ファンタスチック・バンパイア
スパイ03
PART1:ヴァンプ・オブ・ファミチキ
マイキーは激怒した!かならず、かの邪智暴虐の王、いや王だなんてとんでもない!
王様気取りのクソッタレミートボール、ジャック・ジャッカルランドを除かねばならない!
マイキー・マックイーンは、カーテンを締め切った薄暗い屋根裏部屋にいた。彼の目の前にあるのは円を描くように並べられた蝋燭とその中心に置かれたファミチキ。準備は整った。マイキーは手元の本に目を移した。
マイキーとジャックが出会ったのは幼稚園の入園式。その頃すでに小学生並みの体格と政治家顔負けの維持汚さを持っていたジャックが、幽霊みたいに青白くやせっぽっちなマイキーを見逃すはずはなかった。
ジャックはポケットから卵を取り出すと(彼はいつも人にぶつけるための卵を持ち歩いている)、記念撮影のために門の前に突っ立っていたマイキーにぶつけたのだ。
笑顔で生卵にまみれたマイキーの写真は今でも部屋に飾ってある。笑顔で生卵にまみれた父親の写真のとなりに!
そう、おじいさんも、ひいおじいさんもだ!
100年前の白黒写真から、1000年前の肖像画ですら生卵にまみれている!
マイキーの家族は、代々ジャッカルランド家に苦しめられてきたのだ。
そんなマイキーにも唯一の生きがいがあった。
プリンである。
マイキーの通うベネディクトミドルスクールの給食のプリンは食べログで話題になったり、朝のニュースのよくわからない人気アイドルとかの食レポコーナーで紹介されたりするほどの美味しさを誇り、クラスメイトの欠席で余分が出ようものなら、血で血を洗う惨劇が起こり、かならず誰かは保健室へと送られる。
マイキーはそんなプリンを食べているときが最高の至福であり、どんなに辛い目に合わされている時でもプリンのことを思うと耐えられるのだ。
そして、その日、事件は起こった!
クラスメイトのひとり、ミザリー・アルツハイマーが欠席したのだ。ミザリーは普段から学校に来ているのが不思議なくらい不健康な女の子で、大抵は保健室にいるのだが、ついに家から保健室までの移動すら困難になったようだ。
しかし、肝心なのは彼女ではない。ミザリーなどいてもいなくても(いずれにせよ教室にいることはないし)同じなのだ。
問題はその日の給食にプリンが出たということだ。
ミザリーの欠席を知ったクラスメイトたちは、朝から互いの腹の内を探り合っており、すこしでも敵を減らそうと行動を起こした過激派によって、すでに5人が保健室に送られていた。
そして、12時を告げるチャイムが鳴り響いた!それは同時に戦いの始まりを告げるチャイムでもある!
先走ったひとりの男の子が別の男の子と衝突し気を失い、ふたり脱落。迫る戦のプレッシャーに耐えかねて錯乱した女の子が、泡を吹いて倒れ、さらにひとり脱落。廊下で殴り合いを始めた3人が職員室へ連行され、ミザリーの分を合わせて10人分のプリンの余分がでたことになる。
混乱のさなか、かろうじて冷静さを保っていた残りの20人は着々と給食の準備を整えた。
そして、ついに戦いの時。
プリン目当てのクラスメイトたちが教室の前方に集まった。
クラスメイト20人に対し、余りのプリンは10個。
神聖なる戦いの決着はジャンケンで決めるのがしきたりである。ふたり一組にわかれ、勝ったものがプリンを手に入れることができるのだ。
マイキーは、ジャックとペアになるのだけは避けようと、なるべく目立たぬように他のクラスメイトを誘おうとしていた。
20人のうち半分くらいは、すぐにふたり一組になるとジャンケンもせずにプリンを手にして、教室の真ん中のあたりの席に集まっていた。エイプリル・キャッスルファンクラブの連中である。エイプリルは、歴史ある富豪のキャッスル家のお嬢様。成績優秀でお金持ち、おまけにカワイイので、ファンクラブができているのだ。エイプリルの机の上にはあっという間に十数個ものプリンが集まった。余ったものと、ファン自身のものである。エイプリルは席を立つこともせず、ただニコニコしながら教室の前に集まった人を眺めていた。
残るプリンは5つ。うち2組はすでに勝敗が決まり、負けた2人はトボトボと席に戻っていった。もう1組もすでに勝負をはじめている。
残る2組。マイキーは目を合わせないように気をつけながらジャックの方を伺う。ジャックは…他のクラスメイトをすでに捕まえていた。
「あの…」
マイキーは控えめな声に振り返った。
メガネをかけた冴えない顔がそこにあった。ロスター・ノーウェア。このクラスでマイキーよりもクソッタレな毎日を過ごしている唯一の人間だ。このクラスで彼を認識している人間はただひとりしかおらず、よりによってそのひとりはジャック・ジャッカルランドという有様である。
さらに驚くべきことは、彼が市長の孫であり、エイプリル・キャッスルと張り合えるほどの大富豪であるという事実だ。
その冴えない顔に不釣り合いなほど服装だけはしっかりしているのはそのためであり、またそれ故にジャックに目をつけられてしまったとも言えるだろう。
当然、家も豪邸だが、それすらもジャックのおもちゃに過ぎない。
ジャックは他の悪ガキ連中とつるんではノーウェア邸を訪れてあるゲームをやっている。ゲームのやり方は簡単だ。まず、ノーウェア邸の大きな窓ガラスにサインペンで点数を書き込む…これ以上の説明は不要だろう。
あとは順番に石を投げ、どれだけ多くの窓を割り、ポイントを稼げたのかを競うのだ。
ビリになったものには直々にノーウェア夫人にわざとらしい謝罪をしにいくというバツゲームが待っている。
そして、そのミスタークソッタレ、ロスター・ノーウェアがプリン争奪戦のマイキーの相手になったのだ。
「オーケー」
マイキーが笑顔で答えると、ふたりは拳を突き合わせた。
「じゃーんけーん…」
この瞬間、マイキーは最高についていた。ロスターはパー、そして、マイキーはチョキ。勝ったのはマイキー。
マイキーは笑顔で顔を上げた。思わず満面の笑みで振り返る。
次の瞬間、マイキーは最高についていなかった。幸運の女神に無理をさせすぎたのだ。女神が泡を吹いて気を失い、それと同時に最悪の不幸が彼を襲った。
マイキーは見てしまった。目を。顔を真っ赤にして、自分を負かした勝負相手の頭に裁きの鉄槌を叩き折ろすべく拳を振り上げたジャック・ジャッカルランドの怒りに満ちた目を。
マイキーの顔は凍りつき、笑顔が剥がれ落ちる。それと同時にジャックの顔に不気味な笑顔が浮かび上がった。
ジャックは振り上げた拳をゆっくりと下ろすと、困惑した勝負相手には目もくれず、ずんずんとマイキーの方へ歩いてくる。
「おい、マイキー…」
「いやだ!!」
ジャックが言い終わる前にマイキーは叫んだ。
ガツン!
