第8話話し合いと落としどころ
「ふうん。変わった女だな。その、河野静ってヤツ」
僕の隣で歩いているあきらくんのストレートな言い草に思わずふきだしそうになってしまうのを堪えて「そんなことないよ」と否定してみる。
「少なくともまともじゃなければ、十三中学校の編入試験を受けられないだろう?」
「天才と何やらは紙一重って言うけどな。勉強がいくらできても性格が破綻してたら意味ねえよ」
「性格が破綻かあ。そんな人そうそう居ないよ。河野ちゃんは破綻していないよ」
「俺の隣に成績が良いけど破綻してるヤツは居るけどな」
さりげなく酷いことを言う友達になんて返せば良いのか見当もつかないけど、とりあえずは笑いながら「酷いなあ」と言ってみる。
「どこが破綻しているんだい?」
「破綻してなかったらこうやって呼び出し食らうハメにはならなかっただろう。そもそもなんで俺まで付いて来なくちゃいけないんだ? 道場で練習があるのに」
そう。僕たちは学校に呼び出しされているのだ。正確に言えば僕だけ呼び出しされているのだけど、一人では心細いのであきらくんに一緒に付いて来てもらっている。
呼び出しの内容は言わなくても分かるだろうけど、山崎の怪我のことだった。
簡単な事情を聞かれたけど、それでは納得できない山崎の両親が学校に抗議したらしい。
山崎の両親いわく、うちの子供に大怪我を負わせた生徒に何のお咎めもないのがおかしい。それにうちの子供が虐めをしたなんて嘘もいいところだ。
そんな一方的な言葉――罵声と言えばいいのだろうか――を担任の木下先生にぶつけたらしい。
その反論のために僕は呼ばれたのだ。
せっかく昨日河野ちゃんと話して良い気分だったのに、一気に嫌な気分になってしまう。
というよりも被害者である生徒を呼び出すなんてどうかしている。
もしかすると山崎の両親に責められるかもしれない。いや、もしかしなくても責められるのに決まっている。
だから――あきらくんに同行を頼んだ。
僕の弁護をしてもらうために。
「本当にありがとう。あきらくんが一緒に来てくれて嬉しいよ。かなり心強い」
「……お前はそういうところがずるいよな」
あきらくんが素っ気無く答えた。
「普通はごめんとか謝るものだけどよ、こうして感謝されたらどうしようもないじゃねえか。断りづらくなるし」
それが狙いだったとはとても言えないなあ。
「僕は君のそういう正直なところが好きだよ」
「やめろよ。ゾッとするわ」
「でもまあ、あきらくんは一緒に居てくれるだけで良いんだ。後は僕が話すから」
「当たり前だ――と言いたいが、口を挟むところは挟ませてもらうぞ。特に虐めをしていたことは包み隠さず言うつもりだ」
それはありがたかった。虐めを立証するには目撃者の証言が何よりの証拠になる。いくら虐められているんですと被害者が言っても説得力に欠けるのは否めない。
だからこそ、あきらくんを選んだ。
吉野さんには頼めないしね。元々連絡先を知らないし、どう頼んでいいのか分からないし。僕はあきらくん以外に頼める友人がいないんだ。
もうすぐ学校に到着する。そのとき僕はあきらくんに何気なく訊いた。
「そういえば、あやめ姉さんは元気なの?」
「……あいつのことは訊くなよ」
機嫌が良かったわけじゃないけど、実姉の話題になると途端に不機嫌になったあきらくん。目を逸らしている。
あやめ姉さんとは近藤あやめさんのことで、あきらくんの実姉だ。僕はあきらくんと幼馴染だからあやめ姉さんとも幼馴染にあたるのだ。
結構良い大学に進学して大企業の秘書課に所属している、立派なOLだと思うけど、なぜかここ数年はあきらくんとの仲が悪い。
気がついたのは中学三年生の秋だった。
突然、僕の家にやってきたあきらくんは、どういう訳だか泣いていて、一晩泊めてくれと頼まれたことを今でも覚えている。
今にも壊れそうな様子のあきらくんはまともな感性をしていない僕でも見ていられないほどだったので、理由も聞かずに泊めてあげた。後から思うとちゃんと話を聞くべきだったかもしれない。
とりあえずあきらくんを寝かせて、僕はその足であきらくんの自宅に向かった。
