第19話真相を語る
ふらふらとした足取りで屋上から出てしまった船橋さんを見送って、僕は一息を吐くように屋上の手すりに寄りかかった。
「まったく。言いたくないことを言うのは、意外と労力が必要なんだね」
誰ともなく呟くとなんだか気持ちが楽になった気がする。気がするだけで現実にはどうなのか分からないけど。
「田中くん、それで良かったの?」
急に話しかけられて驚いたけど、おくびに出さずに屋上の出入り口のほうを見た。
そこには吉野さんが立っていた。
「その様子だと、全部聞かれたみたいだね」
まあ吉野さんに頼んだのだから、心配になって見てくるのは予想できなかったといえば嘘になる。
だけど堂々と出てくるとは――
「どうして、本当のことを言ったの?」
吉野さんは僕を真っ直ぐ見ていた。
凛とした表情。怒りとかの感情はない。ただ真実を知りたいと思う目だった。
「本当のことを言わないと、いつまで経っても虐めはなくならないからね」
僕は肩を竦めた。
「元々虐められて喜ぶマゾじゃないしね」
「それなら、初めから言わなかったの?」
吉野さんは不可解に思っているけど、ぼくにとっては自明のことだった。
「だって、本当のことを言えば、あきらくんに迷惑をかけてしまうじゃない」
僕はなるべく笑顔で答えた。作り笑顔は苦手だったけど、何故か上手にできた。
「もしも正直に言えば、あきらくんが嘘の返事をしたことになって、悪者になってしまうじゃない。そしたら山崎辺りが暴力をあきらくんに振るうかもしれない。もちろん、あきらくんが勝つに決まっているけど、暴力事件を起こしてしまったら停学、大会の出場停止、下手したら退学になってしまうかもしれないよ。そんなのは良くないよ」
船橋さんの性格は深い付き合いじゃないけど、よく分かっていた。一年の頃から一緒のクラスだったから、自己顕示欲が強い人だと思っていたしね。
「それで、自分が犠牲になる道を選んだわけなの?」
吉野さんの質問に僕は分かりやすく答えた。
「うん。そうだよ。僕が犠牲になれば万事解決するからね」
「どうして、そんな風に思えるの?」
吉野さんは僕を憐れむかのように慈愛を込めた声で訊いてくる。
「多分、両親が死んだときに思うようになったのかもしれないね」
そう言いたかったけど、吉野さんの同情を買いたくなかったので、僕は「面倒だったから」と答えた。
「誤解されるのは慣れているからね。それに問題を解決しようと思えなかったし」
この問答も次第に退屈し始めていた。吉野さんとはもっと違う話がしたかった。
「じゃあ、最後に訊くけど、なんで今更本当のことを言おうとしたのかな?」
吉野さんから顔を背けた。誰の顔も見たくなくなったのだ。
「理由は二つあるよ」
僕はなるべく端的に答えた。
「一つは今のタイミングだったら、あきらくんに迷惑かからないでしょ? 山崎はリタイアしちゃったし、船橋さんが動かせる人間はいないし。それに僕の言葉であきらくんに自分の想いが届かないことに気づいたんだから、あきらくんに何かしようとする気力もないでしょ」
だから今のタイミングがベストだった。山崎が学校に来られない今だけしかなかったんだ。
「二つ目は、個人的な理由だけど、僕はこれから河野ちゃんを守らないといけないんだよ。そのために余計な労力を使いたくない」
「……田中くんにとっては、虐めに耐えることは労力なんだね」
理解し難いという感じがしたので、僕は補足を加えた。
「労力って言い方が嫌なら、徒労っていうのはどうだろう? 何の生産性もないのに、他人を阻害するなんて、馬鹿げてると思わないかい? 人という漢字は支え合っているって書くんじゃないのか? だとするなら、虐めは虚しい作業みたいなものさ。人を虐めて優越感に浸るのは、悪事を自慢することと同じ愚劣なものに等しいんだよ」
虐めの本質はまさにそれだった。恨みとかマイナスなものしか生み出さない、愚劣なもの。卑劣なものなんだ。
「これが今、僕が船橋さんに真相を話した理由だよ。納得いったかな?」
