ぴなどれ(2)

 さて、お兄ちゃんは一人お茶。まあ勉強中ってのもあるんだけど。

 一方でペアたちは使用人たちの休憩所で仲良くお茶。

 まさかここで一人お茶を愉しんだりしないよね? さ、熱いかも知れないけどぐいーっと飲んで飲んで。

 あらら、火傷しちゃったの。もうお兄ちゃんったら。

 あ、ごめんなさい! 私のせいです! だから起こらないで。

 じ、じゃあ取り敢えずペアの様子でも見に行こうか?

 A・お茶も飲んだし行く。

 B・火傷したから死んでも行かない。○

 だーかーらー! 変な選択肢でノーを選ばないでよ! 話進まないじゃん!

 ほら、行くの! キリキリ歩く!

 えーと、確かこの部屋だったはずだよ、こっそりドアの隙間から覗いてみて。私は周囲を警戒しているから。

「……はぁ」

「あら、ペアちゃんどうしたの? お茶、口に合わなかったかしら?」

「え? あ、い、いいえ。とんでもない。ノワちゃんのお茶、美味しいです。あはは」

「ノワも遠慮せずお食べなさい。ねえペアちゃん。坊ちゃまのこと、どう思う?」

「え? 坊ちゃま? そりゃ、紳士になれてないっていうか、元服したのに子供時代が抜け切れていないガキっていうか、生意気ですよ」

「そうかしら? 坊ちゃまは元服してからというもの、ぐっと大人らしく、紳士らしくなったと思うんだけど。あ、お菓子もどうぞ」

「ありがとうございます。ペーシュさんは買いかぶりすぎですよ。まだまだあいつは私がいなくちゃ何もできないですよ」

「ふふ。厳しいのねー。愛の鞭ってやつかしらね」

「あ、愛なんてそんな! わ、私はただあいつの教育係として……それに……」

「お姉ちゃんとして?」

「っ!」

「ペアは坊ちゃまより一つ年上ですものね。かわいい弟みたいなものなのかしら?」

「そ、そう。そうです。あいつは私にとって出来の悪い弟みたいなものですよ!」

 ち、ち、ちょっと! ちょっと待って! どうして描写がないの!? さっきから言葉だけが垂れ流しになってて! もっと三次元な表現を!

 ん? あ、そうか。私が見てないから描写できないんだ。ごめんだよお兄ちゃん。って、ひはいひはい(痛い痛い)! ほほひっはらはいへ(頬引っ張らないで)! って私は霊魂なのになんで頬引っ張れるの! 異次元なことしないでよ! って、ひはいひはい!

 ごめんなさい、周囲は大丈夫です。私、ちゃんと描写します。はい。

 えー、こほん。では僭越ながら描写させて頂きますです、はい。大事なことなので二回言いました。

「ペーシュ様。わたしはまだこのお屋敷にきて日が浅いです。ペアさんと坊ちゃまって、どういうご関係なんですか?」

 真っ白な丸テーブルで仲良くお茶を飲む三人。ちょうどドアから見て真ん中に座っているノワがずずっとお茶をすすりながらペーシュにそう訊ねた。しかしその表情はあまり変化がなく、どことなく社交的に訊ねた、という雰囲気を感じさせる。

 ドアから見て右側にいるペーシュは慣れているのかそんなノワの態度に何ら口を挟むことなく、そのまま素直に答えだした。

「そうねえー。仲のいい姉弟みたいなものかしら。少なくとも、一部を覗いてこのお屋敷にいる人たちはそう思ってるわ」

「え? でもここに来てからペアさんと坊ちゃまはケンカしているところしか見ていませんけど……」

 ぴくりと、ノワの眉がはねる。それは始めてみせる、ノワの人間らしい反応だった。

 ペーシュはティーカップを置いて手元に手を添え、くすくすと笑みをこぼす。

「ケンカするほど仲がいいってやつよ。ペアちゃんは坊ちゃまのことを愛しているし、坊ちゃまもペアちゃんを必要としてる。本当に仲が悪かったら十年も一緒にはいられないわ。とっくに部署替えをするか、ペアちゃんは首になってる」

