第十話:“霞“む信頼 - But still trust -
朝日が差し込む古城の一室。
何台ものベットが並ぶその部屋で、一人の少女は眠っていた。
森林での戦いから、まだ3、4時間ほどしか経っていない早朝。
辺りは幾分と明るくなり、日光は白い雪に反射して上下から城を照らす。
そしてその日差しが、眠りについていた少女、クリス・ファレノプシーの瞼を照らしたその時。
「ん、んぅ……」
―――彼女は、数刻の短い眠りよりその意識を覚醒させ、ゆっくりと瞳を開けた。
「ここ、は……」
思わず呟く。
この天井はいつか見たことがあった気がするが、一体どこのものだっただろうか。
最後にこの光景を見たのはいつだったのか、とクリスは思案する。
たしか、皆で探検にいって怪我をしたときではなかったか。
―――あれは一昨年の夏のこと。
数人の子供達を引き連れて、クリスは城近くの探検に向かった。
その探検の結果、クリスはぬかるんだ坂道で足を滑らせて転倒。
体を打ち付けながら転がっていったしまったのだが、そのお陰であるものを発見した。
―――機械で出来た、大仰な扉。
それはこの古城には明らかに似つかわしくない、近代的な造形の大扉だった。
それを発見したときのクリスの喜びようといったら、それはもう凄いものだった。
全身の痛みなど、まるでないかのようにはしゃぎ、そして体力を使い尽くして気絶するほどに。
そういえば意識を失ったときの自分の思考は、あの巨大な人型ロボットのなかで眠りについたときに似てる、とクリスは内心少し微笑む。
―――これで、みんなに喜んでもらえる!
無意識のうちに自分自身の行動理念が一切揺らいでいないことに一瞬安心を得たのかもしれない。
だがクリスは、そんなことは今はどうでもいい、とその思考を切って捨てた。
「あ……」
―――そこまで思い出したところで、ようやくクリスはここがどこであるかを思い出した。
そうだ、医務室だ。
あのときも担ぎ込まれた、授業中はサボり魔がたむろす安全地帯。
「クリスちゃん!目を覚ましたのね!?」
クリスの声を外から聞き付けたのか、誰かが部屋に入ってくる。
その人物は、クリスが日頃かなり懇意にしている人だった。
「ぁれ、食堂のおばちゃん……?」
―――なぜ、食堂のおばちゃんが医務室に?
クリスの脳裏に、ひとつの疑問が浮かぶ。
「ちょっと待っていてね、人を読んでくるからね!」
だが、その疑問は直ぐ氷解した。
「……急ぎ中佐達に報告を!クリスちゃんが目覚めたわ!」
そこで改めて、クリスは真実を理解した。
―――初めからこの施設に、一般人など存在しなかったのだ、と。
◇◇◇
雪によって白く染め上げられた古びた城の、その地下区画の中心部にある、指揮管制室。
そこでは指揮官であるアングストと共に、数人の兵士達が勤務している。
普段であれば、この部屋にいるのは数人の管制官のみだ。
その他の職員は皆、表向きの『教職員』のロールに徹して、地上で子供達の生活を助ける。
その為本来の業務は軍人としての物が主となるはずなのだが、軍人達は皆、この管制室でのものを面倒がり、上層での子供達との触れ合いを尊ぶようになっていた。
―――いつからだろう、気持ちが逆転したのは。
人類を救う為の起死回生の計画。
そのことは、誰もが理解していたはずだった。
あるものはバイラスへの殺意を抱き、あるものは一握りの希望を求めて、そしてあるものは国連軍への妄執的な忠誠を胸にこの部隊へと配属された。
だが、人とは分からないものだ。
心に傷を負った無垢な少年少女達との心暖かな交流は、敗色濃厚な戦争で傷ついた軍人達の心にも、大きな変化をもたらした。
―――お互いが、お互いの傷を癒す結果になったのだ。
「―――!中佐、医務室からの報告です」
「クリスちゃんが、目を覚ましたと!」
だから、教師役であるこの管制官の報告もこんなにも明るい。
本気で、一人の少女の無事を喜んでいるのだ。
大切な教え子に大事がなくて、本当によかった、と。
その思考が、子供達を戦場に送り出そうとする「パストメイル・プロジェクト」自体と相反していることには、誰もが気付かない。
―――いや、気付かない振りをしているのだ。
「そっか……よかった……」
報告を受けたアニータも、ほっと胸を撫で下ろす。
クリスの無事を誰よりも喜んでいたのは当然彼女だ。
大切な教え子のあれほどの鬼気迫った戦いぶりを目前で見て、心配をせずにいられるわけがなかった。
「……アニータ先生、見に行ってあげなさい」
その心配の気持ちを察したアングストは、アニータへと許可を出す。
『先生』、とあえて言ったのは、この言葉が基地指令としてのものではなく、この孤児院の『校長』としての言葉だったからだ。
「はい」
