第13話友人の言葉

「はっきり言おう。俺は――反対だ」


 経緯と事情を話してすぐさま否定したのは僕の友人、近藤あきらくんだった。あきらくんは僕の目を鋭く見据えて、断固とした口調で続けてこう言った。

「人を一生守るって、どんなに過酷で、どんなに労力を要るのか分かっているのか? それにお前はそんなことをめんどくさがる人間じゃないか」


 ぐっと言葉に詰まってしまった僕を見かねたのか、隣の椅子に座っていた吉野さんが「そんな言い方ないんじゃないかな」と柔らかだけどその実強い抗議を示した。


「田中くんがどんな覚悟で言ったのか――」

「覚悟か。じゃあ改めて問うぜ。お前は本当にあの子――河野静を守れるのか?」

 僕はもちろんだと言いたかった。だけどあきらくんに言われてしまうと、その覚悟が揺らいでしまう気もした。





 夏祭りから一夜明けて。


 僕の家には河野ちゃんと吉野さんが泊まっていた。流石に吉野さん一人だけ夜道を帰らせるわけにもいかないし、河野ちゃんを一人にさせてもおけなかったので、このような形になってしまった。

そのまま、僕と吉野さんは河野ちゃんを助けるため、守るために行動を起こすことに決めた。


 まず始めに何をすべきかを吉野さんと話し合っているとき、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。

 誰だろうと思って、玄関のカメラを覗くとそこに立っていたのは梅田先生だった。梅田先生はいつもの白衣ではなく、大人の女性らしい服装だった。


「はーい、初めまして。私は聡くんの親戚の梅田弥生です。あなたが河野静ちゃんだね」


 河野ちゃんは朝に弱いらしくぼんやりしていたけど、知らない大人に対する警戒心はあるらしく、すっかり仲良くなった吉野さんの背中に隠れて「……おはようございます」と小さな声で呟いた。


「えっと、養護教諭の梅田先生って、田中くんの親戚だったんですか?」

 びっくりした声をあげたのは吉野さんだった。ああ、そういえば言ってなかったっけ。

「あなたは見た覚えあるわね。女の子のクセにイケメンだなんて、羨ましいわ」

 そんな軽口を叩きつつ、梅田先生は僕に向かって「河野ちゃんの診察をするから、出ていきなさい」と言う。


「診察、ですか?」

「そうよ。聡くんの言っていることを否定するわけじゃないけど、確認しないとね」

 そう言われてしまったら仕方ない。

「あの、田中くんにも傍にいてほしい――」

「ふふふ。随分懐かれているね。でも心音とか触診とかするから」

「あ、そっか……」

 それならと僕は家を出た。初対面の梅田先生を不安に思っている河野ちゃんに吉野さんが付いてくれたので、一人きりだった。


 すぐに終わるということなので、僕は近くの公園で待つことにした。

 ベンチに腰掛けて、公園で遊んでいる児童を気にしながら、僕はこれからのことを考えていた。

 他にも味方が必要だと思う。いざとなったときに守れる人が居てほしいと思った。

 そんなときに頼れる人と言えば、やはりあきらくんだろう。あきらくんが居てくれれば――


「よう。何一人でぼんやりとしてるんだ? まだぼうっとする時間帯じゃねえぜ?」

 後ろから声をかけてきたのは、今まさに考えていた人物、あきらくんだった。トレーニングウェアを着ていて、首にタオルを掛けて、顔が汗だくだった。どうやら走りこみをしているようだった。だけどタイミングが良すぎて、誰かが仕組んでいるみたいだった。


