#9「resonanceⅡ -共鳴-」

「白露さんの欲しいものって、なんでしょう?」

 早朝の中庭――白露が演奏を終えるのを待っていたかのように、さっそく唯一の観客が声をかけてきた。

「……

 少女に顔を向けながら、白露はわずかに眉をひそめる。

 何がそんなに楽しいのか――彼女、夕霧はあれから飽きることなく毎日のように白露のバイオリンを聴きに来ていた。

 夕霧がどうやって女子棟を抜け出して、この男子棟の中庭まで足を運んでいるのか――興味がない訳ではなかったが、能天気に笑う彼女を見ているとそんな疑問も考えるだけ無駄に思えてくる。

 この子は変わり者だ――変人だ。大体、朝っぱらからこんな所にいる暇人なんて、変わり者に決まっている――自分のことは棚上げして、白露は彼女のことをそう考えるようにしていた。

「君は、相変わらず

「夕霧は朝の空気って、とってもおいしいと思いまーす♪」

 またこれだ。を込めた言葉も、彼女には通じない。

 風車に戦いを挑んだドン・キホーテの話を思い出す――夕霧の手にかかれば、どんな皮肉も有意義で楽しいお喋りということになってしまうらしかった。

「たまには起床時間までベッドで寝たいとか、思わないの?」

「ふかふかのベッドは好きです。お日様の匂いがするんですよ」

 ダメだこれは――。まるで会話が成立しない。

 頭を抱えたくなってくる。バイオリンを片付けながら、思わず目頭を押さえる白露をよそに、ニコニコと夕霧が近寄ってくる。何となく、嬉しそうに尻尾を振るマルチーズの姿を連想した。

「白露さんは、欲しいものがないんですか?」

 小首を傾げる夕霧――どうやらその質問から逃れるすべはないらしい。

「別に……今すぐ思いつくものはないね」

「そうなんですか~?」

 そんな心底不思議そうな顔をされても困る。何だってまた彼女はそんなことを訊いてくるのか。

 君が何を考えているのか、僕にはそっちの方が不思議だよ――そう言い返してやろうと顔を上げた途端、こちらを覗きこむ彼女と正面から目が合ってしまう。

 互いの息が届きそうなほどの距離――あまりのに、思わず言葉を飲み込む。

 間近で見る夕霧の瞳は、青空のように澄んでいた。

 ――訓練学校の仲間が彼女をそう呼んでいたのを思い出す。確かに彼女の青く透明な瞳は、さぞかし見る者に強い印象を残すのだろう。

 鏡のように輝くその瞳から、白露は逃げるように目をそらす。

「ここにいるみなさんは、欲しいものがあるみたいですよー?」

 顔を背けても関係ないらしい。彼女は朗らかに会話を続ける。

「例えば……とか!」

「確かに、みんなやっきになって得点スコアを競ってるみたいだね」

 仕方がないので調子を合わせるように相槌を打つ。やれやれ、どうやら今日も彼女から逃げるのに失敗したようだ。

「それですそれ! 白露さんはバッジが欲しくないんですか?」

 ここぞとばかりに夕霧が勢い込む。

 青い馬のバッジとは、実技試験の最優秀者がもらえる勲章だ。

 訓練で白露とペアを組んでいるチェロ少年などは、この話題になると明らかに目の色が変わる。誰もあえて口にしないが、みな本気でバッジを狙っているらしかった。――白露を除いて、だが。

「君はどう? バッジが欲しいの?」

 逆に問い返す――すると夕霧は、質問を質問ではぐらかされたとも気づかずに、う~んう~んと唸り始めた。

 ただの軽口のつもりだったのに……どうやら真剣に悩んでいるらしい。あと、考え込む仕草がクンクン唸るマルチーズみたいだ。

「バッジも欲しいですけど……夕霧は、やっぱり三つのうちには入らないかな~って思います」

「……? なんの話だい?」

 またまた明後日の方向に話が転がったぞ。

、三つまでなんですよ?」

 夕霧は三本指を立て、エッヘンと得意気に無い胸を張った。

「妖精……? ああ……〈三つの願い〉の話か」

 この国では割りと有名な童話だ。ある老夫婦の前に妖精が現れ、〝どんな願い事でも私が三つまで叶えてあげましょう〟と言われる。老夫婦は何を願うかあれこれ相談するが、結局失敗して願い事を全て無駄にしてしまったという――そんな物語だ。

