第8話 理想の悟りの境地「涅槃(ねはん)」とは

お釈迦様は菩提樹の下で悟りを開かれた、その時のお釈迦様の状態を「涅槃」という。涅槃とはサンスクリット語で「完全に吹き消された状態」というような意味になる。つまり煩悩の炎が完全に滅した状態とされ、理想の境地とされている。ただ、涅槃には有余依涅槃と無余依涅槃の2種類があるとされている。前者は肉体は残っているが煩悩だけが完全に消えた状態とされ、後者は肉体も含め一切が消えた状態とされる。

お釈迦様が悟られた境地は「有余依涅槃」とされている。つまり生きたままの状態で一切の煩悩を消し去ったという意味である。これは第2話で述べた「無眼耳鼻舌身意」の状態だと思われる。つまり人間の五感と意識のすべてがバーチャルリアリティーであることを悟り、肉体の外とのインターフェースを完全に遮断した状態ということである。そして、お釈迦様が亡くなられた時、これを「入滅」というのだが、すべてが消える「無余依涅槃」に至る。

もっともらしい説明だがどこか変だと思われないだろうか。仏教でいう理想の境地とは「無」あるいは「無我」である。なぜ「無我」と言わず、わざわざ「涅槃」という概念を持ち出したのか。無我と涅槃は何が違うのだろうか。涅槃とは「植物状態」あるいは「脳死状態」とどこが違のか。植物状態が理想の境地だとしたらこれはおかしな話になる。涅槃にはもっと別の意味があるのではないか。

仏教学者の中には、涅槃の語源である「完全に吹き消された状態」に着目して、これは物理学で言うところの「絶対零度」に近い概念だと表現する人もいる。絶対零度は摂氏マイナス273度であり、この世の最低温度とされている。この温度まで下がるとすべての原子の振動までが停止する(不確定性原理による零点振動を除き)。見た目は全く動いていない物質でも、それを構成する原子の中では絶えず振動が続いている。すべての原子はその原子に固有の振動数があり、それを数えることで時間を測るのが原子時計である。

この原子の振動は温度が低くなるにつれ小さくなってゆき、絶対零度で完全に停止する。こうなると原子は文字通り仮死状態に置かれ、他の原子と結合したりして姿かたちを変えることはできなくなる。つまり輪廻の輪から解放されるのである。この状態が「有余依涅槃」、つまり物質的な姿かたちは残したまま、完全に吹き消された(活動を停止した)状態になるのである。

では無余依涅槃とはどういう状態なのか。肉体(物質あるいは原子)まで消えた完全な無の状態である。第1話で説明した「対消滅」により物質的存在までが消えた完全な「無」である。

仏教では、本来この無余依涅槃こそが理想の状態とされるのであるが、対消滅を起こすためには物資と対をなす反物質を用意する必要がある。ところが、第1話でも説明した通り対称性の破れにより、反物資の大半は消えてしまいこの世には存在しない。よって、物質を消したくても消せない。これでは輪廻転生は永遠に続いてしまう。仕方なく、有余依涅槃つまり肉体(物質)は存在するが、その活動を完全に停止させることで輪廻の輪から逃れられるとしたのである。涅槃とは「無我」の代替措置、あるいは妥協の産物として考え出された概念なのである。


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