春・楽園空間(2)

 翌朝。勿論夜這いなんてしませんでしたよ。当たり前です。

 さ、今度こそアナナスと触れ合おう。大丈夫。アナナスから魔法を使ったメッセージが届いているから。ほらこれだよ。手紙。といっても白紙だけどね。これに魔力を送り込んで。えーと、魔法単杖ルナ・イミレルトの先っちょを手紙に就けて神経を集中させて『解錠文秘ゲルゼラーグ』って唱えて。

 ほら、メッセージが出てきたよ。魔法単杖ルナ・イミレルトは魔力を絶えず月と太陽から受信し、蓄積する。そして呪文を唱えることで魔力は構造を変成させ、魔法として発露するわけ。第三階層からはそれだけじゃ効果は発動できないけど、第二階層までならそれだけOK。

 えーと、何々、女子寮の裏の楡の木の下でお待ちしてます、か。お、これは早くもゴールできそうだね。早速向かおう!

 えーと、楡の木は……あ、これだね。アナナスは既にいる。制服に着替えて、登校前にひとときを送ろうというわけだ。

 よーし、お兄ちゃん行くよ!

「マルセル……さん」

 お兄ちゃん、お返事。

「おっとアナナス! ここにいたんだね!」

 って、アオ!? また、またあんたか! どうしてどうしていっつもいい所に着て邪魔するんだよ! 優雅な足取りでこっちに向かう彼の笑顔は、どこまでも嫌らしかった。

 それは流石にアナナスも感じ取っていたようで、

「え? また……あたし、ですか?」

 自分を指刺しながらも恨めしそうにアオをねめつけていた。

 そうだ、アナナス! 私とお兄ちゃんが味方する! やったれやったれ! 人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んじゃうんだよ!

 なのに、アオときたら。

「そう! 君だよ!」

 ばっと格好付けて手を前に出しながら高らかにそう答えた。

 その仕草からは明らかに攻撃性を宿している。アナナスはそれに気づき、目を逸らし、小声ながらもちゃんとアオに反論する。

「でも、あたし……今日は用なんて……」

「ああ、そりゃそうだよ。実はね、ほら、彼」

 くいっと親指を後ろに向けるアオ。

「……え?」

 素っ頓狂な声を上げるアナナス。それも当然。もう一人いたからだ。私の知らない男子学生。なんか体をガチガチに緊張させているのがシルエットからも感じ取れる。

「君に渡したいものがあるんだって」

 そう言ってアオはすっと脇に逸れる。するとよく言えば恰幅の言い。身も蓋もない言い方をすればデブな男子学生がこのひんやりした朝の空気の中、場違いに汗をぬぐいながらずしずしと相撲取りのようにがに股で前へと寄ってきた。肩は張りに張って、どこまでも緊張しているのが伝わってくる。

 そして汗を拭いていたハンカチをズボンのポケットにしまうと、代わりに胸ポケットから一枚の便せんを取り出し、頭を下げ、両手でばっとアナナスに渡した。

「あ、アナナスさん。その、えと……こ、これ、受け取って下さい!」

 アナナスは恐る恐るそれを手に取り、愕きに目を見開く。

「これ……えと、もしかして……ラブレター?」

「は、はい! そ、その……えと、お、俺の気持ちっす!」

 あんですと!? なんで恋のライバルが現れる!?

 こんなの予定になかった! 花梨やペアと違ってアナナスは比較的楽に攻略できるはずだったのに! どうして、どうしてこんなことに……っ!?

 と、アオがさりげなくお兄ちゃんの肩を抱き寄せ、

「さ、マルセル。ボクらはお邪魔虫だ。早々に退散しようじゃないか」

 そう言ってぐいっと引っ張っていった。

 ちょ、ちょっと待って! アナナスとの会話は!? ねえ、アナナスは?!

 アオおおおおおおおっ!

「そう言えばマルセル。今日の授業の課題なんだがね」

 アオの声がどこまでも白々しく聞こえる。

 後ろからアナナスの悲痛な声が。

「あ、マルセル……さん……」

 そして……。

「くすん」

 泣き声。それが、楡の木に響いた、最後の音吐となった。

 空はどこまでも透徹で、何事もなかったのように大きく広がっている。


 でも――でも。

 私はもう、我慢の限界だ。

 なんだってさっきからずっとずっと! 昨日からずっとずっと! 私――ううん、お兄ちゃんとアナナスの恋を邪魔するんだよ! 

 それに、それにだ! どうして君が、私の魂を宿しているんだよ!

 我慢できない。許せない!

 お兄ちゃん、訊ねて。もう無視できない。こいつの本音を、ここであぶり出す!

