第10話中学生と風紀委員と花火
「へえ。二人は知り合って間もないんだね」
話というよりも言い訳に近くなってしまった僕の説明を聞いて、納得した風な吉野さん。
だけど責める口調は変わらない。
「そうですね。友達になったのは最近です」
「それなのに、こうして『仲良く』夏祭りに来るのは早すぎる気がするけど」
嫌味たっぷりにそんなことを言う吉野さんに今度は悪意を込めた言葉を返す河野ちゃん。
「気のせいですよ。それより『友達でもない』のにどうして私たちと一緒に居るんですか?」
僕たちは今、神社の境内に居る。人気はない。遠くのほうで祭囃子が聞こえるけど二人の会話が気になってしまう。
僕たちというのは僕と河野ちゃんと吉野さんの三人で、吉野さんの友人はどこかへ行ってしまった。吉野さんが「二人に話があるから遊べない」と言ってしまったのだ。
恨めしそうな吉野さんの友人たちの視線が突き刺さって痛かった。
まあそんなことはどうでもいい。なんで二人がいがみ合っているのか全然理解できなかった。神様が居るのなら正解を教えてほしいくらいだ。
「それは――同級生が不純な異性交遊をしていないか見張るためだよ」
吉野さんは今まで河野ちゃんを見つめて(睨んで)いたけど、今度は僕に視線をぶつけた。
「不純な異性交遊? 前時代すぎて呆れますね」
両手を挙げてやれやれといった感じを出す河野ちゃん。なんだか今までの気だるくて不思議なイメージはどこにいったのだろう。
しかも敬語だし。キャラも違うし。
「私は風紀委員だからね。優等生がイケナイことをしないように見張る義務があるんだ」
イケナイことなんてしないよと言いたかったけど、口出すとこちらに飛び火してしまいそうだったから黙っている。
「それはおせっかいって言うんですよ」
次第に苛立ちを露わにする河野ちゃん。
「不純なことなんてしません。私は田中くんと『二人だけ』で屋台とか回りたいんです」
「……その二人だけっていうのが不純なんだよ。しかも君は中学生じゃないか」
中学生、という言葉に河野ちゃんはぐっと言葉に詰まる。
それを見た吉野さんは勝ち誇ったように言う。
「いくら来年で高校生になるって言っても、問題だと私は思う」
男子高校生が女子中学生と夏祭りで遊ぶ。文章にしてみるとどこか危うい気がする。
「じゃあこのまま一緒に居てはいけないって言うんですか?」
それは僕も困る。せっかく浴衣も買ったのに、このまま解散はもったいない気がするし。
「だから私がここに居るんだ」
吉野さんの言った意味が分からなかった。それは河野ちゃんも同じで「はあ……?」と聞き返した。
「私も一緒に行動する。それなら問題はないでしょう?」
「…………」
「…………」
その言葉に河野ちゃんは何も言わなかった。僕も何も言えなかった。
「……あの、自分で何を言っているのか、分かってるの?」
とうとう我慢できなくなったのか、敬語じゃなくなる河野ちゃんだった。
「二人きりは問題だけど、三人だったら大丈夫でしょ。それのどこが問題あるのかな?」
吉野さんは自信満々に言うけど、一見筋が通っているようで通っていないような論理だった。
「滅茶苦茶だよ。そんなことは認めない。行こうよ田中くん。この人ほっといてさ」
そう言うと河野ちゃんは僕の手を取った。
女の子と手を握るのは梅田先生以来だった。
「ちょっと待って、河野ちゃん」
僕は動くことをせずに、気になっていた疑問を吉野さんに言う。
「どうして僕に構うのさ? 虐められていたからかな?」
吉野さんは僕の言葉に少しだけ傷ついた表情を見せた。しばらく黙って、それから口を開いた。
「ずっと謝りたいと思ってたんだ。虐めを見過ごしていたこと。解決できなかったこと。そして――」
そして吉野さんは僕を真っ直ぐ見据えた。
