第11話 仏教には終末論がない
多くの宗教には終末論がある。天地をゆるがすような大災害が起き、人類あるいは地球が滅亡するという類の話が多い。
仏教にも末法思想というものがあるが、これは人類滅亡の話ではない。お釈迦様の入滅後500年間は仏法がよく守られ、人々は正しく修行もし悟りを開く者もいる時代が続く。その次の1000年間は修行をする者はいるが悟りを開くまでには至らない時代が続く。その後が「末法」時代、つまり仏法は存在するが誰も修行をしない時代であり、この時代は1万年間続くとされている。
お釈迦様の入滅は今からおよそ2500年前の出来事であるから、現代はまさに末法時代のさなかである。一部の真面目な僧侶を除き、大半の衆生は修行もせず、仏法は軽んじられて葬式の時だけ利用あれる「形式仏教」に陥っている。お釈迦様がこうなることを予見されていたかどうかは不明であるが、まさに世も末というにふさわしい時代である。でも、だからと言って仏の罰が当たって人類は滅亡するとは書いていない。これは、仏教が物理学だからである。人間がいくら罰当たりなことをしても、原子の存在や物理の法則が変わることはない。だから世界の終わりが来ることはない。
これに対し、宇宙物理学では「宇宙最後の日」を想定している。それは、人類滅亡や地球滅亡といった生易しいものではなく、この宇宙全体が滅亡するという内容である。そして、それが恐ろしいのは理論的、科学的知見に基づいて想定されていることで、その辺のいかがわし終末思想ではないという点である。宇宙物理学が予想する宇宙最後の日には、その前提条件の違いによりいくつかのシナリオが考えられている。
その一つは、ビッグバンの反対、ビッグクランチである。今の宇宙には物質が満ち溢れている。通常宇宙に存在する物質は、何もしなければお互いの重力で引き合い合体してどんどん集合してゆく。物質が集まれば集まるほど、重力は大きくなり物質はだんだん小さな空間に押し込められてゆく。ちょうど、ビッグバンを起こした後に膨らみ続けてきた宇宙が、逆回しになって縮こまってゆくと考えればよい。そして最後は針の先より小さな一点に押し込められて宇宙は消える。これがビッグクランチである。
一方で、宇宙が膨張して何もかもが引き伸ばされてバラバラになるという説もある。今の宇宙は加速度的に膨張しているという観測結果が示されており、このまま膨張の速度が落ちなければ、やがて夜空に見える銀河や星は見えなくなるまで遠去かり夜空は真っ暗になる。さらに膨張が進むと、引き伸ばしは宇宙空間の中に存在する星や人間の体、原子に至るまで万物に及び、果ては素粒子レベルまでバラバラに引きちぎられることになる。このシナリオをビッグリップという。
ビッグクランチとビッグリップの中間、つまり宇宙の膨張速度が安定しても、前話で述べた「エントロピー増大の法則」により、宇宙はだんだんと冷えて、冷たく暗い世界になってゆく。どんなに激しく燃え盛る星々もいつかは燃え尽きて、暗い残り火のようになるか、あるいはブラックホールとなり蒸発して消えてしまう。この世界では、絶対零度に近い温度の中で、あらゆるものが暗くて何もない宇宙空間を永遠に飛び交うことになる。
残念ながら、これから宇宙の膨張速度がどうなってゆくのかは解明されていないため、どのシナリオになるのかは不明である。ただ、いずれのシナリオでも、宇宙最後の日が訪れることは確かであり、その時はどこへ逃げてももはや助かる道はない。人類の超未来には、押しつぶされるか、引きちぎられるか、あるいは永遠の暗闇か、いずれにしても壮絶な地獄が待っているということになる。そんな宇宙が実現するのは数千億年ほど先のことになると予想されているが、宇宙最後の日が訪れることだけは確かである。
では、なぜ仏教にはこうした終末論がないのであろうか。仏教の宇宙観の根底にあるのは「輪廻転生」であり、それは物質だけにとどまらず宇宙全体にも適用される。これまでの話の中で述べてきた通り、仏教でいう「極楽浄土」とは多宇宙論で言う別宇宙であり、物質がエネルギーに変わるとき、この別宇宙に移住できると考えるからである。仏教にとって、宇宙は永遠に繰り返すものであり、だから「終わり」を考える必要もない。
(追記)
最近、多宇宙論の中でも特に有力なものとして「エキピロティック宇宙」という斬新的な考え方が出てきており、筆者も仏教の真理に照らして考えると、これがもっとも現実的なのではないかと思っている。
エキピロテック宇宙とは、我々の宇宙と並行的に存在する反物質ばかりでできた別宇宙であり、現在は両方が離れて別々に存在するが、何千億年という途方もない時間の間に定期的にぶつかりあって、また分かれるということを繰り返しているとされる。
ちょうど楽器のシンバルのように2枚の宇宙があり、それがぶつかり合うとき大音響を出すようにビッグバンが起き、すべての物質と反物質が一斉に対消滅を起こし、次の瞬間にまた対生成を起こして生まれ変わるというものである。これであるならば、宇宙はシンバルのように永遠にぶつかってはまた離れるということを繰り返しており終わりはないとも言える。
ただ宇宙が繰り返し生まれ変わっているとしても、ビッグバン(一斉対消滅・対生成)を乗り越えない限りその瞬間に我々の存在は消える。それを乗り越える唯一の方法が魂(エネルギー)になることである。繰り返しになるが、エネルギーだけはどのような過酷な環境でも押しつぶされることなく、形を変えて生き延びる。
仏教には終末論がないとはそういう意味である。
この理論を支持する有力な証拠が最近「CERN(欧州共同原子核研究機構)」で見つかっている。詳しくは補論1「ヒッグス機構、消えた反物質の謎」を参照してください。
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