#7「voiceⅢ -声-」

「うわああああああああああああああああああああああっ!?」

 絶叫――その声で意識が戻ってくる。

 部屋の片隅に膝を抱えてうずくまる白露――今のは夢?/幻?――目の前がチカチカする/喉がカラカラに渇く――息苦しい/全身にべっとりと汗をかいている。

 と錆びの臭い――迷彩服の胸元に乾いた血がこびり付いている。血と汗に濡れた不快な感覚/ベタついた汗で張りついた服と、体の間に入り込んだ砂のザラザラした気持ち悪さ――それともこれは血か?/それとも――赤錆びにまみれたオイルか?

 ――恐怖にかられ破るように服を脱ぐ――ビリビリと上着のボタンや裾が裂けるのもかまわず、慌ててシャツ・ズボン・下着を次々と脱ぎ捨てる。すっかりと丸裸になりながら、隅々まで自分の体を検分した――まるでいつも白露の体を弄繰り回す大人たちのように――くまなく全身を調べた。

 普段と変わらぬ両手足の機械化義肢――接続部クッションから先の生身の肉体――。そのことに心底ホッとした。思わず涙がにじむ。腰が抜けそうになるほどの安心と虚脱感。

 僕の頭・僕の首・僕の肩・僕の胸・僕の背・僕の腹・僕の腰・僕の尻・僕の太もも・僕のペニス――

 ドキドキ脈打つ鼓動/ゆっくりと息を整える――そして見る。壁に刻まれた印――『四つの最後の歌』第四節『』。

『おお、この広大な静かなる平穏よ!/こんなにも深く夕映えに包まれて/僕たちは旅にもう疲れた/これが死なのか?』

 四編しへんの詩からなる死をうたう曲。『Ist dies etwa der Todこれが死なのか?』の問いかけ――トートの文字がのたくるように形を変える――五線譜の上に踊る音符――現れるモチーフ=『死と変容』。

 闘病に疲れた独りの病人と、訪れる死の恐怖――しだいにそれは安らぎへと変わり、世界を浄化する音色と共に終演を迎える。

 リヒャルト・シュトラウスは。死のモチーフに自身の『死と変容』を詠う交響曲を取り入れた。

 ザーザーと砂嵐/ラジオから流れ出すクラシック――生の執着と幸せな日々を奏でるバイオリン/死の訪れと浄化を告げる金管/そして安らぎと静寂に包まれた打楽器が、終わりを告げる――

 喉が渇いた――息が苦しい。まるでオーケストラの真っ只中に放り込まれたように、音が四方八方から降り注ぐ――

 ギュッと目を閉じる/自身の体が錆びに包まれてゆく感覚――目を開く/壁に刻まれた×印――白露の刻んだ十字架。

 炎/鉄の悪魔/鉛の獣/壊れたブリキの兵隊/真っ赤にれたオイル――真っ赤なオイルに染まった街――

 白露が破壊した――ブリキの人形を。生きた感情を。

 ――奪われた命/奪った感情/

 ザーザーと砂嵐/そして、ラジオの声が告げる真実――

《そう、。心が凍え死ぬ前に。多くの感情たちを焚き木にして燃やした。その炎で暖をとって温まった――多くのモノを犠牲にして。多くの命を奪って。自分自身が凍えないためだけに。あらゆるモノに宿った感情をにしたんだ――》

 ゾッとするほど冷たい声音――感情まで凍りつかせてしまったかのような無機質な響き――それは――

《そうするしかなかったんだ。だって――そうしなければ、。僕は自らの感情を――大切な記憶を代償として差し出すことに耐えられなかった――》

 心まで錆びついた――間違いなく


     ***


 僕は忘れたくなかった――大切な日々を。大切な仲間たちを。

 でも……もう遅かった――僕は忘れてしまう。彼女のことを。

 他の何よりも大切なあの子との思い出を――その歌さえも。

 全て――忘れてしまう。


! 僕が……! 忘れてしまうなんて――」

 待機所の中を素っ裸のまま、犬みたいにグルグル歩き回る。

 倒れたベッド/崩れた備品ケース/割れた鏡/脱ぎ散らされた衣服――まるで砂嵐が通り過ぎた後のような有り様――そんなのはお構いなしに、部屋中をひっくり返してを探す。

「そんなはずないんだ。あの子との思い出を失くすなんて……。大切なものをどこへしまったのか、忘れてしまうなんて――」

 無い・無い・無い――あの子との思い出――

 訓練学校を出る時にあの子がくれたモノ――大切なお守り。

 あの子が白露にくれた――白露に託した――大切な想い/大切な願い――彼女のが込められているはずのモノ。

 それを失くしてしまうなんて――探しても見つからないなんて。

「何かの間違いだ……そんなはずないんだ。あの子からもらった想いを失くすなんて――あの子への想いを失くすなんて――」

 焦燥――目の前がグラグラと揺れる/喉がカラカラに渇いた/ザリザリと雑音ノイズ――忌々しいそれらに悩まされながら、なおさら必死になって部屋中を引っかき回す。

 砂漠で針を探すような感覚――そんなはずはない。そんなはずはない。そんなはずはない。そんなはずはない。そんなはずは。

 僕が忘れてしまうはずはないんだ。あの子がくれた思い出を。あの子との大切な約束を――僕の大切なあの子を!

。こんなのは間違いだ。何かの間違いなんだ」

 だって――こんなのあり得ない。僕があの子を忘れるなんて――心の奥に大切にしまっておいたあの子を――

 グラグラ/カラカラ/ザリザリ――目の前が暗闇に包まれる/世界から光が消えてゆく――色が消えてゆく――音が消えてゆく。

「嘘だ……嘘だ……嘘……だ……」

 こんなことはありえない。

 あの子のことを忘れてしまったなんて――そんなのあり得ない。

 ナニカノマチガイダ。

 でも――あの子がくれたバッジを失くしてしまった。あの子がくれたこの感情/あの子への想いを失くしてしまった。

 

 残されたのは空っぽの自分――大切な思い出/大切な想い――それらは大切な、白露のだった。僕が僕である

 あの子を願う歌――それこそ、白露が人間である証だったのに。

 ウシナッタボクハ、カラッポノニモドルシカナイ。

 割れる 揺れる 壊れる 崩れる。

 砂のように――ボクという存在が崩れ去ってゆく。

 ザーザー ザーザー ザーザー。


 全てが無に消えゆく狭間で――それが聞こえた。

 忘れられた歌――その残響が。

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