それでおしまいだった。
裁きの鉄槌は、マイキーの顔面に叩き折ろされた。
マイキーが目を覚ましたのは、保健室だった。窓から差し込む夕日と下校時刻を告げるチャイムが絶望的な事実を示していた。
「プリンは…?」
「プリンなら2つともジャックが食べたみたいよ」
学校医のグリーン先生が答えた。グリーン先生はこのベネディクトミドルスクールではちょっとした有名人で、それというのは、まことしやかに囁かれる、彼女にまつわるとある噂があったからだ。
その噂は、グリーン先生は昔は優秀な外科医だったが、それがプリンの味以外に目立った特徴もない平凡な学校の保健医として働いているのは、違法な臓器売買に手を出していたからだとか、残忍な人体実験を繰り返していたからだとか、そういった子供じみたものだった。
「さ、起きて帰る支度をしなさい」
マイキーはベッドから転がり落ちるように這い出すと、そのまま床に這いつくばって声を上げて泣いた。
保健室はマイキーと同じようにプリンを食べることができなかったクラスメイトたちの泣き叫ぶ声で溢れていた。
そこにあったのは絶望。ただ、それのみ。
気がつくとマイキーは自宅のベッドで眠っていた。あれからどうやって帰ってきたのかも思い出せなかった。
ボンヤリとする頭で起き上がる。お腹が空腹に悲鳴をあげていた。
マイキーは、勉強机の引き出しをあけた。そこには護身用にと隠し持っていたワルサーP38がしまいこんである。
そいつを口にくわえて引き金を引けばすべてが終わる。空腹もじきに消え去り、そして二度と訪れることはなくなる。
文房具や、よくわからないおもちゃの部品などでぐちゃぐちゃにちらかった引き出しの中に手を突っ込み、ワルサーを手探りで探す。その手に硬い感触を感じ、引っ張り出してみると、それは古い本だった。
分厚くて重いそれの黒い革張りの表紙にはなんの文字も書かれていない。
マイキーはそれに見覚えがあった。
今よりずっと昔、まだマイキーが小学生だった頃、ひいおばあちゃんが亡くなった日のことだ。
その日、授業中に呼び出されたマイキーは、ひいおばあちゃんが入院している病院へ行くことになった。
病室に入るとベッドの上にひいおばあちゃんが寝ていて、その周りに置かれたごちゃごちゃした機械が、ピッ、ピッ、と規則的な電子音を鳴らしていた。
お医者さんはしゃがんでマイキーと目線の高さを合わせると、「あのピッピッという音があと30回なったらひいおばあちゃんは天国に行ってしまう。そのまえにひいおばあちゃんはきみだけに話しておきたいことがあるそうだ」と言って、病室を出ていった。
部屋にはマイキーとひいおばあちゃんだけが残された。
マイキーがベッドのそばに行くと、ひいおばあちゃんは小さい声でボソボソと話し始めた。声を聞き取るために、マイキーはかなり顔を近づけなければならなかった。
「マイキー、1度しか言わないからよくお聴き。家の書斎にマックイーン家に代々伝わる古い本がある。それをおまえにやろう。ただし、扱いには気をつけるんだよ。どうしてもという時、ほんとに困りきった時に最後の最後の切り札として使うんだ。それまでは決して開いてはいけないよ…いいね?」
マイキーはうなずいた。
ベッド脇の機械から流れていた規則的な音はピーという長い音に変わった。
"どうしてもという時、ほんとに困りきった時"
それはまさしく今だ。憎きジャック・ジャッカルランドに唯一の楽しみであるプリンを奪われたのだ。今でないなら、いつだというのだ。
マイキーは引き出しを閉じるのも忘れたまま、真っ黒な革張りの表紙を開いた。
そして、今、マイキーはカーテンを締め切った薄暗い屋根裏部屋にいる。目の前には円を描くように並べられた蝋燭と、その中心に置かれたファミチキ。
"本"はいわゆる魔導書のたぐいで、怪しい呪文や魔法陣、発音の仕方もわからないような複雑怪奇な何かの名前のようなものなどが、ところ狭しと書かれている。
パラパラと流し読みしていく中で、マイキーの目に止まったのは"バンパイアの召喚"。
地球のとなりの反対の裏の表の南の東にある異世界"ドラキュランド"に住むバンパイアを召喚し、願いを叶えてもらうというものだ。
はじめの数ページには基本的な召喚の手順が書かれていた。薄暗くひとめにつかない場所で、6本の蝋燭を一定の感覚で円を描くように並べ、その中心に生け贄としてニワトリをささげ、それぞれに対応した呪文を唱える。蝋燭は家にあったが、生け贄のニワトリは用意できないのでファミチキで代用することにした。ニワトリだし、おまけにおいしく調理までされているのだ。召喚されるバンパイアも文句はあるまい。最後に呪文だが、その後数十ページにわたって、バンパイアのプロフィールとそれぞれの呪文が羅列されていた。呼び出したいバンパイアに対応した呪文を唱えることでそのバンパイアを召喚することができる、いわば電話番号のようなものであり、バンパイア版タウンページだと思っていいだろう。
はじめのページに書かれていたのは、バンパイアキング。地面から生えた尖った骨のようなものに貫かれ、苦悶の表情を浮かべる裸の男のおどろおどろしい挿絵がつけられていた。
キングのあとは、バンパイアクイーン、バンパイアプリンセスと続き、ページを追うごとに階級が下がっていき、挿絵がなくなり、1ページにまとめられている数が増えていく。最後の方の数ページは細かい字でびっしりと階級と呪文が箇条書きで羅列されているだけになっていた。
このころには幾分か冷静さを取り戻していたマイキーは、バンパイアキングやプリンセスなどのくらいの高いバンパイアを呼び出せば、自分もただでは済まないであろうことを想定し、最後の1ページに羅列されている階級の低いバンパイアの中から、てきとうに選んだひとりを呼び出すことに決めていた。
マイキーは、手元の本に目を落とし、選んだバンパイアの呪文をブツブツと唱え始めた。
「汝、そなたを召喚せしもの!ここに生け贄を捧げん!」
呪文を唱え終えると同時に、ナイフを生け贄(ファミチキ)に突き立てた!