「ああ、あきらくん。どうしたのこんなところで」

「ちょっとトレーニングで市内を走ってたら、お前が思いつめたように考え込んでいたからつい話しかけちまった」

 そう言いながら、僕の隣に座るあきらくん。


「何か悩んでいるなら力を貸すぜ」

「……うん。今悩んでいることに、あきらくんに力を借りようと思ってたところなんだ」

 正直に言うと「そりゃあタイミングが良いな」と僕と同じことを言ってくる。

「どんなことなんだ? 俺にできることなのか?」

「今は外だから話せないけど、ちょっと時間経ってから僕の家で話すよ。時間、大丈夫かな?」

「ああ、今日は部活も道場も行く予定がないから平気だ」

 なんて都合が良いのだろう。世界が僕に味方してくれているようだった。

 でも僕なんかよりは河野ちゃんに味方してくれたらどんなに嬉しいだろうか。


 もう診察が終わっただろうと推測して、僕はあきらくんと一緒に家に帰った。

「ところで大会はどうなの? 結構良いところまでいけそうかな?」

「いいや。俺以外が弱くてな。団体戦は難しいと思うぜ。個人戦なら俺は結構良いところまでいけそうだぜ」

「それは上々だね。良い成績取らないと推薦入学生の面目が立たないからね」

「そういえば、どうして十字ヶ丘高校入学したんだ聡は?」

 不思議そうな顔で訊ねるあきらくん。


「お前だったらもっと良い高校に行けただろうに。なんでだ?」

「うーん、なんて言えばいいかな……」

「理由はないって言いたいのか?」

「逆だよ。家から近いし、そこそこの偏差値もあったし、受かりやすかったり、学食が美味しいし。いろんな理由がありすぎて、これだって言うのがないんだよ」


 まあいろんな理由もあるけど、一番の理由は梅田先生とあきらくんが居るからなんだ。

 だけどそれは言えないなあ。恥ずかしいからね。

「まあいいけどよ。お前の人生なんだから」

 そんな会話をしつつ、僕たちは家に着いた。


 そして玄関のチャイムを押した。

「うん? お前の家なんだから押す必要あるのか?」


 答える前に「はーい」と言いながら吉野さんが家から出てきた。

「もう大丈夫――って近藤くん!?」

 あきらくんを見て驚愕する吉野さん。

「……どういうことか説明してもらおうか」

 冷やかな目で僕を見るあきらくん。

「そうだね。説明するから中に入ろう」

 なんていうか、浮気相手を正妻に見られた感じがして、とても気まずかった。


「近藤くん、久しぶりだね。元気でやってるかな?」

「……初めまして」

 中に入って梅田先生と河野ちゃんが居るのを見て、さらに冷たい目線になるあきらくん。


「あのなあ。ハーレムを作る気なら協力できねえよ。俺、帰るぜ?」

「違う違う! そうじゃないよ! 説明するから――」

「ああ、ちょっとその前にいいかな?」

 まるで生徒のように手を挙げて発言する梅田先生。


「今から知り合いの病院に連れていくからね。静ちゃんを」

「……何か良くないところが見つかったんですか?」

 恐る恐る訊ねると、梅田先生は「うん、そうだよ」と簡単に答えた。


「身体中に傷だらけだったから、専門の先生に連れていって、診断書を貰わないと。そうしないとこれから戦えないしね」

 誰と戦うのか。多分、河野ちゃんの父親だと思うけど、訊ね返したりしなかった。


「それでは、私たちは出かけるね。三人はお留守番しておいてね」

 敢えておどけて言った梅田先生。僕は「気をつけていってらっしゃい」と二人に言った。


「……田中くん」

 すると河野ちゃんは僕に近づいて小さな声で言う。

「恥ずかしいけど、ぎゅっとしてくれる?」

「河野ちゃん? どうしたの?」

「……怖くて、勇気が欲しいから」

 何に怖いのか、どうして勇気が要るのか。それはなんとなく分かったので、僕は何も言わずに河野ちゃんを抱きしめた。


 優しく、抱きしめた。


「……ありがとう」

 顔が真っ赤になっているのは、僕と河野ちゃん、両方だと思った。

 ふと周りを見てみる。

 吉野さんは僕たち以上に顔が真っ赤だった。

 あきらくんは気恥ずかしそうに顔を背けていた。

 梅田先生はニヤニヤしている。


「じゃあ行こうか、静ちゃん」

「……はい、弥生さん」

 そう言って二人は僕の家から出てしまった。


「……そんじゃあ、説明してもらおうか」

 とりあえず座れよとでも言わんばかりに、先に椅子に座ってから指を差すあきらくん。


「……なんだか不機嫌だね」

「あんな三流メロドラマ見せられて、機嫌が良くなるヤツが居るなら教えてほしいな。そうだろう? 吉野」

