再び夏
その小包が届いたのは、八月の初めだった。
「虹介ー、なんか荷物届いてるけど」
「荷物? 何それ?」
虹介は首を傾げて、律子から、A4サイズくらいの大きさの茶封筒を受け取った。それなりにふくらんでいるが、長方形は保っている。宛名には小さめの丸っこい字で、『瀬谷虹介様』とあった。
差出人は――木暮稚奈。
虹介は目をまるくした。
急いで自分の部屋に戻る。椅子に座って、勉強机の上に中身を広げた。その下に開いてあった、英語の問題集は無視することにする。
『虹介くんへ』と書かれた一つの封筒と、書店のカバーが掛かった一冊の文庫本、そしてホチキスで左上を留めた紙の束。
虹介はまず、封筒を手に取った。淡くひまわりが描かれており、封はされていない。
入っていたのは、同じデザインの、何枚もの便箋に綴られた手紙だった。
* * *
虹介くんへ
お元気ですか。わたしは元気です。どのくらい元気か知ったら、虹介くんはびっくりすると思う。
今、少しの間だけ、日本に戻ってきています。日本の夏はむし暑くて大変です。でも、なつかしい感じ。
今、虹介くんと本を読んだあの部屋で、これを書いています。今年も、窓からひまわりが咲いているのが見えるよ。
いきなりこんなのが届いて、びっくりしたでしょうね。でも、また今年この部屋で会えるかわからないので、手紙を書きます。もし虹介くんがこっちに来れなかったら、また言えないから。
ちょっとどきどきしてきました。明智小五郎先生なら、こんな気分にはならないんだろうな。
どういう意味か、虹介くんにはさっぱりですよね。ごめんなさい。わたしはこの手紙で、一つ、なぞ解きをしたいのです。うーん、〝なぞ解き〟って言えるのかな。でも、かっこつけてそう言っちゃいます。
さんざん引っぱってしまいました。よし、言いますよ。
〈白さん〉は、あなたですね。
少しはびっくりしてくれましたか? どうしてわかったか、説明しますね。
去年の夏、虹介くんが帰ったあとも、わたしはふせんがついている本をたくさん読みました。そして、ようやく、探していた本を見つけました。
この話は、たぶんしてなかったですよね。わたしは、昔おじいちゃんが読んでくれた本を探していたんです。見た目は全然覚えていなかったし、中身もあんまり覚えてなくて、ちゃんと覚えていたことは一つだけでした。
その本には、白いふせんがはさまっていたんです。
そして、ついにたどりつきました。あの、うすい青緑色の本に。
『ひまわりのみた夢』です。
虹介くんは、帰る前に言ってましたよね。昔この部屋で読んだ本で、ひまわりの出てくる本があって、それが好きだって。
虹介くんが好きだって教えてくれた本には、ぜんぶ、ふせんがはさまってたんですよ。
理由はまだあります。わたしにふせんをくれたのが、虹介くんだっていうこと。
ちょっと弱いかもしれないですけど、虹介くんもふせんをはっていたから、あんなことを思いついたのではないですか?
虹介くんがくれた緑のふせん、大事に使わせてもらっています。ありがとう。
それに、虹介くん自身も言っていたことだけど、虹介くんはこの部屋にすごくなじんでいましたよね。とっても長い時間を、ここで過ごしたんだなって思いました。
この部屋に置いてある本で、ふせんがはってある本は何冊あるでしょう? 片手では足りないことはたしかです。でも虹介くんなら、それだけの本を読むことができたんです。
それはもちろん、おじいちゃんにもできたことですけど。
おじいちゃんが亡くなったのは、わたしが小一の時です。さすがに、その頃のわたしにとっては、あの部屋の本は難しすぎました。
でもそのうちに、難しくてもとりあえず読むようになったんです。もう一度、『ひまわりのみた夢』に出会いたくて。
だから、わたし以外にも誰か、この部屋で本を読んでいる人がいるのは知っていました。大きなお休みのたびに、動いている本があったからです。あ、でも、虹介くんがこちらに来られなかった間は、動いている本はありませんでしたね。
そして、おじいちゃんが亡くなったあとにも、ふせんは増えていました。
わたしが『ひまわりのみた夢』を見つけて、〈白さん〉の正体を確信したのは、日本を発つ直前でした。去年虹介くんが来ていた間にも、うすうすは気づいていたんですよ。
そして、本屋さんで『ひまわりのみた夢』の文庫を見つけたんです。わたしはこれを買って、向こうに持っていきました。
あちらの国でわたしに勇気をくれたのは、この物語です。
何度も何度も読み返して、いろんなことを考えました。虹介くんが何を感じたのかも、たくさん考えました。
そうやって、わたしなりに、緑の足あとを残しました。それを同封します。
それと、余計かもしれませんが、この部屋にある『ひまわりのみた夢』と同じ所に、白いふせんをはっておきます。
今の〈白さん〉は、何を感じますか?
そして、もう一つ、同封したものがありますよね。(この手紙のほうを先に読んでくれているといいんですが!)
