「また会えるかな」〈中〉



 馴染み深く、もはや来ることもないと思っていた場所だった。千華ちかに連れられるままにしていたら、私は音楽用の練習スタジオ、その一室に来ていた。〈So Longソー ロング, Julietジュリエット〉の練習で頻繁に訪れた貸しスタジオだ。千華は最初からここに来るつもりだったらしく、予約が入れられていた。

 ドラムセットは備えつけてあるが、足下、バスドラムを叩くために置かれているのは、千華のドラムに欠かせないツインペダルじゃない。千華は普段、自分のペダルを持ってくるが、今日はフロントでレンタルして間に合わせた。

 お金が余っているわけでもなし、ふたりだけだからと、千華の取ったのは狭い部屋。二、三人入ることしか想定していない、そんな一室に千華とふたりきり。千華はドラムを叩こうというのか、椅子に座ってから、ドラムセットを細かく調整し始めた。

 私はと言えば、頭がくらくらしてくる。そうだろう。五年半遅れの初恋、中学一年生の気分で、好きな子と窓のひとつもない密室にふたりでいたら、そうなっても批難されないと思うのだ。心なし、千華の顔が紅潮して見えるのは、私の願望だろうか。

 千華はドラムのセッティングを、まず一段落させ、バッグから自分のドラムスティックを取り出した。逃げ口を探すみたいで、私は言った。

「早く言ってよ、こういうの。ギター、ぐるぐる梱包で、引っ越しのトラックとは別便で輸送中。ひとつくらい、今日まで残しておけたのに。自分で持っていけばいいから」

「だめ」

 ドラムセットの中心、椅子に座る千華は、短く、強く、私を睨む目つきとともに言った。好きな子に睨まれれば、当たり前だがうろたえる。まして中学一年生の心持ち。加え、ドラムの椅子に座られたら、千華が一番強い。あららぐことがないだけで、もう千華は〈ロミオ〉である。〈So Long, Juliet〉では、リーダーの私よりもロミオのほうが偉い。

 千華はスティックを握ったが、まだドラムは叩かず、静かに言った。

「ずっと言わなかったことがあるの。メンバーにも、絶対言わないでってお願いしてた。それ、今から教えるから」

 そうとだけ言われて、怯えが生じる。音楽のことか、人間性か、千華が好きだという人に関係するのか、巡る考えは楽観的にできない。私の様子を見て、千華は苦笑した。

「そんなに怖がらないで。絹子きぬこは何も悪いところ、ないから。そんなに私って鬼みたいかな。ここに座ると」

 少なくとも、練習をするにあたっては鬼である。メンバーにとって最も恐ろしい言葉は、千華の『なんかグルーヴが足りない』だ。『なんか』が頭に付いたら最悪だ。千華が納得するまで練習が延びる。増したスタジオ代をこらえる。それが問題にならなかったのは、リーダーたる私が、ロミオの好きにやらせてあげてほしい、バンドの音は絶対に良くなるから、と、頭を下げて回ったからだ。

「このほうがはっきりすると思って、ここまで来てもらったの。私のドラムの音、聞いて。手加減するってことを知らない、星合ほしあい千華のドラムを、ね」

 ライブハウスのスタッフさんで、私たちのバンドを歓迎しない人がいる。ドラムが傷むと困る人だ。千華は手数てかずも多けりゃ一発も重く、ドラムセットの消耗は激しい。怒りの即興ドラムソロをやらかせばなおさらで、なぜか私が怒られる。

 千華はスティックを握り、ペダルに足をかけ、ドラムセットのひとつずつを順々に叩き、感触を確かめ、さらに微調整を加えた。

 私は立ったままで、心臓はばくばく鳴って落ち着きを見せず。落ち度はないらしい、とりあえず聞けばいい、どうにかのんきに構えようとしたら、まだ私の心臓にはビートが足りないというのか、こちらに目を向け、千華は淡々と言った。

「正直、私も、ここまでひどくなると思ってなかったの。ここで叩いて、はっきり決着つけよう。私のドラム。絹子と私の関係。四年後の春、再結成があるかないか」

 いきなりだ。きっぱりと多くを突きつけられて、どれをどう怖がればいいのか方向性さえ見失ってしまい、あげくで私が言ったのは、本当に見当違いのことだった。

「千華。本当にそれで、そこに座る自分が鬼だって自覚ないの?」

「ねえ、絹子、私のこと嫌い? 好き? それとも愛してる?」

 と、千華に微笑んで問われる。千華の口ぶりは堂々たるもので、普段の心配性はまるで霧散、私はすっかり気圧けおされて、言葉に詰まりながら、「え? え、これ、何の試練? そういう切り返し、ある?」とぼやきつつ、結果的には、「いや、まあ。その。愛してます。普通にその、というか特別に、恋愛的に」千華の勢いに呑まれてほとんど全部言っていた。私が言うのを聞いて、千華は笑顔を最高にして私をたしなめた。

「じゃあ、愛してる人にそんなこと言っちゃだめ」

 鬼とするべきじゃないな。ロミオだ。ドラムの中心に座るのはロミオでありイケメンであって、ゆえに間違いなく可憐な女子ではない。千華はドラムを叩く直前で言った。

「ちゃんとした告白は後でやろうね」

 言って、千華はすぐさま叩いた。狭いスタジオを揺るがす音は群舞ぐんぶ。〈So Long, Juliet〉は自称ロックなんだけど、千華のドラムだけを聞けばメタル。バスドラムを足でキックして数えていた16ビート、バンドサウンドの礎石そせきとしての色合いが濃かった演奏は、次第、自由に振るまわれ、怒りではない、千華の感性によるドラムソロとなる。

 千華はスティックを振り、さばき、力強く足を踏み込み、流れる動作は鮮烈で、それだけでサウンドを思わせる。クラッシュシンバルが力任せに叩かれることはなく、しかし不敵なアクセントで、音全体を雄麗ゆうれいなものとする。千華のドラムプレイは、その体格からはかけ離れた力強さがあり、バンドを支える確かさを決して失わず、そして、そして――

 ――違う。

 ――足りない。

「千華のドラムの音じゃない」

 私は思わず口にしていた。私の言ったことはうドラムの音にかき消されたが、私が驚愕した気配はすぐに察したらしく、千華は叩くのをやめた。

「ね? 私も、びっくり。手抜きなんて私はできないよ。これが本気。何度もやってみたけど、こうなっちゃうの。解散ライブの後からね」




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