「それと……巻き込まれた3人とクリスちゃんには、事情の説明もしなければな」
アングストは頭を抱える。
「後で席をもうけよう、4人から質問されたら、後で答えるで通しておいてくれ」
この度の少女たちの遭遇は、本当にイレギュラーだった。
その中でもtype-Rの起動、そしてクリス・ファレノプシーの遺骸兵器への適合は最たる物だ。
「……分かりました、失礼します」
その言葉に頷くと、アニータは部屋をあとにする。
その声色には少し戸惑いのようなものが伺える。
無理もないだろう、なにも知らなかった少年達に真実を話すということはすなわち、今まで嘘を突き続けていたことの告白をするのと同義だ。
そんな自身も相手もお互い心に整理をつけられないような役割に、気が重くならないはずがない。
「……ふぅ」
だが、それは指令であるアングストもまた同じことだった。
「城の子供達全体に知れ渡るのも、時間の問題だな……」
それが現実になったなら、今度こそ説明をしなければならないのはアングスト自身だ。
しかも相手はこの施設の子供達全て。
その場で袋叩きにあって殺されたって何も言えないほどの咎を、アングストは負っているのだ。
そしてそれを、本人も自覚して日々を過ごしている。
いつかは彼らに命を以てして詫びなければならない日がくる。だが、それは今ではないと。
遺骸兵器の完成。それを成すまでは、まだ―――
「そういえば指令、昨夜の本部との連絡はなんと?」
重い空気を正そうとしたのか、それとも純粋に知りたかったのか。
一人の兵士がアングストにそう問いかける。
―――昨夜の遺骸兵器との邂逅。
そこで産まれた小さな疑問の解消は、アングストにとって急務だった。
だからこそ、深夜にも関わらず彼は直ぐに統合本部との連絡を取った。
「あぁ、それが―――」
◇◇◇
通話を取り次ぐ、と告げられて数分。
保留音声が途切れてから端末越しに聞こえた声は、正しく人類軍実働部隊の実質的な統括者にしてパストメイル・プロジェクトの発起人でもあった「ローゲ中将」のものであった。
それから、数分。
アングストの報告を聞いたローゲはうん、うんと相づちを打ち、「先程上がってきた調査報告からわかったことだが」、と前置いて話を切り出した。
「―――君達が遭遇したバイラスの群れだが、どうやら自然発生した個体が、生存圏北西の森にて繁殖したものらしい」
「北西……「ルールー」よりも壁寄りの地点で?」
アジア大陸北部に位置する人類の唯一の生存圏である壁に囲まれた領域。
かつて「ヤクーツク」と呼ばれた都市付近に築かれたその城壁は、扇状に広がりその先に広がる大陸東端までの領域へと進行するバイラス達を塞き止める役割を、今尚果たし続けている。
アングスト達が拠点としている古城を再利用した研究基地「ルールー」は、そのなかでもおよそ西端に近しい位置に築かれていた。
それでも壁からは数百キロほどはあるものの、そもそもに付近にはもはや都市は残っていないことから、「ルールー」は最も壁に近い、居住者のいる施設であった。
「あぁ、先程警戒部隊から連絡が入ってな、奴らが作ったと思しき巣穴が確認されたとのことだ」
―――巣穴が確認された。
その言葉に、アングストは大きな違和感をもった。
何故、それほどまでに確認が遅れているのか。そもそも巣穴を作っているということは、そこに巣食っていたバイラスがかなり長い期間壁の内側の領域に跋扈していたことを意味する。
警戒部隊が定期的に全域を哨戒しているというのに、そんな事態が起こりうるというのか。
もしそうだというのならば、敵を見つけられない警戒になど意味はないのではないか、と。
―――だが、アングストが知っている哨戒部隊の人員は皆、よく訓練されたプロフェッショナルの集いだった。
万が一にも外敵を見逃すことのない、人類を護るという強い決意を秘めた良い軍人達。
その彼らが見落としをした、とは、アングストはとても思えなかった。
「……指令、万が一なのですが壁の一部からバイラスが侵入してきてる、という可能性は―――」
だから、もう一つの思い付いた可能性への問いを、アングストは直球にぶつけた。
―――壁の一部になんらかの事態により穴が開いていて、そこからバイラスが湧き出ているのではないか、と。
それはともすれば激昂されてもおかしくはない問いだ。
壁の防衛部隊や本部が、自分達に隠し事をしているのではないか、そう疑っているようなものなのだから。
「……心配することはない」
だがローゲは特にそのことに憤慨したり、不快感を露にしたりはせずに淡々と話始める。
「壁は無事だ。今でも防衛部隊が壁際に集る連中の殲滅を行っているし、壁自体も内側からの補強が続けられている」
その声色は真剣そのもので、万に一つも嘘をついてる人間とは思えないものだった。