静寂。
マイキーが、やはり魔導書などはインチキなのだと肩を落としかけた(生け贄がファミチキだったことで失敗したという可能性は一切考えなかった)、そのときであった。
ボッ、ボッ、と音を立て、蝋燭の火が時計回りにひとつずつ消えていき、やがてすべてが消え、一瞬の闇が訪れた直後、あたりを眩しい光が照らし始めた。
マイキーはたまらずに目をそらし、手を顔の前にかざして、後ずさった。
かざした手の下から薄目を開けて覗き込むと、背後から光を受けて、影となったシルエットが見えた。
徐々に光は薄れ、やがて再び闇が訪れる。
マイキーの背中にひや汗が流れた。
「そこに誰かいるの?」
声が聞こえた。女の子の声だ。
「もしもーし、ここは地球なの?」
声は話しながらマイキーに近づいていた。
「誰もなんにも答えないじゃない。モグラに召喚されちゃったのかしら」
声は目の前に迫っている。"それ"の息遣いが肌で感じられるほどに。
「ねぇ、食べていい?」
「ど、どうぞ」
マイキーは生け贄のファミチキのことを思いだし、震える声で答えた。
「ガブッ!」
次の瞬間、マイキーの腕に鋭い痛みが走った。"それ"がマイキーの腕に噛み付いたのだ!
パニックに陥ったマイキーは無事な方の手を振り回し、"それ"を押しのけた!
危機的状況で思わぬ力が出たのか"それ"は屋根裏部屋の端っこまで吹っ飛んで、小さな窓を覆っていたカーテンを巻き込んで倒れた。
開け放たれた窓から、異様にギラギラと輝く月の明かりが差し込み、部屋を白く浮かび上がらせた。
カーテンに包まれた"それ"はよろよろ立ち上がり、がばっとカーテンを剥ぎ取って後ろに投げた。
月明かりに照らされたその姿は、マイキーと同じくらいの年の普通の人間の女の子だった。ブラウスの上に黒いカーディガン。首にに大きいピンク色のリボンをつけていて、床につきそうなほど長い髪の毛はリボンと同じ紫がかったピンク色だった。マイキーの心臓はまだ激しく動悸していたが、脳は落ち着きを取り戻していた。階級の低いバンパイアだと、人間とあまり変わらないんだな、などと考えていた。
「ぼくじゃなくてファミチキを食べろよ!」
「ファミチキ?」
女の子は首をかしげた。
「フライドチキンだよ、ほらそこに」
マイキーは冷めて溶けた形で固まった蝋燭の真ん中で、寂しげに放置されたファミチキを指差した。
「ああ、これが死んだニワトリを揚げたやつ!」
女の子はファミチキのそばに座り込んで、それを取り上げ、ニコニコしながら食べ始めた。
「おいしい!でも、人間が食べたいの」
「だったら、今度おいしいミスターミートボールを紹介してあげるよ」
マイキーはにやりと笑った。
「ぼくはマイキー。マイキー・マックイーン。きみは?」
「バンパイア・プリンセスのバニラ!」
「プリンセス?馬鹿言うんじゃないよ、下級バンパイアのくせしてさ」
「ひどーい」
「まってて、いま毛布をとってくるから。そっちにベッドがあるんだ。この部屋は好きに使っていいから」
翌朝、マイキーは奇妙な物音に起こされた。屋根裏部屋からガリガリとか、ゴリゴリとか音がするのだ。
寝ぼけた頭で、バニラのことを思い出すのにはすこし掛かったが、不安が胸をよぎり、屋根裏部屋に上がった。
屋根裏部屋は2階にあるマイキーの自室からそのまま行けるようになっている。つまり、マイキーの部屋を通らないと入ることができないのだ。そのため、いままでずっとマイキー個人の物置として使われてきた。
壁際には、ダンボールが山のように積まれている。中身は着れなくなった服や、昔遊んでいたおもちゃ。壁にはひとつ小さい窓があって、そこから差し込む朝日で反対側の壁際に置かれたベッドが照らされていた。このベッドも小さくなって使わなくなったものだ。そのベッドが奇妙に傾いていた。
