飴と傘 (同題異話・六月)



 神門かみかど小町こまちはとびきりで限りなく文句なしの、もう笑っちゃうしかないくらいの、そういう美少女だ。そのことに疑いはないけど、問題がないわけでもないんだ。

 あたしの手もとにあるのは、『フルーツアソートキャンディ』とポップな字体で書かれた袋。やたらと大きくて、どうやら業務用、なんと二百個入り。中が透けて見えて、色とりどりに個包装されたキャンディがあるのがわかる。最初に持った時はけっこうずっしり感じたけど、今はそうでもない。半分以上が放られたわけで。

「結局あたし、何でこんなことしてるんだっけ?」

 あたしはキャンディの袋から、個包装されたいくつかを掴み、校舎二階、廊下の窓から中庭に向けて放る。中庭と言うと正確じゃない。そこには、こうもり傘を差した小町がいる。

 あたしが放った飴玉は、小町の差す傘にぽんぽんと当たり、その後で中庭に転がる。どうも二百個全部落とすまで納得しない気配があるんだけど、片付けは誰がやるんだろう。

 傘の下、あたしからは見えない位置で、小町は言った。

「六月になったから新しい傘を買ったのに、三日待っても雨が降らなかった。私の傘を活躍させるために、怜子れいこは今そうしてるの」

 筋道としてはわかった。雨が降らないなら代わりに飴を降らせてやろうということなんだろう。けれど小町のこと、筋道を正しく辿ってきたのかどうかは不明。ちなみに三日ぽっちで我慢の限界を迎えるのはいつものこと。

「それさ、水道にホースをつなげて、ここから水をかけるんじゃだめだったの?」

 問いかけながらも、あたしは飴を降らせ続ける。ぱらぱらぱら。小町からすぐに返事はなく、ちょっとした沈黙が続いた。あたしはなおも飴を降らせる。ぱらぱらぱら。

 ややあって、小町が深刻そうに口にした。

「……その手があったか」

 やっぱり筋道は大きくショートカットしちゃってたらしい。水をかける、という基本的なアイデアは、全く頭に浮かんでなかったんだな。今さらホースを探すのも面倒なので、あたしはさらに飴を降らせた。ぱらぱらぱら。



 昼休みもそろそろ終わろうかという頃、あたしたちは落とした飴を全部回収して、ふたり並んで中庭のベンチに座っていた。

「そういえば、バイト先でさ、ゴスロリを着たすっごい美少女が先週来たんだって、男連中が騒いでたんだけど、それって小町?」

 あたしが尋ねてしまうのは、小町のというのが、少しふしぎな思考回路にとどまらないからで、一縷いちるのさらに千分の一くらいの望みを、ついつい抱いてしまうからだった。

「そんなわけないでしょ。だって私、いつもジャージ」

 まあ、そんなわけはないんだ。うん。わかってる。うっかりお洒落に目覚めてくれたことを望んだんだけど、やっぱり美少女違いだった。

 今の小町の服装もお洒落とは縁遠い。ハーフパンツの黒いジャージ、柄のないオレンジ一色のTシャツ、挙げ句に履いているのはアイボリーのビニールスリッパ。誤解するなかれ、家を出る時からスリッパなのである。いくら徒歩二分で学校に着くからって。

 あたしたちの通う柚子崎ゆずさき向嶺むこうみね高校には、制服というものがない。誰もが私服で通う。お洒落を楽しみたい、柚子崎女子高、あるいは柚子崎男子高に入るには学力が足りない、進学の理由は人それぞれだけど、ちゃんとした服を着たくない、という理由で入ったというのは、小町以外には知らない。

 単純に服を着るのが面倒なだけらしいんだけど、じゃあ裸でいろとも言えず。ちなみにいくら私服の高校でも、上履きは学校指定のものがあるので、校舎内までスリッパで歩く小町はアウト。

「そろそろさ、ジャージの人と手をつないで歩くほうの身になってもらえない?」

 今日は平日だし、あたしも気を抜いている。デニムのミニスカート、黒地にピンクの水玉があるTシャツ、けど、小町とデートするとなれば、気合いを入れて服を選ぶし、薄く化粧だってする。小町にはそれがない。

 なにせ小町は、中学の卒業式にもジャージで出ようとしたくらいだ――教師に止められて教室に待機となった。デートのひとつでお洒落するわけもないんだけど。傘だって、こうもり傘を選んじゃうくらいだし。

「私のことよく知らずに、ひと目ぼれで告白するから、そういうことになる」

 少しふしぎもファッションセンスも知らないまま、とんでもない美少女に心を撃ち抜かれて、勢いで告白したのは確かにあたしなんだけど、詐欺に遭った感はある。

 中学に入ってすぐ、三クラス合同での体育の授業、そこであたしは小町を見初めた。小町のクラスとは階が違ったのもあって、見たのはそれが初めて、体育の授業ではジャージが正装なんだから、年中その格好だとはちっとも思わない。

「もう四年も、ずっとデート相手がジャージなんだよ?」

「いいんじゃないかな、別に。人目ばかり気にしてると最愛の人を失うぞ」

 軽く脅されるようになって、うっ、と息が詰まる。出会いが詐欺でも、今ここに恋人同士として並んで座っていることは本当なので。

「わかったよ。もういいよ。小町の好きな格好で」

「じゃあ、人目を気にせず、帰りはこの傘で相合い傘して帰ろうか」

 あたしは思わず空を仰ぐ。見事なまでに快晴で、下校時までに雨が降るなんて考えられない。今日の降水確率、0%だったし。

 つまり、晴れた日にこうもり傘を差して、ふたり並んで帰ろうということなわけで。いくらなんでも。

「さすがにそれは、ちょっと、ね?」

 動揺して隣を見れば、とびっきりの美少女が、ほのかに頬を染めて微笑んでいた。はっきり言って卑怯だと思う。

「ジャージのいいところは、動きやすいところ。こうもり傘のいいところは――」

 はたして、あたしは小町の少しふしぎな申し出を断れるのかどうか、はっきり言って自信ない。

 微笑みを柔らかく、深くしてから、小町はあたしの耳に唇を近づけて、そっとささやいた。

「顔を隠せるから、帰り道でキスしててもばれないところ」




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