PART2:マスト・エンディング・ストーリー

バンッ!バレーボールが爆発する!ベネディクトミドルスクールの昼休みの体育館では連日暇を持て余したジョックたちがドッヂボールに興じていた(怪我をしないように柔らかいバレーボールを使用している)。試合は終盤に差し掛かり、コートに残っているのはそれぞれのチームにひとりずつのみ!どちらかがアウトになれば試合は終了である。東のコートで暴れまわっているのは悪名高きジャック・ジャッカルランド!彼は身軽な方ではないが、飛んできたボールを軒並み左腕のチェンソーで叩き割ってしまうので、アウトにならないのだ!

対する相手はひとつうえの2年生、カルロス・ナッツバーン!筋肉質で、それでいてスラッとした肉体を持つ美男子で、学校1の人気者!コートの外では、生まれてこのかたマカロンしか食べずに生きてきたような、ふわふわ脳ミソのガールズが、学年を問わず集まって、カルロスの一挙一動に甲高い超音波めいた悲鳴を上げている。

「おい、ボールもう残ってないぜ」

「はなしになんねえな、教室戻ってたまごっちやろうぜ!」

外野の選手たちはあまりにもめちゃくちゃなジャックのチェンソー攻撃に呆れ果てひとり、またひとりと体育館を去っていった。

「どうやら、勝負はお預けみたいだな」

カルロスが肩をすくめて見せた。ふわふわガールズが超音波を発し、ジャックは耳鳴りに襲われて怯んだ。その瞬間に、彼の後頭部を背後から飛んできたバレーボールが直撃した。

「ボールまだ残ってたぜ」

帰り際の外野選手が倉庫の奥から持ってきたホコリまみれのボールをぶつけたのだ。

ジャックの顔はみるみる赤く染まっていき、頭から湯気が立ち上った。

「ぶっ殺す!」

ジャックはチェンソーを振り上げた!

体育館に不幸な外野選手の断末魔が響き渡った。


体育館から悲痛な絶叫が聴こえてくる。

マイキーは、またジャックか程度にしか思わず、気にも留めない。毎日こうなのだから慣れたものである。ニコニコ顔のバニラが骨を咥えて走ってきた。マイキーはその骨(元ジャック・ジャッカルランドの左腕)を受け取って、勢いをつけて放り投げる。バニラは放物線を描いて飛んでゆく骨を目掛けて一直線に走っていき、ジャンプして骨を口でキャッチし、そのまま咥えてマイキーの元に戻ってきた。バニラがベネディクトミドルスクールに正式に入学して以来、昼休みは体育館の裏でこの遊びを繰り返すのが日課になっていた。マイキーは骨を受け取り、再び投げようと振りかぶったが、勢い余ってスッポ抜け、骨は斜め後方に飛んでいき、そのまま体育館の上の方についた窓から中へと入っていってしまった。体育館からジャックの「いたっ!」という悲鳴が聞こえ、チェンソーの駆動音が鳴り響いた。ふたりは顔を見合わせる。

「バニラ、とってきてよ」

「やだ」

次の瞬間、体育館の壁からチェンソーの刃が飛び出した!

後ずさるマイキーの目の前で、壁は丸く切り抜かれ、人ひとりが通れるほどの穴が開く!

「マイキー・マックイーン!!」

顔を真っ赤にして、額に筋を浮かび上がらせたジャック・ジャッカルランドが、壁の向こうから手を伸ばし、マイキーのシャツを掴んで、引き寄せた。

「あの骨は、お前の仕業だな!それに…」

ジャックは、唸り声を上げるチェンソーで体育館の床に落ちた骨を指す。

「あれは、おれさまの腕じゃないのか!」

「あ、はは、ごめんよ、きみの腕をおもちゃにしたことは謝るよ…」

マイキーは目を合わせないように顔を背けながら言った。視界の隅にボケーっと突っ立ってふたりの様子を眺めているバニラが映る。

「ヘルプミー!」

マイキーは小さい声で助けを求めた。

バニラは、さっとポケットに手を入れ、キーホルダーサイズに縮んでいるトライデンタルを取り出し、展開しようと振り下ろしたが、手が滑り、無敵の三叉槍は何処かへと飛んでいってしまった。

「おれの目を見ろ!」

ジャックの怒鳴り声に反射的に振り返ってしまったマイキーの頭を目掛けて、チェンソーの胴体部分が飛んでくる!

ガツン!

それで、おしまいだった。

裁きの鉄槌(今回は本当に鉄の塊)はマイキーの側頭部に叩き付けられた。


マイキーは保健室のベッドで目を覚ます。以前に来た時に見た血に染まった保健室の姿が脳裏をよぎり、鳥肌が立つ。翌日には、綺麗に片付いており、清潔そのものの様相を取り戻していたのだが、間違いなく同じ部屋であるのは事実だった。表向きは優しいが、恐ろしいマッドドクターの本性を持つ保健医のグリーン先生は、今は不在のようだった。

ベッドからはカーテンに阻まれて時計は見えないが、窓の外はまだ明るく、倒れてからそれほど時間は経っていないようだった。

「あなた、マイキーね」

殴られた頭がズキズキと痛み、マイキーがもうひと眠りしようと思ったその時、隣の締め切られていたカーテンが少し開き、中から弱々しい声が聞こえてきた。

「だれ?」

「わたしよ、クラスメイトの」

「わるいけど、ほんとにわからないよ」

カーテンの向こうの声は小さく笑った。

「しかたないわね、教室に行ったことないし」

「ちょっと待った、ミザリー・アルツハイマー?」

声は少し驚いた様子だったが、また笑いだした。

「そうよ。さすが運命の人だわ」

「運命の… なに?」

マイキーは、頭の痛みに顔をしかめた。

「気にしないで」

カーテンの向こうで何やら動く音が聴こえたと思うと、カーテンがもう少しだけ開いて、中から女の子が顔を出した。

短い黒髪で、顔色は青ざめているが、整った顔立ちだった。

「わたし、本が好きなの。いつもここで読んでるのよ」

そう言って、ミザリーは1冊の本を差し出してきた。マイキーはなかば上の空で受け取った。動いたせいなのかミザリーは激しく咳き込みはじめた。

「その本、わたしのお気に入りなの。貸してあげるわ。もし、よかったら読んでみて」

ミザリーはカーテンを完全に締め切った。

マイキーは、頭痛があまりにも酷く、それどころではなかったので、受け取った本はタイトルを読むことすらせずにベッドサイドに置いて、そのまま布団に潜り込んだ。

しばらく、隣からミザリーが苦しそうに咳き込み音が聞こえていたが、眠ったのか、やがて静かになった。

そのままマイキーも下校まで眠っていた。


放課後の教室。窓から差し込む夕日が、黒板に書かれた"補習"の2文字を照らしている。机に突っ伏して鉛筆を食べているのはバニラ。正式に生徒として入学したからには、当然普通に授業も受けるし、テストだって受ける。そして、赤点を取れば補習が待っているのだ。バニラは時計をチラッと見て、ため息をつき、本日3本目の鉛筆に手を伸ばしボリボリと食べ始めた。