「この狭い場所に押し込められた人類の反抗作戦の要は、「パストメイル・プロジェクト」なんだ。君らへの支援は惜しみ無くさせてもらうよ」
そう言い、ローゲは計画の従事者たちを称賛する。
「今この世界で一番の功労者たる君達を、万が一にも見捨てたりなどするものか」
「……申し訳ございません、とんだ失言でした」
アングストは素直に、謝罪を口にする。
これほどまでに自分達を評価してくれている上官に大して、自分は何を言っているのだ。
「なに、気にするな。突然の襲撃で動転していたのだろう。今の情報がもっと早く報告できていなかったのはこちらの責任だし、気にすることはない」
そう言うローゲの声色は沈み、本当に申し訳なさそうなものだった。
余計な勘繰りをしてしまった手前、アングストの内心には大きな罪悪感が芽生える。
「君達には期待している。是非ともいつか、君達が造り上げた遺骸兵器をわたしに見せてくれ」
「……ありがとうございます、総司令!必ずや、遺骸兵器を完成させお目にかけると約束致します」
その言葉に、さすがのアングストも言葉を取り下げる。
上官からこれほどまでの言葉を賜ることなどそうはあるまい。
「あぁ、頼む。……それでは、遺骸兵器の初戦闘時の報告を―――」
そして彼らの話は、再び発生した事態の報告へと戻っていったのであった。
◇◇◇
「まぁ、type-Fの考えすぎだったということだ。近々、遺骸兵器を実際に見たいともいっていた」
そういうアングストの声は誇らしげなものだ。
自分達が従事しているプロジェクトは、軍の上層部からも注目されているほどに重要度の高いものだということが、再確認できた。
そのことが彼にとって、なによりも大きなモチベーションとなったことは言うまでもない。
「私達のこの計画こそが、人類の生存をかけたもの、なのですよね」
「あぁ、そうだ。……子供達には、苦労をかけてしまうが―――」
だが、その喜びも、罪悪感を捨てさるまでには至らなかった。
いくら大義名分のある計画とはいえ結局は、未来があったはずの子供達を使い潰す為のものに他ならないことを誰よりも知っているからだ。
だからこそ、あえて誤魔化すように、自分自身に言い聞かせるように。
「―――だがこれは、人類という大多数が生き残る為、必要なことなんだ」
アングストはそう言い、天井を仰いだ。
◇◇◇
「―――皆、集まったわね?」
クリスが寝ていた医務室とはまた別の、ある個室。
そこには三人の子供達が集められ、彼女のことを思い思いの表情で見つめていた。
「うん」
―――黒鉄の獣を駆った少女、クリス。
「……はい」
―――見ていることしか出来なかった少女、ククリ。
「……」
―――そして、襲撃の中でその左腕を噛み潰された少年、コルセス。
四人組のうち三人しかいないのは、残る一人であるフレイが未だ目を覚ましていないからだ。
彼女は肉体的なダメージよりも、精神的な負担のほうが大きかったのだ。
―――目の前で好意を抱いていたコルセスが、自信を庇ってその体の一部を喰らわれる。
飛沫が上がり、その肉片、血管、骨、全てが飛び散る。
そんな光景を目にして、ショックを受けるなという方が到底無理な話だ。
そのことを証明するかのように、そこで気絶してからというもの、フレイは今尚眠り続け、目を覚ます気配がない。
「―――アニータ先生、説明してください。今回のことを」
ククリは冷たい、糾弾するような語調でアニータへと詰める。
三人が居るのは、コルセスが寝かせられていた部屋だ。
―――当然だ、隻腕となり、その断面を包帯で無理矢理止血しているような少年を歩かせることなど、出来はしない。
巻かれた包帯は今尚血が僅かに染みだし、その色を赤黒く染め上げている。
「えぇ、勿論。……その為に集まってもらったのだから」
そんな痛ましい状態のコルセスを含めた三名を見据え、アニータがその口を開き、
「貴女達はきっともう気付いてしまっているかと思うけど、この古城は皆に伝えていたようなただの孤児院ではないわ」
―――今まで、子供達に隠し続けてきた真実を開示した。
「ここは、研究基地「ルールー」。人類軍の最重要兵器開発計画、『パストメイル・プロジェクト』を完遂するために造られた、軍事基地」
「……それじゃあ、わたしたちは」
―――彼らはもう、無知でいられる立場ではなくなってしまったのだ。
「……えぇ」
「―――貴方達は全員、プロジェクトで建造中だった最新型兵器……『
その言葉は、三人それぞれにどんな気持ちで捉えられたのか。
アニータは叫びだしたい胸中を圧し殺し、あくまで平坦な声でそう彼らに告げたのだった。
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