これを本当に送りつけるかどうか、とてもまよいました。でも、送ります。
これは、わたしが書いた物語です。
とてもほかの人に読んでもらえるようなものじゃないって、わかっています。でもこれは、わたしが虹介くんと『ひまわりのみた夢』へ、『ありがとう』をこめて書いたものだから。
去年この部屋で過ごした時間と、虹介くんがふせんをはさんだ本たち、そして『ひまわりのみた夢』が、わたしに力をくれたものです。
もしよければ、読んでくれるとうれしいです。
8月2日
稚奈より
* * *
僕の記憶の中で、お祖父ちゃんの顔は少しずつ薄れてきてしまっている。眼鏡を押し上げるしぐさや、小柄な背中が霞んでゆく。
それでも、あの穏やかな面影が、消えることはありえない。僕に、ふせんをくれた人。
僕が小四の時だった。僕は、木暮家に来ると、お祖父ちゃんの部屋で本を読むのが習慣になっていた。
あるとき僕は、一冊の本に出会った。青みがかった淡い緑色の地に、黄色い花びらが散った表紙の、薄手の小さな上製本。
題名は、『ひまわりのみた夢』。
どうしてなのかはわからない。けれど僕は、その本に、どうしようもなく魅せられてしまったのだった。
それからは毎日、その本を読み返した。拾い読みのこともあったし、はじめから読むこともあった。
あの時僕は、その本を抱えたまま窓の外のひまわりを見つめ、呟くように暗唱していた。
「……『それはひまわりの花びらと同じ、蜜のような金色をした鍵でした。リサはそれをにぎりしめて、ほほえんでみせました。「それじゃあ、いってきます」』……」
それは、僕がいちばん好きな場面だった。
「虹介くん」
唐突なお祖父ちゃんの呼びかけに、僕はぎょっとしてふりむいた。部屋の入口に、お祖父ちゃんが立っていた。
まさか、今の聞かれちゃってた……?
お祖父ちゃんはやわらかく目を細めた。
「よっぽど、その本が好きなんだね」
「あ、えっと……うん」
お祖父ちゃんは部屋に入ると、書き物机の引き出しから、何かを取り出した。そして、それを僕にさし出した。僕は恐るおそる受け取った。
まっさらの、ひと束の白いふせんだった。
「これを、そのページに貼ったらどうかな」
やっぱり聞かれちゃったんだ、と思ったら、かあっと顔に血が上った。お祖父ちゃんは、そんな僕には構わずに言葉を続ける。
「そうすれば、今度来た時や、もっとあとに読み返した時に、『あのとき、自分はここが好きだったのか』と思い出せるよ。先に楽しみができる」
「うん」
僕は、『ひまわりのみた夢』を開いてそのページを探し出すと、文字に重ならないように気をつけて、白いふせんを一枚貼った。
それが、僕が初めて本に貼ったふせんだった。
* * *
手紙を読み終えた虹介は、しばし瞠目した。瞼の裏に、祖父や稚奈の顔が、白いふせんが、何冊もの本が、そして金色のひまわりがよみがえった。
一つ、深く息をついた虹介は、同封されていた紙の束――稚奈の物語に手を伸ばした。
B5の紙にプリントアウトされたそれは、一つの童話だった。タイトルは、『空に咲く』。
ずっと、ひとり巣にこもっていたうさぎが、一羽の鳥と出会い、やがて外の世界に出ていくというストーリー。
読み終えた虹介は、少しの間目を閉じて物語を消化したあと、もう一度読み返した。そして、机の引き出しから、白いふせんを取りだした。
ふせんを貼ったのは、うさぎと鳥の別れの場面。
「今まで看病してくれてありがとう。おかげでけがもすっかり治った。ぼくは、もう旅立たないと」
鳥はそういって、うさぎに笑いかけました。
「きみとすごせた時間、とても楽しかった。きみはもう、ひとりでも外へ行けるはずだよ」
うさぎはふるふると首をふりました。黒いひとみに、涙がいっぱいにたまっています。
「そんなのむりだよ……」
「だいじょうぶ。辛い時には、きっとだれかの笑顔がたすけてくれるから。そしてきみの笑顔も、きっとだれかをたすけてあげられるよ」
鳥は、うさぎの目をまっすぐみつめました。
「ぼくをたすけてくれたように」
「え?」
うさぎが、その言葉の意味を問いかけるよりもはやく、鳥は飛び立っていました。鳥の羽が起こした風が、うさぎの目にたまっていた涙を、どこかへ連れて行きました。
虹介は、タイトルと名前が書かれた一ページ目に視線を落として、やわらかく笑んだ。
大丈夫だった。稚奈ちゃんは、遠い国でもちゃんと笑顔で暮らしていた。
『空に咲く』を読めば、それがわかる。
それから虹介は、送られてきた『ひまわりのみた夢』を開いた。カバーを外して確かめると、表紙は、白地に大きく一輪のひまわりが咲いた絵だ。中には三枚の緑のふせんと、五枚の白いふせんが挟んである。
虹介が新たに白いふせんを貼ったのは、六年前とは別の場面だった。
ホチキスに沿って折り目のついた『空に咲く』、『ひまわりのみた夢』の表紙を飾る鮮やかなひまわり、そして、並びあう白と緑のふせんを眺める。
明日、ふせんを貼った『空に咲く』と『ひまわりのみた夢』を、稚奈に送ろう。
いつの間にか窓からは、濃い金色の陽が射しこんでいた。
ひまわりのみた夢 音崎 琳 @otosakilin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます