「また会えるかな」〈下〉



 五年半、千華ちかの叩くドラムに支えられて、私はギターを弾いた。時にはボーカルを兼任した。下地ながら華飾かしょく、千華の音が千、二千と満ちるステージで私は響かせて、鳴らした。だから、わかる。私は感じたことをそのまま言った。

「跳ねてないんだよ」重いドラムを叩ける人はたくさんいる、速いドラムも、正確なドラムも。千華のドラムは違う。「叩く音、ひとつひとつが重いのに、どこか跳ねるような、反射するみたいな軽快さが、少しだけあって。だから私は聞き惚れて。今はただ重いだけ」私を見る千華の表情は真剣だ。私は間違ったことを言っていない。「着弾、そういう。めりこんで戻らないというか。悪いドラムとは思わないけど、千華のドラムじゃない」

 千華は頷いた。私の認識は正しい。私がちゃんと気づいたことに、千華はひどく嬉しそうにしたが、その喜びは、予想外にもほどがある言葉で表現された。いきなりだ。

「大正解。絹子きぬこ大好き。付き合って」

「え? 告白ってこのタイミングなの?」

 嫌なわけもなく、千華にそう言われれば返事も決まっているのだが、あまりにも唐突で、私は正しく反応できなかった。であれど、私の顔は一瞬で限界まで火照った。

「あ、ごめん。つい。うまくないドラムでも、絹子の前で叩くと昂っちゃうのかな。今のはノーカウントということで、ね」

 撤回される前に、さっさとYESの返事をしておくべきだった。ドラムセットの中心にいる千華には逆らえず、諦めてノーカン扱いにする。火照りを静めようとして、手のひらで顔をあおいでから、千華のドラムについて話を振った。

「どうして。原因に心当たりはあるの?」

 もう叩くのは終わったろうと、私は千華の隣まで移動した。千華は私に向けてはにかむ。それがとてつもなくかわいい、告白する側は私になるかもと思わされる。会話の流れの中でばらついたが――撤回もされてしまったが、大事な点を合わせると両思いとなるのか、ならば遠慮なく抱きつきたい、という衝動をどうにか抑えた。

 話は途中だし、むしろ私は質問した側だし。千華は照れた顔で答える。

「あのね、絹子のおりしてる気分じゃないと、私、うまく乗れないみたい」

「お守り? 私の?」

 私が言われたことを呑み込めずにいると、千華は、「絹子に言わずにいたこと」と言う。はにかみは減じてしまって、お気に入りの映画を語るふうになった。

「絹子、自分がどれだけ合わせづらいギター弾いてるか、ちっともわかってないんだから。自由奔放にも限度ってものがあるよ? でも黙ってた。それで遠慮されたら、嫌だから」

 手が寂しいのか、何か思うのか、千華はハイハットを軽くと叩いた。黙っていたことは気にするのかもしれない。けれど、私に向ける顔は、その後、ぱっと誇らしげなものとなった。

「思いのままに弾く絹子のギターはね、鳴るんだよ。とびきり、最高に鳴る。誰にも真似できない。私が後ろで面倒を見てあげればね?」

 思えば私は、周りとちっとも歩調を合わせられないから、千華と引き合わされたのだった。誇らしげな千華の顔つきは、微笑みの交じるものとなる。

「本当に自分勝手なギター。ずるいよね、私ばっかり大変で。でも、やり甲斐があって、絹子がいい音を鳴らしてたら、嬉しくて仕方なくて。今さら自分のために叩いてもつまらないよ」

 ふっと思い出したのか、千華は補足して、私はこんな場面で反省を強いられた。

「あはっ、そんなだからね、絹子のギターがちゃんと鳴ってないと、私がこんなに苦労して面倒見てあげてるのに、こんにゃろう、って思って、演奏切っちゃうんだよ」

 可憐な女子はこんにゃろうとは言わないな。肝の太いドラマーだ。

 私はすっかり納得し、口に出していた。「ジュリエットの音にならないって、そういう」漠然とそんなものと思うだけだったが、明確な根拠があった。私は千華のドラムがないと合わせられないし、千華は私のギターがなければやる気が出ないし。

