2nd Season 2019-20

小夜徒桜に想いを



 小夜時雨さよしぐれ小夜千鳥さよちどりという語があるならば、単に『夜桜』と言うのではなくって、『小夜徒桜さよあだざくら』というふうな語があってもいいと思うのだ。ちなみに小夜さよとは、単に夜を意味する。日本語の美意識は何かとややこしい。

 などと、夜分に遅咲きの桜を見に行こうとしている私は考えている。中学でも、先日入学したばかりの高校でも文芸部を選んだ私だ。半年ほど前までは部長だったのが、今では新米、入部したばかりの一年生、何だか妙な感じがする。

 なぜ桜を見に行くか、遠因として挙げるなら、私から部長を継いだ鷺丘南中学校の後輩から、柚子崎ゆずさき女子高校に進学した私に、〈桜に願ったら恋人ができました!〉というメッセージが届いたからか。

 主因としては、隣の鷺丘さぎおか市に住む私に、柚子崎町には遅咲きの桜がライトアップされる場所がある、案内する、と言った人がいるから。

 なぜ、小夜徒桜さよあだざくらなんて発想になるかというと、彼女の名前が紗世さよで、私の名前が咲子さきこだからかもしれない。

 バス停に備えつけられたベンチに座らずに、屋根の支柱のひとつに背を預けていた小川原おがわら紗世は、私を見るなり不満げに言った。

「咲子、遅い」

 私を乗せていたバスは走り去り、ひとりだけ降車した私は首をかしげる。とは言え、もう慣れたものなので、ふりだけだ。形式じみて、一応は紗世に言う。

「まだ十五分前だし。バスのダイヤは正確だったし。そもそも待ち合わせ場所、ここじゃないよね?」

 紗世は支柱から離れ、豊かな胸を張り、白のブラウスは困るように伸びる。濃紺のミニスカートはやや開くようで、白のニーソックスを履く足は開かれて、堂々と仁王立ちみたいになって、怒りを滲ませつつ、紗世はふてぶてしく構える。今夜はずいぶんと暖かい。

「何度でも言う。咲子に会いたいのを我慢できない。早く来ちゃうし、場所も先回りするし。何か悪い? これは初めて言うけど、大好きな恋人と会うなら、なおさら」

 柚子崎女子高校に進学した私、たまたま同じクラス、私と席が隣になった紗世。入学式からの三日間で気が合うことを確認し、さらに一週間、可能な限りふたり一緒に過ごすようになり、さらに続く三日間では、ついにようにもなった。

 昨日、とうとう私が「これ、もう友達の範疇はんちゅう超えてるよね?」と、カラオケの一室で、歌うことをすっかり忘れ、紗世の長い髪を手できつつ、紗世の胸に顔をうずめながら問うと、「私は一昨日からそう思ってたよ。今さら?」と言うので、両思いが確定して、どちらからともなくキスをしたわけだった。

 その点、正式に恋人同士となってから初めての待ち合わせとなるわけで、気がはやるというのも責められない。もとより責める気はない。紗世にべた惚れの私である。

 紗世が気を悪くしたって、大事おおごととは思わない。たまたま誰もいないが、少々見られたってためらわない。私は黙って、背伸びをして、紗世の頬に軽くキスをした。仁王立ちはしゅっと消えて、紗世は私の肩に頭を置き、力なく言った。

「今回ばかりは許す」

 私にべた惚れの紗世である。もちろん、、と言うほうが正しい。


 川沿いの道、岸辺に満開の桜木が並んでいた。時刻は午後七時ちょっと過ぎ、ライトアップは地元の商工会が主体となってやっているとのこと、予算が限られているのかどうか、照明機材にセロハンを被せる工夫をしていたりと、努めた様子が見受けられた。

 川を挟む道の一方には屋台がいくつも出ていた。花見客は多く、なかなかに盛況であるが、最寄りのバス停で降りたのが私だけだったあたり、近場から来る人が多いのだろう。

 照明は少々無骨でも、照らされた桜はなかなかに見事で、それを紗世の隣で見られることが、私の昂揚をぐっと押し上げた。ふたり仲良くなった頃は、もう桜は旬を過ぎていたので、一緒の花見は来年と思っていたのだ。