脚が無くなっていたのだ。4本あるうちの2本がなくなり、左側のへりが床についている。バニラは床に座り込んで自力でもぎ取ったと思われる木製の脚を両手で持ってかじりついていた。
「バンパイアは朝ごはんにベッドを食べるのか?」
バニラは素早く振り返って、ベッドの脚を投げつけた。
「こんなの食べれるか!ばか!!」
脚はマイキーの顔の横を通って後ろの壁にぶつかって大きい音を立てた。
「こんなとこ来とうなかった!」
そういうとバニラは大声で泣き始めた。
「静かにしてよ、みんな起きて来ちゃうだろ。いま、トースト持ってきてやるから」
「トースト?」
「朝はトーストって決まってるんだよ。トースト食べないやつは人間じゃない。あー、きみは人間じゃないけど…少なくともベッドの脚よりはおいしいと思うよ」
マイキーは大慌てで着替え、それから屋根裏部屋に持ってきたトーストを二人で食べた。バニラはニコニコしながら食べていた。バンパイアはベッドの脚以外なら何でも食べるようだ。
「バニラ、今日は学校に行くんだ」
「がっこ?」
「ベネディクトミドルスクールさ。おいしい人間がたくさんいるところだよ」
「やったー!」
「だけど、ぼくがいいって言うまで食べちゃダメだよ。約束守れないなら連れてかないからね」
「わかった」
バニラは真面目な顔でうなずいた。
「荷物とってくるから待ってて」
マイキーは自分の部屋に戻り、教科書が入ったリュックを手にとった。
机の上に置かれた黒い本が目に止まった。
マイキーはそれを手にとって少し迷ってから、リュックの中に詰め込んだ。
そして、学校。
担任のバスター先生が生徒名簿に目を落とし読み上げ、出席をとっていく。
「ミザリー・アルツハイマー…は、今日もいないな、よし」
「はい!」
教室の隅っこの席から声が上がった。ミザリーの席だ。バスター先生が顔を上げる。
「ん?きみがミザリー・アルツハイマーか。めずらしいな、初めて見たよ」
教室中の視線がミザリーの席に座った女の子に集まる。
「違うわ、あなたミザリーじゃ…きゃっ!」
エイプリル・キャッスルがけわしい表情でなにか言いかけるか、突然小さく悲鳴をあげて黙り込んだ。
床に落ちた輪ゴムを拾い上げ、マイキーを睨みつける。マイキーが輪ゴムを喉めがけて飛ばして黙らせたのだ。
「なんだ、キャッスル?」
エイプリルは軽く咳こみながら黙って首を横に降った。
「まあ、いい。えっと、つぎは…」
ホームルームが終わると、マイキーはすぐにミザリーの席に座っている女の子、バニラの手を引っ張って廊下に避難した。すでに机の周りにクラスメイトたちがあつまり、口々にバニラに質問をぶつけていたが、バニラはマイキーの言いつけどおりにただニコニコしながら黙っていた。
「ふう、危なかった」
「ごはんまだ?」
バニラはドアを少し開けて教室を覗きながらよだれを垂らしていた。
「バニラ、あいつだ」
マイキーは壁に寄りかかってクチャクチャガムを噛んでいるジャック・ジャッカルランドを指差した。ジャックはまるで教科書が2倍の量に増えたかのようにパンパンに膨らんだリュックを肩にかけて、薄ら笑いを浮かべながら教室を見回していた。
「食べていいの?」
バニラは目をキラキラさせながらジャックを見つめている。
「ああ。だけど、今はダメだ。あいつがひとりになった時を狙うんだよ、いいね」
「わかったよ、マイキー」
バニラはうわの空で答えると、そのまま扉を開けて、ジャックの方に向かってゆっくり歩きだした。
「お、おい!今はダメだって!!」
「ん?なんだ…」
ジャックがバニラに気付き振り返った。
マイキーは慌てて駆け出したが、すでに遅かった。
ジャックの絶叫が響き渡り、間欠泉のように吹き出した血飛沫が黒板を赤く染め上げる!
