#2「dissonanceⅠ -不協和音-」
軍人になる前、白露は訓練学校と呼ばれる施設で暮らしていた。
その頃、故郷のオーストリアでは超少子化による労働者不足を解消するため、障害を負った児童に機械の手足を与え、優れた労働力として従事させる政策が始まっていた。無償で機械化
訓練学校とは機械化児童の中でも特に優秀な候補生を集めて、より高度な訓練を施すための施設だった。
あそこは建前では国の所有物とされていたが、実際にいるのは軍人ばかりだった。誰もがみな自分たちは戦争に行かされるのだと察していた。機械化された手足の性能を、最も活かせる場所は戦場なのだと言われたら、そうなんだと納得するしかなかった。
(
誰かがそう言った。それは訓練学校で一緒に訓練を受けていた仲間の一人だった。
(大人たちにしてみれば、こうして僕らの手が楽器の弓を弾くのも、戦争で銃の引き金を弾くのも、同じことなんだろうさ)
その言葉に〝なるほど〟と納得した。すると彼は肩をすくめてニヤリと笑う。そんな仕草に、なんとなく
……そういえば、白露がバイオリンを弾くようになったのも、彼に勧められたのが切っかけだったはずだ。
子供工場では手足の操縦訓練の一環として、楽器の演奏をする授業があった。バイオリンの他にもチェロやトランペット、沢山の楽器がある中で、どれを選ぶか白露が悩んでいた時に、どうせなら同じ弦楽器にしないかと誘われたのだった。
いや……誘ったのは、僕の方からだったかな?
彼、彼の名前は……。なんでだろう……うまく思い出せない。
カチリ、カチリ――。
待機所の中で、白露はさっきからずっとそれを弄くっていた。
どうにもこのところバイオリンの調子が悪い。音色に何か
最初は気のせいかと思ったが、どうにも演奏に集中できない。それで仕方なく今日は日がな一日、こうやって調弦やら
バイオリンがこんなにも繊細な楽器だとは、自分で弾いてみるまで考えもしなかった。
どうせならもっと頑丈で、手入れも簡単な楽器を選んでおけばよかった。いや、でも他の楽器はそれでまた扱いが面倒なのかも。
ため息ひとつ――白露はバラバラになったかつてバイオリンであったものを掴み取り、左手をかざす。
その途端、左手とバイオリンの部品がエメラルドの幾何学的な輝きに包まれる。一秒余――白露の手元には、本来のあるべき姿を取り戻したバイオリンが握られていた。
こういう時、転送技術とは便利なものだ。例え壊れやすいものでも、こうして転送登録しておけばすぐに元通り――まるで魔法のような技術だ。……我ながら、少々情けない使い方ではあるが。
「魔法か。夕霧さんは信じる力で魔法が使えるって言ってたな」
新品同様になったバイオリンの状態を確かめつつ、独り呟く。このところ独り言がすっかり癖になってしまった。
「オズみたいに銀の靴があれば、今すぐ君に
だが……それは叶わない願いだ。白露はここでの任務を終えるまで砂漠から出ることは許されないし、夕霧も今はミリオポリスの治安組織で活躍しているはずだ。
機械化児童の中でも精鋭である
男子は白露と同様、世界中の紛争地域に送られているはずだし、女子は都市の安全を守るため今ごろ故郷で戦っているはずだ。
白露と夕霧は、場所は違えど同じく平和のために戦っている。
そのことを嬉しく思う――だって僕らは例え世界中バラバラになっても、同じ目的のため頑張っているんだ。
「これって素敵なことだよね? 僕たちは、繋がってるんだ」
でも時々心配にもなる――心優しい夕霧さんが厳しいお仕事に耐えられるだろうか/泣いていたりしないだろうか?
