第3話 「輪廻転生」の本当の意味

「輪廻転生」とは一般的には生まれ変わることと解されている。つまり死者が後世で別のものに姿形を変えるということである。では実際に、人が死ぬとどうなるのか物理的に確認してみよう。

仮に1分前にあなたが死んだとしよう、1分前のあなたと1分後のあなたは物理的にどこが違うか。医学的、生物学的には生と死は大きな違いであるが、物理的にと言われると困ってしまう。

1分程度では遺体の腐敗も始まっていないし、文字通り生前と同じ姿形で目の前に存在する。あなたの体を構成する水素原子や酸素原子の数も大して変わらない(呼吸が止まることによる二酸化炭素の排出などを除いて)。

では葬式が終わって火葬にふされるとどうか。あなたの体を構成していた水素原子や酸素原子は水蒸気として空中に放出され、炭素原子は灰や骨となって残る。これらの原子はいずれ次の生命をはぐくむための材料として使われる。あるいは、無機物のまま路傍に転がる石ころになるかもしれない。一般的には、これをもって「輪廻転生」と解されている。

悪いことをすると来世で犬畜生や石ころに生まれ変わり、煩悩は永遠に続くと言われるが、水素原子や酸素原子一つ一つに意識や感覚があるわけではなく、実際にあなたが死後も煩悩を体感することはないだろう。でもあなたの体に宿っていた水素原子や炭素原子は壊れることなく存在し続けることになるので、原子にとっての輪廻転生は止まらない。


ただし、第1話で述べた通り、仮に反粒子(反水素、陽電子など)が存在すれば「対消滅」により、水素原子は輪廻の輪から解放され、エネルギーへと変換される。

これを裏付ける興味深い考え方が古代インド哲学で示されている。それが「梵我一如」である。アートマン(我あるいは個体)とブラフマン(梵あるいは宇宙)は本来同一のものであり、それらが合体するとき、輪廻の苦しみから解放されると説いている。

これだけでは何のことやらさっぱりわからないが、アートマンを水素、ブラフマンを反水素と読み替えると、途端にその意味が見えてくる。素粒子物理学では、水素と反水素は電荷が正と負の逆であることを除けば、全く同一の性質をもっているとされる。そして、それらが出会い合体すると、第1話で示したアインシュタイン方程式により膨大なエネルギーに変換される。つまり、あなたの体の一部を構成していた水素原子が、輪廻の輪から解放され、文字通り自由を得るのである。対消滅によるエネルギーの発生は膨大で、もし1円玉が同じ大きさの反1円玉と合体すると、小型の原子爆弾1個くらいのエネルギーを発すると言われている。

素粒子物理学によれば、水素原子はヒッグス場にとらわれて質量を持つため、完全に自由に動き回ることができない。誤解があるといけないのでさらに詳述すると、水素原子1個はとても小さく宇宙のどこまででも自由に飛んで行けそうなのだが、宇宙すべてに蔓延するヒッグス場やブラックホールなどの高密度天体のせいで動きが制約される。そのため、いずれどこかで輪廻の輪にとらわれ、また姿形を変えさせられる。

これに対し、エネルギーは永遠不滅(エネルギー保存則)であり、宇宙のどこまでも光速で自由に飛んで行ける。ブラックホールのような超密度、超高圧の中でも破壊されず、また異次元が存在すればそちらの方向へも移動できる。まさに完全なる自由を得るのである。

アートマン(自我)は、ブラフマン(宇宙)と合体するとき、輪廻の苦悩から解放されるとはそういうことなのである。


(追記)

仏教は、人間だけでなく宇宙自体も輪廻転生するという考え方を前提にしており、それについては第11話「仏教には終末論がない」で詳述します。

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