第21話神様に祈る

 私立十三中学校は地元で有名な進学校であると同時に資産家が通う学校としても有名である。具体的には校門の前に守衛さんが居たり、学校の中にも警備員さんも居たりするらしい。そのくらい生徒の安全を守ることに専念しているみたいだ。


 もしも、僕の父親が仕事を続けていたら、この中学校に通っていたのかもしれない。医者というのはとにかく儲かるのだと梅田先生が言っていた。


 そんな梅田先生は医師免許を持っている。それにも関わらず、わざわざ高校の養護教諭になっているのは、理由がある。

 その理由――元凶と言えばいいのだろうか――は僕にあったのだ。


「聡くんの火傷の痕を治せるくらい優秀な形成外科医になる」

 その目標を掲げて毎日勉強に励み、医大に合格。そしてその道に進もうとした。

 だけど僕はそれを断った。


「これは僕だけが生き残った罰だから、無くさなくていい。一生背負っていく」

 そんな風なことを言ってしまったのだ。


 目標を失ってしまった梅田先生。その結果、医者を志すのをやめて、養護教諭を目指すようになったのだ。

 僕の一言で優秀な人材の道を逸れさせてしまったのは心が痛むけど、そうしないと梅田先生は過労で倒れてしまいそうだったのだ。

 必死に勉強しすぎて、死んでしまいそうだったから。


 どうして親戚の子どものためにそこまでするなんてと思ったけど、まともな梅田先生の考えることは外れている僕には理解できないだろう。

 それに少しだけ嬉しかった。自分のために頑張ってくれる人が居る。それだけでなんだか救われる心地がしたから。

 気のせいなんかじゃないと今でも思う。




 梅田先生と最後に会話したのは河野ちゃんが帰ってすぐのことだった。


「どうやら裁判になりそうなのよ」

 深刻そうな声ではなく、むしろ明るい口調だった。安心しているようだった。

「この裁判で親権や養育権を取れれば、あの酷い父親から引き離されるわ」

「良かったです。それなら安心できますね」

「安心? 何言ってるの?」

 梅田先生は厳しく言う。


「一生守るんでしょう? だったら安心できる日なんてありはしないわ。そうでしょ?」

 確かにそのとおりだった。僕は「すみません」と反省した。

「静ちゃんのことは聡くん一人に任せるわけじゃないけど、ちゃんと守ってあげられるのはあなただけなのよ」


 分かっているつもりだった。覚悟もしているつもりだった。

 でも『つもり』じゃ駄目なんだ。きちんと確約しないといけないんだ。

「それとしばらく静ちゃんと会えないわ。なんだかサプライズを考えているみたいよ」

「サプライズ? 誰に対してですか?」

「聡くんに決まっているじゃない」


 一瞬の沈黙の後、僕は「それ僕に言ったら不味いヤツじゃないですか」と言う。

「聡くんはリアクションが薄いから、心配なのよ。だから事前に言っておいたの」

 なんだか腑に落ちないけど、無理矢理納得することにした。

 驚きの反応が薄いと企画した側が興ざめしてしまうけど、そのせいで覚悟できてしまったのは否めない。

 まあ河野ちゃんのサプライズを楽しみにしよう。それまでくだらなくてつまらない学校生活を満喫しようと思った。




 そして、あっという間に三日後になった。

 大友たち取り巻きの報復とか船橋さんの反撃を予想していたけど、そんなことはなかった。山崎が居なくなったことが要因だと思う。

 だから普通に吉野さんとお話したり、あきらくんと一緒にご飯を食べたり、怪我をしていないのに梅田先生のところでお喋りしたり。

 そんな穏やかな三日間を過ごした。


 そして学校が終わって、僕は私立十三中学校の校門前に来ていた。

 時刻は四時十分前。行き交う生徒が僕を見つめてくる。まあ学生服を着た知らない高校生が校門前で待ち合わせしていたら、多分僕だってじろじろ見るだろう。

 河野ちゃんのことだから、三十分前くらいに来ると思っていたけど、意外と時間がかかっているみたいだった。


 門の近くで僕に疑いの視線を向けている守衛さんに僕は笑顔で会釈をした。