そもそも文化も論理感も全く異なるドラキュランドから来たバニラには地球の学問などチンプンカンプンであり、はじめは文字すら読めなかった。数字と最低限のアルファベットはマイキーに教わっていたが、文章を読めたところでどうこうなる話ではない。

補習監督をしている担任教師のバスター先生は、そんなバニラには目もくれず、教卓に肘をついてコミックブックを読みながら、時々笑い声をあげていた。バスター先生の生徒に対する興味の無さは有名で、午後のプール授業のあとで疲れ切り、クラスメイト全員が眠ってしまったときも、チャイムがなるまで、何事もないかのように授業を続けており、授業終わりの「起立、礼」の掛け声に対し、唯一かろうじて意識を保っていたエイプリル・キャッスルがついに眠りに落ち、机に頭をぶつけた以外の反応が一切なかったのにも関わらず、平然と教室をあとにしたことすらあった。その他、授業中に貸した消しゴムの角を使われてブチ切れたジャックが(そもそもあのジャック・ジャッカルランドが他人に消しゴムを貸すような真似をしたのは理解に苦しむが)、相手を殴り、殴られた相手が泡を吹いて床に倒れたのを気にも止めずに板書を続けていただとか、とりとめのない世間話を載せた、ノートのページ製紙飛行機が教室中を飛び交い、軌道をそれた一機がバスター先生の後頭部に直撃したにも関わらず、振り返りすらしなかったり(バスター先生の後頭部にはその日中、紙飛行機が突き刺さったままだった)など、例を上げればきりがない。そんなバスター先生が、突然教室に入ってきた男に気が付かなかったのも当然だった。

「となり、いいかな?」

男に声をかけられて、バニラは顔を上げた。

「いいけど」

バニラが消しゴムを食べながら答えた。

「見ない顔だな、転校生か?」

男はバニラの隣の席に座ると、教科書も出さずに話し出した。

「うん」

「数学が苦手なのか?」

男は、バニラの机の上に広げられた数学のテキストを見ていった。

「ううん」

バニラは机の横に置かれたかばんから大量のテキストを引っ張り出して、ドスンと机の上に載せた。

「ぜーんぶ、苦手なの」

男はそれを見て笑いだした。

「ぼくが教えてあげるよ」

「ほんと?」

バニラは目をキラキラさせた。

「もちろん」

男は親指でバスター先生を指した。バスター先生はコミックのページをめくると、ふふっと笑い声を上げた。

「先生があの様子じゃ、いつまで経っても終わらないだろ?」

バニラは真っ白なノートをパラパラとめくってみせた。

「はじまってすらいないの」

ふたりは声を上げて笑った。

「ぼくは、カルロス・ナッツバーンだ。きみは?」

「バニラ!バニラ・マックイーン」

「バニラ、よろしく」

「うん!」

バニラはにっこり笑った。


「絶対おかしいよ!」

その日の夜、マイキーとバニラはスコップを担いでひとけの無い通りを歩いていた。とある"計画"のためである。

「でも、カルロスはいい人間だよ。マイキー、ばにら算数できるようになったんだから!」

「へえ、そう。じゃあ、2×3はわかる?」

「5!」

バニラは得意げに答えた。

「すごいや、アインシュタイン並だよ」

マイキーは石を蹴っ飛ばした。

「だいたいなんで2年生のカルロス・ナッツバーンが1年生の補習教室にいるんだ?それにあいつは学校一の天才だし、その"カルロスさま"がわざわざ顔を出すなんて、ひやかしに来たとしか思えないね、バニラがかわいかったから声をかけたんだよ、ただのナンパ野郎さ」

バニラが立ち止まったのでマイキーは振り返った。

「ばにらカワイイ?」

「え?まあ… うん」

間。バニラはただニコニコするだけで、何も答えない。

「なんだよ!さっさと行くぞ!」

ふたりはそれからしばらく黙って歩いた。

やがて、無骨な塀と門が見えてくる。町で最大の規模を誇るダークスコア墓地だ。ふたりはここに"住んでいる"ある人物に会いに来たのだ。マイキーは門を押して開かないことを確認すると、バニラに視線を送った。バニラは頷き、マイキーの前に出て、やすやすと門を蹴破った。マイキーはスコップを塀に立てかけ、リュックをおろして"本"を取り出した。何も書かれていない黒い革の表紙を持つ本だ。


ジャックが屋上から投げ捨てた本がバラバラになり、風に飛ばされていったあの日、マイキーとバニラは屋上にジャックを残したまま校舎から出た。ふたりは家に向かって歩き始めてすぐに、外灯の明かりの中に黒い塊を見つけた。それは"本"だった。ページは風に飛ばされたが、重い表紙は近くに落ちたようだった。ページは10枚しか残っていなかったが、時々木の枝や、道に停めてある車などに引っかかったページを見つけ、家につく頃には30ページほどの量になっていた。

内容は飛び飛びで、バンパイアの呪文のページ、前後のページが抜けていて用途不明の魔法陣と呪文の羅列などで、その殆どは役に立ちそうにはなかったが、唯一表紙に残っていた10枚は内容がつながっていた。その内容に目を通したマイキーは決心した。

