火花を刹那散らせ (同題異話・八月)



 線香花火というものがある。

 儚い火花を前に、もう少し長く見ていたいと望み、閃火せんかを散らす玉に、まだ落ちないでほしいと願う、そうあるはずの手持ち花火である。私も普段ならそう思う。

 しかし今夜に限ってはまるで逆、一瞬だけ、いや刹那だけ火花を散らし、すぐさま燃え落ちてくれれば、それがもっとも望ましい。

 勝負は、線香花火を長く保たせたほうが勝ちで、私は

 はっきりとは言わないながら、凪沙なぎさも同じように考えているのは明らかで、もはや隠そうというそぶりもない。体裁としては勝利を求める競争ながら、彼女も私も、得ようとしているのは敗北なのだ。

 勝ったほうは好きな人に告白する、負けたほうは勝者に全面的に協力する、そういう取り決めであるのだが、もう互いにすっかり知っているのだ。

 私が告白するなら相手はもちろん郷間ごうま凪沙であり、凪沙が告白するなら、その相手は、私、志藤しとう蛍子ほたるこであると。

 向嶺むこうみね西公園、そう書かれた看板を見やりながら、灰白色かいはくしょくの土の上に足を踏み出す。いくつかの街灯に照らされた、テニスコート二面分ほどの公園が、文字通り火花の散る戦場となるはずである。

 約束の時間の十五分前に来たはずが、園内には人影があり、それは間違いなく凪沙のそれだった。近づく程に姿がはっきりする。今日は色の濃いデニムのハーフパンツと、青と白のボーダー柄の半袖シャツ。相変わらずボーイッシュがよく似合う。凜々しい。

 凪沙は挑戦的な笑みを向けながら、決まりきったセリフを言う。

「よく逃げずに来たな。いい根性をしてるって、それは褒めてやるよ」

 なんだか悪役みたいだけれど、そういうのも悪くない、劇でやるのなら見てみたい、などと思いつつ、私から素直な言葉が返るはずもないのだった。

「根性とかそういうのじゃないわよ。あえて言うなら優しさ? 不戦敗と不戦勝を認めないと言ったのは凪沙でしょう? 無勝負というのは困るの。私、凪沙の告白を応援してあげたいの。できることは何でもするわ」

 つまり、凪沙が告白してくれるのなら、私にできることは何でもすると、そういうふうに言い換えられるのだが、まあ、わざわざ言い換えなくても今さらなのだ。向こうだって似たようなことを思っているはずだし。

「そういや、外で待ち合わせて会うのって、久しぶりだな」

「そりゃそうでしょうよ。部屋のクーラーの調子が悪いって、凪沙、夏休みに入ってから三週間、ほとんど毎日、私の部屋に入り浸りじゃない。いったいいつ直るの?」

 クーラーの調子が悪いなんて真っ赤な嘘で、私の部屋に来る口実であると知っている。知っていながら私は凪沙を部屋に入れる。一緒にいたいから。そしてそれを凪沙は承知でいる。最近に至っては、万事がそんな調子。開き直っているとも言える。

 お互いがお互いを大好きだと、とっくにわかっているのに、ふたりともが意地を張って、ちっとも告白しようとしないのだった。その意地の張り合いが、今回の勝負に行き着いた。

「クーラーは、今夜どっちかが勝ったら直るよ。きっとな」

 凪沙の言葉を翻訳すると、晴れて恋人同士になったら相手の部屋に入り浸るための口実が必要なくなると、そうなる。

「まあ、いいわ。ストップウォッチ、ちゃんと持ってきたんでしょうね」

 線香花火は同時に火をけるのではなく、先手と後手を決めて順番にともし、火玉が落ちるまでの時間を厳密に計ることになっていた。ちなみに花火は各自持ち込み。何か細工をしろと言わんばかりである。凪沙の提案により、良い子が真似をしてはいけないことは禁止、と、意味深――と言うよりはあからさまな、ルールが加えられてもいる。