「ん? なんだい? まるでボクがわざとアナナスから君を離しているみたいだって?」

 そうだよ! 一体君は何者なんだ? 私の予定だと、君はあくまで気のいい親友ポジションを逸脱することはなかった! ううん、それどころかさっきの世界のペーシュみたいに、影ながら協力してくれる味方だったはずだ! それを……っ!

「はっはっは」

 アオは足を止め、お兄ちゃんから距離を取ると高笑いを一つ。

 その笑いもムカつくんだよね。なんかバカにされてるみたいで。

「そうだよ、その通りだよ」

 悪びれもせず肯定するアオ。そりゃそうだよね。昨日結婚してくれなんて言ってきたんだ。でもそれを認めなかった。諦めて欲しいな。 

 お兄ちゃん、はっきりノーと言って。

「ティーチャーの言付けもボクが仕向けた者だし、ランチでもそうだ。そしてラブレターも、あの子に惚れていた男がいたんでね。ボクがけしかけた。勇気を持って体当たりしろってね。彼のために言ったんだよ」

 なのに、アオはそれをスルーして淡々と語り出した。

 ああ、やっぱりそうなんだ。イヤガラセしてたわけだ。うん、それはわかってた。十分すぎるくらい承知してた。

 それはいい。じゃあ次。どうして君の中に私の――

「どうしたんだいマルセル。まさか――」

 え? な、何?

「君の妹の魂が宿っているはずのあのアナナスって子を調べようとしているのかい?」

っっっっっっっっっっ!?

「やはりね。そういうことかいマルセル。君は最初からアナナスと結ばれるつもりだったわけだ。そうはさせないよ」

 な、なんで……どうして、そのことを……アオが、知っているの?

 お、お兄ちゃん。た、訊ねて……。

「それに無駄だよ。アナナスに君の妹の魂はないよ。なんでって? そりゃ、ボクが君の妹の魂を取り込んだからさ!」

 な――っ!

 アオが一転、悪魔のように顔をしかめ、口元を三日月のように曲げると、ずいっと一歩前に踏み出し、お兄ちゃんの顔に自分の顔を近づけた。

「ボクが気付いてないとでも思ったかい? 甘いよ。ボクはどうしても君と結婚したかった。だからどうしても女の子になりたかった。ルナ・エル王国では同性婚は認められてないし、何より君にその気がないからね」

 吐息が、吐息がかかる。熱くて、ねっとりとして、それでいて、果てしなく不快な。

 アオは顔を近づけたまま続けた。

「そう、その気がない。これがネックだった。例えボクが女の子になったとしても、そう簡単に君を振り向かせることはできそうにない。ボクは悩んでたんだ。ずっとね」

 ついに暴露された、アオの本音。

 そうだ。そりゃそうだ。アナナスに万感があったように――アオにだってあるのだ。

 親友だから? だからなんだ? それで終わりか? いいや違う。

 アオにはアオの、恋心が宿っている。

「でも、ついこの前見つけた。君が君の意思でボクと結婚してくれる方法を!」

 そしてそれを、何が何でも成就させようとしているのだ。

 私の意思を踏みにじってまで。

 お兄ちゃん。私、ちょっと冷静でいられない。ごめんなさい。

 だから代わりに聞いて。私の魂を本当に自分の意思で宿したのか。

「そうさ、君の妹の魂さ! ちょっと魔力を絞って魂を解析したらすぐわかったよ。この魂は昇天を望んでいること。そしてその条件が魂が宿った人の思いが叶うこと。それも恋心がね!」

 あ……あ、ぁ……っ。

「そしてこの魂はマルセルと細く繋がっている。血統の糸だ。マルセル。君の中にはもう一つ魂があるんだろう? その魂の目的は今ボクの中に宿っている魂の昇天だ」

 知っていた。アオは全部知っていたのだ。

 魔法。他の世界にはなかったもの。その力が――私の想いを蹂躙した!