 千華は、「あんまり鬼みたいに言われると嫌だから」と言って椅子から立った。けっこう気にしているらしい。私のすぐそばで向き合い、千華は尋ねた。「どうして、〈さよならSo Long,ジュリエットJuliet〉ってバンド名にしたんだっけ」絶対に覚えていることを、千華はとぼけてみせる。私に言わせたいのだろうから、改めて口にした。

「〈ロミオとジュリエット〉の物語は、悲しい結末だった。だったら、〈さよなら、ジュリエット〉の物語は、絶対にハッピーエンド」

「じゃあ、この前の解散ライブ、ハッピーエンドだったかな?」

 高まるどきどきが一周も二周もすると緊張を感じなくなるのかどうか、若干、千華と抱き合うみたいになりながらも、私は動揺を感じなかった。あるいは気持ちを確認できたからか。今、満ちる心持ちだけを感じた。千華の言葉は問いかけで切れていたが、私の返事を待たず、千華は別な問いを重ねた。

「絹子、初恋っていつ?」

 念入りに記憶を探る必要はない。私は少しだけ千華を抱き寄せて、「十日前」と答えた。逆に、同じ質問を千華に向けた。

「千華、初恋はいつ?」

 ちょっとずつ、千華は私の肩に顔を預けるような形になった。

「同じ。十日前。知り合ったのは五年以上も前だったのにね」

 もう、どちらから告白しても、形式だけの問題になっている。触れてなおさらに伝わる。同じ気持ちをふたりともが持っていた。バンド仲間としての関係を失ったことで、新たに生じた。恋を見た。好きがあふれた。仲間とは違う関係を望んだ。裏付けるように、千華は語り出した。

「私たち、バンドの仲間であることが最高で、一番で、それ以上の関係なんてなかったよね。考えもしなかった。それより下はあっても上はないものね。そしてお互い、一番の関係でいたいと思っていた。思ってたよね? 否定されると傷つく」千華はドラムの椅子から立ち、心配性が戻りつつあるようだった。

 心配なんてしてほしくない。私は、ふたりにとって何より正しい言い方だろうと、そう信じられる告白を口にした。

「昔も、今も、この先もずっと、千華とは一番の関係でいたいよ」

 ちゃんと正解だった。千華の不安は、すぐに何もかも吹き飛んで、顔つきは明るい。

「じゃあ、絹子と私、四年間の遠距離恋愛だね」

 千華はさらりと言うので、告白らしい告白は省略されるらしい。文句は何もないけど。好きだし。バンド仲間でいられず、となれば、今の一番上の関係は恋人なんだし。五年以上もずっと一緒にやってきて、今さらロマンスがあるかというと微妙だし。

 千華は私の顔のすぐそばで、苦笑いを向ける。「片思いで再結成はつらすぎるよね、って思ってただけなの」そう言ってから、自信に満ちた表情で続けた。

「もう、再結成は当然だからね。〈So Longソー ロング, Julietジュリエット〉の物語はまだ続く。ハッピーエンドになるまでだよ。だから、四年後の春からは、どっちもやろう?」

「恋人で、バンド仲間?」

 私が端的に問うと、うっかり心配性が顔を覗かせるところだったのか、千華はぱっと身をひるがえし、再度、ドラムの椅子に座る。私のほうには千華と触れていた余韻だけが残る。

 私を見据えながら、千華はクラッシュシンバルをごく軽く、と叩いた。特に丈夫なシンバルで、千華がライブ中に叩き割ったことのあるシンバルだ。

「再結成したら、恋人の私はいらない、なんて言う?」

 千華に、あるいはロミオか鬼に凄まれて、恐怖を感じるところ大だったので、私は思いっきり首を横に振った。千華は満足して、笑みを深く浮かべた。

「まだ、さよならしない。四年経ったら、ステージの上でキスをして、またジュリエットの音を鳴らそうね」

 ロミオが千華、じゃあジュリエットは私なのか。〈ロミオとジュリエット〉と結末が逆になるというなら、やはり逆にジュリエットが格好つけてみてもいい。そう思って私は身を屈め、ドラムの中心に座る千華にキスをした。そして言った。

「ステージを下りたらさ、ふたりで同じ家に帰ろう。心配性の千華のために。『また会えるかな』なんて、言わないでよ」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る