「……納得がいくと思う? 理解できたと思っているの?」
吉野さんは呆れているらしい。
「こんな回りくどいやり方で解決するなんて、はっきり言って頭がおかしいよ」
「どこがおかしいんだい?」
「山崎くんを怪我させる意味がないよ。素直に先生に言っていれば、ここまで話がこじれることなかったんじゃないの?」
僕は吉野さんを真っ直ぐ見た。吉野さんは不思議そうに僕を見つめ返した。
「吉野さん、虐めを行なった人間には罰が必要だと思わないかい?」
「それが、野球人生を失わせるほどの重大な罰なの? それは――」
そう言いかけて、ハッと気づいたみたいだった。
「前に近藤くんが言っていたけど、私が庇ったから、山崎くんを――」
「そんなことはどうでもいいよ」
僕は無理矢理言葉を遮った。吉野さんは良い子だから、僕の勝手な判断でもツラく感じてしまうだろう。それは嫌だった。
「僕はね。ある意味虐められて良かったと思うことが一つだけあるんだよ」
話題を変えて、誤魔化すことにした。
「良かったこと? なにそれ」
「吉野さんと知り合えたことかな」
恥ずかしげもなく恥ずかしい台詞を言うと、吉野さんは初めきょとんとしていたけど、次第に顔が赤くなっていった。少しだけ愉快に思えた。
「な、何を言っているのかな? 田中くんは。『赤毛のアン』ではないんだから、『良かった探し』なんてしなくていいよ」
それは『赤毛のアン』ではなくて『愛少女ポリアンナ』だと思うけど、敢えて指摘しなかった。話の腰を折るのは良くないし。
「本心から言っているけどね。まあいいさ、僕はもう帰るよ。吉野さんはどうする?」
「どうするって、私も帰るよ。部活ないし」
「そっか。じゃあどこか寄ろうよ」
僕は背伸びして何気なく言った。
「ゆっくりと吉野さんと話したいしね」
吉野さんはそれを聞いて軽く笑って「ずるいよね、田中くんは」と言う。
「そういうところが、素敵だと思うよ」
女子に素敵と言われたのは初めてだった。何だか照れ臭く感じられた。
それから吉野さんと駅前のマクドナルドでお喋りしてから、帰宅した。吉野さんは何度か何かを言おうとしていたけど、結局言わなかったので、不自然に思った。
うーん、気になるなあ。
家に帰ると、玄関の明かりが点いていて、義父さんか義母さんが帰っているのかなと思い、扉を開けて「ただいま帰りました」と言った。
「お帰りなさい、田中くん」
目の前に立っていたのは、河野ちゃんだった。新しい制服に身を包んでいる。そういえば、合鍵を渡していたっけ。
「あれ? 河野ちゃん、どうしてここに? それに学校は三日後じゃないのかな?」
後ろ手で扉と鍵を閉めて、質問すると河野ちゃんは「新しい制服を見せたいと思って」と二つの疑問を一気に解消させる答えを言う。
「へえ。そうなんだ。似合っているよ」
「ありがとう。何だか初めて出会ったときを思い出すね」
そういえば、出会った当初は制服同士だったことを思い出す。
「ご飯できているよ。一緒に食べよう」
河野ちゃんには台所を好きに使っていいと言っていたので、何ら問題ない。
出されたのはカレーライスだった。具材はにんじん、じゃがいも、たまねぎ、鶏肉のシンプルなもの。
「美味しそうだね。いただきます」
「いただきます」
味はなんていうか、特別に美味しいとは言わないけど、中学生が作ったにしてはまあまあ美味しかった。
「そういえば、今日は半日で終わるって言ってたのに、遅かったね」
「ああ。ちょっと僕の虐めに対して話し合いを行なってたんだ」
僕が虐められていたことは、夏休みの間に話していた。心配そうに見つめられた。それも解決しなければいけないなと思った原因でもあった。
「解決したんだね」
「よく分かるね。そうだよ解決した」
「田中くん、何だか気持ちが楽になっている感じがするよ」
そんな感じがするのだろうか? 自分では気づかなかったけど、河野ちゃんの言うとおりかもしれなかった。
「まあ少しは楽になったかな」
「私、田中くんの負担になってるのかな」