 一方で当の本人たるペアはじっと黙ってペーシュの話に耳を傾け、時間の経過と共にその顔をゆでだこのように赤く染めていった。

「偏に愛が絡み合ってるから、十年も一緒に、ずっとケンカし続けられるのよー」

 ペアはついに臨界に達し、がちゃんと乱暴にティーカップをテーブルに老いた。割れなかったのが不思議なくらいだ。

「ち、ちょっとペーシュさん! 何言ってるんですか!」

 しかしそんな迫力を前にしても、ペーシュはまるで動じない。

「あらだって本当のことじゃないー」

 それどころかにやにやとどこかいたずらっ子を思わせるような表情を浮かべ、ペアを弄ぶ。

「あ、いいえ。違ったわね」

「え?」

「ペアちゃんはお姉ちゃんとして、坊ちゃまを見てないモノね」

「……っ!」

 ぼんっとペアの頭から湯気が噴いた。図星だったらしい。

 そしてそんな反応が面白いのか、ペーシュはにこにこと笑顔のままペアの思いを肯定した。

「ああいいのいいの。若い子たちですもの。それもいいかもしれないわ。私はそれで構わないと思ってるの。でも」

 と、ペーシュはテーブルの上に手を組んであごをのせながら、どこか冷ややかな雰囲気を携えて、ぽつりと呟いた。

「そういう感情って、周りにもわかるのよねー。あ、お茶冷めるわよ」

「え……あ」

 気付いたらしく、ペアの視線がカップへ向かう。もうそこに湯気はなかった。

「ノワ。煎れ直してあげなさい」

「はい、ペーシュ様」

 お付きらしくノワは素直に従い、立ち上がるとカップの中身を部屋の隅っこにある……ちょっと言いにくい壺の中に入れて、新たにお茶を注ぎ直した。

 え? ちょっと言いにくい壺ってなんだ? そんな……とても言えないよ。

 わ、わかりました! 言います! 言いますから頬引っ張るのはやめて! 

 えー……こほん。タンツボです。

 あ、あのね。この時代はね、普通のことなんだよ! この頃はほら、窓の外を見ても分かる通り空気がすっごく汚いでしょ? だからどうしても咳を沢山するし、タンも絡むんだよ。あと結核菌をまき散らさないためってのもあったの。当時のマナーだよお兄ちゃん。

 ほ、ほら、話を戻すよ!

「ペアちゃん。貴女は若いわ。お屋敷と女学校、それと近所くらいしか世の中を知らない」

 ペーシュがペアに諭すようにそう言った。

「…………」

 ペアはじっと黙って、新たに注がれたお茶にじっと視線を向けることしかできない。

 そんな彼女に、ペーシュは厳しく続けた。

「メイドさんとしてお姉ちゃんのように坊ちゃまを育てられるのにも、限界があるのよ」

「どういう、ことですか?」

「さあ、私にはこれ以上わからないわ。ただ、これは確かなこと」

 そして一呼吸置いて――

「それは――旦那様や奥様も、貴女が坊ちゃまのことをどう思っているか、坊ちゃまが貴女のことをどう思っているか。ご存じということよ」

 そう、まるで警告のように言い放つのだった。


 そしてその警告が現実のものとなったのは、数日後のことだった。

 いつものようにペアはお兄ちゃんと和気藹々と談笑にふけり、ケンカをし、仲直りをしてお茶を飲む。そんな当たり前の光景。

 それを引き裂くように現れたのがお父さんだった。お父さんはお茶をしていたお兄ちゃんをよそにペアを書斎へと連れ出したのだ。

 私は何か凄い嫌な予感がして、お兄ちゃんを連れて中を窺うことにした。

 書斎には椅子に腰掛けるお父さんの姿と、机を挟んで正面に立つペアの姿があった。

 ペアが非常に困惑した様子で声を漏らす。

「え、こ、婚約者……ですか、旦那様」

 お父さんは杉の木で出来た箱から葉巻を一本と取り出すと、それをすっとペアに渡した。

 ペアは慌てて駆け寄り、机の上に置いてあった金色のハサミを手に取り、葉巻の先っちょをカット。その後やたら軸の長いマッチを擦って、丁寧に切ってない方を炙っていった。

 それをじーっと見つめながら、お父さんがペアに問いに答える。

「ああ、リークも十六になり、晴れて成人となった。そろそろ我がロータスルート家のために、あいつには婚約者を用意したいと思っている」

「で、ですがまだ坊ちゃまは学生です。元服してすぐに婚約者というのはいかがなものでしょうか?」

 たっぷりとマッチを指先ギリギリまで使って先端を炙った葉巻をすっとお父さんに差し出す。お父さんは満足げに受け取ると、それを咥えて紫煙を小さく吐き出した。

「大丈夫だろう。ペアがしっかりやつを育ててくれた。お前から渡される報告書を見てもやつの成績は上々。社交界でもしっかりと礼儀正しく振る舞っているし、いい加減子供扱いするものでもなかろう」