「あのとき、最低だって言っちゃったこと、謝りたかったんだ。私のほうが最低だった。本当にごめんなさい」
頭を下げて真摯に謝る吉野さんに僕は何か言おうとして――
「田中くんは許せるの?」
先んずるように言ったのは河野ちゃんだった。
「虐められてたのは今知ったから、あまり口出しできないと思うけど、この人は見過ごしていたんだよ? 解決できなかったんだよ? それでいて、田中くんに最低だって言ったんだよ? それでも許せるの?」
僕は目を閉じた。正直虐めはツラくはなかった。だけどみんなから見下されたり同情されるのは心に堪えた。
だけど、そんな中で僕を気遣ってくれたのは吉野さんだった。吉野さんだけがクラスの中で見過ごしたりせずに僕を見てくれた。解決できなかったけど解決に導こうとしてくれた。最低だと言われてもこうして謝罪してくれたじゃないか。
だから僕は目を開けて、吉野さんに言う。
「許せるよ。僕は吉野さんのことを許せる」
そして僕は頭を下げたままの吉野さんに近づいた。その際、河野ちゃんの手から離れてしまった。
「吉野さん、僕はあなたに声をかけてもらって嬉しかった。一人でも味方が居てくれて嬉しかった。それだけで十分だよ」
すると吉野さんはゆっくりと頭を上げた。その顔は僕の言葉にほっとしたように安心した笑顔になっていた。
「――ありがとう! 本当にありがとう!」
その笑顔はとても素敵で、不覚にもドキッとしてしまう。そのくらい魅力的な笑顔だった。
「そんなに簡単に許すなんて、田中くんは優しいんだね」
納得していない様子の河野ちゃん。
「それで、許してもらったから一緒に同行しなくてもいいよね?」
「いや、それとこれとは別だから」
「…………」
いや良い話になったのにどうしてこんなに不穏な空気が流れるのだろう。
「まあいいじゃない河野ちゃん。一緒に夏祭り回っても」
耐え切れなくなったので僕のほうから折れるようなことを言う。
「田中くん? もしかして私と二人きりは嫌なのかな?」
ジト目で僕を見つめる河野ちゃんに僕は言い訳――さっきから言い訳ばかりだ――をし始める。
「そういうんじゃなくて、仲直りのつもりで僕は誘ったんだけど」
「もう仲直りは済んだと思うけど」
「それに今更一人にはさせられないし」
「……納得いかない」
拗ねた様子の河野ちゃんに僕はそれから言葉を尽くして説得を試みた。吉野さんはそれを黙って見守っている。
「……分かった。一緒に居てもいいよ」
河野ちゃんがようやく折れたのは五分後だった。僕は「ありがとう」とお礼を言ってから吉野さんに向かい合う。
「それじゃあ二人とも行こうか。もう祭りが始まっているよ」
後で河野ちゃんに何かお詫びをしないといけないなと心に刻んでおく。
吉野さんは河野ちゃんに話しかけた。
「うん。えっと河野ちゃんだっけ?」
「あなたに『河野ちゃん』って呼ばれたくない」
「じゃあなんて呼べばいい?」
「……河野ちゃん以外ならなんでもいい」
「じゃあ静ちゃんって呼ぶね」
作り笑顔で吉野さんは告げた。
「私はあなたのことを『ゆかりさん』って呼ぶよ」
こちらは無表情な河野ちゃん。
どうやら二人の仲がますます深まったようだ。悪い意味で。
それに気づかないフリをして僕は二人を促した。
「さあ、祭りに行こうよ!」
二人は睨み合いながらも黙って頷いた。
それから僕たちは屋台を見に境内から出ようとした。
「そういえば、女の子たちと出くわしたら気まずくない?」
「ああ、大丈夫。あの子達は分かってくれるから」
自信有りげに言う吉野さんを河野ちゃんは皮肉った。
「友達をないがしろにしていいんですか? 今から合流してもいいんですよ?」
「いや、今は風紀委員の仕事をしなくちゃいけないから。それにあの子達に嫌われたりしないから」
「それはどうしてだい?」
僕の疑問に吉野さんは照れて頬を掻いた。
