合う/先程までとは別人の声――どこかで聞いたことがある気がする。どこでだっけ?
分からない。うまく思い出せない。考えると頭痛がする。
《米国は地上部隊の派遣に否定的だ。あの国の人間は未だに過去の泥沼を怖れている。しかし近代兵器によるクリーンな戦争など、所詮は幻想に過ぎない。空爆だけで戦いは終わらない――》
ラジオではない――男が誰かと話している/通信?/どこの?
《やはり戦争に――は必要だ。ここだけではない。ダルフールでも――は続いている。一刻も早く転送兵器――有用性を――証明――次世代の――》キィィィンと音が割れる/何を喋っているのか分からなくなる――ザリザリと雑音/ザーザー/チュゥンッ。
《――おや。これはこれは……盗み聞きとは悪い子だ》また音声がクリアに――また別人/今度は聞き憶えがない声――おそらく。自分の記憶に/自分自身に自信が持てない。
《何ぶん、旧式のユニットなのでね。こうしてたまに不具合がでる。君は世界の真実に近づきつつあるようだが、まだその時ではない。良い子はゆっくりとお休みなさい――》
音が割れる――世界が割れる。悪い子は手足を取り上げられる――良い子でなければ生きていかれない。良い子は死んだ。悪い子も死んだ。みんなみんな死んだ――今はゆっくり死んだように眠りなさい。安らかに――。
ザーザーと砂嵐/ザリザリと
再び目覚める。あれからどのくらい経った?
膝を抱えたまま体を
ザーザーと砂嵐――顔を上げる/部屋の隅に置かれたラジオ。
頭がガンガンする――まるで脳の中に小人がいて、そいつらが狂ったように金物を打ち鳴らしているかのよう/ザリザリと
《――やれやれ……僕はなんでこんな事になってるんだろうな》
どこかで聞いたような少年の声/背後でギィギィと何かが軋む――いや違う/これは弦楽器の音色だ。壊れた楽器の嘆き。
《 僕はもう飛べない……飛び方を忘れてしまった。あの子を守るためには、こうする他なかったんだ。チェロもそのうち忘れるさ。
ギィギィと軋むように嘆きが遠ざかる――砂嵐/そして次の声。
《――僕は声を落としちゃったんだ。影を落としたピーターパンみたいに、声が無くなっちゃった。ねえ教えてよ。僕の声はどこにあるの? もう、誰とも話せない。話す相手もいない。みんないなくなっちゃった》
ひび割れたような合成音声――無機質な声無き慟哭/その悲痛さすら抑揚を欠いて、情感までも削り落ちてしまったよう。
《ここにはもう誰もいないんだ。なのに……声だけは聞こえる。偶像を燃やせって。異教徒どもを燃やし尽くせって。嫌なのに、耳を閉じても聞こえてくるんだ。誰か……助けてよ。もう嫌だ。こんなの聞きたくない。嫌だ嫌だ嫌だ――》
声無き慟哭が遠ざかる――砂嵐/そしてまた次の声。
《――殺すつもりなんてなかったんじゃァァァ。わしゃァ、お前を殺すつもりなんてなかったんじゃァァァァァァっ》
叫び声/ズズズゥゥゥと
《勘弁じゃあァ。許してくれェ。死ぬなんて思うとらんかったんじゃあァ。そんなつもりなかったんじゃあ。なあ、頼む。頼むゥ目ェ開けとくれェ。わしが悪かった。なんぼ、なんぼでも謝る。じゃあァからよォォお、目ェ開けとくれェェェェェェっ――》
ズズズゥゥゥと叫び声が遠ざかる――ザーザーと砂嵐。
嘆き・慟哭・叫び――それらをどこか遠くで聞いている自分。
《あの子が褒めてくれたんだ。僕のチェロをさ。嬉しかったな。まるで母さんに褒められたみたいに。でも、もう全て無意味だ。全て忘れて――それでお終いさ》
《気づいたんだ。僕はナジル人だって。もっと善行をつまないと。そうしたら声を元に戻せるかも。そのためにはもっと燃やさないと――もっと、異教徒たちの都市を》
《なんで、なんでこんなことになったんじゃあァ。わしらはただ帰りとォ思うとっただけなのに。もう遅いんじゃあァァァァァア――もうとっくに手遅れなんじゃあァァァァァァっ》
誰かが悲しんでいる。泣き叫んでいる。なのに全く心に入ってこない。響かない。届かない。共鳴しない――伝わってこない。
でも仕方がないじゃないか――よく知らない人間たちがいくら泣き叫んでいたって、いちいち悲しんでなどいられない。誰もが他人のために涙を流せる心を持っている訳ではない。だって、もしそんな世界だったらそもそも戦争なんて起こらないはずじゃないか。戦う必要なんてないじゃないか。僕らが戦う必要なんて……
だが――ちょっと待て。胸の奥に何かが挟まったような感覚――まるで寝る前に歯を磨き忘れてしまったために、奥歯に何かが挟まったままでいるような、そんな不快な引っかかりを感じる。
彼らの声は、どこか聞き憶えがあるんじゃないか? 例えば――彼らの声は、かつての仲間たちに似てないか?
