第7話 「極楽浄土」は並行宇宙か

仏教を信じない人も、あるいは信じている人でさえ、極楽浄土が本当にあると心底から思っている人は少ないと思う。しかし、最先端の宇宙物理学でその存在が証明されるとしたら、行ってみたいと思うであろうか。

そのためには、まず我々が住んでいるこの宇宙(現世)がどういう構造になっているかを知る必要がある。宇宙は今から138億年前に起きたビッグバンによって生まれたとされている。これは各種の観測結果からほぼ確実視されている事実である。ただそれには「観測可能な」という重要な条件が付く。宇宙観測は基本的には「光」によってなされるので、当然ながら光の届かない部分については解明されていない。真っ暗な夜道で、街灯の明かりで照らされている部分だけを見て「これが宇宙だ」と言っている可能性があるということである。物理学者の中には、観測や実証ができないものは科学ではないとして、その存在すら否定してしまう人もいる。

でも、現実には138億光年より遠いところにも宇宙は広がっている。宇宙が今も実際に膨張を続けているということは観測結果からも分かっており、138億年前に光を発した地点は、今では400億光年くらい離れた場所にあるのではないかとも言われている。では、仮にいま瞬時に400億光年先に移動できたとしたら何がどのように見えるのだろうか。宇宙の縁が押し寄せる波のように広がっていく様子が観察できるのであろうか。

これについては2通りのことが考えられる。一つは宇宙には無限の広がりがあり、たまたま我々が観測している領域はその一部であるという考え方と、現実には宇宙の縁がありそれより外は時間も空間もない「無」の世界が広がっているという考え方である。これについては、宇宙の「曲率」を使えばどちらかが分かるとされている。曲率とは曲がり具合のことで、例えば地球は球状に曲がった空間(というかこの場合は平面)であると表現できる。このことは別に宇宙から地球を見なくても、地球上をぐるりと一周すれば背中側から元の場所に戻ってくること、あるいは水平線を遠くまで見ると下の方が隠れることから、地球は丸いと確認できる。これと同じで、宇宙の一部を観測することで、宇宙の曲率が正か負かあるいはゼロかが分かれば、宇宙が閉じているか無限に広がっているかが分かる。で、実際の観測結果では、これまでのところ宇宙空間は平坦(曲率はゼロ)で曲がっていないとされている。ただ、それは観測精度が悪いため、微細な曲がり具合を検出できていないだけのかもしれないし、真相は分からない。

このように考えてくると、では極楽浄土はこの世のどこにあるのか、そんなものはやはり存在しないのではないか。三途の川(ワームホール)を何回渡っても、何十億光年も旅をしても永遠に到達できない場所なのではないかと思われる。

でも、極楽浄土の定義をきちんと読めばその答えが見えてくる。極楽浄土は、「一切の煩悩や輪廻から解放された永遠の安住の地」とされる。第3話で述べた通り、輪廻転生の本当の意味は、肉体あるいは物質が姿かたちを変えて回り続けることであるから、それが消滅した世界、つまり物質がすべてエネルギーに変換された世界こそが「極楽浄土」になる。肉体も存在しない、よって煩悩も困苦もない世界である。

では、このような世界は宇宙物理学でどのように説明できるのか。それが「多宇宙論」である。今我々が住んでいる宇宙(この世)は、あまたある宇宙の一つに過ぎず、観測できない別宇宙(あの世)がたくさんあるという理論である。SFの世界の話のようだが、現実に理論的にも確立された立派な学問の話である。

多宇宙論にはいくつかのパターンがある。わかりやすいように不正確な部分はお許し願って、少し俗世的な表現で説明しよう。一つは風船である。あなたが今風船を膨らませている。その風船の皮の一部が薄くなり、そこから別の膨らみができてくる。これを子宇宙という。さらに風船を膨らませ続けると、子宇宙からも別の宇宙が派生して孫宇宙ができる。こうやって次々と新しい宇宙が生まれるというのである。もう一つは、ポケット宇宙である。今の宇宙を包むより大きな宇宙があり、入れ子のように何重にも重なっているという考え方である。大きな宇宙の中に、中宇宙、小宇宙がいくつあるかは文字通り無限にあると言われている。

多宇宙論はまだ実際に観測されていないし、また観測不可能とも言われており、あくまで理論上の話である。この無数にある別宇宙の中では、物理法則(つまり「縁起」)はすべて異なっており、したがって仮にそちらに移動できたとしても、我々の世界の物質や肉体は存在できないだろうと予測されている。例えば、重力の値がたった1%違うだけでも、原子も星も存在できない世界になるという学者もいる。

ただ、ここが最も重要なポイントなのだが、エネルギーだけは宇宙を隔てる壁を越えて別宇宙に移動できるのではないかとされている。もう答えが見えてきたと思うが、我々の肉体あるいはそれを構成する物質が第1話で示した「対消滅」によりエネルギーに変換されたとき、文字通り完全な自由を得て、別宇宙(極楽浄土)に到達するのである。

あまりにも話が出来すぎている、その別宇宙は今の宇宙よりもっとひどいところではないのか、地獄ということもあり得るのではないかという反論がありそうだ。その可能性はある。別宇宙がどんな物理法則で成りたっているか分からない以上、その反論を否定するすべはない。ただ、肉体あるいは物質が存在することが煩悩の根源であるとすれば、少なくともそれが消えた世界では煩悩も消えているのではないかと推測される。


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