「は、はぁ……」

 葉巻の香りがキツかったのか、ペアは後ろに下がりながらそう微妙そうな声を漏らした。

 だがそれがお父さんには気にくわなかったようで、ぴくっと眉を跳ね上げる。

「不服か?」

「あ、い、いえ……そんなことは……ですが……」

 ですが。そこから先をペアは言えなかった。

 相手が旦那様だから? 勿論それもあるだろう。だがそれ以上に――お兄ちゃんをどこの馬の骨ともしれない女に渡すのが、気にくわないのだ。

 だってペアはずっとお兄ちゃんのことを、慕っていたのだから。

 そう、ずっと。ずっとずっと。

 そしてそれを、おそらくだが、お父さんは知っていた。だからこそ、今まさに、彼女に向けてこんな報告をしたのだ。

 お父さんは葉巻を吸い、満足そうに口から煙を漂わせ、ペアに告げた。

「相手はもう決めてある。フレーズ家のご息女だ」

「フレーズ家って、あのフレーズ家でございますか?」

 ペアがずいっと身を乗り出す。

 お父さんは首肯した。

「そうだ。フレーズ家と血縁関係を結べば、我がロータスルート財団も安泰だ」

「そう、ですか……」

 フレーズ家。この国の財閥の一つだけど、ロータスルート家より歴史が百年以上長く、王家の血も混ざっている大変由緒正しい名門なんだよ、お兄ちゃん。

 お父さんはそれはそれは満足そうに葉巻をくゆらし、まるで威嚇するようにペアに向けて言葉を紡ぐ。

「フレーズのご息女、スリーズ嬢だ。お前も会ったことあるだろう」

「あ、あのスリーズ様ですか」

「どう思う?」

 葉巻をそっと灰皿に置いて質問。やっぱりそうだ。お父さんはわざとやっているんだ。

 ペアにお兄ちゃんを諦めさせるために。そりゃそうだよね。孤児に過ぎないペアがお兄ちゃんと結ばれるのを喜ぶほど、この時代も名家のしがらみも優しくない。

 お父さんはペアを大事にしていた。お兄ちゃんに対しての無礼も許していたし、学校にも通わせて貰えたし、血色よく体の育ち具合を見ても食事もいいものをお腹いっぱい食べさせて貰えたらしい。

 でも、それとお兄ちゃんの仲を許すかは別なのだ。あくまでもお父さんは恵まれなかった者に対しての慈愛としてペアに最高の待遇を提供した。ペアはそれに応えてくれたからますますご恩を与えてあげた。

