episodeー6

 目の前に出されたのはシチューだった。


「……何これ?」

「今、店で出してるヤツ。旨いよ、食ってみて」

「ふぅん」

「今年のクリスマスに、知人から教えて貰ったんだ」

「へぇ……」


 仕事納めの翌日、正月を実家で過ごす為に昼前に在来線に乗って一時間、地元に帰って来た。

 昨日仕事が終わって家に帰りついた頃、田所から会えないか? とラインがあったが珍しく断った。

 顔を見れば嫌味を言うか泣き言を言うか、どっちかになりそうで、まだ幕の引き方を決められていない楢崎ならさきには、田所の顔を見る事が憚られたのだ。


 >そっか。じゃあ、良いお年を――――。


 別に冷たくしたいわけでもないし、勿論、田所に非があるわけでもない。

 グダグダ考え過ぎて何を理由に田所を避けたいのかも良く分からなくなりそうだ。

 ただ引き摺られる事に怯えている様な、諦める自信がない事を確信してしまいそうな、そう言うダメな自分が何をするか分からない漠然とした恐怖があった。


 実家に転がっていると大掃除の邪魔だと追い出されて、仕方がないので去年の暮れに親父さんが危篤と言う知らせを受けてイタリアから帰って来た同級生の所へ顔を出してみる。

 リストランテ・ユキノと言う古い洋食屋を継いだ生歩いぶは高校の時から一本筋が通った大人びた男だった。

 相変わらず肌は白いし髪は黒いし黒目がちの猫目で、見た目はあんまり変わらない。今日は店は休みなので、ローゲージの象牙色のニットジャケットの中に黒いVネックのTシャツを着て、ボトムはスウェットと言う緩い格好をしている。

 

 高校の時は一番仲良くて、彼が卒業と同時にイタリアへ行くと言い出した時は流石に驚いた。

 この雪野生歩ゆきのいぶと言う男は、相変わらず愛想もなければ口数も少ないのだが、話し掛ければ普通に返して来る。

 周りはそれを大人しいとか気弱だとか誤解している事が多いが、とんだ間違いだ。

 この男は割と不躾に直球で物を言い、相手をバッサリ端的に一刀する。


「店はどうよ? 繁盛してんの?」

「まさか。代替わりしてから、閑古鳥の巣でも出来たみたいに静かだよ」

「大変なんだなぁ」

「まぁ、それでも何とかやって行こうとは思っているよ。助けてくれる人もいるしね……」

「そっか」


 生歩は十年前より少し、表情が柔らかくなった気がする。


「響は? アパレルだっけ?」

「あぁ、うん。来年から東日本の代表みたいな事させられるらしい」

「凄いね」

「そうか? あんまり実感がねぇんだわ。今の代表が凄過ぎて、同じ仕事が出来るとは思えない」

「それでも、昇進なんだろ? オメデタイ事じゃないの?」

「オメデタイ、か……」


 確かに男として昇進すると言う事は良い事なんだろう。

 でも、あの田所が社長の右腕になって、遠くへ行ってしまう事が素直に喜べなくて、寧ろ昇進しなくても良いから今のままでいさせて欲しいなんて、普通は考えないのかも知れない。