この"本"は何なのか、そして、ページを野放しにしていると何が起こるのか。それを知っている人物はひとりしかいない。いや、正確にはひとりもいなかったのだが。


マイキーは息をつき、土にまみれたスコップを地面に放った。目の前にはポッカリと穴が空いている。ふたりは穴の縁に膝を付き、古びた棺をひっぱり出した。マイキーは"本"を開く。そこに書かれているのは『死者蘇生』の文字。本のことを知っている人間はひとりしかいない。そう、マイキーのひいおばあちゃん、ドローレスだ。マイキーはリュックからペットボトルに入った液体を取り出した。これは、ドクターペッパーとウォッカを一定の割合で調合したエリクサーである。本には聖水とウォッカを混ぜ合わせるようにと指示がされているが、近代魔術では、聖水の代用品としてドクターペッパーを使うのが基本である。これはとある魔術士のTwitterユーザーが旧世紀の聖水を入手し、成分の分析をしたところ、98.75%がドクターペッパーと一致、そのうえ、残りの1.25%は聖水に含まれる不純物であるため、ドクターペッパーのほうがより純度が高く、常日頃からドクターペッパーを飲んでいる人間には一部の初級〜中級黒魔術は一切通用しなくなるほどの効果を持っていると判明したとツイートしたことに由来する。

マイキーは棺の上にペットボトルの中身をかけ始めた。死者蘇生をするにあたって、初心者がおかしがちなミスは棺を開けてしまうことである。棺の中には肉体とともに、僅かではあるが魂の残留物が閉じ込められており、この残留物こそが重要になるのだ。死んでから長い時を経て肉体が崩れていると、棺を開けることでいともたやすく空気中の有象無象の魂のカケラと混ざり合い、二度と蘇生はできなくなってしまう。エリクサーをかけられた棺は、淡い金色の輝きを放ちはじめた。徐々に光が強くなっていく!

その時、突然突風が吹き荒れ、1枚の紙が飛んできて、マイキーの顔に張り付いた。

マイキーは一瞬息ができなくなり、慌てて紙を剥がし取った。その紙の手触りには覚えがあった。"本"のページである。紙の端に目を移し、ページ数を確認して本に挟み込んだ。それは、『死者蘇生』の最後の1枚である。マイキーは、内容に区切りがついていたため、『死者蘇生』のページはすべて揃っていたものと考えていたが、まだ続きがあったのだ。

「たいへんだ…!」

マイキーはまだすこし中身が残っているペットボトルを足元に落とすと、目を血走らせて文字を指でなぞりながらページを読みはじめた。

「…死者蘇生には、朽ちた身体の代わりとなる魂の入れ物が必要、だって!?」

マイキーとバニラは顔を見合わせた。すでに、棺から放たれる光であたりは眩しく輝いており、いまから入れ物を用意することなど不可能だった。

ふと、光が消えた。

「やらかした…」

マイキーはがっくりと肩を落としてうつむいた。頭の中でひいおばあちゃんの声が聞こえた。

「なにやってんだい!まったく、あんたはバカだねえ!」

いや、頭の中ではない。耳元で聴こえるのだ。耳障りな、ブーンという音とともに目の前を小さい黒い影が素早く横切ったかと思うと、ぐるぐると頭の周りをまわりはじめた。

「"本"はほんとに困ったときにしか使っちゃいけないと言っただろうに!それもよりによって、禁断中の禁断たる"死者蘇生"に手を出すなんて!叩き起こされる方の身にもなって欲しいね!それに、こんな姿で!!」

黒い影はマイキーの目の前でピタッと止まった。まるまると肥ったハエがふらふらと漂っていた。

「もしかして、…ひいおばあちゃん?」

マイキーは恐る恐るたずねた。

「そうだよ!自分のひいおばあちゃんの顔も忘れたのかい?まったくダメな男だねえ、誰に似たんだか」

「だって、前は目は複眼じゃなかったし、触覚だって生えてなかったから」

「誰のせいだと思ってるんだい!よりによってハエを入れ物に選ぶなんて!どうせならゴリラとか、ライオンとかかっこいいのにしてくれればよかったのに」

「次はそうするよ」

ハエ…ドローレスひいおばあちゃんは、マイキーの前から離れ、少し距離を置いてバニラの周りを飛び始めた。

「それに、これはバンパイアじゃないか」

「"これ"じゃなくて、" バニラ"だよ」

バニラは不満げに答えたが、ドローレスは答えを聞く前に飛び去って、再びマイキーのまわりを飛び始めた。

「さて、マイキー。わたしが眠ってる間に何があったのか聞かせてもらおうか」

それから3人(2人と1匹というべきだろうか)は、話をしながら家に向かって歩き始めた。

「それじゃあ、いま本のページはどこの誰が持ってるともわからないってのかい!?」

一通り話終わるなりドローレスが怒鳴り声を上げた。

「うん、まずいよね」

マイキーは申し訳なさげに答えながら、静かに玄関を開ける。

「まずいなんてもんじゃないよ!ジャッカルランドの坊主のときは運が良かっただけさ!悪意を持った人間があれを拾ったら… いや、それだけじゃない、たとえ善意であったとしても、大変な事になりかねないんだよ!」

「ひいおばあちゃん、静かにして!みんなが起きてきちゃうだろ!」

マイキーはドローレスを黙らせようとしたが遅かった。

「おい、マイキー… 誰と話してるんだ?うるさいだろ」

「お兄ちゃん!!あー!」

マイキーの兄、ブランドが寝癖で爆発した頭を掻きながら階段を降りてきた。

「大丈夫だから、部屋に戻ってよ!」

マイキーは2階へブランドを押し戻そうとしたが、マイキーより3つ歳上で、背も高くガタイのいいブランドはびくともしなかった。

「あ、おい、おまえ…」

ブランドの目はマイキーの背後、玄関を見ていた。それからマイキーに向き直り、口元に、ニヤリとした、からかっているような喜んでいるような表情を浮かべた。

「おまえも隅に置けないな!カワイイこじゃないか、名前は?」

「は?え?」

マイキーは困惑しながら玄関を振り返った。スコップを担いだバニラがニコニコしながら立っていた。

「バニラ!ああ、もう…」

マイキーはブランドの方に向き直った。

「違うんだよ、バニラはそういうんじゃなくて…」

「はは、いいって、いいって、おれはわかってるからよ、なんたってアニキだからな!」

ブランドはマイキーの肩をドンと叩き、今度はバニラの方を見た。

「バニラちゃん?おれは、こいつのアニキのブランドだ。よろしくな!マイキーはちょっとヘタレだけど、悪いやつじゃないんだ、まあ、面倒見てやってくれよ!」

「わかった!」

バニラはニコニコ顔で応えた。

「それじゃあ、邪魔者は失礼するよ」

そう言うとブランドは階段を駆け上がっていった。部屋の前で一度振り返ってニヤニヤしながら「楽しめよ!」と言い残してドアの向こうに消えていった。

「アニキのことは気にしないで」

バニラはポカーンとした顔でその様子を眺めていたが、マイキーに言われると、スコップを外に投げ捨てて家に上がった。

ふたりはそれぞれの部屋に戻ってベッドに入った。ドローレスはどこかへいなくなっていたが、朝になればまた出てくるだろう。疲れ果てたふたりはあっという間に眠りに落ちた。このとき、重大なミスをおかしていたことには誰も気づいていなかった。