教室は阿鼻叫喚の地獄と化した。
クラスメイトたちは口々に悲鳴を上げ、我先にと出口に向かう。
異変に気づいた周りの教室がざわつきはじめ、やがて、学校中がパニックに陥った。
バニラはニコニコしながら、手に持った棒状のものにかじりついていた。腕だ。ジャックの左腕の肘から先は完全にもぎ取られてしまっていた。
その日は、当然のごとく休校になった。と言っても職員総出で事態を収束させるために随分と時間がかかり、家に帰るころにはすっかり日が暮れていた。
ジャックは病院に運び込まれた。現場を直接目の当たりにした何人かもショックで倒れて一緒に病院へ行ったらしい。
ジャックの左腕はまだバニラが持っており、今は半分くらい不気味な白い骨が剥き出しになっている。
ジャックに対する同情は一切なかったが、このままバニラを放っておいては、いずれ手がつけられなくなるのは火を見るより明らかだった。
マイキーは何か手がかりはないかと、あの黒い本を開こうとして、リュックの中に入れたことを思い出した。
だが、リュックをどこにやったのかがわからない。家に持って帰ってきた記憶すらないのだ。つまり、リュックは学校にある。
マイキーの脳裏に、異様に膨れ上がったリュックを担いだジャックの姿が思い浮かんだ。
あのリュックはあまりにもおかしかった。まるで、教科書が2倍の量に増えたかのようだった。いや、実際に増えていたのだ。
ジャックのリュックの中には、自分の荷物とマイキーの荷物が入っていたからだ。
マイキーがバニラに気を取られているうちに、ジャックはマイキーのリュックを隠し、マイキーが慌てふためいている様子を見ようと考えていたのだ。
だが、ジャックはあのまま病院に運び込まれてしまった。ならば、リュックは今どこにあるのだろうか。
もしあの本にジャックが気付いていたらと思うとマイキーは背筋が凍った。
すぐに取り返しに行かなければ。
腕がもげたとあれば、大きな病院に運ばれたはずである。この辺りで大きい病院といえば、ひとつしかなかった。
マイキーのひいおばあちゃんが亡くなったあの病院だ。
「バニラ!」
マイキーは屋根裏部屋のバニラに声をかけた。バニラはジャックの腕をかじりながら降りてきた。
「それは部屋においてきて!」
バニラは一瞬躊躇したが、不満げな様子で屋根裏に上がると、腕をおいて戻ってきた。
「病院に行こう」
事態は一刻を争う。たとえ腕がもげていようともジャックはジャックなのだ。
病院は学校と自宅の間にあり、走れば5分ほどでたどり着くことができた。
息を整え、受付に向かう。
「すみません、ジャック・ジャッカルランドのクラスメイトのマイキー・マックイーンです。お見舞いに来たのですが、部屋を教えてもらえますか」
「それでしたら…」
受付の看護婦はコンピューターをなにやらいじり始めた。部屋を検索しているらしい。
「いま、ジャック・ジャッカルランドとおっしゃいました?」
マイキーは背後から声をかけられて振り返った。息を切らした青ざめた顔の看護婦が立っていた。
「いなくなったんですよ!ちょっと目を離したすきに、ベッドはもぬけの殻!出血も止まってないし、まだ歩けるような状態じゃないのよ!」
「ねえ、これ」
バニラが不意に口を挟んだ。人差し指を立てて、それを足元の床に向ける。
バニラが指差した先にあるのは、赤黒いシミ。血だ。それは病院の出口までくねくねとした線を描いくように転々と続いていた。
「行こう!」
マイキーは走り出した。バニラもうなずいてあとに続き、外へ出る。
ふたりは血痕を辿って学校まで走った。玄関は鍵がかかっていたが、まだ開いていた職員玄関から中へ入る。ひんやりとした空気に包まれたひとけのない廊下を進んでいくと、ひとつだけ明かりの灯った教室があった。
保健室だ。血痕も保健室の前で途切れていた。
マイキーはバニラを盾にして、そっと扉を開けた。
まずふたりの目に飛び込んできたのは、血に染まった手術台(といっても、それ自体は普段から使われていた簡易ベッドだ)。昼間の清潔な保健室は見る影もなく、凄惨な光景が広がっていた。
そして、その手術台の前にライムグリーン色の手術服姿の女性が背を向けて立っていた。女性はゆっくりと振り返った。マスクと衛生帽で顔を多い、唯一見える目元は狂気に見開かれている。
真っ赤に染まった手術服をまとったその女性は、ふたりの姿を見るなり、メスを振り上げ、突進してきた!
マイキーの目の前に立ちはだかっていたバニラは軽く地面を蹴って、横へそれた。女性はすでに、マイキーにメスが届く範囲にまで近づいている!メスの刃が、振り下ろされる!
次の瞬間!
バシッ!っと風を切る音がして、女性は横に吹き飛ばされ、ごちゃごちゃした手術道具が置かれた机を巻き込みながら倒れた。
バニラが横からケリを入れたのだ。
メスやハサミにまみれて倒れていたのは学校医のグリーン先生だった。吹き飛ぶと同時に、マスクと手術帽が外れ、素顔が明らかになったのだ。
「グリーン先生!?」
「ジャック・ジャッカルランドに頼まれて…」
グリーン先生は震える声で話し出した。
「ジャックは左腕の移植手術を頼んできたわ。わたしは人体改造が好きだし、自分から志願してくる人なんて初めてだったから、喜んで引き受けたの。だけど、あの腕、どうしたらあんなふうになるかしら」
「先生、ジャックの左腕をもぎとったのはここにいる、バニラです」
グリーン先生は、ニコニコ笑いながら突っ立ているバニラに目を移した。
「ジャックと同じ目に会いたくなかったからいうことを聞いてください、いいですね」
グリーン先生はバニラから目を離さずにうなずいた。
「でも、わたしからもお願いがあるの。手術のことは黙っていてほしい。そしたら、そっちのお願いにも答えられるわ」
「わかりました。まず、ジャックの居場所を教えて下さい。それから…」
マイキーはグリーン先生に2つお願いをした。グリーン先生は、ジャックに学校の屋上の鍵を渡したという。そして、学校においてある蝋燭の場所を聞かれたらしい。
マイキーは確信した。ジャックはあの本を読んだのだ。そして、屋上でバンパイアを召喚するつもりに違いない。
時間はない。マイキーとバニラはグリーン先生をその場に置き去りにして、走り出した。
ふたりは廊下を疾走し、階段を駆け上がる。廊下に貼られた『廊下を走ってはいけません』という張り紙が虚しく風に揺れた。
屋上の扉には普段から南京錠がかけられていたが、今はその姿はなくなっていた。しかし、扉を引いても、ガタガタと揺れるだけで、開く気配はない。
「バニラ」
バニラは頷くと、取手を引いた。バキンっという音がして扉は開いた。地面にちぎれた南京錠が落ちていた。ジャックは、外した南京錠を外側からかけ直していたのだ。
夜の闇に包まれた屋上。不気味な紫がかった色の月があたりを薄暗く照らしている。そこには見覚えのある光景が広がっていた。円を描くように並べられた6本の蝋燭、中心置かれたファミチキ(現代のバンパイア召喚では生け贄にファミチキを使うのが恒例と化してきているようだ)。
ジャックはすでに呪文を唱え始めていた。
「バニラ、やれ!!」
バニラはジャックに飛びかかろうと身構える。ジャックはマイキーの声でふたりに気付き、一瞬睨みつけてきたがすぐに向きなおり、叫んだ。
「汝、そなたを召喚せしもの!ここに生け贄を捧げん!」
ジャックはナイフを振り下ろし、ファミチキに突き刺す!