 こういうときは後ろめたい表情は良くないしね。


 それにしても、河野ちゃんは何故僕を迎えに寄越したんだろう。梅田先生の言うところのサプライズの中身なのだろうか。

 ちょっとだけ、楽しみに思えてきた。


 そのままじっと待ち続けて、四時を過ぎたとき、僕はなんだか胸騒ぎをしていた。

 待ち合わせにこんなにも遅れるとは思えなかった。河野ちゃんの性格上、待たせるよりも待つほうが好ましいはず。


 僕は腕時計を見た。四時十五分。

 僕は待ち合わせに向いていない性格かもしれない。だけど河野ちゃんの性格や現在の状況を思うと、そわそわしてしまう。


「なあ。君は誰を待っているんだい?」

 後ろから話しかけられて振り向くと初老の守衛さんがそこに居た。


 落ち着きのない僕を見かねて声をかけたのだろう。

「えっと、その、ここに通っている生徒と待ち合わせというか、迎えに来たんです」

 若干おどおどしながら答えると守衛さんは「生徒の親類か何かかな?」と訊ねる。

「いえ。友人です。ちょっと訳があって、迎えに来たんです」

 不審に思われるけど、嘘を吐くのもどうかと思って正直に答えた。


「ふうん。ならどうしてそんなに落ち着きがないんだ?」

 守衛さんは明らかに怪しんでいる。

「時間になっても来ないんです。あ、そうだ。守衛さん、この子見かけませんか?」

 僕はスマホを取り出して、夏休みの間、一緒に撮った写真を守衛さんに見せた。

 お気に入りの高台で撮った写真だった。


「うん? ああ、この子ならさっき見たよ」

 写真を見るとすぐに守衛さんは答えてくれた。


「本当ですか? いつ通ったんですか?」

「あれは三時半を少し過ぎたぐらいかな。私が交代して、すぐに君と同じように、そこで待っていたから、印象に残っていたんだ」

 三時半? じゃあなんでここに居ないんだろう?


「その子はどこへ行きました?」

「うん? 帰ったよ」

 守衛さんは何気なく言った。


「お父さんが迎えに来たよ。車に乗って、家に帰ったんじゃないかな」


 世界が崩れる感覚がした。

 信じられない思いで、胸が一杯になった。

「そ、それは本当、ですか?」

 言葉が思うように出ない。口が思うように動かない。


「そうだけど、大丈夫かい、君。顔色が物凄く悪くなって――」

 僕は最後まで聞かずにスマホを操作した。

 河野ちゃんはケータイを持っていない。だからかけるべきは梅田先生だった。

 コール音が三回して、応答した。


「どうしたの聡くん――」

「先生! 河野ちゃんが、父親に、連れて行かれました!」

 受話器の向こうで梅田先生が息を飲んだ。そして緊張感が伝わる。

「それって本当!? まさか嘘や冗談――」

「そんなことしませんよ! どうしたらいいですか!?」

 喚く僕を梅田先生は「落ち着きなさい」と制した。


「私は警察に電話する。そして静ちゃんの自宅に行くわ。あなたは心当たりを探して!」

「心当たりって、どこ探したら――」

「今までの会話とか思い出とかで探しなさい! 時間がないわ。急いで!」

 通話はそれで切れた。


「ちょっと君、一体どうしたんだ?」

 守衛さんの心配する声が遠くに聞こえた。

 僕の頭はパニックでどうしようもなかった。混乱していて、どうすれば良いのかも分からない。


「すみません、そのとき、河野ちゃんの様子はどうでしたか?」

 僕は無意識に呟いていた。情報が必要だった。


「河野ちゃんって、さっきの女の子かい?」

「そうです! その女の子です!」


 僕は守衛さんに詰め寄った。後ろのほうから一人守衛さんがこっちにやってくる。

「その女の子が一体どうしたんだ?」

「その子の父親は頭がおかしい人間なんです! 河野ちゃんが死んじゃうかもしれないんですよ!」

 そこまで言って、ようやく守衛さんにも事態が飲み込めたみたいだった。


「そんな馬鹿な……そういえば、女の子は従っていたけど、どこか悲しそうに――」

 従っていた? 河野ちゃんが?