翌朝、教室は葬式めいた暗い雰囲気に包まれていた。教室に入ってくるなりバスター先生が宣言したのだ。

「ゲリラテストを行う!!」

ゲリラテスト… それは、ベネディクトミドルスクールで長きにわたって生徒の精神状態を蝕んできた暗黒のテスト。生徒に、常に緊張感を持って勉強に取り組んでもらうためにと、長期休み明けの登校初日や、定期テストを終えて油断しているときを狙ったり、はたまたなんの脈略もなく唐突に行われることもある抜き打ちテストである。

バスター先生は教室をまわって、ひとりひとりにテスト用紙を渡していった。

「ん?」

バスター先生が立ち止まった。

「ミザリー・アルツハイマー、今度は本物だろうな」

机にうずくまっていたミザリーが、青白い顔を上げた。

「本物ですけど…?」

バスター先生は特にリアクションを返すこともなく用紙を渡し、やがて、全員に用紙が行き渡った。

「はじめ!」

ケツポケットから引っ張り出したコミックブックを開いたバスター先生は、手元に目を落としたまま号令を放った。

「…ひいおばあちゃん!」

マイキーはまわりに聞こえないように小さい声で呼びかけた。ドローレスが机の中から飛び出して、マイキーの耳にとまった。

「ひいおばあちゃん、エイプリルの答案を見てきてよ。ほら、あの真ん中の女の子だ、金髪の。わかる?」

「マイキー!あんた、まさか、カンニングするために私を蘇らせてハエにしたんじゃないだろうね!」

ドローレスはマイキーの耳元でブンブンと羽音を立てて飛び回った。

「違うよ、あれは事故だって説明したろ?せっかくその姿が役に立つチャンスなんだよ。"転んでもただでは起きない"、マックイーン家の家訓だろ?」

「適当なこと言うんじゃないよ!そんな家訓、生まれてから死ぬまで一度も聞いたことないね!」

「誰だ、喋ってるのは。静かに…」

マイキーの話し声に気づいたバスター先生が、コミックブックから目を離さないままで注意しようと口を開いたそのとき、突然、教室の何処かで椅子が倒れるガシャンという音が鳴り響いた。

「なんだ、誰か倒れたか?」

バスター先生は一瞬だけ音がした方に目を移したが、またすぐ手元の本に向き直った。

「やっぱり、ミザリーか。さっき喋ってたのは誰だ?ミザリーを保健室に連れて行ってあげなさい」

マイキーはすこし迷ったが、席を立ち、椅子ごと床に倒れて苦しそうに呼吸をしているミザリーを助け起こした。テストを中断すれば補習は免れないが、どうせバニラも補習を受けることになるだろうし、一緒に受ければカルロス・ナッツバーンに会って、直接話が聞けるかもしれない。

マイキーはミザリーと肩を組んで連れて行こうとしたが、ミザリーはほとんど気を失いかけていたので引きずるようにして行かなければならなかった。

「グリーン先生!」

保健室の前までつくとマイキーは叫んだ。ミザリーを支えるので両手を使っていたので、扉が開けられなかったのだ。すぐにドタバタと足音がして、扉が開いた。グリーン先生は慌ててミザリーを抱きかかえ、そのままベッドまで運んでいった。

「めずらしく教室に来てると思ったら、急に倒れてしまったんです」

マイキーは息を整えてから言った。

「わかったわ。いま、授業中でしょう?戻っていいわよ」

グリーン先生はミザリーの額に手を当てて熱を測りながらマイキーに言った。マイキーは頷いて保健室の扉を閉めようとした。

「行かないで」

ミザリーがか細い声て言った。グリーン先生が、扉を閉め切る直前の姿勢で固まったマイキーを見る。

「わかったよ。どうせ、テストは赤点だし」

マイキーはミザリーのベッドの横にパイプ椅子を置いて、そこに座った。

「大丈夫?」

「ええ、いつも通りよ」

「きみの"いつも通り"は、全然大丈夫じゃないと思うんだけどな。それなのに、どうして今日に限って教室に?」

「あなたが来たから、ここから出られるはずだったのよ」

ミザリーは視線を逸らした。その目はベッドサイドに置かれた1冊のノートに向けられていた。

「魔法でもできないことはあるのよ、寿命を伸ばしたりとかね」

(そんなことないよ、魔法を使えば死者だって蘇らせることができるんだ)

マイキーは、思わず口をついて飛び出しそうになった言葉を飲み込んで、ただ黙ってミザリーの横顔を見つめていた。

ミザリーは振り返り、すこしだけマイキーの顔を見つめると布団に潜り込んだ。

「あとは任せて」

ミザリーが眠ったのに気づいたグリーン先生がマイキーに声をかけた。

マイキーは音を立てないようにそっとパイプ椅子をたつと、保健室をあとにした。

マイキーを見つめるミザリーの目は熱っぽくすこし潤んでいて、どこか寂しげだった。


終業をつげるチャイムが鳴り響く。帰宅の準備をしていたクラスメイトたちが教室に集められた。

「これから、テストを返却する!」

教室がざわつくなか、バスター先生が全員に用紙を返却していく。教室のあちこちから結果を目の当たりにしたクラスメイトの悲鳴が上がる!泣き出す者!絶叫しとなりのクラスメイトを突き飛ばす者!泡を吹いて失神する者!穏やかな帰宅ムードに包まれていた教室は、あっという間に地獄へと変わる!ジャックは用紙を受け取るなり机に叩きつけ、チェンソーで机ごと真っ二つに切り裂いた!

「ちょいと酷すぎるんじゃねえのか、先生よお!!」

ジャックがチェンソーをバスター先生につきつけ、怒鳴る!それを皮切りに、教室中から次々に抗議の声が上がった!

「静粛に!静粛に!」

バスター先生の声は、もはや誰の耳にも届かない!それに気づいた先生は、教卓を持ち上げ、窓から外へ投げ捨てた!凄まじい破壊音!一瞬にして教室が静まり返る!

「諸君の言うとおりだ。今回のテストはこちらの不手際により、こちらで用意したものと間違えて、ハーバード大学の入学試験問題を配布してしまっていた。そのため、普段なら80点未満の者は補習としていたが、今回は20点未満とする。20点以上取れた者は、合格、帰宅してよし!」

バスター先生の説明が終わるなり、教室中から歓声が上がった!一変してお祭りムード、どこかでクラッカーが炸裂し、紙吹雪が部屋を舞う!エイプリル・キャッスルがファンクラブに捕まり、教室の真ん中で胴上げされ、ジャックはチェンソーで壁をぶち抜き、そのまま廊下を走っていって見えなくなった!バスター先生は生徒の拍手喝采の中、教室をあとにした。

やがて、教室からほとんど人がいなくなると、マイキーはバニラに声をかけた。

「バニラ、また補習だろ?実はぼくもなんだよ」

「え?」

バニラは口を開いたポカーンとした顔で振り返った。

「そんな驚くなよ。ほら、テスト中にミザリーが倒れたりしていろいろあっただろ?」

「マイキーのことじゃなくて。ばにら、補習じゃないよ」

「え?」

今度はマイキーが口を開ける番だった。そのとき、教室の扉が開き、背の高い男がふたりの方に歩いてきた。

「カルロス!」

バニラは満面の笑顔でカルロスに抱きついた。

「バニラ、聞いたよ。ゲリラテストがあったんだってな。どうだった?」

「じゃーん!合格!」

バニラは答案用紙を高々と掲げる。赤ペンで走り書きされている"20点"。合格点だ。

「20点で合格?」

カルロスは首を傾げた。

「これ、はーばーどのテストなんだって」

「そいつはすごいや!お祝いしなきゃな」

「ありがと!カルロスのおかげだよ」

ふたりはマイキーには目もくれず、まるで宝くじの1等を当てたとでと言わんばかりのはしゃぎっぷりで教室をあとにした。

「あの…」

マイキーは控えめな声に振り返った。

「ぼく、補習なんだけど、一緒に行かない?」

ミスタークソッタレ、ロスター・ノーウェアがうすら笑いを浮かべながら突っ立っていた。マイキーは大きくため息をついた。


「どけどけ!ジャック様のお通りだぞ!」

我先にと帰宅しようと争う人々でごった返す放課後の玄関。ジャックが左腕を振り上げ、チェンソーの駆動音を鳴り響かせると、さっと人がはける。ジャックは、満足げな顔でわざとゆっくり歩いてロッカーまで行った。キーキー音を鳴らしながら錆びついたロッカーを開けると同時に、ジャックの足元に何かが落ちた。

ジャックは怪訝そうな表情を浮かべながら、それを拾い上げる。それは手紙だった。ピンク色でラメの入ったハートのシールで封がされている。

ジャックは首を傾げながら、封を開け、便箋を取り出して読み始めた。

『親愛なるジャック・ジャッカルランドへ。あなたにお話したいことがあります。放課後、ダークスコア墓地で待っています。エイプリル・キャッスルより』

「墓地で告白?」

ジャックは読み終わった手紙をポケットに突っ込んだ。

「いいセンスじゃねえか!」


学校から墓地まではそれほど時間はかからなかった。入り口の門はなぜか鍵が壊れており、開いていた(ジャックにはバニラが蹴破ったことなど知る由もない)ので、すんなりと中にはいることができた。

「ご主人様、墓場に呼び出しなんて絶対おかしいですよ… それとも、地球では愛の告白を墓場でするという文化があるのですか?そういえば、結婚は人生の墓場みたいなことを聞いたことが…」

「うるさいぞ、ファーピー!」

薄暗い夕日に照らされた墓地は不気味な雰囲気に包まれていたが、ジャック・ジャッカルランドの感性はそこまで繊細ではなく、調子の外れた鼻歌を歌いながら、洋々と歩いている。その少し後ろをついて歩くのは痩せこけたバンパイアのファーピー・グレイマウス。彼女は手違いでジャックに召喚されて以来は、専属の家庭教師という名目でジャッカルランド家に居候している。ジャッカルランド家は、キャッスル家、ノーウェア家ほどではないものの、父親が銀鉱山の管理会社の社長であるために、かなり裕福な家庭であるといえるだろう。金のことしか興味のない父親は、ファーピーのことも深く詮索はしなかった。ジャックの左腕についても、「夜はうるさくするなよ」と注意したのみ。もっとも、チェンソーについては、父親自身、鉱山の事故で大怪我を負ったために、全身の9割以上が獅子王ガイめいた金色のサイボーグと化していたというのもあるだろう。

ふたりが、小さな古ぼけた墓石のそばを通りかがったとき、その脇の茂みからガサガサという葉の揺れる音が聴こえてきて、ファーピーは飛び上がった。

「や、やっぱり帰りましょうよ!ヤバいですって、きっと呪い的なやつですよ!」

彼女はジャックの手を掴むと、無理やり引き戻そうとしたが、あっさり振り払われてしまった。

「蝋燭とチキンで召喚されたオカルトの権化みたいなやつが、呪いだなんだとごちゃごちゃ抜かすな!」

「で、でも、あれ、あれは…!」

ファーピーはいつも以上に青ざめた顔で、ジャックの背後を指差した。

「なんだと…?」

ジャックは、振り向きざまにチェンソーを駆動させ、勢い良く薙ぎ払った!

「ぎゃあああ!」

鋭い悲鳴とともに、血しぶきが飛び散る!小さな子供がハロウィンにする仮装のような、白いシーツ(今は血で真っ赤に染まっている)を被った人物が、絶叫しながら地面をのたうちまわっている!ジャックは、躊躇することもなく、その人物のそばにかがみ、シーツを剥がして投げ捨てた。

「おまえは… そうかわかったぞ!」

ジャックは、ちぎれた腕を抑えながらうずくまっている男の顔に見覚えがあった。昼休みに、体育館でドッヂボールをしていた男だ。ほとんど話したこともなく、名前も知らないが、いつもカルロス・ナッツバーンのチームに入っていたので、おそらくはカルロスと同じ2年生。ジャックは勝ち誇ったように笑みを浮かべながら、男の脇に立って見下ろした。

「おまえだな、あの手紙で呼び出したのは!一体何のつもりだ?答えろ!答えないと殺すぞ!」

ジャックは、チェンソーを男の左胸につきつける!男は後ずさり、呻くような声で話し始めた。

「ドッヂボールだけが、おれの唯一の楽しみだったのにめちゃくちゃにしやがって!ちょっと脅かして、二度とゲームに参加できないようにしてやろうと思ったんだよ!」

「間抜けな奴め!もっとマシな手があっただろうが!」

ジャックはチェンソーを駆動させる!

「ま、まってくれ!!言うとおりに話したじゃないか!!答えたんだから、殺さないでくれ!!」

男は恐怖に目を見開く!

「"答えたら、殺さない"なんて言ってないぞ!」

「やめろおおお!!あぎゃあああ!」

ジャックのチェンソーが男の左胸を貫通した!血しぶきが飛び散り、そばにあったあの小さな墓石を血に染める!

「ん?」

満足げな表情で、チェンソーを振り払ったジャックのかかとが何かを蹴飛ばした。

「なんだこれは?」

「これはペットボトルです」

ファーピーが答える。

「そんなことはわかってるわ、ばか!!」

それはジャックにとっては見覚えのないペットボトルだった。開けっ放しになった口から液体を零しながら、そのままコロコロと転がっていき、あの墓石にぶつかった。墓石の根本に液体が注いだそのとき!墓石の前の地面から金色の輝きが漏れ出し、それが徐々に強くなっていく!そう、このペットボトルはマイキーが地面に落としたまま放っておいたドクターペッパーエリクサーだ!ジャックは強い光に後ずさる!その光が墓石に刻まれた恐るべき名前を浮かび上がらせた!

"ジャック・ザ・リッパー"

倒れていたドッヂボール男が勢い良く立ち上がり、地獄のそこから響くようなしわがれ声で名乗りあげた!

「おれさまは、ジャック・ザ・リッパーだ!!」

突然の出来事に混乱して、固まっていたジャック(切り裂きジャックではなく、ジャッカルランドの方)は、その名前を聞いた瞬間に、ニヤリと口を歪めた。

「おまえが、あのジャック・ザ・リッパーか!会えて光栄だよ。おれはジャック・ジャッカルランドだ」

「違う!おれさまがジャックだ!」

「そうじゃない!!おれもおまえも、ジャックなんだよ!!このうすのろめ!紛らわしいから、たった今からおまえの名前は"リッパー"だ!いいな、リッパー」

「リッパー!いい名前だ。どうやって思いついたんだ?」

「自分で名乗ったんだろうが!ジャック・ザ・"リッパー"!」

「なるほど!」

リッパーは真面目な顔でうなずいた。

「おまえって、かしこいなあ!ほんと、アインシュタイン並だよ。気に入った!友達になってやろう!」

そういって、リッパーは握手するために右腕を差し出そうとしたが、その肘から先はちぎれて地面に落ちていた。

「おまえには、新しい腕が必要なようだな。ついてこい!」

ジャックはふたりの前に立って歩き始めた。

「けがをしたら、保健室に行かなきゃな!」


「…いや、しかし、あのゴーレムがまだ動いてたとはねえ!それよりも、ずっと気になってたんだが…」

「ん…?」

マイキーは、耳元で飛び回るドローレスの声で目を覚ました。

「あんた、寝てたのかい!」

「ん… ああ、こんな状態で寝てないほうがおかしいよ」

自習教室には、マイキーとロスターのふたりだけ、ロスターも随分前に眠りに落ちて机に突っ伏しており、手に持ったままの鉛筆がノートの上にめちゃくちゃな線を描いていた。補習監督のバスター先生は相変わらずで、ふたりが眠っても気にかけず、コミックブックを読んでいた。

「それより、マイキー!大変なんだよ!この学校に来てからずっとへんな気配を感じてたんだが、ゴーレムを見て確信したね。こりゃ、ハエの第六感だよ」

「第六感?」

マイキーは目をこすりながら聞き返した。ドローレスは興奮した様子で頭の周りを激しく飛び回っていた。

「そうさ、ハエはお見通しなのさ!誰かが魔法を使っているとね、こう、触覚のあたりが痒くなるというか… とにかく、この学校に魔法を使ってるやつがいるのさ!わかるかい?誰かがノートのページを持ってるんだよ!あんた、心当たりはないかい?」

マイキーのまだぼんやりとモヤのかかった脳みそに、ドローレスの"魔法"という言葉だけが、洞窟の中で反響する音のように響き渡った。そして、その声は徐々に薄れて消えていく。掠れるような音に。いや、それは声だ。弱々しいかすれ声に変わったのだ。脳裏に真っ白な光景が浮かぶ。保健室のベッド、そこに横たわった女の子。彼女は弱々しいかすれ声でいった。

「魔法でもできないことはあるのよ」

マイキーの脳は一瞬にして冴え渡った。そこにかかっていたモヤに、朝日が差し込むようにして、明らかなひとつの答えにたどり着いたのだ。

「ミザリーだ!」

彼は無意識にその名を声に出していた。ミザリー・アルツハイマー、保健室の女の子。"魔法でもできないことはあるのよ"そうつぶやいた彼女の瞳は、ベッドサイドに置かれた1冊のノートに向けられていた。

「ちょっと!どこに行くんだい!」

マイキーは、席を立つと廊下に飛び出した。慌ててドローレスがその後を追う。

ミザリーは"ページ"を使ってなにか企んでいた。そして、それはあのノートの中に挟んであるに違いない。

ミザリーを止めなければ!


「ねえ!」

バニラは階段を駆け上るカルロスに声をかけた。

「どうして上に行くの?玄関は下だと思うけど」

「屋上に行くんだよ。いいものを見せてあげる」

カルロスは答えると、階段を降りてきて、バニラの手を取った。

「いいもの?やったあ!」

ふたりは手を取り合って、階段を駆け上っていった。


「ミザリー!」

マイキーは、保健室の扉を勢い良く開けた。

「おやおや、マイキーじゃないか!」

そこに、ミザリーはいない!答えたのはジャック・ジャッカルランドだ!

「ジャック!?ここでなにをやってるんだ!」

マイキーは戸惑いながらも保健室を見回す。悪夢再び!カーテンで仕切られてここからは見えないが、内側からの強い光で影となって浮かび上がったグリーン先生の姿は、向こう側で行われているであろう恐るべき悪魔的行為を連想させるのに充分すぎるものだった。

「おともだちが怪我しちまって、治療なんだよ。ちょうどよかった。手術が終わるまでしばらく暇でね。ちょっと遊んでけよ!」

ジャックが唸りをあげるチェンソーを振り下ろす!マイキーは間一髪、ぎりぎりのところでつまずくようにして回避!チェンソーはマイキーのそばにあった簡易ベッドを真っ二つに切り裂いた!

「バンパイアのガールフレンドはどうしたんだ?あいつがいなきゃ、おまえはただのへなちょこだ!」

よろめくマイキーめがけ、チェンソーが飛んでくる!背後は壁、これ以上逃げることはできない!マイキーは死を覚悟して、目をつぶった。しかし、ジャックの手が急に止まった。

「な、なんだ!うるさいぞ!」

ジャックはまるで見えない敵に攻撃しようとしているかのように、その場で闇雲にチェンソーを振り回している。

「この、虫けらめ!あっちいけ、しっし!」

彼はイライラと叫んだ。ジャックのまわりを小さな黒い物体が高速で飛び回っているのだ。

「マイキー!何やってんだい、いまのうちだよ!」

「ひいおばあちゃん!」

マイキーは、ジャックが飛び回るドローレスを追って、完全に背中を向けた瞬間を狙って、すかさず飛びついた!背後から突き飛ばされたジャックは、頭から棚に突っ込み、薬瓶や、本の山に押しつぶされて、見動きが取れなくなった。

「助かったよ、ひいおばあちゃん」

ジャックに念押しの一撃を加えるべく、一歩踏み出したマイキーの目の前を、一瞬まばゆい光が通過する!レーザー光線だ!

「なんで、銃なんだよ!」

レーザー光線によって穴が開けられたカーテンを剥がし、中から男が現れた。その右腕は、鋭い銃口へと置き換わっている。サイコガンだ!

「ほら、蜂の巣になりたくなかったらそこをどきな!」

男は、銃口をマイキーの頭に向けたまま、近づいてくる。慌てて、マイキーは飛び退いた。

「ジャック!なんで、銃なんだよ!これじゃあ、"切り裂き"ジャックの称号が台無しじゃないか!」

男はブツブツ言いながら、左腕でジャックを引っ張り起こした。

「切り裂きジャックだって!?」

マイキーが聞き返した。

「その通り!おれさまはジャック・ザ・リッパー!紛らわしいからリッパーと呼んでくれ!」

「リッパー!そいつは放っておいてやつを探すぞ!」

助け起こされたジャックが、リッパーに怒鳴りつけながら、出口へ向かっていく。

「マイキー!勝負はお預けだ!それより先にカルロス・ナッツバーンと決着をつけなきゃならないんでね!」

廊下へ出る前に一度振り返って、そう言い放つと、ジャックは走り去っていった。そのあとに、リッパーが続く。少し遅れてカーテンの中から血まみれのファーピーが現れて、慌ててふたりの後を追っていった。

「グリーン先生!また改造手術を!?」

「いやあ、頼まれたら断われない性分でね!ほんとは頼まれてなくてもやりたいんだけど… おっと、これは内緒で頼むわよ」

「わかってますよ。それより、ミザリーは?」

保健室はかなり散らかっており、昼間とはベッドの配置まで変わっているのでどれがミザリーのものかは分からなかったが、部屋の中に彼女はいないようだった。

「ああ、ミザリーなら、学校が終わってすぐに屋上の鍵を持って出てったわ」

「また屋上!?」

「ちょっと待って!」

教室をあとにしようとしたマイキーにグリーン先生が声をかけた。

「それ、ミザリーのだと思うんだけど、忘れてったみたいだから渡しといてくれない?」

そういって、彼女は血まみれの手で部屋の端っこの机の上に置かれたノートを指差した。それは、紛れもなく、あのときミザリーが見ていたノートだった。

マイキーは、それを見るなりノートに飛びついた。ノートを開くと、彼が思っていたとおり、明らかに他のページとは大きさも質感も異なるページが一枚挟み込まれていた。"本"のページだ。しかし、それにはページ数以外には、おそらくミザリーの手書きであろう、筆圧の弱い薄い字がびっしりと書かれているのみだった。マイキーは目を凝らしてその文章を読み始めた。それは、城に閉じ込められたお姫様が、王子様に出会うという童話のような物語だった。幼い頃からずっと城の中だけで過ごしてきたお姫様のもとに、偶然王子様が現れ、ふたりは恋に落ちる。やがて、お姫様は王子様と会うために、城の外へ出ることを決心し、ふたりは外の世界で幸せな時間を過ごす。

マイキーは、ミザリーとの会話を思い出していていた。

保健室という城に閉じ込められたミザリーのもとに偶然現れたマイキーを、彼女は"運命の人"と呼んだ。そして、彼女はマイキーに会うために城の外、つまり、教室へと来たのだ。つまり、ミザリーがこの紙に書いたことが現実に起こっているというのだ。

しかし、すべてがその通りに起こったわけではない。王子様に会うべく城の外に出たお姫様はそのまま幸せな時間を過ごしたが、保健室を出たミザリーは、体調を崩して倒れてしまった。だから、あのとき彼女は"魔法でもできないことはある"といったのだ。そして、そこから彼女の心境に恐るべき変化が起こったのであろう。彼女の物語はこう終わっている。外の世界に馴染めなかったお姫様は城に再び閉じこもる。王子様は、お姫様のもとを訪れ、永遠の愛を誓って、ふたりで城から飛び降りて死んでしまうのだ。

すでにミザリーは屋上へ向かっている。この物語の通りになるのだとすれば、王子様、つまり、マイキーは彼女と飛び降りて死んでしまうことになるのだ!

「大変だ…!」

マイキーは、そのページをポケットに突っ込むと保健室を飛び出した。


屋上、夕日が沈み、オレンジ色の町並みが闇に染まり、フェンスの向こう側に立つ人影を包み隠した。

「ミザリー!」

マイキーの声に、その人影… ミザリーは振り返った。

「マイキー… 来てくれたのね。やっぱり魔法は本物だったんだわ…」

「ああ、そうだよ」

マイキーは応える。

「だけど、もうおしまいだ」

ミザリーはフェンスに手をかけて、マイキーの持つノートを見て固まった。

「もう、やめよう、ミザリー。こっちに来るんだ」

マイキーは一歩踏み出して、ミザリーに手を差し出した。

「いやよ!わたしが幸せになるには、こうするしかないの!わたしはどうせ死ぬんだから!ずっと保健室から出られずに、病気で死ぬんだわ!」

ミザリーが恐ろしい剣幕でまくし立てたそのとき!マイキーの背後で勢い良く扉が開き、ふたつの人影が転がるようにして屋上に入ってきた。バニラ、そして、カルロスだ。さらに、その後を追いかけ入ってきたのは、ジャック・ジャッカルランド、リッパー、ファーピー!

「カルロス!!いつまでにげつづけるつもりだ?ドッヂボールのときだってそうだ、おまえはいつも逃げてばかり!」

ニヤニヤ笑いを浮かべながら、ジャックがカルロスに迫る。

「ドッヂボールはそういうゲームだろ!」

カルロスは答えながらも、どんどん追い詰められていく。背後はフェンスだ。もう後がない。

「ついに決着をつける時が来たようだな。やれ!」

ジャックは、リッパーに向かって叫んだ。リッパーは、右腕のサイコガンをカルロスに向けて発射した!銃口から放たれた光線は、カルロスの耳をかすめて背後のフェンスに当たった!フェンスを固定している金具が弾け飛び、外側に外れて落ちていった。

「おやおや、ラッキーだったな、カルロス!うすのろリッパーのおかげで、逃げ道ができたぞ!さっさと飛び降りたらどうだ?」

ジャックはチェンソーを駆動させながら、ゆっくりと迫る!

一方、マイキーは彼らのやり取りに気を取られている場合ではなかった。

興奮状態にあるミザリーには、すぐそばで行われている恐るべき光景は目に入らない。今度はうつむき、暗い、弱々しい震える声で、マイキーに語り始めた。

「あなたを巻き込んでしまったことは謝るわ。あなたはわたしとは違って、普通に生きることができるのに。だから、わたしはひとりで死ぬ。お願い、邪魔しないで。わたしの王子様…」

マイキーは視界の端にカルロスとバニラを捉える。ジャックに追い詰められたふたりは抱き合って、フェンスのなくなった屋上の端っこに立っている。

「バニラ、ぼくたちはもうダメだ。でも、きみとなら、怖くない。ぼくはきみのことが好きなんだ。バニラ、愛してる」

「ばにらも、カルロスのこと好きだよ」

ふたりは"永遠の愛を誓った。"

そのとき、マイキーの頭の中で閃光がほとばしった!

「違う!ぼくは王子様じゃない!!」

彼はミザリーに向かって叫んだ。

「王子様はカルロスだ!!」

すべての点が線で繋がった。補習教室という城に閉じ込められたお姫様の目の前に偶然現れた王子様。バンパイアプリンセスであるバニラと、学校中の女子の憧れの的であるカルロスは、まさに、お姫様と王子様だ。バニラはカルロスに勉強を教えてもらったおかげで補習教室という城に戻らなくて良くなった。すべてミザリーの書いたシナリオのとおりである。しかし、ミザリーはそうとは知らず、そこに恐るべき結末を書き加えてしまったのだ!

ふたりはジリジリと追い詰められ、もう一歩の余裕もない。

ミザリーは必死で状況を飲み込もうとしているのか呆然と固まっていた。

マイキーは、鉛筆を取り出すと、地面にしゃがみこんでノートに書きなぐり始めた。この物語を終わらせなければならない!!

「ダメ!!」

ミザリーが叫んだ。マイキーは、はっとして顔を上げる。カルロスとバニラは抱き合ったまま、ゆっくりと落ちていった。

ジャックたちの笑い声が響き渡る!ミザリーは、青ざめた顔でフェンスによりかかりり、目をつぶっていた。

マイキーは、壊れたフェンスのそばに駆け寄って見下ろした。

最後まで、ノートの魔法は本物だった。

ふたりは、木の葉にまみれて、潰れた車の上に倒れていた。無事である。

マイキーはノートに目を落とす。

"ふたりは永遠の愛を誓い合って飛び降りた"

そのあとに、マイキーの字でこう書き加えられていた。

"でも、無事だった"

物語の結末としては最悪と言えるだろうが、これでよかったのだ。ハッピーエンドで終わったのだから。


翌朝、バニラはいつも通りに登校した。

バンパイアはもともとかなり頑丈なようで、木の葉で勢いが軽減され、下に停めてあった校長先生のブガッティ・ヴェイロンの上に落ちたこともあり、軽い打撲だけで済んだのだ。しかし、鍛えているとはいえ、普通の人間であるカルロスはそうはいかず、骨折して、病院送りになり、今日も来ていない。

バスター先生がいつものように名簿を読み上げていく。

「ミザリー・アルツハイマー」

「はい!」

「また、来たのか。無理をするな、保健室に戻れ」

「いいえ、大丈夫です」

ミザリーははっきりと答えた。あの弱々しい声ではなかった。顔色は以前よりも随分と良くなっていたし、具合悪そうにうつむいてもいない。

「病気はすっかり治ったんです。もう保健室に閉じこもらなくてもいい、みんなと一緒に授業を受けられます」

ミザリーはマイキーの方をちらっと見て微笑んだ。

昨日、カルロスたちが飛び降りたあとのことだ。ジャックたちは潰れたブガッティ・ヴェイロンを見て大慌てで逃げ出した。

飛び降りたふたりのことは、フェンスに寄りかかっていたら、壊れて落ちてしまったということにして、あとのことはグリーン先生に任せた。

ドローレスが、マイキーの耳元でミザリーが持っていたページがいかに危険なものであるかをうるさく解説していたが、彼女が止めるのを無視して、マイキーは最後に1行だけ、そこに書き加え、それをミザリーに見せた。

"お姫様と王子様は、魔女に魔法で操られていた。だけど、魔法は解けた。魔女の病気がすっかり治ったから魔法はもういらなくなった"

彼女はそれを見ると、泣き出し、それから、マイキーの手を借りてフェンスを乗り越えて内側に戻った。

「ありがとう、マイキー。あなたは、魔法でわたしのところに来たわけじゃなかった。ほんとうに運命の人だったのね」


『PART2:マスト・エンディング・ストーリー』

fin

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