蝋燭が次々と消え、一瞬の静寂の後、屋上はまばゆい光に包まれた!
「いでよ!バンパイアプリンセス!!」
ジャックの狂気的な笑い声が響き渡る!
光の中に人型のシルエットが浮かび上がった!
光が徐々に薄れ、あたりは再び闇に支配され、薄ぼんやりとした月明かりに照らされるのみとなった。ジャックの笑い声は止まっていた。マイキーも困惑の表情を浮かべ、バニラだけがニコニコしていた。
火の消えた蝋燭に囲まれて立っていたのは、小枝のように痩せこけたボロをまとった女だった。杖のようにして地面についた7フィートほどの三叉槍だけが月明かりを反射して輝いており、妙にチグハグした印象を与えた。
「お、おまえがバンパイアプリンセスなのか?おまえが?」
ジャックが戸惑いながら聞いた。
女はヒステリックな笑い声を上げた。
「プリンセス?まさか!わたしはただの下級バンパイアですよ!どうもはじめまして、ファーピー・グレイマウスと申します。何なりとご命令を」
ジャックはぽかんと口を開いた間抜けな顔でつぶやいた。
「いったい何がどうなってるんだ…?」
「あ!」
バニラが突然声を上げた。
「それ、わたしの槍!」
「バニラ、いったいどういうことなのか、説明してくれないか?」
マイキーはバニラに尋ねた。
バニラはニコニコしながら話し始めた。
ここは地球のとなりの反対の裏の表の南の東にある異世界"ドラキュランド"。全体的にカートゥーンネットワーク的な雰囲気に包まれた世界である。ラメの入ったグミのような透き通った紫色の壁をもつ巨大な城、アクモ城を中心に広大な城下町が広がっている。
アクモ城の一室でひとりの女の子が目を覚ました。彼女こそはバンパイアプリンセス。バンパイアキングのひとり娘にして、未来のバンパイアクイーンその人である。
プリンセスは、ベッドから這い出し、服を着替えて廊下に出た。
城の廊下は無駄にだだっ広く、高速道路並みの横幅がある。ひとけもなく、時々使用人が通りがかり、敬礼をしていく。この使用人たちの仕事がなんなのかはよくわからず、四六時中歩き回っているだけ。プリンセスはそれが彼らの仕事であり、城の装飾品のひとつみたいなものだと考えていたので、廊下ですれ違っても特に気にも止めない。
しばらく歩き、少し足がつかれてくる頃には大ホールにつく。大ホールは東京ドーム3個分の広さがあり、見えないほど高い天井から吊るされた大量のシャンデリアが部屋を照らしているので、上を見上げると星空のように見える。
そのホールの端っこに(真ん中だとそこまで行くのに日が暮れてしまう)電車一両分くらいの長い机が置かれている。
その席で朝食を食べるのだが、この部屋を使うのは特別な場合を除いてはキング、クイーン、プリンセスの3人なので、机は無駄に広々としている。1番奥の端っこにキング、反対側の端っこにはクイーンが座っていた。プリンセスは席の数を数えながらちょうど真ん中の席に座った。どちらかの端に1席分でも寄っていれば、その席から遠い方の端にいるキングかクイーンのどちらかがやきもちを焼いて大騒ぎするからだ。
「おはよう!」
キングが大声を出した。3人が会話をするためには、机の端から端まで声を届かせる必要があるため、バカでかい声で話さざるを得ないのだ。
「おはよう、パパ!」
プリンセスも大声で応える。
「遅かったわね!ちゃんと早起きしないとダメよ!」
クイーンはちょっとお小言を、くらいのつもりで言っているのだが、大声なので、プリンセスにはカンカンに怒っているように聞こえて、居心地悪く縮こまった。
そうこうしている間に朝食が運ばれてくる。
厨房は大ホールの入り口から反対側の端にあるため、食事を運ぶ係は馬車に乗って机まで来る。馬車はまずキングの席のそばで止まり、机の上に小皿をひとつおいて次の席に向かう。キングの次はクイーン、最後にプリンセスと決められている。そのため、真ん中の席にいるプリンセスを一度素通りして、クイーンの分を運んでからプリンセスのもとに戻ってくるのだ。この順番も、不便な大ホールもすべて国のしきたりなのだから仕方ない。
朝食も毎朝同じものだ。小皿に注がれた人間の血液である。
「もう、飽きた!」
プリンセスは叫んだ。
「人間が食べたい!」
「わがまま言わないの!」
クイーンが応えた。
キングは笑っている。
「バンパイアは血液だけ食べてれば生きてけるんだよ!ワシのおばあさんを思い出すよ!おばあさんも人間が好きで、よく召喚した人を、話を聞く前に食べてしまったなんて言っていたっけな!」
それを聞いたクイーンもクスクス笑いだした。
「まあ、おかしい!」
しかし、プリンセスにはちっとも面白くない。
バンッ!と机に手をついて立ち上がると、そのまま走り出した。
「どこに行くの!!」
クイーンは叫んで立ち上がり追いかけようとした。キングも後に続いたが、席と席が離れているので追いつけない。プリンセスはもう大ホールの外へ出ていた。
アクモ城と城下町を結ぶ正門の前で、守衛は退屈そうに城壁に寄りかかって、遠くでプラカードを振り回すデモ隊を眺めていた。
プラカードには、『自給自足の未来!』『共食いで自立を!』などと書かれている。
ドラキュランドの人々の暮らしは、人間の血液を始めとした異世界から得られる物資によって成り立っている。そのため、異世界の状況がダイレクトに人々に影響を及ぼすのだ。それに不安を抱いた市民が、デモ隊を結成し、連日アクモ城の周辺でデモを行っている。彼らの主張は、ドラキュランドの生物やバンパイア同士で共食いすることによって異世界に頼らない生活を実現できるというものだが、まともなバンパイアたちにしてみれば、同じ世界にすむ生き物を食べるなど言語道断。自分の住む世界しか知らない原始的な生物の考え方であり、王家も時が流れるに任せてデモ隊が自然消滅するまでは、放っておくことにしていた。