 似たようなことを思っていたらしく、紗世が言った。

「あーあ、来年の楽しみ、ひとつ減っちゃったな。花見、達成」

 少し不安になって紗世の顔を窺うと、微笑みがそこにはあったので、ある種の冗談として言っているらしい。当然、花見が全てではないので、気楽に返した。

「達成するの、もっといくらでもあるでしょ」

「ばーか。そんなの本当はひとつだけ。両思いになったら全面クリアだよ。咲子のばーか。ばーか」

 桜の並ぶ川沿いの道、私のほんの少し先を歩きながら、紗世はからかう。べた惚れの相手にを三回も言うとは何事なのか。仕返しをしたくなった。

「ねえ、紗世。いちゃつく時にさ、そろそろ、は邪魔じゃない?」

 紗世は聞くなりびくっとして、急に立ち止まる。ふるふるっと少し震えてから、向き合う位置に移り、やっぱり私の肩に頭を置いた。そして言った。

「邪魔です」

 端的に言うので、やはり達成すべきことは、もっといくらでもあるらしい。

 桜花おうか一片ひとひらがひらり、舞った。これからじわりと、散る季節に移っていくのだろう。私の肩から頭を起こした紗世も、一緒にそれを瞳に映した。セロハン越しのライトアップの中で、艶美えんびに、けれど儚く、あかれて落ちる。

 もう一度、紗世は私の肩に頭を置き、それで満足せず、顔の向きを変えて、私の首に唇をあてた。キスなのだろうと思ったら違った。

「いい? 変なこと言ったら噛むから。先に言っておくから」

 べた惚れなので文句を言わないし、これは紗世なりに私に甘えているのだろうから、悪い気がするのでもないが――取りようによっては、命を奪うつもりと聞こえる。

「私と咲子、今は最高というか、満開に咲いてるけど、いつかあんなふうに、別れて散っちゃうこともあるのかな。いつか」

 紗世は不安げに言う。桜花が思わせたことではあろうが、無根拠というのでもなかった。

「これから、進学とか、就職とか、いろいろあるよね。私たち、まだ十五で、これから性格だってどう転ぶかわからないし。もっと遅く出会っていればよかった。そうしたら、少しは安心できた」

 小夜徒桜さよあだざくらと、私が勝手に考えた言葉が想起された。徒桜あだざくら――桜花が散りやすいことから、儚いものの例えに用いられる。紗世の言うことは、間違った連想ではない。

 私も寸時、不安に駆られた。けれど上向けば、そこには満開の桜がある。遅咲きの、四月下旬が盛りの花片はなびらたちが。答えは明らかなのだ。

 今度は、私が冗談で罵る番となった。

「ばーか。ばーか。こうやって、遅咲きの桜があるんだよ。私たちの桜はね、もっともっと遅咲きなの。まだで、満開になるのは、もっともっとずっと先。散るのはもっと先。一万年後くらいかな」

 納得してくれたのか、紗世は私の首を噛まなかった。代わりに舌で触れるように舐めた。私はぞくりと、良い意味で震えた。

 紗世は頭を上げ、真っ直ぐに立ち、私を見る目は若干下向く。

「これ、勇気足りなくて、言おうか迷ってたんだけど、急な出張と夜勤とで、うちの家、両親が出払ってて今夜は誰もいないの。来る?」

 私は前屈みになり、紗世の胸に半ば顔をうずめた。まぶたで、その豊かさを味わうも、正直、ブラが邪魔だと思った。なので言うことは決まっていた。

「行きます」

 紗世は私の頭に腕を回し、私の顔は胸に押しつけられた。やっぱりブラが邪魔だ。ブラウスも邪魔だ。

「服、やっぱり要らないかな」

 この状態で紗世にそう言われれば、私からはもう本音しか出ない。喋ってもくぐもるので、私は強引に紗世の腕をほどいた。それで惜しいと言えばそうだが、だって邪魔なんだって!

「つぼみだからって、こんなの我慢できない」

 とりあえず咲かせよう。そしたらまたつぼみに戻そう。私の中で筋道の通らない論理が展開される。私は往来で堂々と宣言した。

「絶対に、く」

 首を噛もうとした紗世もどうかと思うが、私は私で、我ながらどうかと思うのだ。そして、恥ずかしげに顔を紅くした、私にべた惚れの紗世がいた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る