そこで見たのはこれまた泣き崩れているあやめ姉さんだった。
部屋の内装は滅茶苦茶で、窓ガラスも割れていたし、カーテンも破れていた。テーブルも椅子もひっくり返っていた。
だけど不思議とあやめ姉さんもあきらくんも怪我をしていなかった。
理由を訊ねたけど、あやめ姉さんは何も語らなかった。
困った僕はとりあえず強制的に二人を仲直りさせた。いや、仲直りというより冷戦状態にさせたと言うほうが正しい。
あの日以来、二人の間は冷え込んでいるのだ。
だからこそ敢えて、僕はあきらくんにあやめ姉さんの近況を訊ねるのだ。少しでも仲が改善されることを願っているのだ。
「あいつは今でも元気に働いているよ。不愉快なことにさ。そんなことはどうでもいい。ここからが本番だろう?」
やけに早口で喋って、僕を促すあきらくん。
それに対して僕は何も言わなかった。いつか雪解けになることを祈りつつ、僕は学校に足を踏み入れた。
「すみませんね。田中聡くん。山崎大志くんのご両親がお待ちです。急いでくれませんか」
校門前で僕らを待ちかねていたのは、木下先生だった。
僕は「分かりました」と答えて少し早歩きになる。
そこからは僕とあきらくん、木下先生との間に会話がなかった。木下先生から労わりの言葉もなければ謝罪の言葉もない。だから黙って従った。あきらくんは何を考えているのか分からないけど、沈黙していた。
そのまま僕たちは中に入って、応接間に案内された。ここに入るのは初めてだったので、緊張感が少しだけ高まった。
木下先生がノックすると部屋の中から「どうぞ」と声がした。多分学年主任の川辺先生だろう。
部屋の中に入ると、そこには四人の大人が居た。
一人は川辺先生。一人は校長先生。そして残りの二人は見知らぬ中年の男女だった。
僕にキツイ目線――はっきり言えば睨んでいる――を投げつけている。おそらくは山崎の両親だろう。
「そこに座りなさい」
校長先生に指示で僕はふかふかのソファーに座った。隣にはあきらくんが座った。
向かいには山崎の両親が座っている。木下先生と川辺先生は立っている。
校長先生は僕の斜め左に座っていて、まるで裁判をするような体勢だなあとぼんやり思った。
口火を切ったのは山崎の父親からだった。
「君か。大志の右手に怪我をさせたのは」
怒りを必死に抑えようとする声。感情的にならないように制している様子だった。
「いや、怪我を負わせたつもりはないです」
僕は圧力を感じながら否定の言葉を口にする。そして続けて言った。
「彼が殴ってきたので、夢中でやったら偶然刺さったんです」
挑発したつもりはまるでなかったけど、言い方が気に入らないのか、今度は山崎の母親が甲高い声で責めてくる。
「偶然ですって!? うちの子供に怪我を負わせたのが偶然!? そのせいでどうなったのか、あなた知ってるの!?」
そして聞いてもいないのに山崎の現状を語りだした。
「あの子は、もう野球ができなくなったのよ! 医者が言うにはボールを強く掴めなくなったのよ! それが野球をするのに、どれだけの障害か知っているの!?」
そうか。そこまでのダメージを与えてしまったのか。それは予想外だった。
「はあ。そうですか」
気のない返事をするとその場の空気が固まった。
「……あなた、何とも思ってないの!?」
山崎の母親のヒステリックな声にうんざりすると代わりにあきらくんが答えた。
「すみませんがね。元々悪いのはそちらのお子さんだと思うんですよ。だって、こいつを虐めていたのは、彼だったんですから」
おお。言い難いことをすらっと言う。
「だからって、大志ちゃんの生きがいを奪っていい理由にならないわよ!」
「それを言うなら虐めていい理由もないはずですよ」
あきらくんの言葉に母親はぐっと詰まる。
「ああ、俺はこいつの弁護に来た近藤あきらです。虐めのことは始めから知ってました。結構えぐいこともしてましたよ」
「……本当に大志が虐めを行なっていたのか? そんなことをする子ではないんだ」
今度は父親が話し始める。
「大志が虐めをしていて、しかも主犯だと聞かされて信じられない思いだ。何故君を虐めていたんだ? 何か理由があるはずだ」