 ああ、梅田先生が話していた、父親を庇っているってわけか。あそこで騒げば、父親に迷惑かけると思って、黙っていたんだ。


 なんて馬鹿なことを――


「何か言ってませんか!? どこか行くとか行かないとか、言ってませんか!?」

 自宅へ帰るのか、それともどこかに行くのか、はっきりさせないといけなかった。


「わ、分からない。何も言わなかった……」

 僕はそれを聞いて、いてもたってもいられなかった。


「すみません、もう行かないと」

 僕は守衛さんにそう言い残して、その場から立ち去った。


「ちょっと君! どこへ行くんだ!」

 守衛さんの声を無視して、僕は駆け出した。


 考えろ考えろ考えろ!

 河野ちゃんは今どこに居る?

 考えなければ! そのための頭だろうが!

 父親は何の目的で河野ちゃんを連れまわす? 

 そういえば裁判はどうなった?

 親権と養育権を取られてしまったのか?

 僕が父親だったらどうする?

 頭のおかしい人間である父親は何をするんだ?

 そしてはたと気づいた。


 もしかして、河野ちゃんを殺すつもりなのか?


 いや、マイナスに考えるな!

 そんなことしてどうなるんだ?

 いや理屈じゃない。相手はあたまがおかしい人間だ。

 だから可能性としてありえるかもしれない。

 いやそんなことは後回しだ。

 今は河野ちゃんの居場所を見つけないと。


「ああ! くそっ!」

 僕は気づけばコンクリでできた壁を思いっきり叩いていた。苛立つ心を抑えきれなかった。手の側面が血で濡れる。


 僕が思い当たる場所。それはお気に入りの高台ぐらいだ。

 しかしそこを父親が知っているとは限らない。確証がない。

 じゃあどこに――


 そこで頭に浮かんできた会話を思い出した。

 河野ちゃんは初めて会ったとき言っていた。

 『あの湖も懐かしい』って言ってたじゃないか。

 そしてあの湖――十六夜湖で河野ちゃんは言ってた。


『ここは思い出の場所なの。あの高台よりもずっと。楽しかった思い出がたくさんあるの』


 河野ちゃんにとっての思い出の場所なら、家族にとっての思い出の場所でもあるはず。

 だとしたら、父親は十六夜湖に行く可能性が高い。


「湖か! 十六夜湖だな!」

 僕は走り出す。十六夜湖に向けて。

 今ここしかなかった。河野ちゃんを助けられるのは僕しか居ない。


 湖と聞いて連想されるのはあまり気持ちの良いものではなかった。最悪の状況を想定される。

 くそっ! なんでもっと早く河野ちゃんとの待ち合わせに来なかったんだ! そうすればきっと、間に合ったのに! 守れたのに!


 僕は途中で十六夜湖に早く着ける移動手段を探した。自転車でも何でもいい。脚力よりも速く走れるものが――

 目の前に車が遮った。


「聡くん! 乗りなさい!」

 目の前には梅田先生が居た。偶然、出会えることができた。


「梅田先生! 十六夜湖に向かってください! そこに居るかもしれません!」

 僕の言葉に梅田先生は頷いた。


「分かったわ。急ぐわよ!」

 僕は助手席に乗った。

 凄い勢いで車は急発進して、十六夜湖に向かった。


 ああ、お願いだから間に合ってくれ。

 僕は願いを込めた。

 神様、どうか救ってください。

 何でもしますから。何を犠牲にしてもいいですから。


 今まで神様に祈ったことなんてなかった。だって神様はいつも残酷な運命を僕に寄越す。

 恨んだこともあった。憎んだこともあった。

 だけど、今だけは祈らせてください。

 虫の良い話だけど、それが人間なんです。

 救ってください。僕の大切な人を。

 お願いします。お願いします。お願いします――


 僕に河野ちゃんを守らせてください。

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