急に暗くなってしまう河野ちゃんに僕は「負担になってないよ」と反論した。
「むしろ張り合いのある人生になっているよ。大丈夫、安心して」
僕はにっこりと微笑んだ。
「それなら良いけど。田中くんは結構思いつめるところあるよね」
その言葉に僕はスプーンを動かす手が止まった。
「そうかな? 思いつめても面倒なだけだと思うけどね」
「前に高台で話してたじゃない。火事で家族が死んじゃったことを話したとき、『一人だけ生き残ってしまった罰』だって、言ってたじゃない」
確かに言ったけど、よく覚えているなあと感心した。
「あれから気になっていたの。火事のせいで自分だけ生き残っても、そんなに罪の意識を感じることないって、そう思うの」
「…………」
「ねえ。もしかして、火事は――」
「その話は正直したくないよ、河野ちゃん」
僕は河野ちゃんの目を見ずに拒絶した。
「田中、くん……?」
「その話をしてしまうと、河野ちゃんは僕のことを軽蔑してしまうかもしれない。それでもいいのなら話すよ。その覚悟があるのならね」
河野ちゃんの顔は見れなかった。僕は急いでカレーをたいらげた。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
そう言ってから、席を立って、皿を流し台に置こうとする。
だけど急に動けなくなった。
「――話して。田中くん」
後ろから抱きつかれていると分かった。
「大丈夫。どんなことでも話してよ」
「…………」
「軽蔑なんかしない。どんな田中くんでも私は受け入れるから」
「……どうして、そんなことが言えるのさ」
僕は急に泣き出したい気持ちで一杯になった。ツラくて悲しくて、どうしようもない心境になってしまった。
「だって、田中くんは私を守ってくれるって言ったよね」
「……うん、言ったよ」
「そんな大事な人を軽蔑なんてしないよ」
河野ちゃんは徐々に強く僕のことを抱きしめる。
強く、強く。そうしないと僕が逃げ出しそうになると思うように。
「私、田中くんのこと、大好きだよ」
声が震えていた。
「どんな過去があっても受け入れてあげる。どんな人でも許してあげる。だから言ってみて」
僕は――話すべきだろうか?
このことを話したのは梅田先生だけだった。だけど梅田先生にも最後まで話していない。話すのが怖かった。話して拒絶されるのが怖かった。だって、僕の一言が原因だったから。僕の我慢が足りなかったから、あの日の火事が起こってしまったから。
「河野ちゃん、僕は怖いんだ」
独り言のように呟く。
「このことを言ってしまって、それで河野ちゃんに嫌われるのが嫌なんだ。嫌われるのは慣れているけど、好きな人に嫌われるのは嫌なんだ。大切な人に大事にされないのは嫌なんだ。だから――」
河野ちゃんはますます強く抱きしめてくる。
「田中くん。私を信じて」
河野ちゃんはまるで聖母のように囁いた。
「田中くんは私を信じられる? 信じてくれる? だったら私も田中くんを信じる。私を守ってくれるって言ってくれた田中くんを信じるよ。大丈夫だからね」
僕はここで言わない選択ができた。嘘で誤魔化すこともできた。言葉を濁すこともできた。だけどそれはできない。だって自分を信じてくれる女の子にそんな不誠実なことできるわけがないじゃないか。
僕は河野ちゃんの腕を取り払い、正面で向かい合った。
「河野ちゃん、これから話すことは嘘偽りのない真実なんだ。それを理解してほしい」
僕はあの日のことを話すことに決めた。
「うん。分かっているよ」
河野ちゃんの目は、前髪で隠れていてもキラキラ輝いていて、綺麗だった。
濁ってもいない、清らかな瞳だった。
「じゃあ話すよ。僕は――」
僕は一瞬だけ躊躇した。だけど震える手を河野ちゃんは握ってくれた。
それだけで勇気が湧いてきた。
だから言えることができた。
「河野ちゃん。僕は――人殺しなんだ。火事の原因は僕にあるんだ」
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