柚子崎百合物語 ―甘々ガールズラブ短編集―

香鳴裕人

1st Season 2018-19

薔薇香る憂鬱 (同題異話・五月)



「何これ」

 思わず聞いてしまった。椿本つばきもと・ベルナデッタ・美景みかげのやることなど、だいたいは――というよりは、おおよそ全てが、ろくでもないことと知りながら、それでも聞いてしまった。

 立っていても地に達しかねない、美景の長い黒髪は、座れば当然地に広がってしまう。座る時は髪をリボンでひとつにまとめて膝元に置いておくのが美景のいつものスタイルで、今も同様だった。この際それはどうでもいい。

 美景が私を追うように進学先を変えたことももう過去の話で、なぜか美景に呼ばれると出向いてしまう私の悪癖あくへきも今さらで、中学から大学に入った今まで、「友達なの?」と聞かれてすぐに答えられないのもやっぱり今は置いておく。

 私が指を差して何なのかと問うたのは、学内のベンチ――入学の時期には桜を眺めるのにちょうどよかった場所、に腰かける美景の隣にあるものだった。

「薔薇香る憂鬱」

 と、美景は短く言うのだが、無論さっぱりわからない。私は問いを重ねることになった。なにゆえか。薔薇・香る・憂鬱、いずれにも該当しないと思うほかなかったから。

 だって紙なのだ。

「これ、折り紙でしょ」

「薔薇のつもり」

 確かに色は赤い。私の目には、山折りも谷折りもどこへやら、フィーリングのみのぐちゃぐちゃで折り曲げられた得体の知れないもの、と映る。

「だとしても、折り紙は香らないでしょ」

「大丈夫。さっき、香水かけたから」

 鼻先を近づけてみる。悪い期待とともに。これでローズの香りがするなら、まだ話はわかるのだが。

「確かに匂いはするけど、シトラスだよね、これ」

「薔薇から必ず薔薇の香りがすると思ったら大間違いだよ」

 薔薇の香りがしない薔薇のほうが大間違いなのだ。普通は。

 美景お手製の薔薇――では絶対にないもの、を挟んで私もベンチに腰を下ろす。並ぶ木々が新緑を誇り、太陽は燦々さんさん、風は涼やか、憂鬱にはほど遠い。

「結局、何が憂鬱なの?」

「男を取られた」

 話し相手が私でなければ確実に誤解を招く言い方だった。私は知っている。取られるどころか、美景は生まれてから今まで、恋人なんてひとりもいたことがない。

「正確に」

「私が目をつけてた男に、薔薇を贈って告白したやつがいるって噂が広まってるわけね。先を越された」

 もう何も言うまい。口にしては言うまいが、取られるも何も美景のものだったわけではないし、噂に過ぎないわけだし、仮に本当だったとしても告白が成功したのかどうかはそこに含まれていないし、もし美景が気になる男とやらに先に告白していたとしても、絶対に実らなかったと思う。

「それで対抗して薔薇?」

「そう。悔しいから、憂鬱と怨念がこもった特製の薔薇を蝶子ちょうこに贈って、それで辻褄つじつまを合わせようかと」

 それでどう辻褄が合うというのか。私も一緒くたに憂鬱にさせてやろうというつもりなのか。生憎と、美景がいつも美景でしかないことは――つまりこうした奇行には、すっかり慣れているので、驚きも落ち込みもしないのだけど。

 逆に、驚かせてやろうかと、そういう思いが湧かないでもない。話を誘導するつもりで尋ねた。

「告白とセットなんだよね。薔薇」

「噂だとそうなってる。蝶子大好き愛してる。私と付き合って。今生こんじょうのうちは無理だと思うけど来世か来々世くらいでは幸せにしてみせるよ」

 それはつまり、およそ幸せにする気がないということだ。

「いいよ」

「は?」

 美景が目を丸くするところを、私は初めて見た。私は美景が告白した回数を知っているし、成功率が0%であることも知っている。今、その成功率が約7%まで上昇したというわけだった。

 告白する以前の問題で恋に破れたことはさらにずっと多く、美景にしてみれば、人生初めての奇跡が今ここで唐突に起きたということ。

「だから、いいって言ってるの。付き合うよ」

「なんで? え? 薔薇ってそんなに魔力あるの?」

 どう考えても、私たちの間にあるは、薔薇じゃないな。シトラスの香りのする紙だ。

「なんか、退屈しなさそうだからね。下手な男と付き合うよりよっぽど楽しそう」

「蝶子って、酔興すいきょうを通り越して自己破滅願望あるよね、時々」

 そう言われても仕方ないのかもしれないが、とはいえ、何もかも無考えのままに言ったわけでもない。

「さあ。男が私を幸せにしてくれないってのは、少なくとも私の高校生活の中では、確かなことだったからね。案外、理性的判断かも」

「今まで気にならなかったのに、今すごくその男どもに嫉妬湧いてくる。人数もしっかり知ってる。十一人」

 実はそこに含まれていないのがふたり――教師ひとり、当時美景が好きだった人がひとり、いて、本当は十三人なんだけど、黙っておこう。

 一見、おとなしそうに思える私に男の目は向くらしいが、中身はこんなものだ。奇行が目立ち、見た目も奇抜な美景は敬遠されるが、それが中身にまで及ぶかというと、話は別。

「美景に訂正の機会をあげるよ。私を愛してるのはわかった。幸せにしてくれる?」

「うん。こんな私だけど、幸せにする。今までの分も、絶対」

 身を乗り出すように、美景は私に顔を近づける。ベンチについた手が、薔薇と名乗る折り紙を潰す。ほら、こんなふうに。子供みたいに純粋。

 他に誰かいるなら譲ろうとしてたけど、誰も手をつけないなら、もらっちゃおうかなって、ね。

 私のほうからも顔を近づけて、さらに唇を近づけて、それが触れ合う手前で、すっと体を引き戻した。期待を裏切られたようになりつつも、美景の顔には喜びが強く滲む困惑があふれて、真っ赤だった。

「せっかくの美景のファーストキスは、初めてのデートの時にね」

「蝶子ってサディズムあるよね、時々」

 時々?

 違うよ。今これから先、ずっとあるよ。




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