It's not the beginning of our story, but we can love it



 一本だけ残された割り箸を見やる。他に何もないローテーブルの上に、片割れだけぽつりと転がっている。なんでこんなところにあるんだっけ?

 ああ、そうだ。昨日、芙蓉ふようと割り箸対フォークでをやったからだ。今からすれば、先端の尖った金属と木材とでは、不利があったように思える。せめて、割り箸を二本とも使い、二刀流にするべきだった。

 椿本つばきもと・ジュヌヴィエーヴ・芙蓉とは、いつもそんな感じだ。

 高校の同級生として知り合ってから十年余り、恋人同士になってから七年余り、そりゃあ、ロマンスな時間がないではないけれど、だいたいはひどく子供っぽいことにふたりして夢中になっている。秘密基地で言えば、柚子崎ゆずさき町に三つ、隣にある鷺丘さぎおか市にひとつ、苦労してこしらえた。

 柚子崎にある秘密基地のうち二つは、近くに住む小学生に貸したりしているので、やはり、二十六の大人がやることではないのだろう。二十六の大人がやればこそ、ホームセンターを利用して財力にものを言わせたりして、結果、小学生からは好評だ。

琴子ことこ、もう起きてたの?」

 セミダブルのベッドの上、一枚の毛布を体からはがし、眠そうに目をこすり、芙蓉は言う。ふたりで眠った時のまま、裸のままだ。相変わらずスタイルがいいなあとは思うものの、心中に燃え上がるものがあるかないかで言うと、取り立ててあるではない。ずいぶんと見慣れてしまった。

「もう、と言うより、私からすれば、芙蓉、やっと起きたの? ってふうなんだけど」

 時計の針は十一時半過ぎを指している。もうすぐ午前が終わってしまう。

 さておき、私も芙蓉のことを言えるではない。起きてから十二分に時間があったはずなのに、キャミソールとショーツのままでは――しかも色がそろっていないともなれば、恋人を前にして気を抜きすぎではないかと言われても反論できない。

「ゲーム業界の人にとっては、十一時半は一般の九時半だよー」

 ぼんやりと、甘い声音で芙蓉は言う。確かにそれはそうだろう。私と芙蓉はそろってゲーム業界に身を置き、別の会社にいるが、始業はどちらも十一時。ゲーム業界の朝は遅い。芙蓉はそのうえで遅刻しがちのようで、なおさらだった。

 私の口から、ふっと、思ったことが漏れる。

「私たちって、何か、筋金入りだよね」

「何が?」

 芙蓉はベッドから立ち、裸のままで部屋の隅にある冷蔵庫まで向かった。狭っ苦しいワンルームなので、冷蔵庫の置き場は部屋の中になってしまう。芙蓉は一リットルの牛乳パックに直接に口をつけて、ごくごくやる。

「何でもない。今日、何する?」

 今日は土曜日で、ふたりとも休日だった。梅雨の晴れ間、いくらでも遊びようがあるだろう。部屋でゲームをするのでも、もちろんかまわない。

 芙蓉は飲みしのままの牛乳を冷蔵庫に戻し、眠気の残る声で言った。

「うーん、ほんとはね、秘密基地Bの水害対策をやりたかったんだけど、今日はラブラブデートでどうかなって」

「珍しい」

 私は思わず口にしていた。デートらしいデートなんて、どれくらいしていないだろう。不満があるわけじゃない。ただ本当に珍しいだけ。

「なんかね、うちの従姉妹いとこAと従姉妹Bに、そろってができたみたいで。やっぱり、同じ血が混じってるんだなあって感じなんだけど」

 そう言ってから、芙蓉は小ぶりのデスクの上にある自分のスマートフォンを指でぽつぽつとつつき、話を続けた。

「別口で二カ所から惚気のろけがくるもんだから、すっかり対抗心がね。悔しいから、こっちからも返してやろうかと思って」

 思わず苦笑した。デートがどうこうというより、芙蓉の立場で言えば、従姉妹との惚気合戦のための武器を取りに行く、みたいなものだろう。強い剣を求めて洞窟に潜るような。



 高台にあって海を望めるお洒落なカフェで遅めのブランチ、ジュエリーショップでそろいのイヤリングを買い――芙蓉曰く、経済力はこちらのアドバンテージだそうだ、これから愛に満ちた映画を見ようという段になって、映画館の入ったモールの入り口手前、噴水のへりに腰を下ろし、芙蓉は完全にへこたれていた。

「……もういい。勝ちは従姉妹AとBに譲るよ」

 もともと勝ち負けを争うものではない。あと、やっぱり、性に合わないことは無理にするものじゃない。カフェは落ち着かないことこのうえなかった。ふたりともファッションに疎いわけではないが、それはあくまで普段の買い物としてあって、楽しむには至らず。

「じゃあ、映画はやめて、ゲームセンターにでも行く?」

 私は当初の趣旨になるべく沿うように提案したが、芙蓉としては、それを全力でかなぐり捨てるつもりらしかった。

「ううん。秘密基地の四つ目、作りに行こうよ。候補地、この近くだったでしょ?」

「この格好で?」

 デートということで、二十六の女ふたりがしっかりお洒落をしているのである。スカートだしヒールもあるし、アクセもつけてるし、髪もセットしたわけだし、化粧だって。

「そうそう。着替えに戻ってもいいんだけどね、でも、このままのほうが、すごく感じがしないかな」

 芙蓉にそう言われてみると、その大人げなさが、非常に魅力的に思えてくるから不思議だ。やっぱり私たち、相性がすごくいいから、十年間も飽きずに馬鹿なことばっかりやってるんだと思う。



 しかしながら二十六、大人の分別はあるということで、土地の所有者には許可を取ったらしい。と言っても、芙蓉の親戚だとのこと。

 海岸線、海沿いの道と並んで、あるいは柚子崎電鉄の線路に沿って、ちょっとした広さの雑木林がある。そこに、うまい具合に切り立った面を見つけてあって、道中で買ったスコップで穴を掘っているわけだった。

 雨水に脅かされないよう、高床式を採用すると芙蓉は言う。実ではそんなに大げさなものではなく、手頃な石をまばらに置いて、その上に板を載せようというだけだ。

 何が一番子供っぽいかというと、おそらく、日が沈んでもずっと作業に没頭していることだったろう。さっき時計を見たら、二十三時半過ぎだった。いや、門限がないゆえだから、むしろ大人なのか。化粧を落とさずに力仕事に励んでいたわけで、お互いにひどい顔になっている。やっぱり大人だな。

 芙蓉は作業の手を止めて、秘密基地とは反対側、海のほうの様子を気にした。

「うんうん。ここからだと海が見えていいね。木の葉がブラインド代わりになって、こっちから向こうが見えても、向こうからこっちは見つかりにくい。秘密基地としてポイント高いよ」

 懐中電灯で辺りを照らしていたが、光が道路の側を向かないようにしていた。道路からだと、注意して目を向ければ、ぼんやり明るく見えるかもしれないが、およそ気づかれないだろう。

「あれ、なんか道路に人がいるよ。街灯の下にふたり。高校生くらいかな。ひょっとして、告白してるんだったりして」

「私と芙蓉みたいに?」

 私はスコップを握ったままで、洞穴ほらあなづくりに精を出しながら返した。

 私たちが、友人ではなく恋人として再スタートを切ったのは、ちょうど高校の卒業式の日だった。海沿いの道で、夜で、お互いに帰りたくなくて、それまでずっと話し込んでいた。

「そうそう。卒業証書片手にさ、琴子が泣きながら、離れたくない、恋人になりたい、ずっと一緒にいたい、って。かわいかったよねえ」

 それは事実ではあるが、語弊がある。

「よく言うよ。芙蓉だって泣き出しちゃって、うん、うん、って、何度も何度も頷くだけだったくせに」

 スコップを強く握り、芙蓉が作業に戻ってくる。ふと、少し切ないような、どこかに喜びの混じるような、そんな声が、芙蓉から漏れた。

「あんなふうなスタートライン、もう、私たちにはないかな。一生ずっと一緒にいよう、って言っても、うん、って返ってくるだけだもんね」

「これが恋愛ゲームだったら、エピローグだって、とっくのとうに終わってるね」

 人生はゲームじゃない、大恋愛の後日談の延長線上で、私たちは生きていく。馬鹿やって、秘密基地が増えたり、たまには喧嘩をしたり、割り箸とフォークでをしたりしながら。

「確かに、始まりではないけどね――」

 懐中電灯のおぼろげな明かりの中、芙蓉はめいっぱいで微笑む。嬉しそうに言う。

「人生にはリセットもコンティニューもないから、どんなことだって最初の一回だよ。その相手は、私、絶対に琴子がいい」

 スコップを握る私の手が、一瞬、止まる。

 不意打ちはずるい。

 まさか、今さら惚れ直すなんて、思ってなかったよ。

 付き合って八年目でまた好きになる、最初の一回。




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