「彼女なら、きっと大丈夫だって信じているけど……」
こんなふうに不安になった時――彼女は歌うと言っていた。
世界が悲しみに包まれる前に、幸せな気持ちが溢れるように/みんなに楽しい想いを届けるんだって。
おもむろに白露は立ち上がり、バイオリンを抱え表に出る。
待機所の外へ足を踏み出した途端、モウモウとする砂漠の熱気/遮るものとてない容赦ない熱射が襲い掛かってくる。
彼女が歌を歌うなら、僕はバイオリンを奏でようと思ったんだ。世界に音色を届けようって。辛い時も・悲しい時も・寂しい時もつねに楽しさを忘れない音――音楽を。
いつもはこの日射しを避けて演奏するのは夜って決めてるけど、いいや。今は調律の具合を確かめるためにも、すぐに演奏したい。
着崩れていた迷彩服の襟元を正して、姿勢を整える。それから馴れた手つきでバイオリンと弓を構えると、静かに瞼を閉じた。
集中――すると暑さや他のどうでもいい感覚が遠のいてゆく。
さて、曲は何にするかな?――そう記憶の底から、今の気分にぴったりな
「……残念だな」
不協和音の正体=
それが白露に与えられた任務だった――この広い砂漠に独りで駐屯すること。分かりやすく編曲を加えるならこうだ。
「他の誰一人、ネズミの一匹すら、この一帯に存在を許すな」
広大な砂漠の完全なる中立化/混沌とする紛争地帯で、まるでそこだけ台風の目のごとく空白地帯を作り出すこと――それこそが軍の大人たちが白露に与えた真の役割だった。
しばしの間、無感情に砂漠の果てに広がる蒼穹を見つめる――白と青/ツートンカラーに別たれた無限の地平――やがて白露は薄桃色の唇を開いて呟く。
「転送を
輝きの中でバイオリンが・弓が・四肢が粒子状に分解/置換。
空気を切り裂く刃のように、背中から白銀に輝く翼が生える。
十六
鋭く尖った脚先が、音も無く砂の大地から空へと浮上する。
上空=瞬く間に数百メートルも上昇/そのままピタリと静止。
兜の下で白露の目が砂漠を
知らず唇が歪む――せっかくの演奏を邪魔した相手に然るべき報いをもたらすべく、白銀の騎士が空を滑るように疾駆する。
白銀の残光=すぐ目的の丘へ到来――非常識な
音による灰色の世界――丘の上を進む一団/
砂漠にも国境はある――だが彼ら遊牧民は例外的にその国境を越えることが
砂漠の国々で取り交わされた暗黙のルール――近年それが悪用され、紛争地帯でゲリラやテロリストらが物資を横流しする違法ルートの隠れ蓑に/いま白露の眼前を進む者たちも、偽装された闇の
猛射=まるで天地を逆転させたように地表から降り注ぐ銃弾・怒号・悲鳴・叫び・異国の言葉の嵐――ダダダ/ギャリギャリ/ガガガ/アッラー/アーアーアー/シャイターン。
白露を襲う銃弾――それはただの鉛の塊ではなかった。
殺意・怒り・憎悪・恐怖――あらゆる負の感情が形を成して、襲い掛かってきたものだ。白露を消し去るために。殺すために。
真冬の雨よりなお冷たい敵意――心まで凍えてしまいそうな。
だから白露は反撃した/やり返した。凍てつく感情に飲まれる前に――圧倒的な力でもって、先に相手を飲み干すために。
右の手斧を振るう――破壊の奔流があっけなく敵を蹴散らした。
人が人形のように宙を舞った/壊れたブリキのように手が・足が・胴が・頭が・臓物が、バラバラに飛び散った/四輪駆動車が一瞬でスクラップとなり、爆炎を上げた/逃げ惑う駱駝が乗り手ごと吹き飛ばされ、切り裂かれ、叩き潰され、グチャグチャの血と肉片と化す。
それらの破壊を白露がもたらした――残酷なまでの死と破壊の
メラメラと燃える炎――砂漠の熱気と火に
ザリザリとまた不協和音が聞こえる気がした――それは死者の残響であり、砂に飲まれた感情がすり潰されていく慟哭だった。
彼女の声が聴きたいと思った。彼女の歌声が。
「あぁあぁぁぁああぁぁぁぁあぁあああぁぁぁ――っ」
戦場を離れ、空高く上昇しながら何かを叫ぶ。
嘆きか・慟哭か・渇望か――自分でも正体の分からない感情の爆発が溢れ出す。それを止めるすべを、今の白露は持たなかった。
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