仲間――そうだ、僕にはかつて仲間がいた。共に訓練を受けた仲間たちが。
――でも、あれはどこで訓練を受けていたんだっけ?
動悸――ドクンドクンと人工心肺が脈打つ。
共に過ごした仲間たち――その顔が一人も思い出せない。
ドクンドクン――振動と共に徐々に襲いくる衝撃。さっきまでさざ波一つ立たなかった水面が、にわかに潮騒に変わるイメージ――怖ろしいまでの動揺の波が押し寄せる。
必死に記憶の糸を手繰り寄せる――僕を弦楽器に誘ったのは、□□□だ。噂好きな□□に、問題児の□□――他には誰がいた?
――誰も思い出せない。
動揺――必死に胸を落ち着かせる。焦るな。落ち着け。こんなものはただのド忘れだ。少し時間が経てば、すぐに思い出す――
……………………………………………………だが、ダメだった。
手足の訓練の一つで、水泳をさせられた時を思い出す――必死に足掻けば足掻くほど、馴れない機械の手足はいうことを利かず、ズブズブと体が沈んでいった。冷たい水。あの時のような焦燥感――くそっ/こんな辛い記憶は思い出せるのに、大切だった仲間の顔や名前は、ちっとも思い出せないなんて!
どれだけ必死になろうと
「う……うう……うあああ……あぁ」
悔しくて・苦しくて・狂おしくて――乱暴に髪を掻きむしる。
頭の奥がガンガンする/ザリザリと
ツーッと、鼻から血の筋が垂れる――ゴシゴシと右手で拭う/血に濡れたその手を見つめる。指の間に挟まった金髪=日射しに焼かれ白っぽく変色した髪の毛が真っ赤に染まる――ふと/急にそれが針金のように伸びて、腕に絡みついた――まるで赤錆びの浮いた有刺鉄線――錆びだらけの
「う……うわぁぁぁっ!?」慌てて腕を振りほどく――薄っすら目を開けてもう一度見る。
自分の腕――何ともない。袖を捲って確かめる――絡みついた刺で血だらけになった素肌を想像――だがそこには特に変わらない腕があった。当然だ。この腕は人工皮膚で被われた機械化義肢なのだから――作り物なのだから。血の一滴も流れるはずがない。
乱れた呼吸を整えようと、大きく息を吐く。ドクンドクンと、心臓が脈打つ――機械化された心肺が刻む規則正しい稼動音――そこに突然ザリザリとした
白露の体――機械化された四肢が異音を立てていた。ザリザリ/ギシギシ/ギィギィ――指・手首・肘・膝・踵・足の爪先――あらゆる間接が調律の狂った楽器のように異常な音を発していた。
「あ……あああああああ?」叫び――その間にも腕の人工皮膚がメリメリと音を立て、渇いた
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