 出されたシチューを一匙掬って口に運ぶ。

 濃厚なデミグラスソースとワインの酸味、解けるように舌の上でタンが形を失って行った。


「旨いな」

「だろ?」


 黙ってこっちを見ている生歩は、相変わらず無表情で何を考えているか分からないけれど、数回眸を瞬かせて「何、悩んでるの?」とでも言いたげに首を傾げた。


「別に、何でもねぇよ」

「相変わらず、嘘が下手だね。響は……」

「ははっ、そうかぁ?」

「すぐ顔に出るのに、そうやって言おうとしない。どうせまた、目先の事ばっかり考えて自滅してるんだろ」

「どうせって……余計なお世話だ」

「俺がイタリアに行くって言った時も、何で? ってしつこい位だったしね」

「うるせぇな……」


 仲の良かった生歩いぶが突然自分から離れて行くと言い出した時、物凄く置いて行かれる様な気分になって、何でイタリアに行くのかと問い詰めた。

 イタリアじゃ無くても、日本でも、料理人にはなれるだろ。

 遠くへ行くと言う選択をする生歩の気が知れなくて、何でそんな答えになるのかを聞かなければ納得など出来はしないと、食い下がったのだ。


「あの頃からずっと、ひびきは怖がりだよな」

「だって俺、あの頃お前の事、好きだったんだよ……」

「うん、知ってるよ」

「……え、知ってたのか?」

「すぐ顔に出るって、言っただろ。バレてないとでも思ってたのか?」

「それでもお前はイタリアへ行った」

「当たり前だ。成りたい自分と、求められる自分は必ずしも一緒とは限らない」

「あはは、十年越しにフラれた気分だ」

「告白すらしないヤツが、フラれるわけないだろ」


 呆れた様に生歩に笑われて、それもそうだ、と苦笑する。

 自分を選ばなかった生歩を、見送りにも行かなかった。

 好きだと伝えた訳でもないのに、生歩が自分を選んでくれない事に一丁前に不満を抱いて袖にして――。


 あぁ、あの頃と何も変わってねぇな。


「それで? 今はその凄い代表さんの事が好きなの?」

「うん」

「告白はしたの?」

「いいや」

「なのに、また勝手に拗ねてんの?」

「……うるせぇや」

「伝えてみれば良いじゃん。ダメ元で良いからさ……どうせ、フラれるなら言わないより言った方が良いと思うぞ」

「フラれる前提って、お前も大概酷いよな。同じ会社の上司だぞ、そう簡単には……」

「同じ学校だろうと、同じ会社だろうと、響に言う気があるかないか、だろ」


 生歩はそう言ってニヤリと笑う。

 十年前はそんな顔で笑った事は無かったのに、イタリアへ行って親の不幸を経験して、経営者となった生歩は記憶の中の高校生ではなくて、ちゃんと大人の男の顔をしている。


「その代表さんって、どんな人?」

「女装男子、ってヤツかな。性同一性障害って聞いた事あるだろ」

「あぁ、体とメンタルの性別が一致しないとか言う?」

「そう、体は男の人なんだけど、何か凄く女の人らしくて綺麗な人なんだ」

「響はその人の事、男として好きなの? それとも、女の人として認識してるの?」

「どうだろうな……。出逢った時からそうだから、あんまり考えた事ないけど……あの人がもし元々女の体を持っていたとしても、惚れたと思う。俺にとってテンさんの性別はあんまり関係ないんだけど、女の人で在りたいって言う気持ちが凄く分かる人だから、女の人として愛したいかもな」

「へぇ……じゃあ、尚更言わなきゃじゃない? 女の人に言わせるなんて、ダサいじゃん」


 その時、楢崎は唐突に思い出した。

 何故、十年前、彼の事が好きだったのかを。

 生歩は昔から達観していると言うか、自分の指針みたいなものがしっかりしたヤツで、何を話してもバカにしたり茶化したりしないヤツだった。

 だから多分、あの頃男の自分が生歩に好きだと言っても、この男が偏見を持ったり茶化したりしない事を楢崎は知っていた。


 それでも、言えなかった。

 

 ごついシルバーをゴテゴテつけ髪をブリーチして、見た目が厳つい割にグズグズする自分と、か細く繊細に見えて意外と豪胆で気の強い生歩は全く正反対なのに、居心地が良かった。


 生歩のそう言う所は田所に似ている気がする。

 だから置いて行かれる様な焦燥感がずっと消えないのかも知れない。


 あぁ、やっぱりあの頃から変わってねぇなぁ。


 >そっか。じゃあ、良いお年を――――。

 

 田所の昨晩のラインを見直して、今更ながらこのまま鬱々と沈んだ気持ちのまま年を越すのも気が引けてくる。

 会わないと言ったのは自分なのに、少し気持ちが落ち着くだけですぐにでも会いたくなって、一言だけ返事を打った。


 >今、何してますか?

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