「……半分だけ同意するよ」


 吉野さんもなんだか怒っているみたいだった。まあ仲良くしている女の子が僕みたいな男に抱きしめられたら、機嫌が良くなるわけがないか。


 それから僕はこれまでの経緯と事情を説明した。

 そして冒頭のやりとりになったのだ。


「本当にあの子――河野静を守れるのか?」

 そう問われて、しばし沈黙してから僕は答える。正直に、真っ直ぐに。

「守れる守れないの話じゃないんだ。守りたいから守る。それだけの話だよ」

 はっきり言うとあきらくんは「そうか……」とだけ呟いた。


「できることなら、あきらくんにも力を貸してほしいんだけど」

「俺が初対面の女を守る義理がどこにあるんだ? お断りだな」

 にべもなく断るあきらくんに、吉野さんは「そんな風に言わなくても!」と抗議した。


「近藤くんは田中くんの友達でしょう? 友達をほんの少しだけでも助けようと思う気持ちはないの!?」

「ない。俺は聡を助けるつもりはあるが、河野静を助けることはしない」


 そう言って、あきらくんは僕に訊ねる。

「お前はいつもそうなのか? 困っている人間しか助けないつもりなのか?」

 どういう意味だか判然としないけど、僕は「そんなことないよ」と否定した。


「ただ困っている人だったら僕も助けない。友人とかだったら助けるよ。だから僕は河野ちゃんを助けようとしている」

「なるほど。ちゃんと選んでいるんだな」

 その言葉に納得したあきらくん。

 だけど次の言葉はいただけなかった。


「じゃあなんで、あのとき吉野を助けようとしたんだ? 別に友達じゃあないのに」

 僕は言葉に詰まってしまった。吉野さんは何を言っているのか分からないと僕とあきらくんを交互に見つめた。

「それ、どういう意味?」

 吉野さんの声音が厳しいものに変わった。


「なんで山崎にこいつが反撃したのか。今までのこいつだったら反撃なんてしない。ましてや自分だけなら怪我を負うようなことはしない。じゃあなんでしたのか。それは――お前が庇ってしまったからだよ」

 そう言われて、吉野さんは信じられないと言った顔で僕を見つめる。

「吉野が庇うことで虐めの標的がお前に変わることを恐れたんだよ。この阿呆は」

 僕は何も言えなかった。言えるはずもなかった。


「本当なの? 田中くん?」

 吉野さんは全て理解したようだった。

 怒りも悲しみも顔に浮かべなかった。

 ただただ真実を知りたいと思っている表情だった。

 だから、僕は、正直に答えた。


「ごめん。あきらくんの言うとおりだよ」


 吉野さんは、それを聞いて、納得したように頷いた。

 ただそれだけだった。


「聡、お前は変わってしまったな」

 あきらくんは僕みたいに面倒くさそうに話し出した。

「お前は自分のために動く人間だったのに。そういうところが俺は気に入っていたのに」

 そして失望の色を見せた。


「がっかりだよ、お前には」


「それのどこがいけないの!?」


 怒ったのは僕じゃなくて、吉野さんだった。

「人のために動いて、何が悪いの! 人が幸せになるように動いて、どこが悪いの! 少なくとも田中くんは静ちゃんのことを思いやって動いているの! どこが悪いのさ!」

 激しい怒りを受けながら、あきらくんは「そんな生き方は長く続かないぜ」と言う。

「俺はそんな生き方を認めない。人のために自分が犠牲になるなんて馬鹿げてる。俺は、そんな生き方を憎悪する」

 そしてあきらくんは僕に向かって言った。


「今から俺の家に来い。お前の考え方を変えてやる。吉野はここに残れ。ここからは幼馴染でのやりとりになるんだからな」

 立ち上がるあきらくん。僕は応ずるべきか悩んでから、結局は従うことに決めた。


「吉野さん、ちょっと待っててね」

「……うん。分かった」


 先ほどの言葉に堪えたのか、吉野さんはそれ以上何も言わなかった。

 僕はあきらくんに続いて家を出て、そこからあきらくんの家に向かった。


 ここで僕には選択肢があった。あきらくんの協力を諦める選択肢だ。

 だけどそれはできなかった。あきらくんの話に興味があったし、何より腹を割って話すのが久しぶりだったから。

 どこか僕たちには距離があった。他人行儀だった。そんな距離感を無くせるならという想いがあったことは否定できない。


 だから僕はあきらくんのことを信じる。

 たとえどんな結末になっても。

 友人の言葉をきちんと聞こう。

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