四日目

 お互いに同じようなタイミングで読み終わって、ぼんやりと回想にふけっているときだった。

「虹介くんは、いつまでいるの?」

 稚奈は、虹介の座る回転椅子とは反対側にある本棚に目をやりながら尋ねた。虹介はちょっと眉を下げる。

 ついに訊かれちゃったな。

「明日、なんだ」

 口に出すと、寒いような寂しい感じが、胸の奥にしのびこんできた。虹介は、それを紛らわすように笑ってみせる。

 稚奈は、口の中で「明日……」とくりかえした。きゅっと、眉根が寄る。

 虹介は沈みこんだ空気をふりきるように、明るく言った。

「大丈夫! 今年はきっと冬休みも来れると思うし、そうしたら、また一緒にここで本を読もう? ストーブを点けて、毛布にくるまってさ」

 稚奈はくちびるをかみしめたまま、小さく頷いた。虹介は、一息ついて、問うた。

「そういえば、稚奈ちゃんって何歳だったっけ」

「十一歳」

「小……五?」

「うん。虹介くんは?」

「高一。まだ十五だけどね。……稚奈ちゃんはさ、お祖父ちゃんのこと、覚えてる?」

 四年前に亡くなった、二人の祖父、哲哉。彼がこの世を去ったとき、虹介は十一歳、稚奈は七歳だった。

「少しだけ……」

 稚奈は、宙に消え入ってしまいそうな小さな声で答えた。


  * * *


 わたしの記憶の中には、おじいちゃんの顔はぼんやりとしか残っていない。いつも優しく笑ってくれたのに、はっきり思い出そうとすると、写真の顔のほうが浮かんできてしまう。

 それでも、おじいちゃんの存在は、わたしの心にしっかり刻みこまれている。わたしに、『本』を教えてくれた人。

 あれはいつのことだったんだろう。わたしはおばあちゃんの家の庭で、ひとりで遊んでいた。ひまわりが咲いていたから、夏だったのだと思う。小さかったわたしは、日を仰ぐ花をちゃんと見ることができなくて、だからひまわりは黄色よりも緑の印象が強い。太陽はさんさんと照りつけ、影がわたしの足許に黒々とうずくまっていた。

「稚奈ちゃん。ちょっとおいで」

 不意にガラス戸を開けて、おじいちゃんが手招きした。家の中に入ると、目の前が真っ暗になった。日光が消えて、頭のてっぺんがすうすうした。

 置いていかれないように、暗い家の中を必死でおじいちゃんについていった。なんとか階段を上りきって、〈本のお部屋〉に入る頃には、もう目が慣れていた。

 わたしは、本だらけのおじいちゃんの部屋のことを、〈本のお部屋〉と呼んでいた。自分で本を読むことはほとんどなかったけれど、〈本のお部屋〉の肘掛椅子に座って、おじいちゃんの話を聞くのが好きだった。

 部屋の中には、白い日ざしがいっぱいに射しこんでいた。わたしはいつものように、部屋の奥の肘掛椅子に座った。

「稚奈ちゃんは、まだ漢字はあんまり読めないんだっけ?」

 わたしは首を傾げたはずだから、たぶん読めなかったのだと思う。

「ちょっとね、この本を聞いててほしいんだ」

 回転椅子に腰を下ろしたおじいちゃんは、机の上に置いてあった本を手にとって、わたしに見せた。

 そう、あのときおじいちゃんは、たしかに表紙を見せてくれたのだ。

 でも、どうしてなんだろう。ちっともそれが思い出せない。

 少ししわがれた、穏やかな声で伝えられた物語が、すごく大切なものをわたしにくれたのに。

 どんな話だったのかさえちゃんとは思い出せなくて、記憶を辿ろうとするたびに、泣きたいようなもどかしい気持ちになる。

 覚えていることは、一つだけ。

 その本には、真新しい白いふせんが挟まっていた。

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