You're my only shining ocean



 一本だけ残された割り箸、それがであることは、もはや明白だった。

 中学校を卒業してから二年と少し、中学三年で同クラスだった数名で集まり、小さな同窓会が催された。コーラと烏龍茶だけで酔ったようにはしゃぎ、あるいは和やかに過ごす時間も交え、二十三時を少し回ったところでようやく閉会が宣言された。

 問題はここからだ。

 夜も遅いので女子たちを男子が送っていくという運びになる。「人数が合わないじゃないか」と、あたしが指摘する。自室を会場としてくれた男子まで含めても、男ふたり、女四人なのである。「いや、縫子ぬいこは送る側だから」と、あっさり返される。

 なるほどそれなら三対三だ、それでいいわけあるか。そりゃあ普段、男に間違われがちな見た目はしている。しかしいくら何でも女の沽券こけんに関わる、と、そのように文句は言えなかった。送られる側、つまりあたしを除いた女子三人のうちひとりが、辻原つじはら瑠海るみだったからだ。

 お菓子の空き箱に立てられた三組六本の割り箸は、送る側と送られる側、それぞれ順々に引かれて、先端に描かれたしるしに従って二組のペアができた。

 残った割り箸は一本、ペアになっていないのは瑠海だけ。まだ割り箸を引いていないのはあたしだけ。あたしが引く一本、その先端には星のマークがあって、瑠海の引いたものと対になることは確実なのだった。



 時折、虫の音が聞こえた。

 六月半ば、梅雨はどこに行ったのかという、雲に遮られるところのない夜空、その下で、あたしと瑠海は、海に沿った道を歩いていた。あるいは、柚子崎電鉄――通称、ゆず電――の線路に沿って歩いているとも言えた。ゆるやかな潮風が頬を撫で、波の音は、いかにもそれらしい雰囲気で静かに鳴っている。

「まったくもう、縫子だけ、ずるいんだから」

 かわいらしい薄桃色のバッグを提げて、点々と続く街灯の光を受けて、瑠海は言う。小さなフリルの付いた白いブラウスがよく似合う。軽くウェーブのかかった長い髪は柔らかく照らされている。

「ずるいって、何が?」

 あたしはと言えば、ジーンズのポケットに財布をつっこむだけで、手ぶらだし、野球チームのTシャツを着ているし、確かに送る側なのかもしれない。

 瑠海は微笑んで続きを言った。責めるつもりはないらしい。

「中学の時に好きだった人の話、自分だけ言わないんだから」

 そりゃあ言わないに決まってる。

 だって、が聞いているんだから、本当にになってしまう。

 適当な名前を挙げれば済んだのかもしれないけど、やっぱりそれも嫌だった。別な人が好きだったと思われるのは。

 中学の時も好きだったし、今もまだ好きなんだと、何ひとつ偽りのないように伝えたくて、たとえ一時いっときであってもごまかしたくなかった。

 そんなことより! 瑠海の口から男子の名前が出て! 思いっきりへこんだ!

「あー、その、今となっては、瑠海だけになら、言ってもいいんだけど、ね」

 知りたくなかったことを知っちゃったのはさておき。ほのかな期待を抱いて集まりに出てみれば、それこそ大当たりで、今ここにこうして、告白するチャンスが見事に訪れているわけだった。

 あの時から、ずっと瑠海が好きだったんだ。

 そのことを伝えるのに、こんなに具合のいい機会はない。たぶんもうこれから先、一生ずっとない。ここで言わなければ、後で絶対に後悔する。

 ……たとえ玉砕前提だったとしても。

「私だけちょっと特別ってこと? それ、嬉しいかも」

 わずか、はにかむふうになって、瑠海は言う。これを見て惚れないほうがおかしい。かわいい。ちょっとどころじゃなく、とびっきり特別だって言いたい。

 ……玉砕前提でも。

「あ、ねえ、縫子。ここ、覚えてる?」

 街灯の下、瑠海はふっと立ち止まる。中学生の頃、いつも通学に使っていた道で、覚えていると言えばそうだし、何か特別な心当たりがあるかというと、すぐに浮かばない。

「私がね、鞄に付けてたお気に入りのキーホルダーをなくしたって、このあたりを探してたら、縫子がそんな私に気づいてくれて。探すのを手伝ってくれたんだよ」

 そういえば、そんなこともあった気がする。中学三年の五月くらいか。瑠海とよく話すようになる前、思いっきり惚れてしまう前。自然に距離が近づいた気もしてたけど、思えばそれがきっかけだったかな。