 それだけのことだ。あくまでもお父さんはペアのことを使用人としか見なしていない。家人とは明確な一線を引いてものを見ている。

 お兄ちゃんと対等な言葉遣いを許したのは、あくまでもその有効性と裏に潜む忠誠心を認めてのもの。別に対等の存在として認めた訳じゃない。

 彼の本心は、あくまでも使用人と家人が結ばれることを望んでいないのだ。

 高貴な血統がどこともしれない雑種の血と混ざり合うことを、酷く嫌っているのだ。

 そのことを、ペアにはわかっていた。

 だからこそ、ためらいながらも、お父さんが満足するような答えを精一杯紡ぎ出す。

「は、はい……スリーズ様は聡明な方でございますし……その、おしとやかで、お上品で、血統も非常によろしく、坊ちゃまにとってこれ以上ないお相手かと」

 そこに本心はカケラも感じ取れなかった。

 でも、こう言うしかないのだ。使用人だから。そしてペアはそれを受け入れているから。

 そのため、彼女の言葉にはどこか悲壮めいた覚悟を感じさせた。

 それを知ってか知らずかわからないが、お父さんは葉巻を手に取り、ゆっくりと煙を口の中にため込みながら満足そうに背もたれに深くよりかかった。

「そうだろう。そのはずだ。私もやつに相応しい娘をと色々と手を尽くし、ようやく見つけたのだ」

 それを聞いて、ペアはお父さんに聞こえないように小さく。

「しょうが、ないよね。もう、あいつも大人なんだもん……」

 泣きそうな、でもほんのちょびっとだけ嬉しそうな、声。

 どうして嬉しいのか、それは――ペアにとって、肩の荷が下りること、あるいは、今まで抱え込んでいた不安が解消されたからだ。言い方向ではないにしても。

「結婚は、家と家との問題だし……それに、旦那様だってあいつに相応しい人を迎えたわけだし……」

 だからふっきれる。恋心を忘れられる。そういう気持ちが小さな喜びとなって、ペアの口元を本当に小さくだけど、緩ませたのだ。

「だったらせめて……あいつのお付きとして、やっていくしかないわね」

 でも――でも。

 私は、そんなの認めない。

 だってそれじゃ、ペアは本当の意味では満足しきれない。無論、私の魂も。

 ペアはそれほどまでに、お兄ちゃんのことが隙なんだもん!

 なのに――

「元々……身分が違うんだもん。しょうがないわ」

 時代の波に抗うことなんてできないとばかりに、ペアは諦念を抱いてしまっている。

 ダメ! それじゃダメだよ! ああでも、花梨の時みたいに恋心さえあれば成就できますなんて場所じゃないし! ああ、どうしたらいいの!

「でも、奥様になられる方がいらっしゃるんじゃ、今までみたいには付き合えないわね。それはちょっと残念、かな……はは」

 ペアはもう自分の中で将来の振る舞い方について考え出しちゃってるし!

 まずい、まずいよ! このままじゃ、このままじゃ―― 

「それと」

「は、はい。旦那様」

 え? お父さん? これ以上何が?

 お父さんはふうっと煙を一つ吐くと、またもや葉巻を灰皿にそっと置いた。瞬間、彼の顔がにっと今まで見せたことのない笑みを象ったのだ。

「ペア。お前にも縁談の用意があるのだ」

「は!? わ、私の!?」

 流石にこれにはペアも驚愕を禁じ得ない。いや、私もだ。

 ペアがあんまり大きな声を出したから声を出し損ねただけだもん。

 お父さんはにやにやと笑みを浮かべたままだ。その性質はなんというか、複雑だった。まるで嘲弄するかのような、一方で心から祝福するかのような、善と悪が渾然一体となってどう形容しようにも形容することができないものへと変成している。

「何を驚く。お前とて年頃だろうに。そろそろ身を固めてもいい頃だ」

「え、い、いえ……で、ですが私は坊ちゃまの……」

 ちちち、とお父さんが舌を鳴らし、人差し指をメトロノームのように振った。

「教育係はもう必要なかろう。あいつは元服したのだ。いつまでも歩行器なしでは歩けないというわけにはいかん。独り立ちしてもらわねば」

「で、ですが、わ、私は……」

 ペアが何とか抵抗を試みる。それはそうだろう。流石にこれは許容できるものではない。

 だってもうあからさまにお兄ちゃんとペアの仲を引き裂こうとしたものだからだ。

 お父さんはそれをわかっててペアをいじめている。葉巻の灰を折りたたむように千切り、すぱすぱと軽くふかして火種を維持する。

 それが終わってから、ペアに話しかけた。

「なんだ、相手が気になるか? どこの馬の骨ともしれない男の嫁になるのは嫌か? そうだろう。それは当然だ。私としてもそこいらの牛乳屋の息子なんぞに今まで我がロータスルートに十年にわたり仕えてくれた大切なメイドをくれてやるつもりはない」

 牛乳屋の息子っていうのは、メイドさんの結婚相手としてナンバーワンの率なんだよ、お兄ちゃん。他には酒屋さんの息子とか、宅配の社員とか。要は屋敷に出入りするよその男の人ってそういう立場の人ばっかりだからね。

 でもそんなのはペアが聞きたいことじゃないし、言いたいことでもない。

「い、いえ……そうではなく」

 でも、お父さんは彼女の言葉を遮って続けた。

「それにお前は高等女学校卒。学歴もある。まさか夫が妻より学歴が低いというわけにもいかん。そこで我がロータスルート財団の本社、それも幹部候補生を用意した」

「か、幹部候補生?」

「そうだ。今年入ったばかりの若造だが、かなりの切れ者でな。大学も出ているし、留学経験も豊富だ。家柄だって悪くないぞ。しばらくは平で頑張って貰わねばならんが、ゆくゆくは幹部として我がロータスルート財団の中枢に立って貰う男だ」