突然、守衛の背後で乱暴に門が開け放たれた。守衛は思わず声を上げ、武器を身構えたが、中から飛び出してきたのがプリンセスだとわかると、慌てて敬礼をした。
「プリンセス、そんなに慌ててどこへ行かれるのでありますか?」
「ちょっとそこまで!」
「はあ」
守衛はそれ以上詮索しないことにした。必要以上に首を突っ込み、キングの怒りを買ってしまえば、串刺しにされた挙句、放置され、遺体はデモ隊の食料にされてしまうだろう。"触らぬ神に祟りなし"だ。プリンセスはすでに走り去り、後ろ姿はどんどん小さくなって、ついには見えなくなってしまった。
開け放たれた門を閉めようと、手をかけたその時、キングとクイーンが汗だくになりながら走ってきた。
「守衛!プリンセスを見なかったか!」
「はあ、プリンセスでしたら、先ほどここを通って何処かへ行かれたようですが…」
「馬鹿者!!」
キングが顔を真っ赤にして怒鳴った。
「なぜ止めないのだ!!おまえは串刺しの刑にして、デモ隊のエサにしてやる!」
「そ、そんなー」
守衛の顔から見る見るうちに血の気が引いていき、バタンと仰向けに倒れ、気を失ってしまった。
キングとクイーンは困り果て、遠くのデモ隊を眺めながら立ち尽くしてしまった。
一方その頃プリンセスは、城下町を抜けて荒れ果てたマーカイ村まで来ていた。城下に住むことのできない貧民たちが集うこの村は凄惨な状態だった。痩せこけたケルベロスがゴミをあさり、薄汚い浮浪者がパンツ1枚でヨロヨロと徘徊していた。
プリンセスは、しばらく歩いているうちに、魔法音が漏れ聞こえる一軒の家を発見した。魔法音とはドラキュランドと異世界をつなぐ"異世界ゲート"が開いているときに聞こえる、シャーとか、キラキラとかいった、誰もがアニメやゲームの中で聞いたことがあるあの音である。魔法音など知らないはずの地球の人間たちが魔法音をあれほど忠実に再現できたのは、一説には手違いでドラキュランドなどの異世界ゲートを使う種族の住む世界に迷い込んでしまった音響スタッフが実際に録音したものだと言われているが、真偽は定かではない。
プリンセスは口元に笑みを浮かべた。この異世界ゲートこそ彼女が探し求めていたものである。
異世界の資源を頼りに生活しているドラキュランドの人々にとって、異世界ゲートは生活必需品ともよべるものであり、人間にとっての携帯電話がそうであるように、バンパイアたちもほとんどの場合ひとりひとつずつ自分の異世界ゲートを持っている。バンパイアたちは異世界ゲートを通じて召喚されることでしか、異世界へと行く手段がないのだ。生物をその世界の住人たらしめるもの、それは"つながり"と呼ばれる概念だ。"つながり"がある限り、異世界から本来住む世界へと自分の意志で戻ることが可能だが、"つながり"のない別の世界へ行くためには、その世界に"つながり"を持つものの意思の力が必要なのだ。
プリンセスはその一軒家へと入っていった。白く眩い光を発する鏡のようなもの(これが異世界ゲートだ)の前に痩せこけてボロをまとった女が立っていた。女はプリンセスに気が付き、振り返る。プリンセスはポケットから何かを取り出し、手に持って振り下ろした。彼女の手の中に一瞬にして巨大な三叉槍が出現した。これこそは、バンパイアの王家に伝わる秘宝、トライデンタル。プリンセスはトライデンタルの3つにわかれた刃先を女に向けると、先を振って"そこをどけ"のジェスチャーをした。
女は首を横に振り、一向に動こうとしない。
彼女のような下級バンパイアが召喚されるのは稀であり、この召喚に命がかかっていると言っても過言ではないのだ。
「どかないならしかたないか」
プリンセスはトライデンタルを横凪に叩きつけた。女は横に吹き飛ばされるが、すぐに立ち上がり、プリンセスに掴みかかろうとする。
プリンセスはトライデンタルを両手で持ち、柄の部分を強く押し出した。たちまち女はバランスを崩し、よろけて壁に背中をつく。そのすきにトライデンタルを壁に突き立てる。女の足首はトライデンタルの刃と刃の間に入り込み、その場に釘付けにされてしまった。
プリンセスは異世界ゲートの前に立った。
「バイバーイ」
プリンセス、バニラはニコニコしながら手を振って、ゲートの向こう側へと消え、それと同時眩い光も消え去った。
「それで、マイキーのところに来たってこと」
ヴァニラが話し終えた。
「それじゃあ、きみはほんとにバンパイアプリンセスだったの!?」
マイキーの声は驚愕に上ずっていた。
「そう言ったじゃん!」
「でも、ファーピーはどうやってここに?」
「この槍を見てあなたがプリンセスだってことはすぐにわかったわ」
ファーピーがかすれた声で話し始めた。
「あなたがいなくなって、キングとクイーンは街中走り回って大騒ぎしたの。噂はすぐに広まって、当然デモ隊の耳にも入った。デモ隊はここぞとばかりに城に攻め込んで、城はパニック状態になってた。そのすきに忍び込んであなたのゲートの前で待っていたのよ。プリンセスともあればそのうちすぐにお呼びがかかると思ってね」
「バニラはなんで自分のゲートを使わなかったんだ?」
マイキーが聞いた。
「勝手にどっかに行かないようにって、ばにらのゲートはパパとママが兵隊に監視させてるの」
「ええい!ごちゃごちゃうるさい!」
しばらく放心状態で固まっていたジャックが突然怒鳴り込んだ!