「夕霧は、ってところが大切だと思うんです」

「確かにランプの精ジン魔弾の悪魔ザミエルも、それに魔法使いオズとかでも、叶えてもらえる願い事は三つまでだしね」

「そうなんです! だから夕霧は、いつ妖精さんにお会いしても困らないように、先に欲しいものを三つ決めておくんです♪」

 それはまた良い心がけだ――この子の将来が本気で心配になる。同時に、ちょっとした好奇心が湧いた。

ってことは、他はもう決めてあるの?」

「はい、もちろんですよ♪」

 パッと瞳を輝かせ、再び押し迫る夕霧――だから近い。

「一番目は、お空にいるママに会うこと。二番目はルーマニアのお城です。いつかそこに、ママと一緒に住みたいの」

 そこで、それまで元気よく話していた夕霧の声が沈む。

「けれど……が見つからないんです。ママと、それだけは自分で探しなさいって……」

「そう……なんだ」

 顔を曇らせる彼女を見て、なぜか胸の奥がざわめいた。

 少し前に、白露は彼女が宝物にしているという携帯電話を見せてもらったことがある。

 旧式の携帯電話――古ぼけた液晶画面にヒビが入ったそれは、どう見ても――ママがくれた誕生日プレゼントなのだと嬉しそうに話す夕霧を見て、何も言えなくなってしまった。

 夕霧は確かに変わり者だ。だが、天国にいるママと壊れた携帯電話で話す彼女を見ても、別におかしいとは思わなかった。

 幼くして体の半分を機械化された女の子が、その過酷な運命を課した世界を、それでも愛し続けるために自ら紡いだルーチン。

 それは彼女が自らを正しく調律するために必要な特殊奏法ハーモニクスだ。

 もしそれをバカにする人間がいるとしたら、白露はそいつを決して許さないだろう。だって、そんなのは間違っているからだ。それが誤りだとするならば、狂っているのはこの世界の方だ。

 きっと――

 狂った世界で自らを正しく調律するすべを求めて、僕らは同じものを探しながら生きている。

 この胸の痛み――自分の中にある空白を埋める、正しいすべを。

「いつか……見つかるといいね」

 それは夕霧の願いでもあり。

「はい♪ 白露さんも一緒に、欲しいものを探しましょうね♪」

 白露自身の願いだった――。


 そこは墓場だった。

 空と大地/砂漠と太陽/境界の揺らぐ地平線――夕映えの中で、白露が辿り着いた場所。

 形無きむくろ――感情と存在の定義すら失った物質の成れ果て。

 砂に埋もれた白骨――バラバラに散らばった人と動物と機械/かつてどれが肉であり鋼鉄であったかすらも曖昧に埋もれた残滓。

 いつかの戦闘で白露が壊したモノ――奪った命と感情の成れ果て。

 象の墓場の伝説――死期の迫った象は同じ場所で最期を迎える。象の墓場/有象無象の集合体が辿り着く最期/全てが形を失い・意味を失い・ただ砂の中に消えてゆく。

「これが……僕の辿り着いた場所なのか?」

 カラカラに渇ききった声/調律を欠いた声/

 ザックリと砂の上にひざまずく――汗ばんだ体にまとわりつく砂粒。

 ザラザラ音を立て砂に埋もれてゆく――体が錆びついてゆく。

 ?――ブリキの体/失くした心/空っぽの人形の最期/寒い/暗い/孤独/喪失/絶 叫/慟 哭/静 寂――無 無 無 無 無 無 無 音――音。

 音――懐かしい歌声。いつかどこかで聴いた――忘れられた歌。

 瞳――目の前に落ちている――/大切な誰か。

 心――慌てて拾った/割れた液晶画面――ふいに光が灯った。

 ザーザー/ザーザー/誰かに呼ばれた気がして、振り返る。

 夕映えに染まる地平――その中に――砂漠に建つ無数のそれらが――一斉に歌声を上げていた。

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