 ずるい。本当にずるい。

 何が何でもお兄ちゃんとペアの仲を引き裂くため、お兄ちゃんに名家を用意しただけでなく、ペアに対してもそれ相応の家柄を提供したのだ。

 何故なら、こうすることで逃げられなくするためだ。

「そしてそういった有能な男がロータスルート財団を乗っ取ろうなどと考えさせないためにも、我が家に対し最高の忠誠を尽くしてくれたペア、お前には防波堤となって貰いたい」

 さらに命令まで付与。どこまでもペアを引き離そうとする。

 そこには一切の妥協がなかった。

「あ、あぅ……」

 体を震わせ、目を泳がせ、ぎゅっと唇を噛みしめながらも、言い返すことが出来ないペア。

 でもその態度が気にくわなかったのか、お父さんは葉巻を咥えながらぐっと身を乗り出した。

「よもや嫌とは言うまいな? それに私としても今まで忠義を尽くしてくれたお前に対しての最高の礼だと自負しているのだぞ? こう言ってはなんだが、孤児で血統もわからない娘が、将来のロータスルート財団の幹部となる男の妻となるのだぞ? この屋敷で中級使用人に昇格するよりも遙かに好待遇だと思うが?」

「…………」

 そう、普通はあり得ない。メイドさん(下流階級)には牛乳屋の息子風情(下流階級)がお似合いだ。

 そして身分の差が社会的に確立されているこの時代において、中流階級の相手は同様に中流階級でなければならない。人類は皆平等であるなんて誰も信じちゃいない。おとぎ話にすら存在しない戯れ言以下の妄想だ。

 人には格差がある。階級がある。どうしようもない断絶があるのだ。

 それ故にお父さんはこの日を見越してペアを高等女学院に通わせたのだ。息子との仲を引き裂くことを可能とするレベルの逸材を、ペアにプレゼントするために!

 下流階級の子は高等女学院になんて、通えないんだから! 高学歴は中流階級の証なんだから! 牛乳屋の息子は中学校になんか通わないのと一緒だ!

 お父さんはペアのために最上級のプレゼントを用意した。それはお兄ちゃんを諦めさせるための、考え得る限りのご恩。

「煌びやかなドレスをまとい、豪奢な屋敷に住み、社交界にだって出られる。上流階級の仲間入りも夢ではないぞ。今の生活では絶対に得られぬものだ。何をためらう?」

 でも、それでも――ペアの求めるものは、お父さんの提案する世界にはなかった。

「私は……上流階級なんて、そんな……恐れ多うございます」

 ペアは金を望まない。煌びやかドレスも、宝石も、いや、心の中では望んでいるだろう。でもそれとお兄ちゃんを天秤にかけてなお選ぶほどの価値を、ペアは見出していない。

 そんなこと、お父さんだってわかっているはずなのに。

「謙遜するな。それに上流階級といってもあの男はまだ平。幹部となるのは先の話だ。それまでにお前はしっかり社交界のマナーを覚えていけばいい。なんなら私がお前のために専用の教育係を派遣しよう」

 何が何でも、絶対に、どんなことをしてもメイド風情を妻とさせないため、お父さんはありとあらゆる手を駆使しようとしている。

 全てはロータスルート家という上流階級の高貴な血統を、維持するがためにだ。

 そして飴をたっぷりと与えた後には、

「たかが一メイドに対しては破格の扱いだと思うぞ? あと言いたくはないのだがな、お前をその男に勧めるに当たって私がどれだけ苦労したか。仮にも幹部候補生にメイドをあてがうのに、どれほど無理を重ねたか。そこまでして用意したのだ。断る理由はあるまい?」

 当然のように鞭が炸裂する。

 そう、所詮ペアは下流階級の女の子。いくら高等女学院を出ていても雑種の血は変えられない。それを中流階級の、それも前途有望な幹部候補生と結ばせようというのだ。いかに組織の総帥の命令とてそう簡単にはいかなかったろう。

 結婚は、家と家との問題だから。

 ペアにだってそれくらいわかる。それに旦那様の御前である。だからお兄ちゃんやペーシュに対してのような振る舞いはできず、

「は、はい……もったいない、ご処置……ありがとうございます」

 そう、力なく頭を下げることしかできなかった。

 お父さんはその返事に大変満足し、灰皿に葉巻を置き、火が消えるのをじっと待った。

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