「だって、あの子達、私のファンみたいなものだから」
ふぁん? なんだそれと思う前に河野ちゃんは厳しい声で言う。
「不潔です。女の子をはべらしているなんて最低です。風紀委員が聞いて呆れます」
ああ、ファンのことか。確かに吉野さんは中性的な見た目をしているから女の子にモテそうな感じがしたけど、まさかファンがいるとは驚きだった。
「別に女の子同士仲良くしてても問題はないでしょ。それに他人の感情なんてコントロールできないんだから」
「開き直らないでください。それに調子に乗らないでくださいよ。少しばかり顔が良いからって」
「酷いことを言うなあ。でも顔が良いって褒めてくれてありがとう」
そう言いつつ、河野ちゃんにさりげなく近づく吉野さん。
「前髪が邪魔しているけど、なかなか静ちゃんも可愛いね」
言いながら河野ちゃんの肩を抱く吉野さん。僕はこの場に居るのが気まずくなってきた。
「どう? 私の――」
「やめてください。そんなことしても無駄です。あなたの思惑ぐらいお見通しです」
肩に置かれた手を払い、邪険に扱う。
「うーん、やっぱりチャラいキャラは私に合わないみたいだね。反省反省」
払われた手をさすりながらにこやかに笑う吉野さんに僕は「真面目なキャラのほうが良いよ」と言っておいた。
「まあね。正直、女の子が寄ってくるのはしんどいんだ」
「どうして? 男子からすれば羨ましいと思うけど」
「私は女子なんだよ? 同性にモテたって仕方がないじゃない」
まあ確かにそうだけど。
「私のことを好きって言ってくれる男子も居ないし。このまま女子に走ることもできないし。見た目が中性的なんてロクなことない」
なんだか落ち込んでしまったようなので、慰めてあげることにした。
「気を落とさないで。大丈夫だよ。僕は中性的な見た目な人、好きだから」
僕の発言に弾かれたように見つめる吉野さん。次第に顔色が赤く染まっていく。
うん? 何かおかしいこと言ったかな? それとも怒らせるようなことでも言ってしまったのか?
そのまま何か言いたげに口を金魚のようにパクパクさせる吉野さんに僕は対処に困ってしまう。助けを求めるように河野ちゃんを見るけれど、まるで親のカタキを見るかのような冷たい目で見てくる。
「……そういうところ、ずるいよね」
顔の火照りが収まらないまま、そんなことを呟いて、さっさと前に進んでしまう吉野さん。
「あれ? 僕何か酷いこと言ったかな?」
河野ちゃんに訊ねると「知らないよ」と冷たく言われた。
「な、なんで河野ちゃんまで冷たく――」
「知らないよ!」
そう言って河野ちゃんもずんずんと前に早足で進んでしまう。
うう。何か怒らせてしまったみたいだ。
いきなり機嫌が悪くなったりするなんて、女の子は難しいなあ。
友達のあきらくんがなかなか恋人を作らないわけだ。まああきらくんの場合は理由は分からないけど女嫌いな面があるからだけど。
そう思いながらも僕も二人に追いつこうと歩くスピードを速めた。
神社の入り口付近に着くと、二人は足を止めていた。
どうやら空を見ているようだった。
二人の隣に来て夜空を見上げた。
色鮮やかな華が空を染め上げていた。
どーんどんと音が鳴り響く。そして広がる光の花びら。
僕たちは黙ってそれを見ていた。
僕たちの間に言葉はなかった。むしろ要らなかった。だけど同じ感情を心に宿していた。
そのまま、時間が止まればいいのに。
子ども染みた考えが浮かんでは消えていく。
今だけは煩わしい日常の悩みが吹き飛んでいく。それだけでも来た甲斐があったのかもしれない。
不意に思って、僕は横目で河野ちゃんの表情を窺った。
一筋の雫が頬を伝っていた。
僕はその涙の理由を知らなかった。知ることになるのは、だいぶ先のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます