第12話 「仏教=物理学」から導かれる驚愕の結論

ここまで仏教と物理学の奇妙な附合性について述べてきた。一部にはかなり強引なこじつけ解釈と思われる部分もあったかもしれないが、そこはご容赦いただき、これまで論じてきたことから導かれる結論をまとめてみたい。

1. この宇宙は「無」が常態であり、物質に満ちた今の宇宙は「異常」あるいは偶然生まれた仮の姿である。

2. 肉体あるいは物質がエネルギー(これを「魂」と呼んでもよい)に変換されるとき、すべては輪廻転生の苦しみから解放される。

3. エネルギーだけは極楽浄土(別宇宙)の方向へ移動でき、永遠の命を得ることができる。

この結論をどう読んでどう解釈するかは読者の方に委ねるとして、この考え方を最先端の宇宙物理学から再度考察して結語としたい。


まず第1の、今の宇宙ができたのは偶然か必然かという議論であるが、多宇宙論を取る学者は、今の宇宙は偶然の積み重ねでできたと主張する。あらゆる条件が人類の存在に都合よく出来すぎているからである。例えば、重力の強さが1%だけ違っても、星も人間も、いや原子すら生まれなかった宇宙になっていたかもしれないと言うのである。ただ宇宙が無限の数だけ存在するなら、その別宇宙ではまったく違った物理法則に支配され、全く違った生物が住んでいるかもしれない。人間にとっては住みにくくても、そこの環境に合わせた生物がいるかもしれない。これは確認のしようがないため真相は分からないが、確率論からすれば宇宙が偶然の産物だということは否定できない。

一方、今の宇宙が必然の産物だとしたら、何度宇宙が生まれ変わっても、あるいは多宇宙であっても、どこにいても同じ物理法則が支配し、同じように人間あるいは地球上に住む生物と似た生物が住んでいることになる。多くの物理学者はこの考え方を支持する。科学では、再現性を重視し、同じ条件で実験すれば必ず同じ結果が出なくてはならない。万物を支配する物理法則は単純で美しくなければならない。それゆえ地球外生命体探しは重要な実証実験でもある。仮に地球外でも生命が発見されれば、生命の発現には普遍性があり、翻ってそれを可能にした物理法則にも普遍性があるということになる。

そのいずれが正しいのか。仏教が「無」を常態あるいは相応しい状態と考えていることからすると、物質が存在する今の宇宙はやはり異常あるいは偶然生まれてしまったものと考える方が自然である。実体を持つ物質が生まれたことが輪廻転生と煩悩の始まりだとすれば、物質のない世界つまりエネルギーだけが存在する世界では煩悩もないということになる。


第2のエネルギーになればすべての煩悩から解放されるという点だが、人間は肉体を捨ててエネルギーとして生きることができるのであろうか。有名なSFドラマ「スタートレック」で、エネルギーとして生きる生命体が出てくる話があった。実体を持たないため、肉体的煩悩はなく、幽霊のように何でも自由にすり抜け、宇宙空間も完全自由に旅することができる。肉体を有することが当たり前の人間にとって、この生命体は当初「幽霊」と誤解された。こんな生命体の存在は可能なのであろうか。

最近、人の記憶を読み取る実験に成功したという記事が出ていた。記憶は脳内の海馬という場所でニューロン(脳神経)の結びつきにより格納される。この脳の働きは、コンピューターのメモリー機能に似ている。我々が日常いろいろなデータをディスクに保存したり呼び出したりするのと同じように、人の記憶もデジタル化して記憶媒体に保存すれば、肉体を捨てて永遠の命が得られるのではないかと考えたくもなる。仮に人間の脳の働きにほぼ近いコンピューターが開発されれば、そんな世界も可能かもしれない。これは第2話「人生はすべてバーチャルリアリティー」を体現したものになる。

ただ、機械人間として生きることができたとしても、やはり記憶を保存する「物質」は必要であるから一切が「無」になった世界では、その存在すら消滅することになる。では、完全に物質を捨ててエネルギーの状態で生き続けることはできるのか。この点について仏教は冷たい。と言うか、仏教は万物(原子も含めたすべての物質)を救済することを最終目的としており、人間だけが救われようという浅ましい考え方は、それこそ芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」そのものである。

どんな形でもいいから生き続けたいという人のために、仮に「エネルギー人間」が存在しうるとしたらどんな形になるか想像してみよう。一例をあげると、光に情報を載せるという方法がある。光は波として伝わる性質があり、その波長や周波数は文字通り無限の種類が考えられる。ガンマ線、エックス線、紫外線、可視光、赤外線、マイクロ波…、というようにいろいろな光がある。

仏教では「瑠璃光(深い青紫色の光)」が極楽往生のために必要とされるありがたい色とされる。人間の目に見える可視光の範囲は狭く波長400~800ナノメートルほどしかない。これは上述した光の中のごくごく一部でしかない。青い光は赤い光に比べ波長が短くエネルギーレベルが高い。例えばお湯を沸かす際には、赤い色のろうそくの炎よりは青白い色のガス炎の方が早く沸く。これは青い光の方が高温でエネルギーレベルが高いからである。

宇宙を隔てる壁を越えるにはとてつもなく高いエネルギーレベルが必要で、例えばこの世で最もエネルギーレベルが高い「ガンマ線」ははるか何億光年も離れた宇宙の果てからでも地球に届く。このガンマ線は可視光の青色領域よりはるかに外側寄りの光であり「究極の瑠璃光」と言える。もし人間の意識や記憶という情報をこの「ガンマ線」の波長の違いとして記録することが出来れば、「宇宙最後の日」も越えて、別宇宙(極楽浄土)に移住するという夢物語が実現するかもしれない。でも物質的肉体を持たずに生きるということがどういうことか想像もつかないので、その善悪については述べないでおこう。


第3の極楽浄土(別宇宙)についてはどうか。本文中でも述べた通り、我々の住む宇宙以外にたくさんの宇宙があるかどうかはいまだ観測されていないので、それが存在するかどうかは確かめようもない。ただ、多宇宙論を支持する物理学者によれば、もし我々の宇宙の親に当たるような別宇宙が存在すれば、その宇宙における宇宙背景放射が観測される可能性があるという。

宇宙背景放射は、ビッグバンの名残とされており、灼熱の火の玉だった宇宙がだんだんと冷えてゆき、わずかにくすぶり続ける残り火のようになったものをいう。その温度は宇宙空間の温度と同じで、絶対零度(摂氏マイナス273度)に近いほど冷たいものである。宇宙背景放射はマイクロ波観測衛星により実際に観測されており、それがビッグバンの起きた決定的証拠とされている。

ただ、この宇宙背景放射にはごくわずかだが温度のムラ(高低)があり、なぜそのようなムラができたのか詳しいことは分かっていない。もしこのムラが親宇宙から来た背景放射と子宇宙にもれた背景放射の差としてできたものとすれば、別宇宙が存在する証拠となりうる。さらに言えば、そのムラをさらに精密に観測すれば、別宇宙につながるワームホールが発見できるかもしれない。。

あるいはもう一つの方法として「重力波」を使う可能性についても研究が行われている。超ひも理論では重力だけは「グラビトン(重量子)」を介して余剰次元や並行宇宙にも伝わるとされている。この重力波を使った並行宇宙との通信は、例えば全く行き来のできない隣の部屋にいる人と「音」を通して通信する仕組みに似ている。すなわち二つの部屋を隔てる壁をモールス信号のように叩くことで、情報を伝えることが出来る。これと同じように、我々の宇宙と隣の宇宙を隔てる壁を重力波を使って揺らすことができれば、隣の宇宙に住む別人類との通信が可能になる。

そして、その時までに人間がエネルギーとして生きる方法を開発できていれば、まさに極楽浄土に旅するように別宇宙に移動し、そこで新たな肉体(全く違う物質でできた全く違う姿かたちをした生き物かもしれないが)を持つことも可能かもしれない。でも、仏教の教義によれば、恐らくそれは新たな煩悩と輪廻の始まりになるのであろう。


「仏教=物理学」とすれば、このようなとても奇妙な世界観が生まれてくる。ただ、仏教が教える「無」そして「輪廻転生」の世界観は、世界の人々を争いや困苦から救う可能性を秘めている。今日、キリスト教とイスラム教が支配する世界ではテロや戦争が広まり、この2大宗教に任せておくと人類の将来は危ういのではないかとさえ思えてくる。

この宇宙を支配する物理法則(縁起)は絶対であり、いま身の回りで起こりつつある事象はすべてバーチャルリアリティーだということを悟れば、些細なことで争うことなど馬鹿らしく思えてくる。我々は、自らの身勝手さを省み、すべてを客観的に観察し、一切をありのままに受け容れるという姿勢があれば、たとえ1千億年後に宇宙最後の日が訪れるとしても、人類の未来は明るいものになるだろう。

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