 アオがお兄ちゃんの両肩に手を載せ、ぎゅっと強く握ってきた。

「アナナスなんかには宿らせなかった。ボクの第三階層魔法で魂を吸い込んだ。全てはボクの恋心のためにね」

 そんな魔法が、あったなんて……。調べきれなかった。いや、調べる必要なんて本来なかった。

 まさかアオが、これほどまでの激情をもってお兄ちゃんを手に入れようとしていたなんて、思いもよらなかったから。

 なるほど、特級学校にトップ合格するだけはあるってことか。でも、まさか……。

「そしてその昇天方法は一つしかない」

 そこまで、知っていたなんて。

「そう、ボクと結婚することなんだよ!」

 アオ……あんたって人は……。

 お兄ちゃんも……やっぱり困惑を隠せないか。そりゃそうだよね。私だってどうしていいかわかないもん。

 そしてそんなためらいを、アオは愉快そうに眺めている。

「おやおや。何をそんなに驚いているんだいマルセル。ボクたちが下級学校時代から神童と呼ばれてきた有能な魔法使いなのはよーく知っているだろう? そんなボクにわからないことがあると思うかい? ボクは士官学校の試験を一番で合格したんだよ。あ、マルセルは二番だった。ボクのが優秀だ」

 自慢。圧倒的な自慢。でもそれを非難できる余裕は、私にはない。

 そしてお兄ちゃんも、そうでしょ?

「さあマルセル。観念したまえ。君はボクと結婚しない限り、絶対にこの魂は昇天できないんだから。ふふふふ」

 そう、私は人質なんだ……。アオの願いを叶えるための、交渉材料。

 アオはお兄ちゃんから離れ、自分の体をぺたぺたと触りながら挑発的なまでに艶めかしい視線を送りつけてくる。それはまるで、痴女のようでもあった。

「ほら、どうだい? かわいい体だろう? 男の子とは思えないだろう? これもそれも全て、君に喜んで貰いたいためなんだよ。毎日美容魔法をかけてしっかり育ててきたからね。そこら辺の女なんかには、アナナスなんかには負けないさ。事実、ボクは女子寮で誰にも男とバレていない。いいやそれどころか学年一の美少女扱いされてる。君の負けだ」

 確かにアオは可愛かった。どうしようもなく可愛かった。

 中性的な顔立ちや短髪が、女装することである種のボーイッシュさを引き出している。そこからくる躍動的な美は、確かに他の女子では太刀打ちできるものではない。

 美しい。それを否定することは、私には出来なかった。

 アオは天を仰ぎ、遠い目をしてぽつりと。

「ボクはね、ずっとずっとマルセルが好きだった。愛していた」

 確か人類の一割は同性愛者なんだっけ。意外と多いんだよね。

 でも日本では同性愛はあまり大っぴらには推奨されていないし、このルナ・エル王国でもそう。鎖国をしていることからも分かる通り、常識やシステムも結構古くさいものが踏襲されている。

 例えば貴族制が残っていて、しかも男子のみにしか継承できなかったりとか。

 それと同じように、ルナ・エル王国では同性婚は認められていない。

 それをねじ曲げるために、アオはここまでやっているのだ。

 それはまるで、さっきの世界でペアを養子縁組させてまで結ばせた時と同じように。

 真っ当な手段では実らないから、搦め手を使う。

 何のことはない、彼も同じだったのだ。どうしても、何が何でも、絶対に願いを叶えたいから、ここまでのことをしている。

 その中に内在するもの。それは一途以外の何物でもないのだ。

「下級学校の一年生で、一緒のクラスになってから、一度だってこの気持ちをなくしたことはない。君は神童だった。ボクは神童ではなかった。だから神童になったんだよ。君の傍にいるために」

 だから、強い。どうしようもなく強い。

 幼い頃から抱いてきた夢を叶えようとする者から放たれる猛烈なエネルギーに、対抗できるものなどありはしない。

「そしてボクは神童になれた。君とコンビを組めた。上級学校でもお互い特待生として数々の伝説を築いてきた。ボクは嬉しかった。君と片時も離れず愛をはぐくめたことがね!」

 勝てるわけがない。これほどまでに強くお兄ちゃんを愛しているアオを引き裂く手段なんて、ない。

 それに、引き裂いたら……引き裂いたら……っ!

 私は昇天、できなくなる。

 ああ、なんて牢獄。どうしようもない袋小路。

 この全てを、アオは計算していたんだ。私では、勝てない。

「そして特級学校にボクらは入った。もう我慢する気はないよ。ずっとずっと抱いてきたこの思い、ついに成就させる時が来たんだ!」

 アオの言葉はどこまでも堅固で、岩乗で、それでいて怜悧だった。

 ばっと両手を広げて、お兄ちゃんを招くアオ。

「さあ、ボクを抱きしめて! そして一緒に添い遂げよう! 君の妹の魂のためにもね!」

 と、一呼吸置いて、ぎっとお兄ちゃんに睥睨を。

「さもないと、君の妹は永久に昇天できないよ?」

 お兄ちゃん……逃げよう。ここはそれしかできない。

 少なくとも今この場でアオを倒す手段なんてないし、そもそも倒したら私は成仏できなくなる。八方塞がりなんだ。

 だから、今だけは、お願い。

 逃げて!

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