「結局、それ、なくしたんじゃなくて、チェーンが切れそうだったから、私が自分で鞄の中にしまってただけだったんだけどね」

 少し天然なところがあるのも、うん、かわいい。惚れないほうがおかしい。

「でも、縫子は怒ったりしなかった。無事に見つかったから、甘いものでも食べに行こうか、って、そんなふうに言ってくれて。連れて行かれたところ、駄菓子屋さんで、ちょっと驚いたけどね」

 瑠海はくすくすと笑う。何もかもかわいい。あたしはちっともかわいくない。なぜこんなにとびきりかわいい女子を駄菓子屋に連れて行くのか。はっ倒すぞ。

「その、あのさ……」

 あたしは話を変える。ひとつ、覚悟しておきたくて、改めて尋ねておこうと思った。

「中学で好きだった人の話、瑠海が言ってたこと、本当?」

「うん、嘘じゃないよ」

 瑠海はあっさりと肯定する。へこむ。きっつい。

 へこむけど、心はずきりと痛むけど、そのために聞いたんじゃない。覚悟を決めたかった。玉砕でいい、って。それでも想いだけは伝えたい。そんなふうに思いたかった。そして、心の底から、そう思うことができた。

 ずっと後悔していた。中学にいるうち、卒業までに気持ちを伝えられなかったことを。卒業してからも親しくしていられるような、確かな関係ではなかったのに。

 また、同じように思いたくはない。

 玉砕でいい。

 ふられて泣くほうが、よっぽどましだ!

 波音と波音の合間で、あたしははっきりと言った。

「あたしが好きだったのは、瑠海だよ。そして、今も好きだよ」

 波音と、時折の虫の音だけが聞こえるようになる。沈黙が続いて、その間、瑠海はまず驚いた顔をして、次いで困惑が大きく広がり、そして――

 ――顔を真っ赤にした。

「嘘みたい」

 瑠海は自分で頬をつねる。「嘘じゃない。痛い」そんな仕草もいちいちかわいい。瑠海は放心したふうで言葉を継いだ。

「ずっと、叶わない片思いだって思ってた。諦めてたのに。叶っちゃった」

「へ?」

 わからなかった。今度はあたしのほうが困惑した。告白を受けて、それを叶ったと表すならば、つまりは両思いだということになるわけで。そんなまさか。

「だって、えっ、瑠海が言ってた好きな人の話、本当だって」

 あたしはおろおろしながら言う。そんなあたしを潤んだ瞳で見つめて、頬を染めたまま、瑠海は微笑む。ああもう、本当にかわいいな!

「うん。だから、嘘じゃないよ。三年になってすぐ、ちょっとの間だけ、確かに好きだったよ。でも、その後、もっともっとずっと好きな人が現れて、それからはずっと、その人のことが好き。ね、嘘ではないでしょ」

 確かに、いつからいつまで好きだったという話は含まれてなかった。好きな人は男子に限るという話もなかった。

「たぶん、好きになったの、私のほうが先だよ。ねえ、あの時、駄菓子屋さんに連れて行ってくれた時には、すっかり好きになっちゃってたよ」

 こんなにかわいい女子を駄菓子屋に連れて行くような、かわいくないやつが、何人もいるだろうか。いてたまるか。

「さっき、みんなで集まってた時、中学で好きだったって、私が本当に言いたかった人は、そして、今も好きでいる人は――」

 三組六本の割り箸にあったは、一本だけじゃなくって、二本だったみたいだ。




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