 凪沙がストップウォッチをポケットから取り出して後、私が持ってきた――バケツの形をした、小さな蝋燭ろうそくにマッチで火を点けた。私が先手と、もう決まっている。バッグから自分の線香花火をひとつ取り出して、先端を火に触れさせた、のだが――

「点かないわね。火」

 花火から火花の散る様子はない。これっぽっちも全く何らの気配もない。

「蛍子、お前、何か変なことしたろ。花火に」

 凪沙は私に、疑惑、と言うよりは確信に近い眼差しを向ける。見つめられて悪い気はしないけれど、どうせなら情熱的な瞳を向けてほしい。

「失礼ね。ちょっと水にひたしただけよ。そのほうが燃焼時間が短くなるかと思って」

「蛍子、たぶん馬鹿なんだな。花火って火薬なんだぞ。火薬。濡らしたりなんかしたら使い物にならなくなるに決まってるだろ」

 好きな女に対して、あまりにもひどい言いぐさではないだろうか。凪沙にざまに言われてどうかと言うと、悪い気はしない。私、そういう趣味があるんだろうか?

「どうせ凪沙だって、浅知恵を働かせて、ろくでもない細工をしてきたんでしょうに」

 私が言うのに怯まず、自信満々の様子で、凪沙はポケットから線香花火をひとつ取り出した。掲げてみせて、胸を張る。

「聞いて驚くな。一瞬で燃え尽きるように、先端部分をはさみで切って調整――」

「失格よ、失格! 聞いて驚くわよ、そんなの。花火って火薬なのよ。火薬。それをはさみで切り取るなんて、良い子が真似していいわけないでしょう。自分で言い出したルールを破ってどうするのよ」

 なんて言ってみたら、凪沙は言葉に詰まり、反論できぬまま、無言でしゅんとなってしまった。なんだか、ごめん。恋人同士になったら、もう少しだけは素直になれると思うから、今は許して。凪沙にそういう趣味がないのはわかってた。

「これって、どうなるのかしらね。勝敗付かずということになるの?」

 凪沙を落ち込ませたままでいるのも忍びなく、私はすぐに話題を変えた。

「うーん、どうしたもんか。今夜、告白される気満々で、ここに来たからなぁ」

 ねえ、凪沙、言っちゃってるのに気づいて。告白されるのが自分だって、自分で言っちゃってることに。そんなに私に告白されたいのなら、考えなくもないのだけれど、でもやっぱり、私にとっては世界一かっこいい凪沙からの告白を受けたい――たぶん凪沙も似たようなことを思ってる。

 途方に暮れたふうで、凪沙は頭上を見やった。私もそれにつられて、夜空に目を向ける。雲は見当たらない。月はほとんど新月。街灯の明かりに邪魔されてはいるが、それなりに星は見つけられる。

 ぼんやりと、ふたりで夜空を眺めるのも、束の間だった。

「あっ」

 凪沙が声を出した理由は、間違いなくわかった。

 一瞬だった。

 刹那の火花だった。

 私は思わず口にしていた。

「流れ星」

 閃火の一条ひとすじが夜空を伝わり、瞬間のうちに姿を消した。流星が天空を滑った。ふたりともが、それを見た。

「たぶん、あれより短い花火、ねぇよな」

 ぽそりと、凪沙は覚悟を決めたように言う。

「ふたりして見ちゃったんだから、勝負は引き分けかしらね」

 私も覚悟する。凪沙が思っていることが伝わるから。

 ふたりで言おう。

「いいか? するなよ。いっせーの、で言うんだからな。、の後、一拍置いてからだぞ。いいな?」

「私は正々堂々と言うわよ。凪沙こそ、土壇場で怖じ気づいたりしないでしょうね?」

 私はこの期に及んで素直じゃない。意地の張り合いは、結局これからも変わらないような気がする。

「じゃあ、最初から一緒に、な。いくぞ」

 凪沙は笑みとともに言う。私も微笑む。どんなに素直じゃなくたっていい。今これから、ふたりで一緒に言うことを、凪沙も私も絶対に疑ったりはしないから。

「「いっせーの」」




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