なるほど。あくまでも僕を悪者にしたいんだ。だからこそ、この場に僕を呼んだんだ。
さて。ここで僕は二つの選択肢があった。
一つは僕の知っている虐めの理由を正直に語ること。
もう一つはまったくのデタラメを騙ること。
前者は検討の余地はあるけど、後者はいただけない。嘘はいつかバレるのだ。だったら正直に話してしまえばいいのだけど……
ほんのちょっと悩んで、僕は第三の選択をした。
「知りません。理由なんて分からないです」
すっとぼけることにした。知らないフリをした。
「知らないって、自分のことでしょ!?」
再び激高した母親に僕はこう返した。
「すみませんけど、虐めって理由もなく行なわれるものですよ。ていうか理由じゃなくて感情で行なうものです。あいつが気に入らないから虐めよう。たったそれだけでいとも簡単に行なわれるんです」
僕のこの発言に父親も母親も絶句してしまう。さらに僕は続けて言った。
「この顔の傷はあなた方の息子さんに付けられた傷です。包帯とガーゼを取って見せましょうか? かなり醜いですよ? ああ、そういえば僕には火傷の痕がありまして、それに対して彼は『ただれ男』って机に書いたんですよ。酷いと思いませんか?」
「だとしてもだ。やり方が汚いと思わないのか!」
とうとう我慢の限界に来た父親。
「大志は君が挑発したから殴ったと言ってるんだ!」
「挑発した覚えはありません。僕も頭に来て言い返したら勝手に殴りかかってきたんですよ」
「それでも野球選手としての未来を断たれるほどのことをしたのか!?」
僕はだんだんと面倒くさくなってきた。
「じゃあどうすれば気が済むんですか?」
僕が訊ねると父親は黙ってしまった。
「謝罪すればいいんですか? 僕のほうが虐められていて、むしろ被害者なのに? 右手を治せばいいんですか? 僕は医者でも神様でもないのに」
そして僕は致命傷となる一言を言おうとした。
「ああ、結局はお金が欲しいから――」
「やめろ。言いすぎだ聡」
その言葉で僕とあきらくん以外の顔が引きつっているのに気づいた。
「お前は言って良いことと悪いことの区別がつかないのか」
そしてあきらくんは山崎の両親に向かい合った。
「俺はこいつの友人ですけど、客観的に見て悪いのはそちらだと思います。虐めがなければこいつはあんなことしなかっただろうし、山崎も元気に野球に勤しんでいたでしょう」
「だ、だけど――」
「ここはなかったことにしましょう」
しーんと静まり返る応接室。
あきらくんの提案に僕も含めて理解できなかった。
そんな僕たちに分かりやすく説明するあきらくん。
「虐めは元々なかった。だから山崎に何の処分を加えないようにする」
「処分って、うちの子供に――」
「虐めの主犯ですから処分くらいあるでしょう。良くて停学。悪くて退学もありえる」
あきらくんの言葉に両親は顔を青ざめた。
「だから虐めをなかったことにしましょう。そうすれば山崎は学校を辞めなくて済む。その代わり、怪我のことを聡に責めるのはやめましょう。それで五分五分です」
それからあきらくんは校長先生のほうに向いた。
「先生方もこの事件が表に出るのは不味いでしょう? だったらここでなかったことにしましょうや。そのほうが面倒くさくないでしょう」
三人の先生は互いに顔を見合った。
「これで納得がいかなかったら、今度は学校の中で解決できなくなる。最終的に裁判って形になっちまう。それは避けたいでしょう」
あきらくんは意外と抜け目がないのだと感心した。
問題が解決したようで実際のところしていない。何故なら山崎はもう二度と野球ができない事実はなかったことにできないのだから。
しかし退学まで持ち出されてしまったら、どうしようもない。
こうしたわけで僕と山崎の両親との『話し合い』は済んだ。
後であきらくんにどうやって解決方法を思いついたのか訊ねた。
「お前のやり方を真似たんだよ。あいつと強制的に仲直りさせた方法でな」
ちょっと腑に落ちない気がした。
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