「おまえが下級バンパイアだろうがなんだろうが知ったことか!!さっさとそいつらを叩きのめせ!」
ファーピーはトライデンタルを構えようとしたが、急に間合いを詰めてきたバニラに呆気なく奪い取られ、そのままへたり込んで地面に倒れた。
「わたし、ずっと何も食べてなくて… 城に行くので体力を使い果たしました。あ、これは…」
ファーピーの霞む視界に地面に置かれたファミチキが映り込んだ。
「これは死んだ鶏を揚げたやつでは?」
「ファミチキだよ」
バニラが応える。
ファーピーはファミチキを震える手に取ると、そのまま這って柵まで移動し、ぐったりとよりかかるようにして座った。
「ご主人様、わたしはここでファミチキを食べてるので、あとは自力で頑張ってください」
「なんだと!?役立たずのボロ雑巾め!」
「さあ、観念して本を返せ!」
「いやだね!バンパイアがいようがなんだろうが、マイキーはマイキー!腰抜け野郎のマイキーだ!これを見ろ!!」
ジャックは左腕を星空に向かってつき上げる!月の光を背に、肘から先が異様に大きい、いびつなシルエットが浮かび上がる!
彼は勢い良く腕を振り下ろし、同時にけたたましい駆動音が鳴り響いた!恐るべく悪魔的光景!チェーソーだ!!彼の左腕は無骨なチェンソーへと置き換わっていた!
「バラバラにしてやる!!」
ジャックが駆け出した!左腕を横に真っ直ぐに伸ばし、そのままマイキーの首を狙う!
マイキーは危ういところで頭を下げて回避!
勢い余ったジャックは、マイキーを少し通り過ぎ、その場で180度ターンしながら、チェンソーを地面に叩きつける!高速回転する鋼の刃がコンクリートに激しくぶつかり、けたたましい音を立てる。
ジャックは再び腕を持ち上げ、チェンソーをでたらめに振り回しながらマイキーに迫る。
マイキーは徐々に後退、ついにフェンスに追い詰められる!
「飛び降りて死ぬか、切られて死ぬか、好きな方を選べ!!」
「いやだ!!」
「ならば、このジャック・ジャッカルランドさまが選んでやる!」
ジャックはチェンソーを振り上げる!
「バラバラになって、落っこちろ!!」
唸り声を上げる鋼鉄の刃が、マイキーの頭上に振り下ろされる!!
そのときである!ガキン!!チェンソーの刃がマイキーに届く直前!その間に割って入ってのは無敵の三叉槍!トライデンタルに弾かれたチェンソーは跳ね返り、ジャックは体制を崩して、後ろにのけぞった!
「くたばれ、クソッタレ!!」
マイキーのケリがその腹にキマる!!
「のわーっ!」
ジャックは地面に仰向けに倒れた!チェンソーはコンクリートを削り飛ばし、一瞬の後駆動を停止した。
「ふざけやがって…」
なおも立ち上がろうとするジャックだったが、その腹をバニラに踏みつけられ、ついに諦め、力なく大の字に広がった。
「本を出せ」
ジャックは懐から本を取り出した。
「へへっ…」
ジャックの口元が歪む。
「なにを…」
困惑するマイキーを他所に、ジャックは本を投げた。本はフェンスを飛び越え、バラバラになったページが、風に待ってどこかへ飛んでいった。
マイキーは慌てて、フェンスに駆け寄って、手を伸ばしたが、すでに時遅く、虚しく宙をかいただけだった。
朝のホームルーム。バスター先生がいつものように名簿を読み上げていく。ミザリー・アルツハイマーは今日は学校に来ているようだ(といっても保健室にいるだけだが)。
「今日は、みんなに3つお知らせがある」
出席を取り終えるとバスター先生が言った。
「まず、先日の事故で怪我をしたジャック・ジャッカルランドだが、回復して今日からまた一緒に授業が受けられるようになった。左腕がチェンソーになってるけど、いままで通り仲良くしてやってくれ」
教室中の視線がジャックに集まる。ジャックは得意げな顔で左腕を頭上にかかげてクルクルと振り回した。
「うるさいので授業中は起動しないように」
「わかりましたよ、先生」
ジャックはニヤニヤしながら答えた。
「つぎに、転校生を紹介しよう。どうぞ」
教室の扉が開き、女の子がはいってくる。
女の子は黒板の前に立ち、ニコニコしながら会釈した。
「バニラ・マックイーンだ。マイキーの親戚で、彼の家にしばらく居候しているそうだ。引っ越してきたばかりでわからないことも多いだろう。みんな、彼女にいろいろと教えてやってくれ」
マイキーがグリーン先生に頼んだ2つめのお願い、それはバニラに正式な入学手続きをさせることだった。
いままで教室の一番後ろだったマイキーの机の後ろに新しく席が用意され、そこにバニラは座った。
バニラはニコニコしながら小さく「ありがと」と言った。
「それからもうひとつ」
バスター先生はいつも持ち歩いているファイルからなにやらプリントを取り出しながら話し始めた。
「新しく校則が追加されることになった。詳しくはこのプリントに目を通してくれ、ちゃんと守ってくれよ」
教室中にプリントが回され、マイキーもそれを受け取った。
プリントにはこう書かれていた。
『クラスメイトを食べないこと!』
『PART1:ヴァンプ・オブ・ファミチキ』fin
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